第六話 入場
やっと水着も選び終わり、いざプールへ。そう思って入場券を購入するための券売機へと向かおうとした希美を止めたのは、玲の言葉だった。
「そろそろ十一時になります。早いですが、先に昼食にしてから中に入りませんか」
この施設は中でも食べることが可能だが、確かに水着姿で濡れた状態では落ち着いて食べられないかもしれない。特に友達と遊ぶことに慣れていない自分にとっては尚更だろうと考え、希美は玲の提案を受け入れた。飲み物やアイスクリームの自販機、ホットドッグやフランクフルト、フライドポテトや団子、ラーメンといった食べ物の売店が並ぶ飲食エリアへと足を運ぶ。
「玲、お金ちょうだい」
「無駄遣いをしないでくださいね」
「あーい」
玲から一枚の千円札を受け取った流凪が、トテトテと売店へ向かう。希美はその後ろに慌ててついていった。
「流凪ちゃんは何を食べるんですか?」
「んー、そうだなー。ラーメン、ホットドッグ、あ、かき氷がある。かき氷食べたい」
「ちょ、ちょっと待って流凪ちゃん! かき氷じゃお昼ご飯にならないよ!?」
「あー、そっかそっか、お昼買わなきゃね」
相変わらずのマイペース流凪に振り回される希美。ふぅ、と一つ息を吐いて落ち着くと同時に、慌てていたせいで敬語が抜けてしまったことに気が付いた。
「あ、ご、ごめんなさい。ため口……」
「ほえ? あー、確かに。良いんじゃない、気にしなくて。友達なんだし」
「そ、そう、かな? じゃ、じゃ、じゃじゃじゃあ、これからは、ため口、で?」
「おっけー」
流凪の返事に、グッと小さくガッツポーズをする希美。思えば何故ずっと敬語だったのか。そう考え、流凪の年齢が分からないからだと思い至った。見た目は年下だが、あまりにもマイペースで落ち着いているので年上にも見えるのだ。唯一の友達に失礼を働きたくなかったため、とりあえず敬語にしていた。
「ね、ねぇ、流凪ち」
「希美ちゃんは何食べる? わたしはやっぱりラーメンにしようかな」
「え、あ、えーっと、じゃあわたしも同じのにしようかな」
「ラーメン二つでー、九百九十円。すいませーん、ラーメン二つくださいなー」
「あ、待って流凪ちゃん!」
希美が止める暇もなく、千円札を出してラーメン二つ分の料金を払ってしまう流凪。そのまま店員から渡されたおつりと呼び出しベルを受け取り、さっさと玲が確保している席へと歩いて行く。
「ただいまー。玲も自分の買ってきて良いよー」
「はい、では席はお願いします」
そう言って自分の昼食を確保しに向かう玲。入れ替わって席に座る流凪の正面に自分も座りながら、慌てて希美は財布を取り出した。
「自分で払うよ!」
「だいじょぶだいじょぶ。ここは任せなさーい」
流凪はそれが当然であるかのように金を受け取ろうとしない。
友達にお金を払わせるなんて。もしかしてこれが噂に聞く手切れ金というやつなのでは!? 施設が開く時間を調べてなかったり水着選びに長い時間を浪費したり、相手に無駄に時間を使わせるそういう姿勢が嫌になって、これで縁を切ろうって、そういうことなんじゃ……!
いつもの思い込みの激しさを発揮しグルグルと目を回す希美。流凪からしてみれば、以前ソフトクリーム代を払ってもらったし後から玲に怒られたしなー、というだけなのだが、自分が流凪と対等だと思えない希美には、自分が金を払ってもらうほど価値のある人間であると思えなかった。
「あ、鳴った。ラーメン取ってくるねー」
その流凪の言葉に、カッと目を見開いて叫ぶ。
「わたしが行きますッ!!」
「お、おぅ……承知でござる」
希美の勢いに押されて、ピーピー鳴っている呼び出しベルを差し出す流凪。それを受け取り売店へと駆けていく希美とすれ違うように、玲が戻ってきた。
「希美さん、やけに慌てていましたけど、何かあったんですか?」
「さあ……?」
常にマイペースな流凪には一生分からないだろう理由で慌てる希美の背を、流凪と玲はそろって眺めていた。
早めの昼食を終え、ついにプールへ入っていく。まずは各々分かれて更衣スペースに入った。そして、流凪たちを決して待たせる訳にはいかないと、全速力で着替えを済ませて荷物をロッカーにぶち込み、その鍵を持ってプールに出る希美。辺りを見渡し、どうやら流凪たちがまだ来ていないようだと確認するとやっと一息ついた。
「あれ、希美ちゃん早いねー。お待たせー」
「お待たせしました、希美さん」
「あ、流凪ちゃん、玲さん…………」
流凪たちの声に笑顔で振り向き、その姿を目に入れた瞬間そのままの姿勢で固まる希美。
「キレイ……」
こぼれるように口から感想が出る。それ以外、一切の動きを封じられたように、瞬きすら出来ずに流凪を見つめていた。
美術品のようだと思った。
普段から現実離れして可愛いその容姿に見とれることはあったが、そんな相手が素肌を大きく晒している姿は最早一種の芸術作品。最近理解出来るようになってきた性的なあれこれを、同性だというのに目の前の天使に抱きそうになり、しかしこのような美しく神聖な存在に欲情するなど罪深いことだと聖職者の如き思考が希美の脳内を支配していく。
時が止まったかのように呼吸すら忘れて流凪の姿に見入り、息苦しさにやっと意識を取り戻して慌てて視線を外す希美。その視界に、玲の姿が入った。流凪と同様見とれるほどに美しいはずのその姿を目にしても、希美は別のことが気になってしまい、冷静さを保つことが出来た。
「えっと……玲さんは、水着に着替えないんですか?」
「いえ、これが水着です」
「そ、そう、なんですか……」
普段通りのメイド服をミニスカートにして、上を短くして腹を露出させ、袖を落としてノースリーブにしている。それ以外に違いが分からず、しかし希美は考えるのを止めた。きっとこの人はメイドであることが存在理由なのだろう。メイド服を脱ぐときはその人生を終える時なのだ。あまりにも堂々とした玲の立ち姿に、そこに疑問を挟むことが失礼なことであるように感じ、希美は己を無理矢理納得させることで思考を閉じた。
「えっと……じゃあ、どうしましょうか」
勢いでプールに誘ったものの、当然友達とプールで遊んだことなどない希美である。これから何をすれば良いのかも分からず、何がしたいかを尋ねる。
「浮き輪に乗って流れるかー、スライダーかー」
「お嬢様は運動不足ですから、あちらのレーンで何往復か真面目に泳いできてはいかがですか?」
「うえー、やだよそんなの、疲れるじゃーん」
学校にあるような六レーンに分かれた二十五メートルプールを指さす玲に、嫌そうな顔で首を振る流凪。流凪の希望としては、流れるプールに浮き輪で浮かぶかウォータースライダーで遊ぶか、といったところのようだ。その二択ならば、のんびり話しながら遊べる流れるプールの方が良いと思う希美。それなら今後の予定ものんびり決められるし、流凪についての質問も出来るし、考えれば考えるほど良さそうに思えてくる。
「じゃあ流れるプールに」
「やっと来たわね!!」
流れるプールへ向かうべく自分の希望を伝えようとした希美の言葉を遮り、甲高く響く大声が飛んできた。見なくても誰がそこにいるのか丸わかりだが、渋々目を声の方へ向けると、そこには案の定。
「二時間近く待ったわよ、まったく! 何してた訳!?」
腰に手を当てギャーギャー騒ぐ凜々花と、その両サイドで困ったように眉を寄せている秋子、奏の三人がいたのだった。