第五十三話:いびつな帰還
闇の門の向こう側から、かすかな光が差し込んでいた。
誠司——いや、今や《冥府の魔王》たるレイヴンは、その光に手を伸ばす。
背後にいるレクシアを振り返ると、彼女は静かに微笑んでいた。
「……この先に進めば、本当に俺たちは現実へ戻れるのか?」
「可能性はあります」
レクシアは慎重な言葉を選ぶ。
「ただし、あなたは《冥府の魔王》の力を持ったまま、現実世界へと接続されることになります。完全に”人間”として戻るわけではありません」
「それで……俺は何になるんだ?」
「あなたは”生者”と”死者”の狭間に立つ存在——」
レクシアは目を伏せ、ゆっくりと言葉を続けた。
「もしかすると、現実世界の法則に馴染めず、存在そのものが不安定になる可能性もあります」
「つまり、俺が戻ったとしても、そのまま消えるかもしれないってことか」
「……はい」
レイヴンは静かに目を閉じた。
この選択が、何を意味するのかは理解している。
しかし——
(それでも……俺は戻りたい)
ただゲームの世界で”生きる”のではなく、自分の意志で”帰る”ことを選びたい。
そして——レクシアと共にあるために。
「行こう」
レイヴンは門の向こうへと、一歩を踏み出した。
——その瞬間、世界が崩れた。
※
気がつくと、どこまでも白く広がる空間に立っていた。
目の前には、巨大な《天秤》が浮かんでいる。
片方には黒き炎が燃え、もう片方には青白い光が揺らめいていた。
「……これは?」
「《冥府の門》を通ったことで、あなたの存在が”選別”されようとしています」
レクシアが隣に立ち、天秤を見つめていた。
「あなたが本当に”戻る”資格を持つのか、それを決定する場です」
「資格?」
「ええ。あなたは既に”死”を超越した存在となっています。ですが、それでも”生”へと戻ることができるのか——」
レイヴンは天秤を見つめた。
黒き炎は《冥府の魔王》としての力を示し、青白い光は”かつての誠司”が持っていた生者の証なのだろう。
「……どうすればいい?」
「あなたの意志を示すのです」
レクシアの言葉が響く。
「あなたが《冥府の魔王》として生きることを望むのなら、黒き炎を——」
「そして、もし”生者”として戻ることを望むなら?」
「青白い光を手に取ってください」
レイヴンは、二つの力を見つめた。
彼はどちらも選ぶことができる。
そして、その先の未来は——
「……俺は」
彼は迷いなく手を伸ばした。
選んだのは——
——目を開けた。
静かな病室の天井が、ぼやけた視界に映る。
呼吸器の音がかすかに響き、手には冷たい点滴の感触があった。
(……戻ったのか?)
ゆっくりと意識を取り戻し、指を動かす。
まだ体は重いが、確かに”現実”の感触があった。
——成功したのか?
そう思った瞬間、耳元で囁くような声が聞こえた。
「おかえりなさい……誠司さん」
驚いて視線を向けると、病室の窓際に立つ”彼女”の姿があった。
プラチナブロンドのロングヘア、そして青い瞳。
「……レクシア?」
レクシアは微笑んだ。
彼女は確かに、現実世界に”存在”していた。
だが、その姿は——
(……影がない……?)
レクシアの足元を見て、息を呑む。
光が当たっているはずなのに、影がない。
「私は……あなたと共に来ることができました」
レクシアは穏やかに微笑んだ。
「ただし……私は”この世界に馴染めない”存在です」
「それって……」
「私は、あなたに”憑いている”ようなものなのかもしれません」
レクシアは少し寂しげに笑う。
「でも、それでも……あなたと共にいられるのなら、それでいいのです」
レイヴン——いや、誠司は、ゆっくりと息をついた。
「……それで、お前は満足なのか?」
「はい」
レクシアは微笑む。
「あなたが、私を連れてきてくれたのですから」
誠司は、思わず笑みをこぼした。
「そうか……なら、これからもよろしく頼む」
「ええ。こちらこそ」
二人は、病室の窓から差し込む朝の光を静かに見つめた。
——こうして、《冥府の魔王》は現実世界へと還った。




