6時間
「何ぃ!?
どうして止めなかったんだ!!
……は?
『止めようとはしました』って、お前……
ふざけんな馬鹿野郎!!
なんのために高い金払って雇ったと思ってる!!
たった1つ与えられた仕事もこなせないのか!?
じゃあお前に何ができるのか言ってみろよ!!」
安土桜夜が再び熱を帯びた。
おそらく部下が何かヘマをやらかしたのだろう。
そのミスの内容が相当気に食わなかったようで、
先程の話し合いでは見せなかった激怒の表情で
通話相手に向かって怒鳴り散らしている。
上司として叱咤しなければならないのはわかるが、
そういうのは客がいる前では本当にやめてほしい。
誰かが怒鳴る姿も、怒鳴られる姿も、
見せられる側にとっては迷惑以外の何物でもない。
理解できないのは、このような気まずい場面を
面白い光景として受け取る人種が存在することだ。
杏子が小学生の頃、同級生が本屋で万引きしたとかで
クラスの担任がブチ切れるというイベントがあった。
その時、隣の席の男子がプルプルと肩を震わせ、
口元を押さえて必死に笑いを堪えていたのだ。
それと同じ反応を今、猪瀬もしている。
一体これの何が楽しいのだろう?
全く理解できない……。
安土社長によるパワハラ劇場はすぐに終わり、
彼は怒りに任せて受話器を高級デスクに叩きつけた。
受話器はそのまま高級デスクの端から滑り落ち、
コードに引っ張られて本体ごと床へとダイブする。
そういう不機嫌アピールも本当にやめてほしい。
「君たち、一緒に来てくれ!!
緊急事態発生だ!!
詳細は車の中で話す!!」
どうやら冒険者の出番のようだ。
そういえばこの場所へは魔物の討伐依頼について、
その詳細を確認するためにやってきたのだ。
なぜか安土桃太郎の話題で白熱してしまい、
本来の目的を忘れるところだった。
……なんでその話題になったんだっけ?
現場へ移動中の車内にて、今回の討伐対象と、
なぜこのメンバーが招集されたのかが明かされる。
「君たちに討伐してほしい魔物は“安土桃之進”
名前から想像つくとは思うけど、うちの血族だよ
無間ダンジョンで命を落としたことにより
魔物に転生して以降、約500年もの永きに亘り
ラスボスとして君臨し続けている存在だ」
「安土……桃之進!」
「どこかで聞いた名前だわ」
「顔も似てたりして」
冗談めいたノリで話す杏子ら3人だったが……
「ああ、モモ君に似てるよ
顔の作りや服のセンスだけじゃない、
何から何までそっくりなんだ
その生き様や、死に様さえもね……」
「え、死に様って……」
「あいつ生きてるでしょ?」
「電話してみよっか? 出ないだろうけど」
「ああ、出ないね
モモ君は今まさにそのダンジョンの中にいる
安土桃之進を倒すために、1人で乗り込んだんだ」
単独突入……ああ、さっきの電話はそれか。
安土桃太郎が入口の見張りを力でねじ伏せて、
強引にダンジョンへ入場してしまったのだろう。
だが、それほど焦るようなことではない。
「まあ安土君なら平気だよね?」
「しょっちゅう1人で行動してるしね」
「それにメッチャ強いしね」
彼女たちは知っていた。
首切姫を取り戻した安土桃太郎の強さを。
封印期間中に基礎能力を底上げしたことにより、
更なるパワーアップを果たした彼の実力を。
「……君たちは馬鹿なのか?
500年だぞ?
その長い年月、安土家代々の当主たちが
身内の恥を放置してきたと思っているのか?
誰も倒せなかったんだよ……
たった1匹の魔物を……500年間……」
女子3人は楽天的な考えを改め、
薄ら寒いものを感じて言葉に詰まる。
妖刀首切姫は安土家が所有する財産であり、
剣士としての技術を適合者から他の適合者へと
継承させることができる。
現代の使い手である安土桃太郎は多彩な技を持つが、
それらは過去の使い手から継承したものであり、
彼自身のオリジナル技はおそらく存在しない。
安土桃太郎は凡才なのである。
それは本人も認めているところであり、
首切姫ありきの強者だと発言したこともある。
その彼が、才能ある過去の使い手たちが倒せなかった
500年間無敗の存在にたった1人で挑もうとしている。
それがいかに無謀な挑戦であるか、
頭の悪い杏子たちにも理解できたのだ。
「“歴代最強の天才剣士”──
記録によれば、安土桃之進は
首切姫の最初の使い手とされている
それまでは正体不明の無銘刀だったそれを、
一代で最強の剣の地位までのし上げた怪物さ
彼以降の使い手たちが得意としてきた剣技は、
その全てが過去の使い手から継承した技術……
つまり、歴代の首切姫の使い手たちは全員、
安土桃之進の劣化コピーでしかない」
なんたる追い討ち。
人間だった時点で既に怪物じみた強さだというのに、
それが魔物の体と合わさり更に強くなってしまった。
そんなもん誰が倒せんだ、と言いたくなるが……
「あれはモモ君1人でどうにかなる相手じゃない
だから、君たちが手伝ってあげてやってくれ
討伐報酬は10億円だ
それをモモ君の借金返済に充てたとして、
最低金額の7億5千万円を差っ引いても
2億5千万円もの大金が余るだろう?
5人で分けると、1人あたり5千万円になる計算だ
それに、『金より大事なものがある』……だろ?
君たちは純粋にモモ君を助けたいと思ってるはずだ
彼を苦しめる重圧から解放してあげたいだろう?」
ああ……だからか。
私たちが安土桃太郎の仲間だから、
この頼みを断れないから呼ばれたんだ。
だから借金の話を打ち明けたんだ。
やっぱりこの人、他人を操って楽しんでると思う。
すっかり掌で転がされてるなあ……と感じつつも、
二つ返事で依頼を引き受ける杏子たちであった。
──第7層、ラストフロア直前の地点にて
今まさに決死の覚悟で最終決戦に挑もうとしていた
安土桃太郎との合流を果たす。
さすがはイケメン、彼はたった1人でここまで進軍し、
道中に立ちはだかる強敵たちを斬り捨ててきたのだ。
こちらは犬亀豚+鬼島神楽の4名だけでなく、
退路を確保する目的で雇った野良冒険者と
かろうじて戦える安土製菓社員たちを合わせて
総勢58名の大所帯だったにも拘らず、だ。
正直、これほどの猛者が負けるとは思えない。
よく考えてみれば、安土桃之進は500年前の人物だ。
そして先代の首切姫の使い手が挑んだのは、
もう50年以上も昔の話になるらしい。
その頃とは環境が違うのだ。
それらの時代に、科学的に効果があると立証された
トレーニングなんて存在しなかっただろう。
それに武器も魔法も、戦術だって進化している。
現代人の方が強くて当たり前なのである。
「お前ら……なんでこんな所に……
何しに来たんだよ……いや、それより……
…………
今すぐ引き返せ、俺の邪魔をするな
お前らがいても足手まといなだけだ」
この態度。
今ならわかる。
どうして彼がそんな憎まれ口を叩くのか、
なぜ他人との距離を置くのか、今なら理解できる。
この男は周囲から冷血漢だと思われているが、
まあ実際そうなのだが情に厚いところもあり、
味方を使い捨ての駒呼ばわりしているが、
まあ実際そうなのだが本心では仲間を大事に思い、
危険な目に遭わせるのは冒険者なので仕方ないとして
個人的な事情に巻き込みたくないと思っているのだ。
単純に干渉されたくないだけかもしれないが、
たぶんそうだが、余計な気苦労を背負わせないように
敢えて他者を突き放しているという可能性が高い。
安土桃太郎は超絶面倒臭いツンデレなのである。
「安土君、もう隠さなくていいよ!」
「まさか借金があったとはねえ……」
「1人で抱え込んだらあかんよ〜」
すると安土はお馴染みの眉間をつまむポーズを取り、
「マジかよ……」と呟いて壁にもたれかかる。
秘密がバレて落ち込んでいるのだ。
だが彼は不機嫌そうに近づいてくる人物に気づくと、
姿勢を正して彼女と見つめ合った。
パシン!
乾いた音が鳴る。
鬼島神楽が、安土桃太郎にビンタをかましたのだ。
突然の出来事に杏子ら3人は言葉を失う。
あの程度の攻撃、彼なら避けられたはずだ。
頬を叩かれることは予測できたはずだ。
だが、避けなかった。受け入れた。なぜ?
鬼島神楽は相変わらず不機嫌そうにしているが、
安土桜夜を睨んでいた時の目つきとは全然違う。
今の彼女からは敵意を感じないのだ。
そこには優しさがあった。
まるで悪いことをした子供を叱る時の母親のような、
慈愛を含んだ瞳で安土桃太郎を見つめていた。
「……俺が間違っていた
本当にすまない」
そして謝罪の言葉が。
あの安土桃太郎が自らの非を認めて謝ったのである。
仲間に心配をかけてしまったことへの詫びだろう。
「安土君……うん、私は安土君を許すよ!」
「私も許してあげるわ、チェリー」
「ほんならウチも許したるわ〜」
『許してやる』という態度が癪に障ったのか、
安土は少し眉をしかめた表情でこちらを見ている。
だが今回、落ち度があるのは彼の方だ。
1人で抱え込み、1人で突っ走り、
1人で最強の敵に挑もうとしていたのだ。
だけど、もう1人じゃない。
仲間がいる。
お互いに支え合い、許し合える仲間がここに。
安土と鬼島神楽はしばらく2人で内緒話をした後、
決戦の場となる第8層を目指して力強く踏み出した。
いよいよ最後の戦いが始まる──。
そして、いた。
安土桃之進……歴代最強の天才剣士が。
そのフロアは非常に独特な構造をしており、
まず目を引いたのは満月のように明るく輝く物体が
奥側の空中に浮かんでいる光景だった。
床一面にはたしかススキ?とかいう植物が生え揃い、
その中央あたりには、なんと桜の木が立っている。
安土桃之進はその桜の木の下にひっそりと佇み、
舞い散る花弁と満月の組み合わせが実に雅である。
そして安土桃之進はただ突っ立っているのではない。
黒薔薇の装飾が施された刀を顔の近くで横に寝かせ、
満月を眺めながら少し斜め向きに立っているのだ。
その姿はまるで薔薇を咥えたキザ男のようであり、
実際かなりキザったらしく、そして雅である。
もし彼がV系ロックバンドのボーカルだと言ったら、
100人中100人が信じてしまうだろう。
その最大の原因は服装にある。とにかく派手なのだ。
金銀宝石をふんだんに散りばめた豪華な着物であり、
背中には黄金の糸で逆五芒星の刺繍が施されている。
目に痛い輝かしさで全く侘び寂びを感じさせないが、
その独特な美的センスは見ようによっては雅である。
「お前ら、気を抜くなよ
あいつは完全に俺の上位互換だと思え
俺が使える剣技は全て……いや、
確実にそれ以上のものを持ってるだろうな
距離が離れていても安心はできない
とにかくまずは様子見だ」
杏子ら3人はハッと我に返る。
安土桃之進のあまりにも雅な様相に面食らい、
自分たちの目的をつい忘れかけてしまった。
10億円。
あの魔物を倒せばそれだけの大金が手に入り、
安土桃太郎の借金を完済することができる。
10億円を5人で割って、1人あたり2億円の分け前から
1億5千万円が引かれてしまうのは痛手ではあるが、
我らがリーダーを晴れて自由の身にするためだ。
金より大事なものがある。覚悟を決めろ。
「なあ、ウチ思ったんやけど
全員が1億5千万も出さんでええんとちゃう?」
「え、今その話する?」
「聞こうじゃないの」
「金借りとる本人が2億出せば、
残りの借金は5億5千万になるやろ?
ちゅうか、そうすべきやん
債務者の分際で儲けようなんて考えたらあきまへん
んで、5億5千万を残りの4人で割ると
1人あたりの負担額は1億3750万になるから、
元より1250万も1人あたりの分け前が増えるやん」
「電卓使ってないのによく計算できるね
ブタちゃん数学得意だったっけ……?」
「それなら2人が2億出して、1人が1億5千万出せば、
残った1人は1円も払わなくていいんじゃない?」
「その配分はどう決めるん?
ウチは丸儲けのポジションに収まりたいで」
「私もできればそのポジションが……
せめて1億5千万コースで」
「私は全額持ってかれても構わないけどね
過去に受けた恩を返せる絶好の機会だし」
そうやって3人でおしゃべりに夢中になっていると、
ガンッ!と衝撃音が聞こえたのでそちらに注目する。
そこには地面に突き立てた首切姫を杖代わりにし、
背中を震わせて苛立ちを表すリーダーの姿があった。
杏子たちは安土桃太郎を怒らせてしまったのだ。
「なんでだ……
気を抜くなと言ったばかりだろうが……
普段のお気楽なザコ狩りならまだしも、
これはボス戦……ラスボス戦なんだぞ?
それも、恐ろしく強いことが判明してる相手だ
少しの油断が死を招くと、なぜわからない?
どうしてわからなかったんだ……?」
背中越しでもわかる。
安土桃太郎は歯を食い縛りながら喋っていると。
彼の怒りは相当なものであると。
馬鹿女3人は押し黙り、足元を見ながら反省する。
まったく馬鹿なことをやらかしてしまった。
リーダーの言う通りだ。自分たちが悪い。
今は呑気におしゃべりしてる場合じゃなかった。
金の話なんて後回しでよかったのに。
「もういい、引き上げるぞ
今はまともに戦える状態じゃない
……そんなに報酬の取り分が気になるか?
まあ、お前らの気持ちはわからんでもない
億単位の大金が懸かってるんだ、
戦いに集中できなくなるのも当然だよな?
帰還したら後日改めて安土桜夜と面会し、
弁護士立会いの下でキッチリとした契約を交わそう
わかったら速やかに撤収の準備をしろ」
「あ、あれ? もっと怒られるかと思ったのに……」
「これはもしかして……デレ始めたのかしらね?」
これは嬉しい驚きだ。
杏子と亀山は顔を見合わせ、一瞬ニヤリと微笑んで
すぐまた反省中の表情へと戻した。
猪瀬の反応はどうかと彼女の方を見ると、
なんだか少し様子がおかしいことに気づく。
兜のせいでどんな顔をしているのかはわからないが、
何やらぶつぶつと独り言を呟いているのだ。
そしてリーダーの行動にも違和感があった。
彼は例の眉間をつまむポーズを取ったかと思えば
猪瀬に近寄り、彼女の肩に手を置いたのだ。
あのポーズは何か落ち込んでいる時の仕草だし、
彼は他人との接触を嫌がっていたはずだ。
それなのに彼は鎧越しとはいえ猪瀬の肩を触り、
本日2回目となる謝罪の言葉を述べたのである。
「さっきは驚かせて悪かった
とりあえず帰る準備をしてくれ
ここは安全じゃない」
なぜ謝る必要があるのだろう?
悪いのはこちら側だというのに。
そう不思議がっていると
猪瀬の様子が更におかしくなり、
撤収の指示が出されているというのに
敵を見据えて大盾を構えたではないか。
彼女は突撃する気なのだ。
「おい、やめ──」
彼には止められなかった。
誰にも止められなかった。
猪瀬牡丹は敵に向かって一直線に突き進んだ。
安土桃之進の刀が満月を映し、妖しく煌めく。
安土流剣術奥義・剣風。
それは離れた相手を不可視の斬撃にて斬り捨てる、
回避不能の必殺剣である。
見えない斬撃が猪瀬牡丹の肉体を上下に分断し、
その2つはどちらも鮮血を撒き散らす車輪と化した。
すぐ回転を終えた下半身は断面から臓物をぶち撒け、
空中に投げ出された上半身はしばらく前進しながら
ススキの群生を赤く染め上げていった。
猪瀬牡丹は最高性能の防具を身につけていた。
盾も鎧も、贅沢な値段に見合うだけの価値があった。
だが、それらの道具は役割を果たさなかった。
最強の剣士による卓越した技術の前には、
世界一硬い鉱物さえ豆腐の如き脆さへと成り果てる。
安土桃之進は金剛石を斬り裂いたのだ。
猪瀬牡丹は死んだ。
彼女に1つ救いがあるとしたら、即死したことだろう。
人生の最も華々しい盛りに苦しむことなく逝けた。
齢17になるまであと半月ほどの短い生涯だったが、
痛みを知らずにその最期を迎えることができた。
猪瀬牡丹は死んだのだ。
「ひけ……退けえええええっ!!!
撤退だ!! みんな逃げろおおおっ!!!
走れ!! 早く!! 行けえええっ!!!」
いつになく大きな声でリーダーが命令を下す。
あの安土桃太郎が、味方を駒扱いする冷血漢が、
悲痛に顔を歪めながら叫んでいる。
しかし、犬飼杏子はその指示に従わなかった。
従うことができなかった。
唐突な友の死を前にして全身から血の気が引き、
走ろうにも足に力が入らず、ただ震えるだけであり、
それどころか視界がぼやけて前後不覚になり、
耳から入る情報を正しく脳に伝えることもできず、
今自分が何をしているのか、どこにいるのか、
立っているのか座っているのかさえわからなくなる。
だが、そんな状態でも嗅覚だけは正常だった。
死体から広がる血液の鉄臭さ、内臓が放つ悪臭、
美しく舞い散る花弁の華やかな香り……。
犬飼杏子の心は目の前の現実を直視するのを拒絶し、
その小さな体は、これは陳腐な言い回しではあるが、
糸の切れた人形のように力無くその場に崩れ落ちた。
そして今日、この日──7月31日。
関東魔法学園の生徒5名が死亡したのだ。
──とまあ、犬飼杏子の物語はこれにて終了である。
ここからは私の時間だ。




