第五十五話 語られる伝説の力
流凪の話を一通り聞き、何かを考えるように少しの間黙り込む春希。やがて何をどう説明するのかが決まったのか、口を開いた。
「流凪さんは恐らく、会社で働いたことはないですよね。それだと少し想像し辛いかもしれません」
最初に春希の口から出てきたのは、あまり今回の件とは関係がなさそうな内容だった。確かに流凪は会社で働いたことはないが、そのシステムは分かっているつもりだ。一体何が分からないと言うのか。
「年次有給休暇、いわゆる有給というシステム。流凪さんもこの制度自体は知っていると思いますが、実はこれはそこまで思い通りになるものではないんです。仕事や他の従業員との兼ね合いがあって、それなりの調整というものを要します」
その休暇のせいで仕事が期限に間に合わなそうなら日程を変えなければならないし、同じ日に同部署の人間が複数休むのは出来る限り避けたい。単純に仕事量が多くて休んでなどいられない期間というのもある。もちろん理想としては休みたい時に休める環境であることが求められるが、現実は理想通りにはいかないものだ。
「分かるでしょうか。毎年一週間もの期間連続で有給を取得するということの難しさが」
そのためにずっと前から仕事の調整をしてどうにか休みを取っている春希。しかし、どれだけ調整しようが一週間の休みというのは社会人にとってあまりにも長い。特に春希は課長という役職も持っているため、会社にいなければいないだけ迷惑がかかってしまう。この期間の提出物は春希を無視して部長へ渡すように指示してあるが、当然ながら部長はより広く仕事を見ているので会議等で席にいないことも多い。休みに入る前も後も、何度も何度も頭を下げて無理を言ってここに来ているのだ。
「ふんふん……?」
「ふふ、難しかったでしょうか。つまりは毎年一週間も休むのは大変だから、この行事がなくなってくれれば良いと思っているんですよ、わたしは」
毎年一週間も無理を言って休んでいるのに、やることも特になくただ集まっているだけ。やっていることは盆の帰省と全く変わらない。しかもその理由が、あるのかも分からない妖刀を封印するためだという。
「今回あなた方を呼んだのは、娘のためだと妻には説明しています。これは嘘ではありません。しかし、別の狙いもありました」
「妖刀をどうにかして欲しかった?」
「というよりは、どうにかしたことにして欲しかった」
実際に妖刀などというものがあるとは思っていなかった春希としては、どれだけ胡散臭くても霊能者的な誰かがやってきて『もう大丈夫だ』と言ってくれればそれで良かったのだ。以前の学校の件を希美から聞いた春希は、実際に流凪に能力があるかどうかは別として、少なくとも希美がその力を信じ込むだけの何かがあるということを理解した。ならば、その何かによって田野山家の人々に妖刀の危険がもうないことを信じさせてもらえないか。それによって、来年以降はこの行事がなくなって欲しい。それが春希の狙いだったのだ。
「流凪さんが先ほど仰っていた、わたしが神社に行った理由。それは、念のため様子を見ておこうという程度のものでした。しかし、そこで見てしまったんです。拝殿の扉の鍵が開いていることを」
それは恐らく、朱里が優に刀を持って行かせるために拝殿の鍵を開けていたタイミングだろう。流凪が神社に来た時は常に朱里がいたので分かりにくいが、実際には朱里だって姿を消している時もあったはずだ。神社から離れることは出来ないが、姿を消すだけなら出来るはずだから。鍵を開けて姿を消し、優が刀を持っていくのを待っていた。そうして朱里がいない時間に春希も神社に来てしまったのだろう。
「中を覗いてみると、刀がない。元々なかったのか、誰かに盗られたのかは不明ですが、もしかしたら何か起きるかもしれない。妖刀という物が実際に存在している可能性もあるのかもしれない。そう考えました」
それを春希の口から伝えてくれていれば、と一瞬考えた流凪だったが、結果は変わらなかっただろうと思い直す。もしその程度で動いていたなら、今回の事件が起きる前に動いていた。
「勝さん捜索の際、流凪さんたちに山の方をお願いしたのはそのためです。もし刀を持った犯人がいるなら、山の方へ逃げた可能性が高い。刀を人に見られたくはないでしょうからね。そこで妖刀をあなたの力でどうにかしてもらえれば、と」
実際に妖刀があるかどうかは別として、流凪が刀を発見して、妖刀はどうにかしたからもう大丈夫だ、と言ってくれれば春希の目的は達成される。流凪がインチキ霊能者ならそう言うだろうし、本物の能力者なら本当にどうにかしてくれるかもしれないし、ともかく春希の視点では流凪を山へ行かせない理由はなかった。
「最終的な結果を見てみれば、確かにあなたの仰る通り、思い通りの結果になったと言えなくもないでしょう。ただ勘違いして欲しくはないのですが、妻の家族に死んで欲しいと願っていた訳ではありません。この行事さえなくなってくれれば良かった」
田野山家の人々はいなくなった。妖刀もなくなった。事件を引き起こしそうな怨念もいなくなった。来年以降、春希が無理矢理な有給取得に悩まされることもなくなるだろう。しばらくは葬儀や警察の取り調べで大変になるかもしれないが、それさえ終わればもう何も面倒事はない。
春希の目的は達成された。
ただ、流凪には気になっていることがある。
「まあ確かにわたしは会社で働いたことはないし、春希君がどれだけ大変だったかは想像しか出来ないんだけどさ」
「は、春希君……?」
「異常現象を舐めない方が良い」
今回、春希は妖刀など存在しないだろうと楽観して神社の確認をしに行き、拝殿の中まで覗いている。その時朱里が春希を放置したのは、一般人相手なら知られても構わないと思ったのか、春希の前に出て行って怪しまれる方がマズイと考えたのか。それは朱里に聞かないと分からないため知りようがなくなってしまったが、もしこの時、朱里が春希の存在を危険視したらどうなっていたか。
流凪は春希に今回の事件の全貌を語る。そして、春希の行動がどれだけ危険だったかを伝えた。
「最悪の場合、君、殺人鬼と化していてもおかしくなかったんだよ」
「それは……しかしそれをわたしに想像しろというのも酷な話ではないですか?」
「ううん、今回は想像出来たよ。だって、伝説が語られているんだから」
何も伝説等がない、もしくはその伝説を知る機会がないなら仕方がない。それで異常現象に巻き込まれたなら、運が悪かったとしか言いようがない。しかし、今回は間違いなく妖刀の伝説を知っていたはずだ。ならば回避しようと思えば可能だった。
その伝説が実際の出来事だったかどうかは関係ないのだ。例えば今回、刀が使用者である優を貫いて妖刀として完成したように、伝説というのは力を持ち、その内容が再現されることで何かを引き起こす要因となり得る。全てではないが、力を持つ本物の伝説というのは確かに存在している。もちろん過去に実際にあった出来事が伝説になっているならその伝説の内容に気をつけるべきだ。
語られるだけの理由がなくとも、語られているなら何かが宿る。だから伝説は伝説になるのだ。
「ま、今回楽観で動いたせいで最悪な結果を招いたわたしが言えたことじゃないけどさ。常に最悪は想定するべきだよ」
「……なるほど。わたしはそういった現象に対する知識を持ちませんから、専門家の言葉は素直に聞くべきでしょうね。ご忠告感謝します。ああ、そうだ。今回の件、元々依頼していた訳ではありませんでしたが、間違いなく解決してくださったようですので、後ほど正式に報酬をお支払いさせていただきます。ありがとうございました」
頭を下げる春希の耳に、パンッと乾いた音が入ってくる。頭を上げた春希の目には何も違いがないように見えるが、しかし何か空気が清浄化されたように感じられる。流凪はそんな神社を、背中に春希の視線を感じつつ出て行った。
第二章は次話で完結となります。




