化け寺の住職
明治時代の浅草、そこにひとつの荒れ果てたお寺がございました。このお寺がまた、変わったお寺でございましてね。幽霊ばっかりが住んでるもんですから、生きた人間は誰も近寄らねえ。そりゃあそうですよ。幽霊様がうじゃうじゃいるお寺になんて、普通の人間様は寄り付きません。
それにこのお寺、住職がおりませんでした。というのもね、それまでおった幽霊の住職が、ある日ふっと成仏しちまったんです。困った幽霊たち、新しい住職を探すことにした。でもねえ、そう簡単には見つかりません。だって幽霊寺ですからね。
そんなある日のこと。お寺の近くを歩いていた若い男がおりました。名前を笑六といいます。これが噺家になりてえと、毎日高座を夢見る男でございました。
「はあ、今日も高座に立てずか。このままじゃ、親にも顔向けできねえ」
がっくりと肩を落とす笑六。そんな彼の耳に、ふと声が聞こえてきたんです。
「そこの若い衆。あんた住職になる気はないかい?」
「えっ?」
笑六、びっくりして声のする方を見ると、そこには青白い顔をしたお坊さんが立っておりやす。
「わっ! ゆ、幽霊!」
思わず後ずさる笑六。すると幽霊坊主、にやりと笑って言うんです。
「そうさ、幽霊だよ。でもね、うちは住職を探してるんだ。どうだい? やってみる気はないかい?」
これには笑六も目を丸くした。まあ、そうでしょう。幽霊寺の住職なんて、聞いたことも見たこともねえ。でも、どうせ落語家になれそうもない。ここは思い切って……。
「わ、分かりました。やってみましょう」
こうして笑六は、幽霊寺の新しい住職となったわけでございます。
さてさて、幽霊寺に入った笑六、最初はおっかなびっくり。そりゃあそうですよ。周りは幽霊だらけなんですからね。ところがどうでしょう。案外、みんな人懐っこい。
「やあ、新しい住職さん。よろしくね」
「住職様、お茶をお持ちしました」
なんて声をかけられる。笑六、最初は戸惑いましたよ。だって、幽霊のお茶なんて飲めるわけないじゃありませんか。でも、断るのも悪いし。
「あ、ありがとう。いただきます」
おそるおそる口をつけてみると、これまた不思議。ちゃんと味がするんです。生きてる人間が飲んでも美味しい。
「おや? 幽霊のお茶なのに、美味しいじゃないか」
笑六の言葉に、幽霊たちはクスクス笑い出した。
「当たり前さ。私たちだって、昔は人間だったんだからね」
「そうそう。死んでも、美味しいものは美味しいって覚えてるよ」
「ほら、茶柱立ってるよ。この勢いで高座にも立てればいいね、なんてね」
ほらほら、幽霊様たちも冗談を言うじゃありませんか。笑六、少しずつ幽霊たちと打ち解けていきました。毎日のように法事をしたり、お経を上げたり。幽霊たちも、笑六の熱心な姿に感心するばかり。
ところがある日、大変なことが起こったんです。
「住職様、大変です! 地獄の鬼どもが押し寄せてきました!」
幽霊の小坊主が慌てて駆け込んできた。笑六、思わず尻もちをつきそうになる。
「な、なんだって? 地獄の鬼?」
寺の外に出てみると、そこには赤鬼、青鬼、たくさんの鬼たちが押し寄せていた。もう、大変な騒ぎでございます。
「おい、住職! うちの幽霊を返せ!」
でっかい声で怒鳴る大将の鬼。笑六、震える声で尋ねる。
「あ、あの、どういうことでしょう?」
すると鬼の大将、こう言うんです。
「このお寺にいる幽霊たちは、みんな地獄行きが決まっていたんだ。それをお前が成仏させようとしてるから、地獄の仕事が減って困ってんだよ!」
さあ大変。笑六、困り果てましたよ。幽霊たちを地獄に送るわけにはいかない。かといって、鬼たちと戦うなんて無理な話。
そこで笑六、ふと思いついた。
「そうだ! みなさん、落語を聞いてみませんか?」
「は? 落語?」
鬼たちも幽霊たちも、きょとんとした顔。笑六、高座に座り、得意の落語を披露し始めた。最初は渋い顔をしていた鬼たちも、しだいに笑顔になっていく。
「あっはっは! 面白えじゃねえか」
「こりゃあ、地獄より楽しいぜ」
笑六の落語に、鬼も幽霊も大笑い。あっという間に、敵対心なんてどこかへ吹っ飛んでしまいました。
それからというもの、幽霊寺は大にぎわい。幽霊たちはもちろん、鬼たちも毎日のように押しかけてくる。笑六の落語を聞きに来るんです。
「住職様の落語は最高だね」
「そうそう。これなら、ずっとここにいたいねぇ」
幽霊たちの声に、笑六は目を輝かせました。そうなんです。笑いには、こんな力があったんです。
笑六は、毎日のように新しい落語を考え、幽霊たちや鬼たちの前で披露する。時には失敗して、シーンとなることも。でも、めげずに続ける。
そんなある日、極楽からお使いがやってきました。
「やあ、笑六殿。私は極楽の使者じゃ。実はな、お前さんの噺を聞きつけてな。極楽でも披露してもらえんかのう?」
笑六、びっくり仰天。
「えっ、極楽ですか? で、でも、私はまだ生きてるし……」
すると、幽霊たちが口々に言うんです。
「大丈夫だよ、住職様。私たちが守ってあげる」
「そうそう。住職様の体、ちょっと借りるからさ」
言うが早いか、幽霊たちが笑六の体にスルリと入り込んだ。するとどうでしょう。笑六の体が、ふわりと宙に浮いたじゃありませんか。
「わっ! こ、これは……」
笑六は驚く間もなく、極楽へと飛んでいってしまいました。びゅんびゅん空を飛んで三刻半。雲の上の極楽では、たくさんの仏様たちが待っていました。
「さあ、噺を聞かせておくれ」
緊張する笑六。でも、体の中の幽霊たちが囁くんです。
「大丈夫、いつもみたいに話せばいいんだよ」
勇気づけられた笑六、高座に座って噺を始めました。すると、仏様たちが次々と笑い出す。
「おお、なんと面白い!」
「これぞ、人間の素晴らしさじゃ」
笑六の噺に、極楽中が笑いに包まれた。
*
さて、そんなこんなで月日は流れ、笑六も立派な落語家として名を馳せるようになりました。ところがある日のこと、高座に来ていた幽霊たちが、次々と光に包まれ始めたんでございます。
「あれ? みなさん、これは……」
驚く笑六に、一番古くからいる幽霊が微笑んで告げる。
「住職様、私たちゃあ、もう成仏できそうです。だって、こんなに楽しく笑って過ごせたんですもの」
「悔いはひとつも残ってませんぜ」
次々と消えていく幽霊たち。困惑する笑六。このまま幽霊たちがいなくなれば、自分の居場所もなくなってしまう。そう思った時、最後の一人となった幽霊が言ったんです。
「でもねえ、住職様。私たちゃあ、極楽で待ってますよ。だって、あなたの高座がなきゃ、極楽も地獄も面白くないでしょう?」
その言葉を聞いた笑六は、ようやく気付いたのでございます。自分は既に立派な落語家になっていたこと、そして幽霊たちは、ずっとその日を待っていてくれていたことに。
*
令和になったいまでも、笑六は高座で噺をしているそうな。でも、よーく見ると、お客さんの中に幽霊や鬼が混ざっているとか、いないとか。
そういえば極楽浄土でも、時々笑い声が聞こえるそうでございます。きっと、笑六の高座が開かれているんでしょう。
めでたし、めでたし。