都合の良い女
現在この学園には450名ほどの生徒が在籍している。
定員30名の教室が各学年毎に5組まであり、
退学者が出たとしてもせいぜい年に2〜3人程度だ。
以前は新入生100名のうち毎年9割ほどの者が
自主退学するような厳しい環境であったが、
その頃からは考えられない変化が起こったのだ。
この数年で日本の冒険者事情は随分と様変わりした。
秩父で発生した魔物の大量流失事件において
魔法学園の関係者たちが大活躍したのを機に、
国民は冒険者という職業に関心を抱くようになり、
自分たちが平和な暮らしを享受できているのは
彼らのおかげだと考えるようになった。
ちょうどその頃に日本最大のカルト教団が解散し、
今まで冒険者がぞんざいな扱いを受けていたのは
その教団が各方面に手を回して情報を操作し、
この国を破滅へ導こうとしていたからだと判明した。
全ての黒幕とされる元幹部の女性は教団の解散後に
新組織を立ち上げて再起を図ろうとしたが、
その企みは平輪党や日本冒険者協会によって暴かれ、
黒幕の彼女には内乱罪が適用され死刑となった。
それまで冒険者が病院で門前払いされていたのは、
その教団が医師会に圧力をかけていたからだった。
テレビなどで冒険者に不利な報道がなされていたのも、
教団が裏で糸を引いていたからだった。
冒険者の給料が安すぎたのも教団のせいであり、
日本冒険者協会に寄せられた募金300億円が消えたのも
全ては教団の女幹部が仕組んだことだったのである。
その彼女が刑に処されたのを皮切りに
この国の冒険者事情は急激に改善されてゆき、
冒険者を目指す若者が増加する結果となったのだ。
……とまあ前置きはこのへんにして、
安土はこの変化を快く思っていなかった。
リンゲルマン効果。
人数が増えるほど1人当たりの質が下がる現象である。
それはどれだけ本人にやる気があろうと
無意識に起こり得る社会的な心理反応であり、
質の高い冒険仲間を求めている彼にとっては
冒険者の増加傾向は迷惑でしかなかった。
安土がパーティーメンバーに求める条件は即戦力、
もしくは今後の成長に期待できる人材だけであり、
それ以外の者を味方に引き入れる気は一切無い。
事実、毎日多くの女子からデートの申し込み……
否、ダンジョン探索の誘いを受けているが、
今のところ彼はソロ活動しかしていない。
安土は自分の部屋に戻るとスマホと手帳を取り出し、
生徒情報アプリにて現時点での個々の能力を調査し、
気になる者にはチェックを入れてリスト化していった。
そんな日々がしばらく続いた後、
ようやくメンバー候補を選出し終えた彼は
いよいよ仲間集めを開始したのである。
犬飼杏子は背が低く童顔だが、その幼い印象に反して
女性的な丸みを帯びた体つきをしていた。
亜麻色の長い髪を首の後ろで束ねており、
歩く度にその柔らかな毛房が左右に揺れる様は
まるで犬の尻尾のようであった。
彼女は今、至上の喜びの中にいた。
自分には手の届かない存在だと思い込んでいた、
あの安土桃太郎から声を掛けられたのだから。
氷のように冷たい眼差しで見下ろされようが、
淡々と事務的な口調で問い掛けられようが、
この杏子にとっては至福の時間以外の何物でもない。
「犬飼、確認させてもらう
お前は既に魔法を1つ登録済みだが、
現時点でそれをいつでも確実に使えるのか?
それともまだ練習中の段階なのか、
あるいはこれから習得する予定なのか……
そのあたりの状況をはっきりさせておきたい」
「つ、使えるよ!
私は半年前、魔法の才能があるとわかった時から
いっぱい練習して使えるようになったんだ!
証明したいけど、今はちょっと難しいかなぁ……
回復魔法っていうのはね、傷とかは治せないけど
装備品のバリア機能を修復できるんだよ!」
「それは知ってる
俺には余計な補足だったが、まあいい
2つ目の確認だ
お前は俺の冒険パーティーに加わる気はあるか?」
「えっ!?
安土君のパーティーに!?」
思いがけない質問に、杏子は目を丸くした。
ただ彼と言葉を交わせるだけでも嬉しいのに、
遠くから彼を眺めているだけでも満足できるのに、
同じパーティーの一員になったとあらば
今より彼と交流できる機会が確実に増えるのだ。
杏子の答えは当然、YESだった。
「でも、どうして私なの?
強そうな人なら他にもいるのに……」
「今の会話の流れでわからなかったのか?
お前は現時点で回復魔法を使うことができる
それがお前を勧誘するに至った理由だ
回復役の確保は難航するかと思っていたが、
早いうちに見つけられたのは幸運だった」
杏子は舞い上がった。
自分は今、安土桃太郎から必要とされている。
彼の役に立つことができる。
魔法の練習をしておいてよかった。
今日は人生最良の日である、と。
「犬飼、最初に念を押しておくが、
俺はお前と友人や恋人になるつもりはない
あくまで冒険活動をする上での同行者だ
それ以上の関係になる展開には期待するなよ
その点を理解して受け入れられるというのなら、
固定メンバーの1人として同行を許可してやろう」
なんとも偉そうな上から目線の物言い。
初めて会話する相手、それも『仲間になってくれ』と
頭を下げて頼むべき立場であるというのに、
彼にはそうしなくても許される要因があった。
安土桃太郎はイケメンなのである。
「う……うん!
私、それでもいいよ!
安土君と一緒に冒険できるなら、
安土君のそばにいてもいいのなら、
私はそれだけで幸せだから……」
杏子は安土からの忠告を受け入れた。
だが、100%本心で答えたわけではない。
彼女は胸の奥底で淡い期待をしていたのだ。
これから冒険仲間として苦楽を共にするうちに、
彼の心を覆う分厚い氷が溶けてくれるのではないかと。