第四十六話 怒り
「先ほどもそんなことを言っていましたね。私の気配が異様だとか」
「そう、君の気配はおかしい。あまりにも薄すぎる。間違いなく人間じゃない」
「人間じゃないとは、おかしなことを。ほら、見てください。どう見ても人間ですよね?」
両手を広げて一回転する朱里。赤いリボンで結ばれた長い黒髪が鞭のようにしなりながら遅れて体の回転を追いかける。再び正面から流凪を見てニコリと穏やかに微笑む姿は、確かに本人の言う通り、人間の美人さんでしかない。だがそれに反論するために、気配が異様とか、こんな神社に人間が住める訳がないとか、そういう先ほども言った根拠を再びぶつけるのではなく、それらはとりあえず置いておいて、流凪が最初に口に出したのはあまり朱里には関係がなさそうな内容だった。
「こっちに来た初日、優君を見た時から気になってたことがあるんだよ」
「……優さん、ですか?」
「そう。彼もあまり普通の人間って感じの気配じゃなくてね」
初めて優に会った時、表面上は何でもないように装っていたが、流凪は最初から気をつけた方が良いと思っていた。優本人に自覚があるのかどうかは不明だったが、その気配はあまりにも常人とはかけ離れていたから。
「一言で言えば、彼の気配はまるで怨念の塊だった」
強い恨みや後悔、多大なストレスなど、過去にあった何らかの出来事によって負の感情が積もり、普通の人間でも異様な気配を纏うことはなくはない。しかし、優の気配はあまりにもそれが強過ぎた。悪霊が人間を装っていると言われれば納得してしまいそうなほどに濃い怨念は、怪異に対する絶対性を持つ流凪ですら警戒した方が良いかもしれないと思わせるほど。
「その後も彼と交流していると、どうにも彼の父親に問題がありそうだということが分かってきた。だから、まあ納得出来なくもないかな、とね。思ってはいたんだよ、一応」
それにしてはあまりにも怨念が濃いようには思えるものの、優が父親から強制されていた過酷に過ぎる鍛錬によって強いストレスを感じ、そのせいで通常とは異なる気配がするようになっていたのだ、と。一度はそう考えて納得したが、やはり違和感は拭えない。優に纏わりつく怨念は、個人から与えられるストレスによって発生するには大き過ぎる。実は何人か殺していて、その被害者の念が残っているのだと考えた方が分かりやすいレベルだった。
「そこで発生した殺人事件。被害者が勝君だったから、第一容疑者は優君だなと思ってはいたよ。静香ちゃんではやろうとしても実力差でやれないだろうし」
しかし、流凪はそこで優の方ではなく神社に向かった。当初の予定通り、何かあった時は神社と朱里を調べる。きっとそこに手がかりがあるだろうと信じて。
「そもそも、勝君が殺されてしまった時点で手遅れだったのかなって、今では後悔しかない。最初から優君に宿る怨念をどうにかしておけば、何か変わったかもしれないから」
勝の行方不明が判明する前日、流凪は優と話をしていた。あの時点で優は明らかに様子がおかしかったし、宿る怨念も僅かながら更に濃くなっていたように感じられた。恐らくもう勝を殺してしまった後だったのだろう。だが、流凪はそれを後回しにした。優はまだ正気を保っているように見えたし、下手に突いて余計に追い詰めたりする可能性も怖かった。無理矢理怨念を祓って、優の心に深く絡み付いたそれがなくなることで廃人になってしまう可能性もあった。出来ればゆっくり寄り添って、優自身の力で怨念を振り払って欲しかった。
流凪は怪異の専門家で、かかる時間は様々だが祓おうと思えば大概の怪異は祓ってしまうことが出来る。しかし、人間の心の専門家ではない。優への対応として何が正解だったのかなど、今でも何も分からない。
だが、分かっていることもある。
「さて、つらつらと話をしたけども。まず前提として、優君に宿っていた怨念は異常だ。普通あんな風にはならない。あの怨念は、大量殺人鬼でもなければおかしい」
もちろん可能性だけなら、優が大量殺人鬼であるというのもゼロではない。しかし、数日彼と交流した流凪の意見としては、それはないだろうと感じていた。彼は気が利かないところも多いが悪い人ではない。もし本性を隠していたのなら、あんな言動で流凪に迫ってくるのはおかしな話だ。もっと目立たないようにするべきで、その精神性は常人のそれであると思われた。
「そして、さっきも言ったけど朱里ちゃん、君の気配はおかしい。中からその本質が抜け出しているかのように希薄だ」
静香の気配も多少は薄くなっていたが、それでもまだ人間味があった。何か大切な物が抜け落ちた人間の気配は、明らかにその存在が消失に近付いているかのように薄くなる。声を失っていた静香ですら人間味があるというのに、朱里にはそれが一切ない。最早それは死人に近しい。朱里と比べれば、優の方がまだ普通の人間の気配だ。
「ここまで言えば、わたしが何を言おうとしているのか分かるでしょ?」
「…………いえ、分かりませんね」
「君の正体は、刀に残る怨念そのものだ」
朱里が語っていた妖刀の伝説が実際にあったことなのかは分からない。しかし、この神社に収められた刀によって多くの人が命を奪われたのは事実なのだろう。斬られた多くの人々の念が生み出した怪異。それが幸薙朱里という存在だ。恐らく人の心が基となっている怪異だからこそ、朱里の気配は人間に近しいそれであるのだろう。
「君の目的は田野山家の人々を殺すことだ。でも、ただの怨念である君にはその術がない。だから自身の本質、怨念を優君に植え付けた。彼ならきっと、怨念に影響されて父親を殺してくれるだろうと思って」
「何故、私がそのようなことを」
「この神社は妖刀を封じるためのものじゃない。君を、怨念を封じるためのものだ。君はこの神社から動けないんだろう。だから、その封印を維持する田野山家の人々が君には邪魔だった」
「なら、私が拝殿の鍵を持っているのはおかしいでしょう」
「いや、そんなことはない。何故なら、田野山家にももうこの神社の詳しい歴史は残っていなかったから。この神社の存在意義が、長い時の中で失われてしまったんだろう」
毎年この時期、封印の儀式のために明里一家はここに来ているようだが、この数日、儀式らしきことは何もしていない。儀式と言いつつ、田野山家の人間がただここに集まるだけ。一応はそれで封印が維持されてきたのだろうが、流凪には分かる。それでは年々封印が弱まっていくはずだ。だからこそ幸薙朱里のような存在が発生し、この神社内限定とはいえ動き回っている。
彼女は年齢を二十三歳だと言った。見た目など自由に変えられるだろう朱里がそんなところで嘘を吐く意味はない。きっと実際に二十三年前からこの神社にいるのだろう。子供の頃からこの神社で遊んでいるところを田野山家の人間に目撃させ、大きくなったらこの神社の巫女になると伝える。鍵の管理権など容易に手にすることが出来ただろう。
「タイミングを見て、わざと拝殿の鍵を開けたまま放置しておく。怨念に取り憑かれている優君が限界を迎えれば、勝君を殺せる武器として刀を求めてここに来るだろう。そこで偶然拝殿が開いていたら」
優は刀を手にし、勝殺害を実行に移す。その後に優がどう動くのかは誰にも予想出来ないが、流凪は家を出る前に気配で静香が殺されてしまったことを把握している。恐らく怨念を抑えることが出来なくなり、暴走しているのだろう。
「はぁ……よくもまあそこまで。……フフ、ウフフフ、せいかーい! よく分かったね、るーなちゃん♪」
ずっと朱里の顔に浮かんでいた穏やかな、優しそうな微笑みはもうどこにもなく、そこには嫌らしい歪んだ笑みが張り付いている。その体を覆う巫女服があまりにも似合わない、まるでわざとその服装を冒涜しているのかと思えるほどの嫌な表情。
「でぇ? だからどうするって言うの? もう遅いよ、流凪ちゃん。もう全ては始まっていて、そして終わったの」
「うん、そうだね。もう終わってしまった。何もかもが手遅れだ。だからまあ、被害者をこれ以上増やさないためっていうのもあるけど、ここからはわたしの憂さ晴らしも兼ねた、ただの暴力」
「え?」
「結構、自覚してるところもあるんだよ。段々わたしも人間から離れてきちゃったなってさ。感情も欲求も結構薄くなってるし、衝動も希薄。あんまりやる気が出ないから、多くの時間を眠って無駄に過ごしてる」
それでも
「最近お友達が出来てね。ちょっとだけ、気力が湧くようになったんだ。……フフ、君にも少しだけ感謝してるよ。こういう時、自分はまだ人間だって実感できる」
そう言った流凪の目は、怒りで吊り上がっていた。




