人間の屑
池澤輝彦は人間の屑である。
彼は生まれながらにして持っていた。
裕福な家庭と、恵まれた容姿を。
この世に生を受けた瞬間からイケてた彼は
病院で働く女性たちの心を鷲掴みにしたそうで、
他の赤子よりも露骨に好待遇だったとの逸話がある。
尚、病院側は『そんな事実は無い』と否定している。
彼のイケてる赤ちゃんっぷりの噂はすぐに広まり、
大手芸能事務所からのスカウトが殺到したそうな。
両親は最も条件の良い事務所と契約を交わし、
オムツやベビー服、乳幼児用玩具、ペット用品など、
言葉を話せるようになるまでに100のCMに出演させ、
その後の最高にイケてる人生のレールを敷いたのだ。
幼稚園に入る頃にはすっかりカメラ慣れしており、
どんな表情をすれば大人が喜ぶのかを理解していた。
そして同園に通う女児たちを『全員俺の女』宣言して
プレイボーイぶりを発揮し、保護者の度肝を抜いた。
ただし、ブスには厳しかった。
小学生時代も当然モテた。
自分のあだ名に不満を持っていた時期もあったが、
これもイケてる男の宿命なのだと受け入れてからは、
周囲からそう呼ばれても気にならなくなった。
美少年アイドルグループのメンバーに抜擢され、
天性の女たらしの才能に磨きがかかる。
この頃にちょっとイケてない部分が発覚する。
歌もダンスも下手なのだ。
しかも練習を嫌うので、いつまでも上達しなかった。
それでも顔面偏差値の高さだけで一番人気だった。
むしろファンの女性たちはギャップに萌えたのだ。
女だけでなく、男の扱い方も覚えるようになる。
おこぼれ目当ての男子を手下にすると都合が良い。
目障りなブスを押しつけるのにちょうどいいし、
陰湿ないじめ行為の責任は彼らが被ってくれるのだ。
卒業するまでに3名の児童を不登校に追い込んだが、
手下たちがその罪を快く引き受けてくれたのである。
実際には親や事務所による圧力の成果だったが、
なんにせよ彼は一切のお咎めを受けなかった。
中学生になり、初のドラマ出演が決まる。
そしてまたイケてない部分が露呈。
演技も下手なのだ。
だが、それはあまり痛手にはならなかった。
本来は友情に厚い主人公役を演じる予定だったのを、
女たらしのクズ野郎役にキャスト変更したのである。
これならば演技をする必要は全く無い。
その目論見は見事的中し、ドラマは大成功を収めた。
名悪役を演じた天才俳優として大ブレイクを果たし、
彼の社会的地位は不動のものとなった。
何をしても許される存在──人生の勝利者。
人はそれをイケメンと呼んだ。
そんなイケメンである彼はますます調子づき、
ファンの女性たちを手当たり次第に食いまくった。
同級生、その姉妹、他校の女子、果てはその母親まで
自分に近づいてくるあらゆる女を毒牙にかけたのだ。
もちろんブスは除く。
その半数以上に妊娠・中絶・出産の経験をさせたが、
彼が責任を問われることは無かった。
被害女性たちは自分こそが運命の人であると主張し、
誰一人として彼を責めることをしなかったのである。
義務教育を終え、高校生になっても彼の進撃は続く。
女癖の悪さは相変わらずで、いじめ行為も楽しんだ。
そんなある日、とうとうそれは起こってしまった。
元同級生の自殺未遂。
チクショウ……なんでだ。ふざけんな。
余計なことしやがって。
俺のキャリアに傷を付けんな。
失敗しやがって。
遺書なんか残しやがって。
そのまま死ねばよかったんだ。
今からでもやり直せ。
もう一度自殺しろ。
今度こそ成功するように応援してやる。
死ね。死んでしまえ。
次は遺書なんて書くな。
いや、書いてもいいけど俺の名前は出すな。
1人で勝手に死ね。
親から虐待を受けていたとか、そう書けばいい。
とにかく俺のキャリアに傷を付けんな。
その願いは叶い、元同級生は1人で勝手に死んだ。
夜の学校に忍び込み、屋上から飛び降りたのだ。
遺書には、幼い頃から日常的に虐待を受けていたと
事実無根な詳細がびっしりと書き連ねてあった。
そして池澤輝彦は大親友であったとも記されていた。
これで憂いは消えた。
親の金で一流大学に裏口入学したものの、
彼がキャンパスに姿を見せることは一度も無かった。
ドラマや映画の撮影で忙しいとの理由であったが、
勉強なんて面倒なことはしたくなかっただけである。
そして一度も試験を受けていないにもかかわらず、
なぜか首席で卒業するという快挙を果たす。
学問から解放された彼は俳優業に専念し、
様々なタイプの悪役を演じ切った。
中でも特に結婚詐欺師役は楽しく演じることができ、
自他共に認めるハマり役であると公言。
以降、真面目に演技の勉強に取り組んだ結果、
自分を善人だと思わせて相手から信用を得る方法や、
他人を意のままに操る方法を身につけてゆく。
と、ようやく学びの大切さに目覚めた彼であったが、
覚えたての技術を試して大失態を犯してしまう。
人気美少女アイドルグループのメンバーに手を出し、
30人全員を妊娠させるという事件を起こしたのだ。
彼は、やりすぎてしまったのである。
大事な看板商品を傷物にされた相手事務所は激怒し、
それは彼の所属している事務所も同じ反応であった。
いつも問題ばかり起こすどうしようもないカスだが、
事務所を大儲けさせてくれる奴だから許されていた。
だがさすがに今回ばかりは擁護することができない。
こちらよりも大きな事務所が相手では分が悪い。
こうして池澤輝彦は芸能界から追放されたのだ。
業界を干された彼は長年培った経験を活かし、
三流ゴシップ誌の編集記者に転職する。
有名人の裏の顔を暴き、口止め料を頂く仕事である。
自らの過去を棚に上げて他人の悪行を非難するのは、
これが思いのほか気分が良い。
彼にとって、それは第二の天職だった。
表舞台から姿を消して数年が過ぎても、
彼の復帰を待ち望むファンは大勢存在した。
アイドル30人を同時に孕ませた件は闇に葬り去られ、
元所属事務所が発表した電撃引退の理由は
『メンタルの不調を回復させるため』となっている。
この嘘がファンの保護欲を掻き立ててしまったのだ。
熱烈なファンたちはこう解釈した。
『嫌われ役ばかり押しつけられたせいだ』と。
更に、彼の所業を近くで見てきた者たちからも
同情する声が寄せられたというのだから驚きだ。
守ってあげたくなる系イケメン。
彼をそう捉える者たちが存在したのだ。
まったくチョロい女共である。
彼は、そんなチョロい女共の1人に目をつけた。
名を安土小梅。
安土製菓社長の妹である。
池澤輝彦に誑かされて高校を中退し、
駆け落ち同然に家を飛び出した馬鹿な女である。
──画面には3人の男が映し出されている。
池澤輝彦と、その息子である安土桃太郎、
そして安土製菓社長の安土桜夜。
幼い桃太郎は両手で股間を隠しながら、
困ったような表情で大人たちの顔を交互に見比べる。
池澤輝彦は一流企業の社長に好印象を与えようと、
不機嫌そうに温泉に浸かっている安土桜夜に対して
“偶然の再会に驚きを隠せない様子”を披露した。
……が。
『やめろ、気持ち悪い
ただでさえお前の顔なんて見たくないんだ
ヘタクソな演技を見せられたら余計に腹が立つ
どうせうちの女性社員から情報を引き出して、
僕のスケジュールを把握した上で来たんだろ?
まったく、これじゃあせっかくの休日が台無しだ』
『いやいや、本当に偶然ですよ義兄さん!
父子水入らずで京都旅行に来てみれば、
この宿に何か運命めいたものを感じたんですよ
そしたらほら、この通り……』
『この宿は予約客以外お断りなんだよアホ
つうか、どうせ小梅とは結婚してないんだろ?
義兄さんとか呼ぶなよマジで……本当にマジで……
たとえ結婚してたとしても絶対にやめろ
お前みたいな俳優崩れのろくでなしを、
この僕が弟と認めるわけがないだろ?
大体なんだその、父子水入らずってのは?
どうして母親抜きなんだよ』
『あ、いや、えっと、その……
小梅さんはほら、義兄さんと喧嘩別れしたでしょ?
だから会うのが気まずいんじゃないかなあと』
『その呼び方をやめろと言ったばかりだろう
本当に学習能力の無いアホだな
それどころか早速ボロが出てるよな?
会うのが気まずい……って、なんだそりゃ?
それは僕と小梅が顔を合わせる前提の台詞だぞ?
再会するのは偶然って設定なんだろ?
お前の脚本はガバガバなんだよ
いや、アドリブがヘタクソなだけかな?
そんなんじゃ俳優としてやっていけないぞ
……って、とっくに干されてたか
演技力の低さとは全く無関係な理由でな』
『やっ、ちょっと待ってください!
それ以上は、その……子供の前ですよ?
大人同士の難しい話はもうそのへんで……』
しどろもどろになる池澤輝彦とは対照的に、
安土桜夜はフゥっと短く息を吐いた後に
桃太郎の目をじっと見つめながら自己紹介した。
『僕は安土桜夜
君のお母さんのお兄さん、つまり君の伯父さんだ
君の名前を教えてもらえるかな?』
『安土桃太郎です……』
『あ、そう名付けた理由はですね──』
『黙れ池澤
他人の会話を遮るなアホ』
強く睨まれた池澤輝彦は慌てて口を閉じる。
安土桜夜は桃太郎に視線を戻して会話を再開した。
『桃太郎、ね……
君は自分の名前が好きかい?』
すると桃太郎は恐る恐る父親を見上げ、
どう返答しようかと迷っている様子だ。
『嫌いなんだね
でも、それを言うとお父さんに怒られる
だから正直に答えることができないんだね』
桃太郎は父親にバレないように小さく頷いた。
だがその行為はまんまと目撃されており、
池澤輝彦の中で怒りと焦りの感情が渦巻く。
『いや、違うんですよ!!
こいつは人見知りなとこがありましてね!?
義兄さんとは初めて会うから緊張しちゃって!!』
再び安土同士の会話に割り込んできた邪魔者に対し、
安土桜夜は呆れた顔をするしかない。
『池澤、お前さあ……
僕に取り入りたいなら少しは好かれる努力をしろよ
せめて嫌われないように立ち回れないかなあ……
僕を義兄さんと呼ぶな
他人の会話を遮るな
あと、嘘をつくな
……簡単なルールくらい守ってくれ』
『いや、でも!
取り入ろうだなんて、そんな!』
『取り入る気満々だろう
桃太郎といえばきびだんご、
きびだんごといえば安土製菓の主力商品だ
これが無関係なわけがあるか
安土製菓の社長である僕が彼のことを気に入れば、
次期社長の座を約束してもらえると思ったんだろ?
で、彼が新社長になった暁には父親風を吹かせて、
自分にその座を譲り渡すように仕向ける魂胆だろ?
回りくどいんだよ
うちの会社を乗っ取りたきゃ、お前1人でやれ
薄汚い目的のために子供を道具にするとか……
お前って本当に人間の屑だな』
池澤輝彦は苦境に立たされる。
図星を突かれた。
どういうわけか計画がバレてしまった。
このままだと今までの苦労が水の泡になる。
正妻ぶってる馬鹿女に居場所を与えてやったのに。
月に1回は顔を見せに行って喜ばせてやったのに。
口答えばかりする生意気なガキと遊んでやったのに。
それもこれも全部、名声を得るためだ。
一流企業のトップとしてチヤホヤされるためだ。
金にも女にも困ってない。
だが人間である以上、歳を取る。
30を過ぎてから体力の衰えを感じている。
老ければ確実にファンが離れるだろう。
あの馬鹿女共は、いつか俺の存在を忘れ去るだろう。
過去の人にはなりたくない。
最高にイケてる男の存在を忘れるなんて許さない。
『なあ、池澤
お前は知らないだろうから一応教えておくと、
安土製菓の歴史上、安土の姓を持つ者は2人だけだ
“あづちや”創業者である安土桜之進と、
現社長である安土桜夜──この僕だ
まあ、ネットで調べりゃすぐ出てくる情報だけど』
『へえ、そうなんですね
えっと……それが何か?』
『ええぇ……
今ので伝わらないのか……
お前は本当に底無しのアホだな』
くそっ、何度もアホアホ言いやがって……。
だが、今ブチ切れたら何もかもが終わってしまう。
ここはなんとか我慢してやり過ごすしかない。
『あっははは、勘弁してくださいよ義兄さん!
いきなり関係無い話をするものだから、
ちょっと頭が混乱しちゃっただけですよ〜
……桃太郎にもわかんなかったよなあ?
義兄さんが何を言いたかったのかを』
安土桜夜は露骨に不愉快な表情で何か言いかけたが、
桃太郎が発言したがっていることに気づいてやめた。
そして子供を怖がらせないように表情を調整し、
桃太郎に向かって首を縦に振った。
『身内だからって特別扱いはしない
……という意味で合ってますか?』
すると安土桜夜はウンウンと頷きながら、
見事正解を言い当てた少年に拍手を送る。
『その通りだよ、桃太郎君
君はお父さんよりも賢いね
……おっと、それだと褒め言葉にならないか
とにかく素直に感心したよ
君は理解済みだから今更説明する必要は無いけど、
理解力が幼稚園児以下の人のために説明するね
安土製菓は、徹底した実力主義の組織なんだ
コネで人事を行うことはまずあり得ない
役立たずを雇ってもメリットが無いからね
よほど高い能力の持ち主なら話は別だけど、
そういう人材と出会えるのはレアケースさ
インターネットで調べればすぐわかる情報だけど、
“あづちや”の創業以来500年間守ってきた掟だよ』
『安土桜之進は先見の明がある人だったんですね』
『おおっ、本当に賢いな!
普通の幼稚園児はそんな言葉知らないぞ?
もしかして君はギフテッドか何かなのか?』
『いえ、最近読んだ辞書に載っていて……
覚えた言葉をつい使ってみたくなったんです
今がその時だと思ったから……』
『おおぉ……
次期社長の座は約束しないけど、
僕は今確かに、君の存在を気に入ったよ
安土桃太郎という人間にものすごく興味がある』
『僕は社長の座になんて興味はありませんけどね』
『ふっ……ははははは!!』
『ふふっ』
…………。
え、なんだこれ?
小梅のガキ……桃太郎…………なんだよその顔は?
なに楽しそうに笑ってんだよ……。
俺の前では一度もそんな顔したことないだろ……。
俺はお前の父親だぞ?わかってんのか?
そいつは小梅の兄貴で、お前の父親じゃないんだぞ?
ちょっと顔が似てるからって勘違いしてんのか?
まったく恩知らずなガキめ。
誰がお前の本当の父親なのか、思い知らせてやる。
『なあ、桃太郎
ずっと立ちっぱなしってのも疲れるだろう
そろそろ風呂に入ったらどうだ?
義兄さんはお前のことをもっと知りたいようだし、
近くで話した方が会話が弾むはずだ
俺は2人の邪魔にならないように退散するよ』
『えっ……?』
『ほう、やっと僕に好かれる努力をしたか
禁止ワードのせいで台無しだが……まあいい
僕は今、その将来有望な少年と言葉を交わしたい
どうせお前じゃ会話についてこれないだろうし、
部屋に戻って演技の練習でもするといいさ
今は“良い父親役”を募集中だ』
『ええ、そうさせてもらいます
ただし部屋に戻るのは一人酒をするためですがね
肌に悪いので滅多に飲まないんですが、
今はそういう気分なんですよ
……いやあ、完敗だ!
あ、いや、“乾杯”に引っ掛けたわけじゃありません
さっき義兄さんから指摘された通り、
俺の脚本はガバガバでした
安土製菓を乗っ取ろうだなんて……俺が馬鹿でした
顔だけしか取り柄のない男が、
顔も頭も良い男に勝てるはずがなかったんですよ
その現実に打ちのめされ、だいぶ凹んでます』
『そうか、二度とその顔を見せるなよ?
……それじゃあ桃太郎君!
こっちに来て伯父さんとお喋りをしようか!』
安土桜夜は満面の笑みを浮かべるが、
桃太郎は急に暗い顔になって下を向く。
『でも僕は……』
『ほら、桃太郎
義兄さんが呼んでるんだ
早く行ってやりなさい
人を待たせるのは失礼だぞ?』
『いや、だけど──』
『いいから早く、ほら!
グズグズするな!
行けよ、行けって!
こんな時まで口答えか?
お前は本当にわがままな奴だな!』
安土桜夜は首を傾げた。
浴場に入ってきた時から暗い顔をしていた少年が
やっと笑ったと思ったら、また暗い顔になったのだ。
どうも少年はその場から動きたくないようだが、
甥の存在を知ったばかりの彼には理由がわからない。
桃太郎がバラ科アレルギーだと知らないのだ。
今、彼が浸かっている風呂には桃が浮かんでいる。
桃はバラ科の植物である。
そのエキスをたっぷり抽出して混じり合った液体は、
桃太郎にとっては毒の海そのものであった。
だがそこは顔も頭も良い男、
少ないヒントから推理ができる。
『桃太郎君、ひょっとして……
君は桃が嫌いなのかい?
自分の名前を気に入ってないようだし、
関連する物まで嫌いになってしまったんだね
“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”状態かな?』
だが完璧な推理とは限らない。
それも正解だが、もっと大きな理由がある。
『僕はバラ科アレルギーなんです!!』
『えっ…………』
安土桜夜は絶句し、目を見開いたまま固まった。
事の重大性に気づいて血の気が引いたのだろう。
だが、そのままでいるわけにもいかない。
彼は即座に今やるべき行動に出た。
『桃太郎君、前言撤回だ!!
こっちに来てはいけない!!
ここにいてもいけない!!
今すぐこの場から離れるんだ!!』
安土桜夜はアレルギーの怖さを理解していた。
安土桃太郎も自分自身の体質を理解していた。
そして池澤輝彦も理解していた。
わがままな息子に言うことを聞かせる方法を。
『はあああぁぁ〜〜〜〜〜…………』
大きくため息を吐けばいいのである。
そうすると息子は慌てるのだ。
お父さんをガッカリさせてしまった、と思うのだ。
親から嫌われないようにするためにはどうしよう?
そうだ、言われたことをやればいい。
わがままを言うのはやめて、素直に従えばいいんだ。
……と、考える。
これが池澤輝彦流のイケてる子育て術である。
『やめろ桃太郎君!!
引き返せ!!
それ以上近づいては──』
安土桜夜の懸命な叫びも虚しく、
桃太郎は自ら毒の海に飛び込んだ。
安土桜夜はすぐさま風呂から桃太郎を引き上げ、
その父親に向かって声を裏返しながら指示を出す。
『エピペン!!!
さっさと持ってこい!!!
それから救急車!!!』
だが池澤輝彦は突っ立ったままで何もしない。
それどころかニヤニヤと笑いながら様子を眺めた。
実際、楽しいのだ。
どんなに賢かろうが所詮はガキなのだと証明できた。
さっきまで自分を見下していた男が取り乱しており、
今は自分がそいつを見下ろしている。
これほど愉快なことがあるか。
『いや〜、実は持ってきてないんですよねえ
そーゆー薬とかは小梅に管理させてるし、
余計な荷物を抱えて旅行したくなかったもんで』
『ふざけるな!!!
自分の子供が死にかけてるんだぞ!!!
……ええい、もういい!!!
おーーーい、誰かーーー!!!!!
今すぐ病院に連絡してくれーーー!!!!!』
安土桜夜が桃太郎を抱えながら浴場から立ち去る。
池澤輝彦は腹を抱えながら裸の2人を見送った。
勝った!
俺の勝ちだ!!
乗っ取り計画は失敗したが、精神的勝利だ!!!
池澤輝彦は大勝利の余韻に浸りつつ、
大量の桃が浮かぶ風呂にも浸ろうとした……が、
やっておかねばならないことに気づいて足を止める。
ガキの母親に知らせておくべきだろう。
また病院からあいつに連絡が行って、
児相だの警察だのとゴチャゴチャ揉めるのは面倒だ。
ここは先手を打っておかないと……。
脱衣所にて、池澤輝彦はコーヒー牛乳を飲みながら
安土小梅への連絡を行なった。
『──小梅、大変なことになった
実はまた……桃太郎が病院に運ばれたんだ』
『ええっ、そんな!?
一体何があったの!?』
『本当にすまない、こんなことになって……
俺がそばにいながら……俺はなんてダメな奴なんだ
俺はあいつを止められなかった……
義兄さんの命令で毒物に触れさせられる息子を、
俺は見ていることしかできなかったんだ……』
『え、兄さんって……
それどうゆうこと!?
今日は遊園地の予定だったでしょ!?』
『ああ、すまない……あれは嘘なんだ
俺は……お前と義兄さんを仲直りさせたかったんだ
拗れた関係のままにしておきたくなかったんだ
お前たち兄妹の仲を修復しておかないと、
俺はあの人と本当の兄弟になれない気がしてな……
でも間違いだった……全部、俺の独り善がりだった
はっきり言われてしまったよ
“お前を家族と認めるわけがない”……とね』
『そんな……
輝彦さんは私たちの将来のために……
でも兄さんはやっぱりまだ許してくれないのね
私が安土家の恥晒しだから……』
『それから小梅、こんなことも言ってたぞ
“お前の顔なんて二度と見たくない”、
“幼稚園児以下の知能しか持ってないアホ”、
“出来損ないの妹を持って本当に恥ずかしい”、
“ろくに子育てもできない役立たず”、
“生きる価値の無い人間の屑”』
『そんな、そんな言い方……!
あの優しかった兄さんが、そんな……
いくら私が駄目な女だからって、そこまで……』
『だから言っただろう、小梅
人は誰でも嘘をつく生き物なんだ
長年芸能界にいた俺は身をもって知ってるんだ
俺はそのせいで心を病んで……っと、今はいいか
とにかく義兄さんはお前に優しいふりをしながら、
内心ではいつもお前のことを見下していたんだ』
『兄さん……
信じていたのに……』
『いいか小梅、お前の味方は俺だけだ
今まで通り俺が守ってやる
これからいろんな連中から電話が来るだろうが、
みんな俺を悪者にしようとしている奴らだ
そいつらは義兄さんの手下だから相手にするな
絶対電話に出るんじゃないぞ?
それと、家に誰か来てもドアを開けるなよ?』
『電話には出ない……ドアを開けない……
はい、わかりました……』
通話を終了した池澤輝彦はニヤリと笑い、
再び浴場へと移動する。
自分の他には誰もいない。貸し切り状態だ。
なんという開放感、そして解放感。
さすがは高い金を払って来ただけの価値はある。
あの女とはもう終わりだ。
安土家の連中とは縁を切る。
これ以上関わってもメリットが無い。
というより何も得られなかった。
時間を無駄にした。
慰謝料を請求したいくらいだが、
それはやめておくのが賢明だろう。
どうせ赤の他人だ。最初から。
あの女は俺と結婚できると思っていたようだが、
俺がそんな約束をした事実は一切無い。
ガキにしてもそうだ。
あれは小梅が産みたいから産んだだけの生物で、
俺が自分の子供だと認めたことはない。
認知していない。つまり俺の子じゃない。
なんか死にそうな雰囲気だったが、俺には関係無い。
ガキが勝手に自爆した。それは事実だ。
俺は少し強めの言葉を使ったかもしれないが、
ガキには指一本触れていない。
桃風呂に飛び込んだのは、あいつ自身の選択だ。
自業自得。自己責任。自己満足。
自殺。
『はああ〜〜〜極楽極楽!!!
お前も天国に行けるといいなあ桃太郎〜〜〜!!!
あ、でも自殺したら地獄行きなんだっけえ???
本当に馬鹿なことしちゃったなあ〜〜〜!!!
でも地獄行きになっても安心しろよお〜〜〜!!!
この俺様が天国から見守っててやるぞ〜〜〜!!!
感謝しながら死にやがれえええ〜〜!!!
わあーっはっはっはっはっはっ!!!!!』
──そこで上映会は終了した。
神楽が無意識に発動したサイコメトリーだったが、
本体と思念体の反応が完全に一致した影響なのか、
ようやく能力の制御が可能になったのである。
神楽は泣いていた。
体を震わせていた。
これ以上は観ていられなかった。
涙が止まらなかった。
怒りを抑えることができなかった。
「ぅぁぁああ!!!!!
アアアアアアアッ!!!!!
アーーー!!! ガアアッ!!!
ふざけんなふざけんなふざけんなっ!!!!!
なんでこいつが主役なんだよーーー!!!!!
クズの心情なんて理解したくねえええ!!!!!」
神楽は本能のままに泣き叫び、
桃之湯から追い出された。




