忌まわしい記憶
夏休み最終日、関東魔法学園の女子寮にて
神楽はある課題に取り組んでいた。
色とりどりのパンツを毛布代わりにして爆睡する姿は
変態以外の何者でもないが、彼女は至って真剣に
自身の特異能力と向き合っている最中であった。
“サイコメトリー”。
物に宿った記憶を見ることができる能力である。
神楽はその能力を完全に制御してやろうと奮い立ち、
約40日間の長期休暇を利用して特訓に励んだのだ。
なぜパンツなのかと疑問に思うだろう。
それらには忘れられないヒストリーがあるからだ。
“カンチョー百人斬り”という、忌まわしい記憶が。
首切姫が殺意で染め上げられた妖刀であるように、
そのパンツには被害者たちの怨念が染みついていた。
──かつての神楽は加減を知らない女だった。
彼女が仕掛けるカンチョーは一切の容赦が無く、
その突き刺しは指の根元にまで到達するほどだった。
たかが悪ふざけと侮ってはいけない。
相手を病院送りにする可能性も充分あり得るし、
場合によっては刑務所送りにされてもおかしくない。
カンチョーは非常に危険な行為なのだ。
神楽にはその意識が著しく欠けていた。
そして、彼女は想像力も持ち合わせていなかった。
凶暴な性格で知られているアロエ先輩に対して
不意打ちカンチョーをかましたらどうなるか……。
神楽はその末路を考えていなかった。
結果、神楽はぶっ飛ばされた。
まんまと奇襲を受けたアロエ先輩は鬼の形相になり、
その激しい怒りによって放電現象が引き起こされ、
雷鳴を伴うローリングソバットが放たれたのだ。
窓ガラスの破片と共に、神楽の華奢な体が宙を舞う。
文字通り、彼女はぶっ飛ばされたのである。
それは交通安全講習で使われるダミー人形のように、
力の流れのままに空中を回転する無機物であった。
神楽は2階の高さから転落したが、
幸いにも柔らかい土の上に着地したおかげで
全身の骨を折る程度の怪我で済んだのである。
軽いイタズラのつもりでやった行為の代償が
全治3ヶ月の入院生活というのは少々酷ではあれど、
命を失わなかっただけでも儲け物だろう。
神楽は戦慄した。
1年前の愚かな行いをしてしまった少女ではなく、
サイコメトリーの能力で当時の映像を鑑賞中の
現在の神楽のことを指している。
彼女は当時の記憶が曖昧だった。
ぶっ飛ばされた際の衝撃のせいかもしれないが、
それよりもアロエ先輩への恐怖がトラウマとなって
心に蓋をしている……というのが有力な説だ。
このことは誰にも話していないので自論ではあるが、
おそらくそれが正解だろうと本人は確信している。
なんにせよ現在の神楽は、その封印していた過去を
自らの能力で客観的な視点で眺めることができた。
(あれが本気で怒ったアロエ先輩の姿……)
(人間ってあんなふうに吹き飛ぶんだ……)
(落ちた先が土の上で本当に良かった……)
(なんでよりによってこの記憶なんだか……)
(できるなら、もう一度忘れてしまいたい……)
様々な感想。そのどれもが楽しいものではない。
神楽はサイコメトリーの練習用に
何かいやらしい思い出を観れると期待して
百人斬りの戦利品であるパンツを選んだのだが、
どうやら今回は大はずれを引いてしまったようだ。
そして1つ気づいたことがある。
これは単に物の記憶を観るだけの能力ではない。
以前、首切姫の記憶を鑑賞した時もそうだったが、
この能力はただ過去の映像を観られるだけでなく、
登場人物の抱いている感情や、痛みなどの感覚を
まるで自分が体験しているかのように感じ取ることで
より多くの情報を得ることができるのだ。
(そんなオプションいらない)
というのが神楽の感想である。
短時間とはいえ他人の人生を追体験できるのだから
一見すると面白そうな機能ではあるのだが、
両腕を斬り落とされた時の鬼島輝夜、
心臓を貫かれて死にゆく未来の自分、
肛門に直撃を喰らった時のアロエ先輩……
そういう感覚まで共有してしまうのは考え物である。
特にアロエ先輩だ。
共有したくないのは肛門の不快感だけではない。
彼女は本気で神楽を殺そうとしていたのだ。
アロエ先輩は標的の顔面を狙って蹴りを放ったが、
怒りのあまり無駄な力が入って軸がぶれてしまい、
それに加えて肛門の痛みにより下半身が安定せず、
彼女の攻撃は神楽の上腕に当たる結果となった。
仕留め損なった時の悔しさといったら、もう……。
それは当時のアロエ先輩が抱いた感情ではあるが、
神楽には自分が自分に対して向ける殺意とも取れる。
(なんておぞましい……)
初めての体験に戸惑いを隠せない神楽であった。
まだ終わりではない。
映像の中で神楽はぐったりと地に伏せているが、
これはアロエ先輩のパンツに染みついた記憶なのだ。
アロエ先輩の殺意は未だ衰えることを知らず、
自身に攻撃を仕掛けてきた不届き者を始末するべく
窓枠を乗り越えて2階から飛び降りる。
着地の瞬間、下腹部にかつてない衝撃が走った。
神楽の先制攻撃がまだ効いているのだ。
だが、それで歩みを止めるアロエ先輩ではない。
むしろその苦しみが更なる怒りをもたらし、
殺意という名の原動力が彼女を突き動かす。
一歩、また一歩と神楽との距離を縮めるアロエ先輩。
それは獲物に忍び寄る肉食獣の足取りを思わせた。
ここで、いつのまにか集まっていた見物人たちが
『何か様子がおかしい』とざわめき始める。
アロエ先輩は決して詰めの甘い性格はしておらず、
攻撃のチャンスには全力で喰らいつくはず。
標的が無防備に寝そべっているのならば尚更だ。
それがどうだ、彼女の進行速度は緩やかであり、
両膝を擦り合わせるように歩いているではないか。
見物人の誰かが言った。
「我慢……してるんだ……!」
当たりだ。
何とは言わないが、この時アロエ先輩の中では
殺意以外の本能的欲求が急速に成長していたのだ。
アホな後輩にやられた一撃が、そのたった一撃が
眠れる本能を1週間ぶりに呼び覚ましたのである。
アロエ先輩の心には──感謝の気持ちがあった。
神楽に対する強い殺意は未だ健在ではあるが、
それと同時に不思議な喜びがあるのも確かであり、
なんとも複雑な感情となって混じり合う。
(やだ、こんな感覚まで共有しちゃうなんて……)
サイコメトリー……改めて恐ろしい能力だ。
そう思った神楽は上映会を強制終了し、
例のパンツをタンスの奥へと封印したのだった。




