宿題
8月25日。
犬飼杏子、亀山千歳、猪瀬牡丹の3名は
部屋の隅に積み上げられた冊子の山に目をやるが、
それを話題にしようとする者は誰もいなかった。
彼女たちは楽しいお喋りの最中であり、
この穏やかな時間に水を差したくなかったのである。
8月30日。
夏休みが終わるまであと1日というところまで来て、
彼女たちはようやく事態の深刻さに気づき始める。
「どうしよう、これ……」
「頭が痛くなってきた……」
「なんとかしないとね……」
だが、そう言葉にするだけで何もしなかった。
8月31日。
女子3名は手つかずの宿題を机の上に並べ、
どうしよう、どうしようと慌てていた。
この期に及んで慌てるだけである。
やればいい。
それが唯一にして最善の方法なのだが、
彼女たちにはそれを拒む理由があった。
「やりたくないよぉ〜」
「私は宿題が苦手なの」
「1日じゃ足りないよねぇ」
要するに、この女共は揃いも揃って怠惰なのだ。
「──で、手伝ってくれる人を探してるわけか」
女子3名は訓練室へと足を運び、
そこの常連である大上隼斗に頭を下げていた。
否、実際に頭を下げてなどいない。
ヘラヘラと笑いながら願望を口にするだけで、
その態度からはまるで誠意を感じられない。
どこまでも人を馬鹿にしている。
そう取られても仕方ない状況だった。
しかし、大上は特に不快そうにするでもなく、
「ちょっと考えさせて」と黙りこくる。
これは……脈ありだ。
彼は1学期に赤点を取らなかった成績優秀者であるし、
きっと勉強が好きな変わり者なのだろう。
あとはこいつに全部やらせればいい。
と安心しそうになった3人だったが、
あからさまに不機嫌な女子が物申したことにより、
その流れが危ういものとなる。
「宿題は本人がやらなきゃ意味が無いでしょ!
こんな奴ら放っときなよ大上君!
やる時間ならたっぷりあったのに、
今まで何もしてこなかった方が悪い!」
正論。
至極真っ当な正論。
これほど耳に痛いものはない。
高梨いちご。
同じ学年に双子の姉妹がいるということ以外、
目立った特徴を持たない地味な生徒だ。
一応、『りんごみたいな髪型してるのが“いちご”』、
『いちごみたいな髪型してるのが“りんご”』という
少々ややこしい特徴があるにはあるのだが、
馬鹿3人衆にとっては正直どうでもいい情報である。
高梨いちごは何か思い違いをしている。
これは誰が悪いとかの話ではないのだ。
たしかに宿題は自分でやるべきなのかもしれないが、
その気力が湧いてこないのだからしょうがない。
だから他の誰かにやらせよう。
怠惰な3人はとことん自分に甘かった。
しばしの沈黙の後、大上が口を開く。
「そもそも宿題ってどういうことだ?
聞いてないぞ、そんな話は
というか夏休みに入る前に先生が言ってたはずだ
『宿題は出さないので安心してください』と……」
不安を覚えたのか、渋い表情になる大上。
すかさずフォローを入れる高梨いちご。
「あ〜、それはね
1学期に赤点取ったお馬鹿さんの集まりの中でも
ごく一部の生徒を対象にした特別な課題だから、
優等生の大上君が知らなくても無理ないよ」
「一部の生徒って?」
「あ、待って高梨さん」
「それ以上言う必要は無いと思う」
「大上君は知らなくてもいいことだよ」
馬鹿3人衆が必死に訴えかけるも、
非情にも高梨いちごはその先を続けた。
「再試を3回とも落とした真のお馬鹿さん」
恥。
彼女らは関東魔法学園の恥であった。
かつての制度ならば退学処分もあり得ただろう。
だが現在の学園長は先代とは違い人格者なので、
こんな生徒にも最後のチャンスを与えてくれていた。
そう、これが最後のチャンス。
明日までに宿題を終わらせられなければ、
彼女たちは3人仲良く学園を去ることになる。
「高梨さんは終わらせたのか?
その、特別な課題とやらを」
「そりゃ当然!
私は夏休み初日に宿題を片付けるタイプだからね!
そうすれば残りの期間は余計なことを考えずに
思う存分遊び倒すことができるからねえ!
どこぞの無計画な連中とは一味違うのだよ!」
鼻高々に勝ち誇る高梨いちごに対し、
真のお馬鹿さんたちは黙って下を向くしかない。
高梨いちごも再試を3回とも落とした身ではあるが、
この期に及んで宿題に手つかずの者たちに比べれば
まだマシな立場にいることは確かである。
「高梨さんは初日に片付けるタイプか……
最終日に慌てるよりはいいかもしれないけど、
君の考えも計画的とは言えないな」
「ええっ!?」
大上の発言に驚いたのは高梨いちごだけではない。
馬鹿3人衆も理解に苦しんでいた。
“さっさと宿題を終わらせて遊びまくる”。
これほどまでに完璧な計画が他にあるだろうか?
いいや、ない。
「初日に宿題を終わらせてしまったら、
その後、学習しない期間が40日も続くんだぞ?
2学期に入ってから授業が再開した時、
勉強する習慣を忘れてしまっていたら
授業を受けるのが苦痛に感じてしまうだろう
そうなると『苦痛だから勉強したくない』、
『勉強しないからテストで赤点を取る』、
『赤点を取ったから補習を受ける』……
という悪循環に陥ってしまう可能性が高い
こういうのは習慣が大事なんだ
なにも毎日みっちり勉強しろと言うつもりはないよ
参考までに俺の場合は週5日、月〜金に1時間ほど
学習の時間を設けてリズムを崩さないようにしてる
それが貴重な時間を無駄にしない秘訣さ」
「耳が痛いよ、大上君」
しばらく気まずい沈黙が続いた。
馬鹿4人衆は黙って下を向いたままであり、
時折何かを言いかけるも直前で口をつぐんでしまう。
なんと無駄な時間だろうか。
ここは訓練室。心身を鍛える場だ。
ダンベル、サンドバッグ、ランニングマシン……
室内は魅力的な器具で溢れ返っているというのに、
さっきからそれを使っているのは大上ただ1人である。
「それで、君たちの宿題を手伝う見返りはなんだ?
まさかタダで人をこき使ってやろうだなんて、
そんな甘い考えで頼んでるわけじゃないだろ?」
「えっ、見返り!?」
「そんなの用意してないけど……」
「できればタダで働いてほしいんだけどなぁ」
なんと甘い考えだろうか。
完全に人間をナメているとしか言いようがない。
「ん……ちょっと待って大上君
もしかして報酬次第では手伝うつもりなの?
そんなことしなくていいよ
こいつらが退学になるのは自業自得!
すぐにやるべきことを後回しにしてきたせいで、
取り返しのつかない事態になったのは当然の結果!
よって助ける必要無し! ゲームオーバー!」
高らかに笑う高梨いちごを見て、
敗北者たちは悔しさと苛立ちに支配される。
あの女も補習組の一員であったというのに、
共に苦しみを分かち合った仲間だと思っていたのに、
今や敵となって目の前に立っているのだ。
「高梨さん、あんまり調子に乗らない方がいいよ」
「痛い思いはしたくないでしょう?」
「こっちは3人だよ」
何やら物騒な空気が流れ始める。
たしかに彼女の言っていることは正しいが、
宿題を放置した自分たちが悪いのはわかっているが、
まあ、とにかく腹が立つ。
逆恨みというか八つ当たりというか、
なんとも理不尽な怒りが込み上げてくるのだ。
女子たちが冷たい火花を散らす中、
ダンベルでの作業を終えた大上は道具を棚に戻し、
休憩がてら水分補給を行いながら話を再開した。
「こんなのでもあの安土が連れ回してる人材だからな
それだけ利用価値があると見込んでいるんだろう
つまらない理由で退学させるのは惜しい
今後どんな成長を遂げてくれるのか興味があるんだ
……そこで見返りの話に戻るんだけど、
俺がその条件を決めちゃってもいいかな?」
「えっと、お金……じゃないよね?」
「体で払えと言うのなら猪瀬牡丹を差し出すわ」
「友達に売られた」
「はは、それも魅力的な報酬ではあるけれど、
それよりも今は冒険者としての成長材料が欲しい
具体的には、いつかまた君たちの活動に同行したい
いろんなパーティーの戦い方を見学してみたいし、
ダンジョンで過ごす時間をもっと増やしたいからね
そうやって自分自身が実際に現地まで足を運んで、
現場の空気を感じながら得た生の情報というのは、
必ず俺を強くしてくれると信じてるんだ」
「本当に勉強が好きなんだなぁ」
「なんてストリップな奴……」
「ストイックの言い間違いやね」
「眩しすぎて目が痛いよ、大上君」
その後、崖っぷちの3人は大上が出した条件を呑み、
なんとか宿題を片付けて退学処分を免れたのである。




