1日
安土製菓社長・安土桜夜は安土桃太郎の伯父である。
そして甥に負けず劣らずのイケメンであった。
年齢は30代後半から40代前半あたりだろうか、
豊富な人生経験を積んできたであろうおかげで
10代半ばの少年には出せない渋みを醸し出しており、
イケメン度ではこちらが上回っているように思える。
杏子なんかは顔を赤らめて体をモジモジとさせ、
まんまとイケメンオーラの餌食になっていた。
この瞬間、彼女は再び恋をしたのだ。
BL本の架空人物にではなく、生身のイケメンに対して
再び大きな胸を高鳴らせる日が来ようとは。
もしも今、安土桜夜から「抱かせろ」と言われたら、
彼女は間違いなくそうしただろう。
犬飼杏子は、頭も股も緩い女なのである。
「遠い所をわざわざごめんね
立ちっぱなしだと疲れるでしょ?
遠慮しないで座っちゃいなよ
喉も渇いてるよね?
すぐにお茶を持ってこさせるよ」
そう言われ、改めて社長室を見回すと
いかにも高級そうな革張りの長ソファーがあり、
座れそうな場所はそこか床だけだ。
しかし天上人から遠慮するなと言われても、
庶民としてはどうしても躊躇せざるを得ない。
「ははは、大丈夫だから安心して
女の子が座ったくらいで壊れるような安物を
買ったつもりはないよ
まあ正直に言っちゃうとね、
そこに立っていられると僕が落ち着かないんだ」
安物ではないから躊躇しているのだが……まあいい。
招集された女子4人は腹を括って着席した。
4人……そう、犬亀豚の3人だけではない。
この場にはもう1人、女がいるのだ。
「神楽ちゃんは僕のこと覚えてるかな?
10年くらい前に一度会ってるんだけどね」
「え……はあ?
いや、全然覚えてらっしゃいませんけど」
敬語が変だ。
まあ、鬼島神楽なりに頑張ったのだろう。
相手は世界レベルの大富豪だ。そりゃ緊張もする。
「そっか、それは残念
まあ君はまだ小さかったし、
覚えてなくても仕方ないか
……とまあ、感動の再会が失敗したところで
君たちを呼びつけた理由を話そう」
本題に入るらしい。
一同は呼吸するのを忘れるほどに、真剣に聞き入る。
通常の依頼なら学園職員が対応しているところだが、
今回はかなりプライベートな事情が絡むとのことで
依頼人から直接仕事の内容を聞かされる形となる。
こうして依頼人と生徒の間に仲介人を挟まずに
話し合いが行われたケースは前例が無い。
プロの現場では個人契約など全く珍しくはないが、
関東魔法学園においては今回が初の事態である。
「まず確認させてもらうけど、
みんなはモモ君が戦う理由を知ってるかな?」
イケおじが唐突に『モモ君』とか言い出したので
杏子は歓喜するが、今は大事な話し合いの場だ。
にやけそうになるのを我慢し、少ない頭を働かせる。
「……って、戦う理由?」
「そういえば聞いたことないわね」
「普通に、立派な冒険者になりたいとかかな?」
猪瀬が標準語に戻った。
本物の関西人の前でボロを出したくないのだろう。
「神楽ちゃんはどうだい?」
「えっ、あたし!?
え、いや、まあ……う〜ん」
「はは、わかりやすい反応だなあ
それじゃあ神楽ちゃん、
知ってる情報を話してもらえるかな?
君がどれだけ理解してるのかも把握しておきたい」
鬼島神楽はしばらく目を泳がせていたが、
やがて観念して重たい口を開いた。
なぜ彼女が知っていたのかは謎だが、
それはあとで問い詰めればいいことだ。
「あんたに借金返すためでしょ」
「へえ、そうだったんだ」
「なるほどねえ」
「それなら納得だね」
……。
「「「 借金!? 」」」
聞き捨てならない単語が飛び出てしまった。
まあ、それについての話し合いなのだから、
聞き捨てるという選択肢は無いわけだが……。
「そうだね
僕はモモ君にお金を貸している
モモ君はそれを返そうとしている
すごくシンプルな理由だよ」
安土桜夜がニコリと微笑み、
鬼島神楽がギロリと睨みつける。
なぜ彼女が不機嫌そうなのかは謎だが、
それもあとで問い詰めればいいことだ。
にしても借金。
借りたお金と書いて借金。
あの安土桃太郎が、この安土桜夜から借金……
「おいおい、そんなに睨まないでくれよ
これは僕とモモ君の問題なんだ、
神楽ちゃんが怒ることじゃないだろぉ?
それに『借りたい』と言ってきたのはモモ君の方だ
僕は可愛い甥っ子の願いを叶えてあげただけだよ」
「なぁにが『願いを叶えてあげた』よ!!
相手は5歳の子供でしょうが!!
なんて重いもん背負わせてんのよ!!
このろくでなし! 鬼! 悪魔! xxxxx!!」
「え、5歳!?」
「どういうことなの……」
「いくら借りたんだろう?」
「あ、数字が気になるかい?
3億だよ
平均的な日本人の生涯収入が2億円代らしいから、
それにちょっとだけ上乗せした金額を渡したんだ
端数なんて無い方が数字的に綺麗だからね
モモ君ならルックスも頭の出来も人並み以上だし、
普通の人よりワンランク上の人生を送れるはずさ
だから決して返済不可能な数字ではないと思うよ」
3億……
さんおくえん。
その途方もない金額に、
杏子ら3人は言葉を失った。
しかも。
「3億じゃ済まないでしょうが!!
それは借りた時の金額!!
借金には利子ってもんがあんのよ!!」
「うん、その通りだね
貸す側には、全額返ってこないかもしれない
というリスクが発生するんだ
利子にはそのリスクを軽減する意味もあるし、
借りる側からすれば、お金を貸してくれた人への
感謝の気持ちを表す手段でもある
……あ、具体的な数字が欲しいよね?
年1割の単利だよ
つまり毎年3000万円さ、計算しやすいだろ?
モモ君の誕生日を利子の発生日に設定してるから、
現時点での借金総額はちょうど6億円だね
モモ君が20歳になったら返済を受け付けるから
ゲームスタート時点での負債は7億5千万円、
タイムリミットの30歳まで長引いた場合は
最終的に10億5千万円を返さなきゃいけないね」
さんぜんまんえん。
ろくおくえん。
ななおくごせんまんえん。
じゅうおくごせんまんえん。
途方もない。
「で、それはあくまで僕に返す金額ってだけで、
日々の生活を成り立たせるためのお金も必要になる
切り詰めれば年間100万円以下でも生活可能だし、
とりあえず1000万確保できれば10年は安泰だね
まあ、その辺は誤差みたいなもんかな」
杏子の小さな脳はオーバーヒート寸前だ。
まさか1000万という数字を
少ないと感じてしまう日が来ようとは……。
これは金銭感覚がバグったとしてもおかしくはない。
犬亀豚の3人は運ばれてきたお茶をがぶ飲みして、
心を落ち着かせようと必死になっていた。
ああ、まろやかで味わい深い。
この茶葉も庶民には手の届かない高級品なのだろう。
しかし鬼島神楽は高級茶には一切手をつけず、
安土桜夜に対して敵意を込めた視線を送り続けた。
「いいねえ、その目
僕に群がる女の子は絶対にそんな目をしないから、
すごく新鮮な体験でゾクゾクするよ
……神楽ちゃん、秘書の仕事に興味はあるかな?
給料は弾むから僕の下で働いてみない?」
「お断りよ!!
誰が言いなりになんてなるもんですか!!」
「はは、即答か
随分と嫌われちゃってるみたいだ
僕としては、いいことしたつもりなんだけどなあ
当時のモモ君には自殺しそうな雰囲気があったし、
生きる目標があればそれを食い止められると思って
僕なりに精一杯考えて実行した結果なんだけどね」
「その結果が……あれじゃない!!
貴重な青春をドブに捨てて!!
友達1人作ることさえできずに!!
呪いの反動で寿命を削ってまで!!
地獄みたいなとこに行こうとしてんでしょ!?」
自殺、呪い、寿命、地獄……
なんだか物騒な単語のオンパレードだ。
金の話の次は命の話らしい。
杏子たちは混乱中の頭をなんとか整理して
安土桜夜と鬼島神楽の会話に耳を傾けた。
「青春、か
うーん、青春……友達ねえ
……それってそこまで大事かな?」
「はあっ!?
大事に決まってんでしょ!?
若者から青春取り上げたら何が残るのよ!?」
「いやあ、だってねぇ……
例えば休み時間に先生の悪口で盛り上がってる奴、
誰が誰を好きなのかと噂して盛り上がってる奴ら、
ドラマの展開がどうだ、新作のゲームがどうだ、
明日の天気は、芸能人が、血液型占いでは……
そういう薄っぺらい会話をする相手がいたとして、
モモ君の人生にどんな影響を与えてくれるんだい?
はっきり言って、つき合うだけ時間の無駄だよ
生涯で最もエネルギーに満ち溢れている時期に
そんな薄っぺらい日々を過ごしてきた奴らは、
決まって薄っぺらい人生しか送れないんだ
……工場の喫煙所とか視察に行くと必ず見かけるよ
ず〜〜〜っとパチンコや競馬の話しかしない輩をね
しかも1人じゃない、どこにでもいる連中さ
その手のぼんやりと流されるままに生きてる連中は
生涯収入が2億円ぽっちでも満足するんだろうね
断言するよ、そいつらの人生は一生そのままだ
人生に目標が無いんだ
目標が無いから挑戦しない
挑戦しないから成功しないんだ
……だけどモモ君はそんなくだらない連中とは違う
人生の成功を掴もうと、目標を持って生きてるんだ
自らの手で未来を切り拓こうと必死なんだよ
お友達なんて作ってる暇があるわけがないだろ?」
「そう仕向けたのはあんたじゃない!!
大人が借金を申し込んできたならともかく、
5歳よ!? しかもあんた伯父さんでしょ!?
『2億円ぽっち』とか言うなら、貸すんじゃなくて
お小遣いとしてあげりゃよかったでしょうが!!」
「うん、そうすればよかったね
でもあの時はそういう気分じゃなかったんだ
だって5歳の子供が上目遣いで頼んできたんだよ?
『僕にお金を貸してください』ってさ……
そりゃもう……興奮したね
これまでの人生の中で、あれほど胸が高鳴ったのは
香港マフィアに殺されかけた時くらいだよ」
なんだその話は……。
気になる。気になるが……
鬼島神楽はそうでもないようだ。
「お金だけじゃなく、首切姫にしたってそうよ!!
なんであんな恐ろしいもん貸しちゃったのよ!!
おかげであいつの人生は滅茶苦茶じゃない!!
どうして普通の生き方をさせてあげないの!?
あんたにとってはくだらなく思えるんだろうけど、
ぼんやりと生きたっていいじゃない!!
何が人生の成功で、そうじゃないかは、
本人が決めることでしょ!?
成功者様のご高尚な理想を押しつけないで!!」
「おいおい、ちょっと待ってくれ
その言い方だと僕が身勝手な奴みたいじゃないか
モモ君は危険を承知でその道を選んだんだ
僕が強要したわけじゃないよ
借金にしろ妖刀にしろリスクについては伝えたし、
考える時間も充分に与えてきた
その上で自分から首切姫を借りたんだ
1人の人間がよく考えて決断したことだ、
誰にも文句を言われる筋合いは無いと思うがね
あの子が普通の生き方をできないのは、
モモ君自身の自由意志による選択の結果だよ」
「どこが自由なもんですか!!
選んだんじゃなくて、選ばされたの!!
その時は他に選択肢が無かっただけ!!
お腹を空かせた人間の目の前に餌をぶら下げたら、
そりゃ食いつくしかないでしょうが!!
本当に可愛い甥っ子のためを思うなら、
苦しみを分かち合ってあげるのが親心でしょ!?
あんたは人を操って楽しんでる異常者よ!!
この偽善者!! 詐欺師!!」
「詐欺師……
はは、これは手厳しい
たしかに他人を操るのが楽しい時もあるけど、
モモ君に対しては僕なりに愛情を込めて
誠実に接してきたつもりなんだけどなあ
そうか、君にはそんなふうに見えているのか……」
すると安土桜夜は高級デスクに両肘を乗せ、
ガクリと項垂れながら眉間をつまんだ。
「あ、見たことあるポーズ……」
「もしかして落ち込んでる……?」
「神楽先輩が勝ったってこと!?」
彼は顔を上げずに黙り込んだままだ。
反論の口上でも考えているのだろうか?
だが、なんというかオーラが無い。
意気消沈。
つい先程までの勢い……熱が感じられないのだ。
どうやら本当に勝負あったらしい。
『詐欺師』発言が相当効いたのだろう、
鬼島神楽は安土桜夜を言い負かしたのである。
──気まずい沈黙はしばらく続いた。
それが数分だったのか、数十分だったのか、
とにかく長い時間を過ごしたように感じる。
高級茶を何杯おかわりしたのか数えてない。
こんなに飲んでよかったのだろうか?
トイレが近くなったりしないだろうか?
いや、それよりここは京都だ。
早く帰ってほしい客人にはお茶漬けを出すという、
そんな風習が存在するのだと聞いたことがある。
このお茶にそういう意図が込められていたとしたら、
随分と恥ずかしい行為をしていたことになる。
何度もお茶を運びに来ている秘書さんは
この件についてどう思っているのだろう?
彼女はニコニコと笑顔を崩さないが、心の中では
世間知らずの小娘たちを嘲笑っているかもしれない。
これが“いけず文化”というやつか。恐ろしい。
……などとどうでもいいことを考えていると、
固定電話の呼び出し音が社長室に鳴り響く。
助かった。これで流れが変わってくれるはず。
しかし残念、助かったわけではない。
それは悪い知らせだった。




