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愛の連続小説「おもてさん」第二部・第三話 何もない部屋

呉天童は親から「素直で手のかからない子」と言われて育った。

「素直で手がかからない」とは、もちろん比較相対での話である。


【1】


天童は次男だった。

七つ歳上の兄と、三つ上の姉がいた。


長兄は、家の中では何をやっても許される暴君で、案の定、中学でグレ、高校でカミナリ族(暴走族の祖型)の仲間入りをした。

高校を転々と転校しつつも、とにかく卒業できたのは親の七光り。

保護観察以上の処分を受けた事がないのも同様である。

それでも「呉コンツェルンの次期総帥」の座が揺らいだ事はなかった。

床柱を背にして座っているだけの仕事だから、熊の人形でも構わなかったのである。


大学も、何も考えずに東京の私立大学に進んだが、何を考えたのか一年で退学し、今度は猛勉強を始めた。

三年目に、京都の私立大学に合格した。

京都と言う所に意味があったらしい。親の目が届かない下宿生活を始めた途端、「待ってました」と言わんばかりに学生運動に加わった。


学生運動までだったら呉コンツェルンの許容範囲内だったが、就職後、組合活動の仲間入りをしたのは「感心できなかった」。


就職先は呉コンツェルンとは、さほどの取引がない、もちろん資本関係もない新興企業だった。

次期総帥は、適当な時期まで「よその釜の飯を食う」のが慣例になっていたからだ。

東大出の学生が続々と入社する元気の良い会社だったが、労働組合の元気も良かった。

長兄は、どうも「そういう会社だ」と知った上で、この会社にもぐり込んだらしい。


昭和40年代には良くあった話だが、会社の介入で組合は分裂した。

こういう場合、ハネ上がりの左派組合は組合員に見放されて、アッと言う間に孤立する。

そうでなければ、わざわざ右翼社民政党のオルグまで招き入れて分裂工作した意味がない。

ところがこの会社の場合、分裂した左右組合の頭数はほぼ半々だった。

これでは、わざわざ労務管理をやりにくくしたようなものである。労務部長はクビにされた。


悪い事は重なるもので、この会社は大規模な公害問題を起こした。

補償額は、会社が稼ぐ利益の範囲内で支払えるようなものではなかった。

結局、国が補償の尻ぬぐいする事になったが、会社は国から見捨てられて倒産した。

政治家と役人が責任転嫁のババ抜きを続けた末に、問題を起こした会社が石を抱いて沈められる事になったのである。


「長兄のせいで会社がつぶれた」と言う訳でもないのだが、呉コンツェルンの次期総帥として、長兄は「傷もの」になった。

現在、長兄は親の目の届く所で、合格する当てのない司法試験浪人をしている。


【2】


女が会社の跡継ぎになるなんて考えられない時代だった。

東大ですら、女子には求人票すら来なかったのである。


長女は私立の美大に進み、フランスに留学して、そのまま帰って来なかった。パリで結婚したのである。

結婚相手も食えない画家だったが、何か問題を起こすと言うタイプでもなかったので、夫婦の台所は呉コンツェルンが賄った。

今の所、長女夫妻は「けっこうなご身分」以上のものにはなっていないが、呉コンツェルンとしては、それで十分だった。


【3】


呉コンツェルンの次期総帥の座は「消去法で」次男の天童に回ってきた。

こうなる予感は薄々していたので、天童は東京の国立大学の商学部に進んでいた。旧・商科学校としては日本最高峰の所である。

親には「いずれ独立して、自分の会社を興したいから」と言う名目で学資を出してもらった。

次男ともなると、親に学資を出してもらう程度の事でも、ひと汗かかなければならないのである。


なにしろ兄が兄だ。

天童は「おまえだけは問題を起こしてくれるなよ」と言われ続けて育った。

通った学校は幼稚園から大学までの一貫校だったから、問題の起こしようがないのだが。


運動神経には恵まれていなかったが、部活には一貫して強制参加させられた。もちろん、親の強制である。

水泳、陸上、弓道と言った所を転々とした。

とてもレギュラーの座を狙える器ではなかったが、水泳、陸上、弓道は、とにもかくにも「個人競技」だったからである。


野球、競艇と言ったチーム・スポーツでは相手にしても貰えない。

かと言って、柔道、ボクシングと言った格闘技もイヤだった。

ハングリー精神の塊みたいなの相手では、そもそも同じ土俵にすら上れない。

立ち会っただけで吹き飛ばされてしまうだろう。


「形だけ」とはいえ、スポーツひと筋の学生生活を送ったため、浮いた話の一つも無かった。

汗臭いジャージ姿で校内をうろつくのを、当たり前と思っているライフ・スタイルである。

女子が振り向く訳がない。

運動部にも女子マネージャーはいたが、万年補欠組の天童には高嶺の花であった。


【4】


大学をサッサと卒業し、呉コンツェルン末端の不動産管理会社に回された時、「自分が居てもいい場所を、やっと与えられた」と、天童はホッとした。

グループの保有資産を管理するだけの会社で、売り上げ倍増も新規事業開拓もクソもない会社だから、当然、覇気はない。


天童がグループ御曹司(ただし次男)と言う事は誰もが知っていたが、だからどうと言う事もなかった。

社員たち全てが「早く5時になれ、早く5時になれ」と念じ続けながら働くような会社だったからである。


「こりゃいい。この際だから、遊んでやれ」と、天童は「仕事が忙しい」を口実にして遊び狂った。

こういう話になると、天童の会社内は「後輩思いの先輩」、「話が分かる同僚」だらけになる。

三年で遊びに飽きた。「遊びを仕事にする訳には行かない」と気が付いたからである。


それと、もう一つ。

「次男だが御曹司」と言う看板を背負っていると、物欲しげな顔をした女たちが、すり寄って来るのである。

これが、何とも言えずイヤだった。

学生時代、女生徒たちから一貫してクソ札扱いされて来たのが軽いトラウマになっていたのである。

軽い女性不信。今日の言葉で言えばミソジニー(女性憎悪)の域に達していたのかもしれない。


次なる御曹司のヒマつぶしはお勉強だった。

神田の大学の夜間部に通って、法律の勉強を始めたのである。


「商学部に通ったおかげで数字には強くなった。次は法律だ。世の中には本音と建て前があるが、建て前あっての本音じゃないか。建て前の体系である法律に無知で、一体なんとする。」


向学心に燃えている者は、誰でも、こんな風に見通しが利くものなのだろうか。


何しろ仕事が無い会社だ。天童は執務時間中に、堂々と大学のテキストを広げて法律の勉強をしていた。

普通の社員がこれをやったら、イジメられて退社に追い込まれていたろう。

「努力と向上心は敵」と言う社風だったからだ。


「まさか御曹司の自分に手出しはすまい。」


この点も天童の見込み通りだった。

三年遊んだおかげで、「5時から男」たちの性質は知り尽くしていた。


【5】


「嫌味なお勉強くん」と化してからも、天童には飲みの誘いが再々あった。

営業部の人間が、接待交際費の伝票を切るダシにされたのである。

「グループの御曹司も接待に同席しました」と言ったら、総務部も経理部も文句のつけようがない。

さすがの天童も、これには付き合った。

仮にも仕事絡みだったからである。


ただ、勉強になる点はあった。

相手を気持ちよくさせてこその接待。

賢明なる読者諸兄ならお気づきと思うが、その気になれば、接待される方が接待する方を気持ちよくする事もできるのである。

相手の経費を使って、相手を接待する。これを忍法「接待返し」と言う。


天童は接待の席では酒に、ほとんど口を付けなかった。翌日のお勉強に差し支えるからである。

これは、おっきなハンディ戦だ。勝手に盛り上がる接待のサーフィンUSAに取り残されるリスクが大きいからだ。


天童は、飲まなくても飲んだフリをして、座を盛り上げるコツをつかんだ。

「これは支配者の人心掌握術にも通じる所があるな」と天童は思った。

ホンマかいな。


【6】


そういう流れで、天童は銀座のとあるクラブに誘われた。

誘ってきたのはド腐れ営業部の人間ではない。

接待の席で知り合った「友だちの友だち」みたいな立場の人だった。

お互いに損得勘定がない。

この人とは、いいお友だちになれそうな予感がした天童であった。


さて、連れて行かれたクラブで、「面白いから見てみろ」と言われた先には、女逆ハーレムみたいな光景があった。

これが天童と久満子の馴れの染めである。


【7】


気が付いたら、天童は「久満子学校」の末席に連なっていた。

本当に末席扱いなのだ。

ヘタに発言でもしようものなら、「上席」の男たちから咳払いを食らう。

こんな扱いを受けたのは大学の運動部以来だ。


ただし、苦手だった運動神経での末席扱いじゃない。

自分でも多少の自負はあった知識や教養のフィールドで補欠扱いされたのである。

「こんちくしょう」と言う悔しさが、逆に新鮮だった。

ここまで叩きのめしてくれたのは、大学ゼミの教授以降、絶えてなかったからである。


そのうち気がついた。

自分を根柢から揺り動かしているのは、インチキ臭い久満子のスノビズム(俗臭フンプンたるインテリ気取りのこと)じゃない。

自分の好きなように生きながら、欲しいものは全て手に入れる自由さなのだ。


危険な自由だと言う事は百も承知だった。

天童は難攻不落の城を、手を変え品を変えて攻撃した。


女が惚れるのは誠実な男だ。

だが、誠実さを取ったら何も残らない男は退屈の極みだ。

優しく騙してくれる危険な男の方が、はるかに魅力的だ。

女は現実が欲しいが夢も欲しい。要は両方欲しいのである。


天童は「これ以上やったら不誠実になる」と言うストライクゾーンぎりぎりの球を久満子に力投し続けた。

久満子は天童の事を意識はし始めたが、重いお腰をなかなか上げようとしない。

なにしろ、天童が一人暮らししている下宿のドアの前まで来ながら、平気で回れ右してスタスタ帰って行くような女である。

下宿の玄関口からその内側に引っ張り込むまで、ずいぶん焦ったし、苦労したし、金もかかった。


一旦、上がり込んだとなると、久満子は天童の下宿の押し入れの中まで自分の生存圏に組み入れてしまった。

久満子が持ち込んだ家具やら小物やらガラクタやらが、部屋の中の空いたスペースと言うスペースに詰め込まれた。


「そう言えば、私の部屋には何にもなかったな。」


天童は、誰に言うともなく、つぶやいた。

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