第五十一話 悪あがき
薙ぎ払われた刀が空を斬る。
「え……?」
体勢を崩していた流凪に、この一撃を避ける術はなかったはずだ。斬ったという朱里の確信は決して慢心ではなく、間違いなく訪れるべき未来だったはずだ。自分を脅かす敵を斬り捨て、悠々と封印を解きに向かう。そうでなければおかしいのに。
だというのに、目の前に流凪の姿はない。
「ど、どこにっ!?」
慌てて周囲を見回す朱里。すると、すぐに見つかった。距離にして六、七歩分程度。大した距離ではないが、しかし先ほどの一瞬で移動したにしてはあまりにも大き過ぎる距離。少なくとも、先ほどまで嫌になるほど見た流凪の速度ではどうあがいても不可能な移動距離。どうやって、などと考えるまでもなく、方法は理解出来た。何故なら、流凪はメイド姿の少女に抱えられていたから。
「お嬢様、何故お一人でこのようなことを。もう少しで真っ二つになっていたではありませんか」
「んー、大丈夫だと思ったんだけどなー。それに、玲には家の方を任せたかったし」
抱え上げていた流凪を地面へと下ろす玲。それを見て、朱里は動揺が隠せなかった。最初からこの神社に玲が来ていたのなら、隠れている意味がない。流凪は一人で来ていたはずだ。それは流凪の口ぶりからしても間違いない。予想通り玲は家の方で優に対応していたはずで、そうだとすれば、玲が移動を開始したのは妖刀が飛び去った後。朱里は妖刀が人に見つからないようにかなりの上空を移動させたので、玲には妖刀を追うことが出来なかったはずだ。だというのに、ここまで来るのが早すぎる。普通の人間なら全速力で神社を目指したとしても間に合わない速度。玲の身体能力が高いということを加味したとしても、他の選択肢の一切を排除して真っ直ぐ神社に向かったとしか思えない。
「何故ここに……」
「ん? 玲がどうやってここに来たのかってことかな?」
「そうよ! 刀を追っては来れなかったはずでしょ!?」
流凪と一対一でなければ作戦の意味がない。せっかくもう少しで疲れ切った流凪を斬ることが出来そうだったのに。
「合図を決めてあるだけだよ」
「合図……?」
疑問を口にする朱里の前で、トントンとつま先で二度地面を叩く流凪。その足を包む硬い靴が鳴らす音に、朱里の記憶が呼び起こされる。確か、朱里が妖刀を手にした時も同じようにつま先で地面を叩いていた覚えがある。
「ま、まさか……!」
「そ。こうやってトントンってつま先で叩く音を拡張して玲を呼んだんだよ」
つま先で地面を叩く。それは、人間がこれから動く時に気合いを入れる一種のルーティーンだったり、イライラしているサインだったりと様々な意味を持つジェスチャーだ。人によってやったりやらなかったり、あるいはやるとしても意味が異なったりはするが、不思議な動きではなく、誰がやっていても特に気に留めない当たり前の行為。まさかそれが玲を呼ぶ合図だったなど、どうして予想出来ただろうか。
朱里は疑問に思うべきだったのだ。玲が付いてきていないこともそうだが、流凪が大して慌てていないことに。もし何も対策がないのなら、このまま続けていればいつか体力が尽きて斬られてしまうことは間違いないのだから、もう少し慌てていても良いはず。しかし流凪はずっと態度を変えていなかった。とても数分後の死が確定している人間の態度ではなかった。その内容はともかく、何か対策がある可能性を考えなくてはならなかった。そして、流凪の体力が尽きるのをのんびり待つのではなく、急いで斬り捨てていなければならなかったのだ。
「まだ……まだよ!」
朱里の手に、黒い靄が集まっていく。刀に頼った物理攻撃ではなく、朱里が本来持っている怨念。玲に対してはこちらの方が有効なはずだ。まずはさっさと玲を無力化し、その後に当初の作戦通り流凪を疲労させて斬り捨てる。もしかしたら玲に届く前に流凪によって怨念を掻き消されてしまうかもしれないが、朱里が今出来るのはこれだけだ。
「これでっ!」
「それで?」
「ヒッ!?」
収束した怨念を玲へと投げつけようとした、その瞬間、背後から聞こえた声に思わず跳び上がってしまう朱里。集中が乱れたせいで集めていた怨念が霧散し、空気中へと消えていった。恐る恐る振り向いた朱里の目に、自分を睨みつける玲の姿が入る。一瞬の間、集めた怨念に視線を向けたほんの僅かな時間で、もう玲は朱里の背後に移動していたのだ。流凪が怨念を掻き消してやるまでもない。こんな相手、どうやったって攻撃が当たる訳がない。
「それで、どうするのですか?」
「あ、あの……」
かつてないほど高速で朱里の思考が巡る。間違いなくこのまま戦えば負ける。どんな攻撃をしても玲には当てられないし、流凪には消されるだろう。この状況から生き残るには、絶対に戦ってはならない。目指すのは、優にやったのと同じ。玲に怨念を植え付け、暴走させること。それによって戦わずして勝利する。玲の中にどんな不満があるのかも分からない状況では、その結果がどうなるのか分からないというリスクはあるが、四の五の言っている場合ではない。それ以外に助かる道は存在しないのだから、やるしかない。
「ご、ごめんなさい。もう諦めるから……許してください……」
「はい?」
「封印を維持する人間を殺したりしないし、これから封印が解けたとしてもこの神社で大人しくするから……殺すのだけは、お願い……」
涙ながらに頭を下げて懇願する朱里。その涙は恐怖から自然と流れ出たものであり、そこに演技臭さはない。しかし、恐怖から命乞いをしている者との約束など、その恐怖の対象がいなくなったら反故にされるに決まっている。とても信用出来るものではない。とはいえ、少なくともこの命乞い自体は本気に見えるのは間違いない。
まさかこの言葉を信用して本当にここに放置して帰るとも思えないが、とりあえず流凪と話し合うべきかと考え移動する玲。朱里に背を向け、流凪の方へと歩いていく。その背に向け、今度こそ怨念を叩きつけてやろうと準備する朱里は、行動するその瞬間までバレないように頭を下げ続ける。背中越しに玲が歩く音を聞きながら、今か今かとその時を待つ朱里の耳に、流凪の声が聞こえてきた。
「ねえ、朱里ちゃん。不思議に思わなかったの?」
「え?」
「わたしが君の攻撃を避けてる間、全く攻撃しなかったことをさ」
確かに流凪は朱里の刀を避けるだけで全く攻撃してこなかった。余裕を持って避けていたので、一度二度、柏手を打つくらいは出来たはずだが、それもない。仮に流凪が手を叩いても、それで朱里を消し去ることが出来ないというのは実際にやって確定していたが、その音には朱里を苦しめる効果くらいはある。戦闘中に何度か手を叩けば、もっと楽に刀を避けることが出来たはず。しかし流凪は一度もそれをしなかった。
その理由に思い至った瞬間、大慌てで頭を上げた朱里は、まだ中途半端ながらも溜めた怨念を玲の背に向かって投げつける。
「じゃあね」
パンッと一つ、乾いた音が境内に響く。刀を避けながらずっと力を溜めていたその音は、朱里が飛ばした怨念を軽々と消し飛ばし、そのまま朱里自身をも飲み込んでいく。苦しみとも怒りとも聞こえる絶叫を吐き出しながら、全身から煙を噴き出し後退る朱里の体が少しずつ消えていく。
「あ、あああ、ああああああぁぁぁぁぁッ!!」
叫びと共に、最期の悪あがきとして刀を投げつけてくる朱里。その刀は、流凪に届くこともなく玲によって受け止められ、それを見ることも出来ないまま、朱里の体は完全に消滅した。




