第五十三話 神の器
足音を拡張、衝撃に変換
衝撃を拡張、篝火玲を弾き飛ばす
篝火玲の移動を拡張、体を停止しその中の異物のみを弾き出す
更に篝火玲の移動を拡張、倒れる体の速度を減少させ静かに寝かせる
異物を弾き出した衝撃を更に拡張、空中に浮かぶ幸薙朱里を拘束
「なっ……なっ……ッ!?」
朱里が気が付いた時には既に終わっていた。いつの間にか自分は玲の体から弾き出されており、何か分からない力によって拘束されてピクリとも動くことが出来ない。朱里に出来るのは、辛うじて動く口で小さな声を発することのみ。自分の意のままに動かせるはずの怨念すら操ることが出来ず、悪あがきの抵抗すら許されない。
何も分からずとも、これだけは確かだ。
もう既に、幸薙朱里は敗北していた。
「何よこれ……何をしたのっ!?」
悲鳴に近い声で朱里が問う。しかし問われた流凪は答えない。それどころか、朱里が声を発したことを認識しているのかすら怪しいほどに無反応。ただ無表情のまま、簡単な作業をこなすように淡々と。無感情な目が自分を眺めていることに気が付いた朱里は、次の瞬間に消えている自分の姿を幻視して、それが妄想ではなく確実にすぐ後に訪れる未来であると確信した。このままでは消される。しかも、単純作業のように。それだけは避けたい朱里は、どうにかこの相手の感情を動かせないかと説得を試みた。
「ま、待って! ほら、今ここにはあの男もいるのよ。そんな強い力で攻撃したら、あのグズだって一緒に消える。分かるでしょう? 少し落ち着きなさいよ。そんな力を持ってるんだから、魂さえ残ってればやれることもあるんじゃない? ね、ね? 落ち着いて、一緒に優君を生き返らせる方法を」
そんな朱里の命乞いに対し、流凪の返答は単純明快。
パンッと、乾いた音が響く。
「あ、ああ、あアアあアあぁぁぁァぁ…………」
何人もの人間を死に追いやり、暴れまわった怨念、幸薙朱里は、抵抗も許されずに消え去った。その中にあった、田野山家の人々の魂と共に。
完全な無表情で淡々と進める流凪だが、慈悲の一切を失ってしまった訳ではない。もし優たちを助ける方法があるならそれを選ぶくらいの優しさはある。それをしないということは、不可能だということだ。
死んでしまった人間は生き返らない。
常識外れの力を持つ流凪にとっても、それは変わらない。魂の保存くらいは可能だが、田野山家の人々は怨念の塊に取り込まれていた。その魂は既に変質してしまっており、保存してもただ朱里のような存在を生み出す危険性が増すだけだ。本人たちもきっとそれは望まないだろう。優しい人たちだった。このまま、怨念から引き剥がして送ってやる方が良い。
静かになった境内に、流凪の足音が響く。倒れる玲に近付き、その手元に転がっている刀を手に取った。
そして、刃先から真っ直ぐ口の中へと入れていく。
飲み込むという概念を拡張、刀そのものを体内に取り込む
取り込むという概念を拡張、妖刀に染み込む怨念を取り込む
体の消化能力を拡張、宿る祓いの力で怨念を消し去る
そうして妖刀を浄化して体内に取り込んだ流凪の目に、感情が戻ってくる。キョロキョロと周囲を、そして自分の体を見回して、それが自分の体であることを確認するように足や腕を動かして。
「うん、とりあえずまだ人間のままではある、かな?」
自分が人間であることを確認して、ホッと一息ついた。
流凪が初めて自分の身に宿る力を行使したのは、十歳の時。その時は自覚があった訳ではなかったが、どうしてもやりたい、やらなければならないことがあって、その願いに反応して降臨した。
神の顕現
流凪の生誕と共に生まれた新しい神。何の神なのか、どんな神なのか、名前すらも含めてその一切が定まっておらず、ただ澄川流凪に宿っているだけの存在。だからこそその神の力は影響範囲を定めない。あらゆる概念を拡張し、拡張したものを更に拡張し、どこまでも流凪の意思に従って腕を伸ばす。無感情に、無感動に、ただ作業の如く、流凪の祈りを聞き届ける。
神が宿る影響なのか、流凪には強い祓いの力が備わっており、また神の力の一端を自在に行使することが出来る。祓いの力、概念の拡張、それが神の力。その一端を行使出来るだけでも強力だが、流凪の意思によって目覚める神は、目覚めている間、流凪に更なる力を授ける。
代償と共に
流凪は十歳から全く体が成長しなくなってしまった。神に直接聞いた訳ではないので定かではないが、恐らく人間の身には強力過ぎる力を行使するために体が作り変えられたのだろう。神の器は完成された依代。その神の器として最適な形になっているのだ。
そして、神の目覚めによって流凪は更に侵食されていく。感情が、衝動が、欲求が薄くなって、人間らしさがなくなっていく。長時間神を目覚めさせればそれだけ侵食は進行し、いずれはただの装置と化すだろう。
だから、自分が人間であることを忘れないために、最初に抱いた願いだけは常に自己の中心に置いてある。
「う、うう……お嬢様……?」
「あ、玲、起きた?」
倒れていた玲の目が開く。腕を突いて体を起こし、周囲を見渡していた玲は、はっとしたように飛び起きて流凪の姿を見つめた。流凪が流凪であることを確認するように忙しなくその全身を観察し、しかし見た目では分からないその事実を知るために口を開く。
「お嬢様……。お嬢様は、お嬢様ですか……?」
「うん、大丈夫だよ。時間も短かったし、あんまり影響はなさそう」
「そう、ですか……。申し訳、ありません……! わたしが余計なことをしたせいで……っ!」
玲の目が地面を向く。ギリギリと音がしそうなほど噛みしめた歯が、玲の後悔を表している。玲が流凪の命令通りに大人しくしていれば、佳子が死ぬことはなかっただろうし、玲のメイド服が傷つくこともなかっただろう。怨念の影響に耐え切れなくなった優が自殺して妖刀が完成することは避けられなかったかもしれないが、流凪が神の力を行使する必要はなかったかもしれない。
あくまで可能性だ。もしかしたら玲が動かなかったことでどこかに影響が出て、更に最悪の事態になっていた可能性だってある。だが玲にとっては、自分のせいで流凪が力を行使しなければならない状況にしてしまったという事実が全てなのだ。
「良いんだよ。玲がそうした方が良いと思ったんでしょ? なら、それで良いんだよ」
だが、流凪は微笑んで玲を抱きしめる。大丈夫だと。それで良いんだと。
何故なら、それが流凪の中心にある願いだから。
「とりあえず、帰ったらメイド服を直さないとね。もっと大事にしなきゃダメだよ? それが玲の本体なんだから」
玲は普通の人間ではない。とある事情で亡くなってしまった玲の魂を、彼女の身に着けていたメイド服に宿らせてこの世に繋ぎ止めている存在だ。人体という殻で守られていない玲の魂は周囲に影響されやすく、だからこそ霊的干渉に対して無防備なのだ。人体の限界に縛られないという利点もあるが、そのまま放置するのはあまりにも危険なので、流凪がメイド服に力を込めて疑似的な人体を生成することで守っている。
玲は悪意にも善意にも敏感だ。周囲に悪意ある人間が集まればそれに影響されて魂が黒く染まってしまう。逆に善意、好意に触れ続けていれば、玲はずっと正気を保っていられる。
だから、流凪は出来る限り人を助けようとする
その人から感謝されれば、玲が人間でいられる時間が延びるから
「はい……ありがとうございます」
流凪を抱き返して、玲はまた決意を強くする。絶対にこの人を守り抜かなければならない、と。




