剣風
魔物が両断される光景を目の当たりにして、
大上隼斗は思わず「おお……」と声を漏らした。
その反応に気を良くした杏子は「どうだ見たか」
とでも言いたげな満足顔を浮かべてみるも、
誰かに見られる前に表情を戻して気を引き締めた。
斬られた魔物はスライム──ザコの中のザコである。
特に邪魔な位置にいたわけではなく、
こちらに気づいていた様子は見られなかったので
別段倒す必要は無かったようにも思えるが、
安土桃太郎は刀を抜いてその魔物を屠ったのだ。
おそらく彼は大上に見せつけたかったのだろう。
格の違いというやつを。
安土流剣術奥義・剣風。
それは離れた相手を不可視の斬撃にて斬り捨てる、
回避不能の必殺剣である。
実際の技名はどうだかわからない。
そういう流派が存在するのかも不明だが、
取り巻きの女子たちは勝手にそう呼んでいる。
驚くべきはそれが魔法の類ではなく、
刀剣を用いた純粋な戦技であるという点だ。
戦闘技術……ある程度の才能も必要になるだろうが、
つまり鍛錬を積めば誰にでも再現可能ということだ。
「安土……
すごいな、お前
どうやってるんだ?
古武術の遠当てみたいなもんか?」
大上はそのオカルトめいた妙技に興奮し、
原理を知りたがって安土に問い掛けるが、
彼の望む答えが返されることはなかった。
「お前に褒められても嬉しくない」
冷淡にあしらわれた大上は苦笑いになり、
亀山と猪瀬は同情の念を示すかのように
彼の肩に手を置いて首を横に振るのだった。
あの2人は気づいていないのだろうか?
それとも、敢えて気づかないふりをしたのか……。
安土桃太郎が感情を口にしたのだ。
彼はこれまでに行なってきた冒険活動において、
必要最低限の指示以外で言葉を発しなかった。
女子同士の私語につきあうなどもってのほかだ。
それは普段の学園生活においても同じことである。
その貴重な初めての瞬間を大上隼斗に奪われ、
杏子の中では形容しがたい敗北感が渦巻いていた。
今回の活動には1年生たちの他に
2名の2年生が護衛として同行していた。
彼らの役目は新人がピンチの時には助けに入り、
無茶をしそうであれば引き止めるというものだ。
それは彼ら自身に課せられた現場訓練であり、
魔法学園の伝統でもあった。
1人目は金子正数。
安土パーティーの護衛として同行していたが、
護衛対象が強すぎて全く出番が無かった男だ。
ナヨナヨした印象の優男であり正直頼りないが、
これでも正式な冒険者免許を所持しているので
れっきとした冒険者の1人であるのは否めない。
もう1人は鬼島神楽。
この女が問題だった。
彼女は大上パーティーの護衛だったのだが、
それを不満に思って終始愚痴を溢していた。
それだけならまだしも、彼女は安土パーティーの
女子たちにしきりに話しかけてくるばかりか、
あろうことか突然杏子に抱きついてきたりと、
とにかく邪魔な存在でしかなかった。
「はあ……
わんこちゃんの◯んこをペロペロしたい」
そしてこの発言である。
鬼島神楽は綺麗に切り揃えられた長い黒髪と、
端正な顔立ちを兼ね備えた美少女であった。
外見から受ける印象を一言で表すなら、
『大和撫子』以外には考えられない。
だが、見た目だけなのだ。
彼女は『見た目撫子』であった。
「わんこちゃん
トイレに行きたくなったら、
あたしがいつでも付き添ってあげるからね?
もし携帯トイレを忘れてたら、その時は……」
「この人、頭おかしいよおお!!」
常時がこんな感じなのだ。
これでは活動に身が入らない。
鬼島神楽の変態発言に一同はドン引きし、
さすがに空気のようだった金子も動かざるを得ない。
「鬼島さん、いい加減にしてくれ!
君がアグレッシブな変態行為をするせいで、
他の上級生まで同類だと思われたら困るんだよ!
もっと先輩としての自覚を持ったらどうなんだ!」
「なにようっさいわね〜
あんたには関係無いでしょほっといてよ〜」
「くそっ、聞いちゃいない!
理由付きで注意したのに伝わっちゃいない!
これだから担当時間が被りたくなかったんだ!」
鬼島神楽は変態であるがゆえに嫌われていた。
昨年は“カンチョー百人斬り"なるチャレンジを行い、
油断していた女子たちの下着を汚して回ったそうだ。
これは褒めていいのかはわからないが、
彼女は相手が女子であれば誰でも標的にしたらしい。
それが学園の皆から『電撃番長』の異名で
恐れられている先輩であっても、だ。
先輩2名はしばらく言い争っていた。
金子は常識的で当たり障りの無い注意をしていたが、
対する鬼島神楽は「バカ」だの「アホ」だのと、
語彙力に乏しい反論ばかりで聞く耳を持たない。
まったく時間の無駄である。
これでは先へ進むことができない。
新人は護衛の目が届かない範囲へは行けないのだ。
安土は不毛な口論には一切の関心を示さず、
無言で周囲を見回すだけだった。
リーダーの意思を汲み取った女子たちはそれに倣い、
映画の感想などの雑談をしながら時間を潰す。
そして大上は静かに立ち尽くす安土へと近づき、
この状況を変えるための決断を伝えた。
「みんなが魔法で戦う姿を見たかったけど、
今日はここまでにしておくよ
あの先輩は俺の護衛として同行してるわけだし、
俺が帰るならあの人も帰らざるを得ないからな
お前の邪魔はしないって約束だ、仕方ない」
すると、安土は再び口を開いた。
大上の言葉にまたもや反応を示したのだ。
その異変に、今度は杏子以外の2人も驚いていた。
否、指示された内容に困惑したのかもしれない。
「予定変更だ、俺たちも引き上げる
お前ら撤収の準備に取り掛かれ」
予定変更……初めてのケースである。
全員MPは満タンだ。戦力に不足は無い。
まさか初心者の大上を気遣ったのだろうか?
それとも先輩たちの言い争う姿を見せられて、
モチベーションが下がってしまったのだろうか?
なんにせよ安土は撤収の判断を下した。
リーダーの決定には従わねばならない。
帰り道にて、ある魔物と遭遇する。
それはグローブをはめたカンガルーの姿をしており、
無軌道に飛び跳ねて獲物を探し回っていた。
ピョンピョンと動く様子は可愛らしくもあるが、
人類に仇なす存在であることには変わりない。
それを発見した大上は軽くストレッチし始め、
安土パーティーの面々に向かって言い放った。
「みんなとはここまでだな
俺はあいつにちょっと用がある」
魔物の名は『カンガルーパンチャー』。
又の名を『辻ボクサー』と呼ばれていた。
かつて国内では沖縄でしか確認されていなかったが、
この10年でなぜか日本各地に出没するようになり、
今ではすっかり珍しくなくなった謎の魔物である。
異名通りに左右のパンチで攻撃してくるのだが、
ただ速いだけで威力自体は全然大したことはないため
訓練経験の浅い者でも殺される可能性は極めて低い。
そして3分毎に1分間の休憩タイムを挟む習性により、
もし危険と判断した際はその間に逃げればよい。
以上の性質から安全性の高い魔物として
初心者が実戦経験を積むための相手にふさわしく、
大上隼斗もデビュー戦の獲物として目をつけていた。
「え〜、帰るんじゃなかったの?
あんなザコほっといてさっさと帰りなさいよ」
「いやいや、何言ってるんですか先輩
あれと遭遇したら挑戦するという旨は、
ちゃんと計画書にも書いておきましたよ?」
「あたしの前で『ムネ』って言葉は禁止」
「え?
……ああ、はい」
鬼島神楽は胸が小さいのを気にしていた。
胸が大きい杏子は、
なぜかその場から微動だにしない安土に声を掛ける。
「あの、私たちはもう帰るんじゃ……?
大上君がどこで何しようが関係無いんだし……」
「まあ……これもいい機会だ
いつもは目的地まで直行するために
相手が気づく前に一撃で処理してきたが、
あんなザコでも状況次第で脅威になる可能性はある
行動パターンを把握しておいて損は無いだろう
お前ら、よく見ておけ
特に防御役の猪瀬には必要な知識だ
いずれ実戦学習させる予定だったが、
それが少し前倒しになっただけだと思え」
本当かなあ……と思いつつ、
彼女たちは大上のデビュー戦に注目するのだった。