第四十九話 流凪の実力とは
その場で一つ、柏手を打つ流凪。境内に乾いた音が響く。
「ぐッ……!?」
それだけで胸を押さえて苦しむ朱里。以前、小学校で対峙した幽霊よりも明らかに大きく苦しんでいる姿は、あの幽霊よりも朱里の力が弱いことを示している。当然だ。朱里は今、その本質たる怨念を優に移しているのだから。
「このっ……化け物。何で人間がこんな力持ってるのよ……!」
「化け物って。君よりは人間のつもりだけどね」
「フフ、でもざんねーん! これじゃ祓えませーん!」
間違いなく苦しんでいた朱里だったが、しかし本人の言う通り、消え去る様子は全くない。流凪としてもこれは予想外だ。完全に消え去るか、少なくとも存在が不安定になるくらいはするだろうと考えていたのだが。どうやら軽く手を叩くだけでは朱里を消し切るまでに何度必要か分からない程度には効き辛いようだ。
その原因は何なのか。答えは、少し考えるだけで出てきた。
「あー、そっか。気配が人間に近過ぎるとは思ってたんだよ」
「お、バレちゃった?」
「その器、人間として作ったんだね」
朱里の本質は怨念だ。怨念というのは人の心から生み出されるものであり、その基となったのは当然ながら人間だ。朱里はそれを利用し、自分の器となる肉体を人間そのものとして生成した。流凪の祓いの力は、怪異に対しては無敵とも言える強さを発揮するが、人間が相手では何の意味もなさない。もちろん本当に人間な訳ではない朱里が相手ならば苦しめる程度の効果はあるが、人間に近しいその肉体を消し去るならばかなりの力を込めなくてはならない。
「ただの人間だから、この体に大した力はない。でも、流凪ちゃんみたいな子が相手なら効果抜群でしょう?」
朱里の肉体は特殊な力を持たないただの人間だ。だが、そのせいで流凪の祓いの力に抵抗出来てしまう。朱里は最初から、流凪のような霊能者を相手にすることを考えていたのだ。体が怪異だから霊能者に祓われる。なら、人間にしてしまえば良い。そう考えて。
「フフフフ、で、これで本当に終わり」
上空に掲げた朱里の右手に、漆黒のオーラを纏った打刀が飛んでくる。妖刀として完全に覚醒した刀は見るだけで背筋が凍るような嫌な気配を撒き散らし、優に植え付けていた怨念を回収した朱里もまた、ただの人間ならわずかに吸い込んだだけで正気を失いかねない悪意の滲んだ空気を放出している。
「その刀……そっか、間に合わなかったんだね」
妖刀として目覚めた刀がここにあるということは、優はこの刀によって命を落としたのだろう。そうなる前に朱里をどうにかしたかったが、間に合わなかった。仮に優が生きている間に朱里をどうにか出来たとしても、それですぐに優が正気に戻る訳ではない。恐らく彼の死は既に確定していた。それでも、ここまで状況が悪化することはなかったはずだ。流凪としては、せめてこうなることだけは避けたかったのだが、本当に何もかもが手遅れだ。
「フッ!!」
「くっ、効かないってば!」
気合いを入れて両手を打ち合わせる流凪。それによってわずかによろめく朱里だったが、先ほどよりも明らかに通りが悪い。その体に本質である怨念が戻ってきたことで怪異として祓うことは可能になったはずだが、しかし単純に存在が強力になったことで一筋縄では祓えなくなってしまったようだ。それだけではない。その手に妖刀が握られたことで、負の意が増幅し合っている。その存在は最早、地域丸ごとにすら影響を及ぼすほどの大妖怪並。これを祓うのなら、並の霊能者なら数日かけて儀式を行わなければならないレベル。流凪でも片手間でどうにか出来る相手ではない。
「なぁーにがここからは暴力ぅーよ。力があるからって良い気になってノコノコ出てきたことを後悔させてあげるわ!」
「はぁー……」
刀を振ってニヤニヤと笑う朱里を見て、ため息一つ。そして、気合いを入れるようにトントンとつま先で地面を二度叩く。
「じゃあ、おいで。少し遊ぼうか」
「だから、良い気になるんじゃないわよッ!!」
刀を構え、走って距離を詰めてくる朱里。怨念が戻ってきたと言ってもその肉体が人間相当であることに変わりはなく、飛んだり転移したりなどといった異常な動きはしていない。が、それでもその動きは流凪に比べればずっと速い。数歩の距離など瞬く間に詰め、その手の刀を振り下ろす。
刀が空を斬る音
「え…………?」
何が起きたのか分からず、刀を振り下ろした姿勢のまま困惑の声を漏らす朱里。それを見ながら、軽くぴょんぴょんとステップを踏んで距離を取る流凪。ぽかんと口を開けていた朱里は、そんな流凪を見て更に困惑を深めていく。
「な、何で……何で避けてんのよ!」
「えー? 当たったら死んじゃうし」
「そんなこと聞いてんじゃない! どうして避けられるのかって言ってんの!」
困惑はいつの間にか怒りになり、耐え切れないというように流凪を怒鳴りつける。対する流凪はいつも通りのマイペースを崩さない。むしろどうしてそんなに興奮しているのかが不思議だと言わんばかりの態度で朱里を見つめており、それが更に朱里の怒りを煽っていく。
「どうしてって、避けられるから?」
「ぐぅぅぅぅッ!!」
要領を得ない流凪の回答に、我慢の限界を迎えたように再び突撃する朱里。数歩で距離を詰め、刀を振り下ろし、薙ぎ、斬り上げる。しかし、流凪はその全てをするすると流れるように避けていき、朱里が動きを止めるとまた数歩分の距離を取って向かい合った。
「あんた、運動は苦手なんじゃないの!?」
「え? そんなこと言った覚えはないけど」
「…………はぁ!?」
流凪が神社の近くに来る度、朱里はずっと流凪を観察していた。石段の前まで玲に運んでもらったり、石段を上る前に休憩していたり、流凪の体力がかなり低いことは分かっていたのだ。流凪はきっと運動能力に不安を抱えている。いくら朱里の肉体が人間相当だといっても、流凪よりは上だ。その上で刀まで持てば、流凪を一瞬で斬り捨てられるということに疑いようもないはずだった。
しかし、現実は異なる。何度刀を振り下ろしても、流凪はひょいひょいと軽く避けてしまう。その身体能力が予想より大幅に高く人外染みている様子もないというのに、何故か当たらない。これはどういうことなのか。何かズルでもしているのではないか。
「君には言ったことないけど、昔は色んな習い事をしててね」
「習い事……?」
「ピアノ、華道、茶道にダンス、習字に語学、数学。まあ他にも色んなことをやったものだよ」
「それが何だって言うの!?」
「水泳、ソフトボール、バスケットボール、サッカー、空手に柔道、ボクシング、フェンシングとか、あとは剣道、とかね」
「っ!? ま、まさか……」
「剣道は確か、師範に勝ったこともあったかな」
流凪は様々なことを経験してきた。そのどれも、一流以上の超一流と言われる領域に届いたことはない。だが、何に対してもそれなりの才能は見せたし、中には一流になれそうなくらいには優れた能力を発揮した分野だってあったのだ。もうまともに運動もしていない流凪の体力は衰えに衰え、少し悪路を歩くだけでも息が上がってしまうほどだが、今までやってきた経験がなかったことになる訳ではない。
「鍛えてきた訳でもない君ごときの剣、避けるのは訳ないよ」
そう言って、挑発するように右手をちょいちょいと動かして見せる流凪。その本質が怨念であるが故に煽りに弱い朱里は、怒りを顔に浮かべて再び刀を振り上げた。




