第五話 プールの前で
時は流れ、土曜日。希美は自転車を走らせ、午前九時にプールに着いた。あまりにも早く来てしまったが、どうやらまだ施設は開いていない時間のようだ。目の前で閉まっている自動ドアの向こうに立つ看板に書かれた営業時間を確認する。
「午前十時から……そういえばプールが開く時間とか全然気にしてなかった……。危なかったー」
実は希美が母親に伝えた時、母親は軽く調べて十時から開くことを確認して、問題ないと判断した上で許可を出しているのだが、そんなことは一切知らない希美はほっと一息。自分の運の良さに感謝した。
しかしこれからどうやって待とうか。集合時間まで残り一時間。何もせず待つには流石に長い時間だ。スマホでこのプールについてでも調べて時間を潰せば良いか。そう考えスマホを取り出そうとした、まさにその時。
「あら、偶然ね、金髪」
うげっ、と。言葉が口から出なかったことを褒めて欲しいと思った。ゆっくりと振り返った希美の目の前に、凜々花、秋子、奏の三人組。
「あんたもプール? 一人で? 寂しい奴ね」
「待ち合わせだよ」
「あっそ」
希美は知らないことだが、三人組は既に待ち合わせ相手がいるという事実を知っていた。更に付け加えるなら、集合時間が十時であるということまで知っていた。だというのに九時にプールにいるのは、希美ならきっと集合時間より早く来るだろうと思って待ち構えていたからである。凜々花は暇だった。あとの二人は付き合いが良かった。
「ま、良いわ。せいぜいそこで一人寂しく待ちぼうけしてれば良いんじゃない?」
「あ、ま、待って」
呼び止める希美の声を聞こえなかったふりで無視しながら、ドヤ顔でその横を通り抜け施設に入ろうとする凜々花。
そして、そのままゴンッと自動ドアにぶつかり、プルプルと震え始めた。
「だから言おうとしたのに……。まだ開いてないよって」
顔を真っ赤にした凜々花が、勢い良く振り向いて希美をキッと睨みつける。
「早く言いなさいよ! さてはわざとこうなるように仕向けたわね!? 奏!」
「え、あ、うん、そう、かも?」
「ほら、奏もこう言ってるわ!」
「ええ……」
凜々花の言うことを全肯定する奏ですらやや戸惑いながらの返答をするほどに滅茶苦茶な理論を言い放ち、何も言い返してこない希美の様子に満足そうな表情でフンと一つ息を鳴らす。
そして、場がシーンと静まり返る。
「はぁ……ごめんなさいね、明里さん」
「あ、いえ」
秋子の謝罪に何とも言えない返事をして、気まずい空気のまま、施設の前で時間を潰す。スマホに視線を落とし、何となく気になってチラリと三人の方を見て。スマホに視線を落とし、チラリと。そんなことを繰り返し、それなりの時間が経った。長い時間そんなことをしていると、段々と不安になってくる。流凪ちゃんは来てくれるだろうか。朝起きたら面倒になってやっぱり行かないとか言い出したりしないだろうか。よく眠るということと並外れて優れた容姿をしていることしか流凪について知らない希美は、約束したのだから絶対に来てくれる、という確信が持てなかった。
そわそわしながら待つこと五十分。集合時間の十分前に流凪はやってきた。
「やっほー、希美ちゃん」
「お久しぶりです、希美さん」
いつも通りのフリフリ白黒の服装の流凪の後ろには、これまた以前と同じメイド服の玲がついてきている。
「あ、おはようございます、流凪ちゃん、玲さん」
「おろ、お友達も一緒?」
少し離れて自分たちの方を見ている小学生と思われる女子三人組。それを見て、希美が別の友達も連れてきたのだと思った流凪だったが、希美はそれを慌てて否定した。
「ち、違います違います! 確かに学校のクラスメイトですけど、一緒という訳ではありませんから!」
希美にとって、友達とは大変貴重な存在だ。そして、知らない人を勝手に遊びに呼ばれたらとても嫌な気持ちになる。流凪に嫌な思いをさせて唯一の友達を失うことだけは避けなくてはならない。希美の心臓は緊張と恐怖でバクバクと暴れまわっていた。
「ふーん、そうなんだ」
そんな希美の心配とは裏腹に、何も気にした様子なくその話題を切り上げる流凪。それを見てホッと一息ついて、待ちに待った友達との会話に興じる希美。
一方、やってきた希美の友達を見た三人組は動揺を隠せずにいた。
「あ、あれが金髪の友達……?」
下校中に希美と話しているところは見たが、それは離れたところからだった。しかも希美に見つからないように隠れて声を聞いていたため、その姿を詳しく見る余裕はなかった。
天使が現れたのかと思った。
服装が一般人とはかけ離れていることもそうだが、あまりにも可愛らしいその姿を見て、艶やかな黒髪に浮かぶ光の輪が本当に天使の輪なのではないかとすら思えた。
「り、凜々花ちゃん、メイドさんだよ、メイドさん」
その後ろに控えるメイドも動揺を加速させる。メイドを連れているということは、どこかのお嬢様なのか。自分たちも私立小学校に通うだけあってそこそこ裕福な家庭である自覚はあるが、格が違う上流階級の存在なのでは。瞬時にそこまで考えた秋子は、以前も軽く行った注意を本気を込めて再び口にする。
「凜々花、本当に明里さんに付きまとうのはもう止めた方が良いんじゃない? もしかしたら、敵に回すとマズイ相手かもしれない」
が、それを口にした後に後悔した。秋子自身も冷静さを失っていたことを自覚し、落ち着いてから言葉を発すれば良かったと思った。何故なら、こんなことを言ってしまえば、凜々花は。
「はぁ!? なにそれ意味わかんない! だから付きまとってないって言ってるでしょ!!」
こうなるに決まっているのだから。こうなってしまえばもう何を言っても届きはしない。秋子に出来るのは、せめて凜々花が本気で希美を、そしてあの天使の如き少女を怒らせませんようにと祈ることだけだった。
施設が開くと同時に猛ダッシュで中へと消えていった三人組を見送り、希美、流凪、玲は水着売り場にいた。
「ふんふんふーん、どれが良いかなー。お、これとか」
「お嬢様はこちらをどうぞ」
「うえ?」
布面積の小さいビキニと呼んでも良いのか怪しげな一品に伸ばそうとしていた流凪の手を遮り、横から玲が差し出してきたのは黒い大きなフリル。広げてみると、上下が分かれた水着で、上下とも大き目のフリルで覆われている。下はスカートのようになっていた。
「お嬢様に任せるとどうせ目についた物を考えもせずに購入なさるでしょうから、わたしが選びました。それを着てください」
「あーい」
気が付けばいつの間にか流凪の水着が選び終わっている。希美は自分も早く選ばなくては流凪たちを待たせてしまうと思って慌てて選ぼうとした、のだが。
よく考えたら、この二人と並んでも最低限おかしくない程度には見られる水着を選ばなくてはいけないのでは。
流凪と玲を見て、その難易度の高さに眩暈がしそうになる希美。迂闊にプールになんか誘うんじゃなかった。こんな容姿の誤魔化しが利かない場所に。今更になって後悔し始めた希美は、それから一時間近く悩み続けた末に。
「希美ちゃんにはねー、これが似合うと思うよ」
そう言って流凪が持ってきたエメラルドグリーンのホルターネックビキニを持ち、玲をチラリと見たら笑って頷いてくれたため、どうにか水着を購入することが出来たのだった。




