第三十九話 行方不明
夕食の時間になっても優たち三人は戻ってこなかった。いつ帰ってくるのかも分からない人たちを待っているのも、ということで、先に食べてしまうことに。夕食を終え、また一緒に風呂に入ろうと流凪を誘う希美だったのだが。
「ゴメンねー。今日は一人で入ってー」
そう言って、やっと雨が止んで静かになった、少しずつ暗くなってきた外へと足を向ける流凪。それをこの上なく残念そうな顔で見送って、希美は風呂場へと続く扉を開けた。三日目にしてそろそろ慣れてきた頃、今日こそは気絶せずに流凪との風呂を楽しもうと気合いを入れていた希美だったが、残念ながらそれは叶わなかった。だったら明日こそ、と更なる気合いをみなぎらせ、一人怪しく笑いながら湯船に体を沈める。
一方、そんな希美を放置して流凪が向かったのは、道場だった。ガラリと扉を開けて中を覗けば、床の所々に点々と水滴が落ちている。そんな道場の中央に、大の字で倒れ込む優の姿があった。床に寝転ぶ優の周囲は水浸しになっており、その量は昨日よりも更に増えているように見える。この全てが汗なのだとしたら、一体どれだけの練習を行っていたというのか想像も出来ない。
「…………ん、ああ、流凪ちゃんか」
道場の扉が開く音に緩慢に反応した優は、顔だけを動かして入ってきた流凪を見る。気だるげを通り越して無気力にすら見える優は、普段の無駄に元気な姿とのギャップも相まって別人にすら思えた。
「何か用か?」
「もう他の皆はご飯食べ終わっちゃったよ」
「ああ……そんな時間か。サンキュー、もう少し休んだら行くぜ」
床に倒れる優は全身がびしょびしょではあるが、呼吸は普通だ。それなりの時間こうして休んでいて、かなり息も整ってきているところなのだろう。本人の言う通り、もう少し休んだら夕食に向かうことが出来そうだ。そのことにとりあえず安心したようにホッと一息。そして、キョロキョロと道場を見渡して、入ってきた時から気になっていたことを優に尋ねる。
「優君一人?」
「……ん、ああ、親父は結構前に出てったきり戻ってきてないぜ。どれくらい前だったかって聞かれると……ちょっと分からん」
分からないくらいには前ということだろう。優は食事の時間も忘れるくらい練習に集中していたようなので、勝がどれくらい前にいなくなったのか分からなくても仕方がない。
「静香ちゃんは?」
「し、静香ちゃん? お袋は……さあな。ここには来てないと思うが、でも気が付いたらいつの間にかいる人だからな。実は来てたかもしれん。それも分からん」
静香は失語症によって練習中の優に声を掛けることも出来ない。集中している優に、その存在を把握するのは難しかっただろう。それも仕方がないことだ。ここにいないということは恐らく、勝と共にどこかに行っているのだと思われるが、こんな時間までどこで何をしているのだろうか。夏で日が長いとはいえ、外はもうすぐ真っ暗になる。月明りと僅かな街灯だけが周囲を照らすようになるこれからの時間、あまり外出に向いているとは言えない。家に食事も用意してある。普通に考えるのなら、すぐに帰ってくるはずだが。
「……んー」
「どうした?」
何かを考えるように目を閉じ天井を見上げる流凪。そのまましばらく唸っていたかと思うと、目を開けてキョロキョロと道場内を見渡す。その後、やっと上体を起こして座る姿勢になった優へと目を向けた。じーっと、穴が開くほど真っ直ぐに見つめてくる流凪に対して、どこか気まずそうに目を逸らす優。その反応にまた流凪が唸り始める。これまでの優なら、流凪がじっと見つめてきたりしたら喜んで見つめ返してきそうなものだ。むしろニッコニコでまた告白でもしてくるのではないだろうか。しかし、今の優は見つめ返すどころか目を逸らした。
「優君、何かあった?」
「何かって?」
「さあ、分かんないけど、何かあったかなって」
何を聞きたいのかもよく分からない、曖昧な流凪の質問。それもそのはず。流凪本人すら何を聞けば良いのかよく分かっていないのだから。しかしそれでも聞かずにはいられなかった。あまりにも優の様子がおかしいから。何があったのかは何も分からずとも、何かがあったことだけはきっと間違いないのだから。
「いや、別にいつも通り練習してただけだぜ。まあいつもよりちょっとキツかったか? それくらいだな。特別なことは何にもないと思うぜ」
「そう」
しかし優は何も答えない。いつも通りだったと、それだけ。流凪はその返答に、納得いかないという表情で、分かったと一つ頷いた。そんな訳がない、何かがあったに決まっている、などとここで言って詰め寄ったところで、きっと優は何もなかったと繰り返すだけだ。そんな問答に意味はなく、ただ無駄に互いの体力気力と時間を使うだけ。
「じゃあ、早く晩ご飯食べにおいでよ」
「おう」
それだけ言葉にして、流凪は道場を後にする。確かに優の様子はおかしいが、それは今すぐ聞き出して解決しなければいけないということもないはずだ。この後も三日と少しの間この家で過ごすのだから、ゆっくり話を聞けば良い。
だから、今は無駄に追い詰めたりしないように誤魔化されたふりをして、またタイミングを見て同じ話題を振ってみれば良い。
ここで、無理矢理にでも話を聞き出して解決しておけば良かったと、そう後悔することになるとも知らずに
流凪は、道場を後にした。
翌日、未だ雨の影響で地面がぬかるんでいる日。そこかしこに水たまりが点在し、気をつけなければすぐに足を滑らせてしまいそうなくらいには地面の状態が悪い。しかし空は晴れ渡り、日差しの中でセミがうるさいくらいに騒ぎ立てている朝。湿度の高い不快な空気の中、家の中をドタドタと走り回る足音で叩き起こされた流凪は、一体何事かと未だ半分くらい眠っている目で周囲を見渡した。
「あ、流凪ちゃんおはよう」
「んー、おはよう、希美ちゃん」
普段なら寝起き流凪をしばらく堪能して怪しげな笑みを浮かべそうな希美だが、今はどうやらそんなことをしている余裕もないようで、流凪がしっかり話を聞いているかどうかも確認せずに続けて口を開いた。
「勝おじさんと静香おばさんがいないの。流凪ちゃん、どこに行ったか知ってる?」
どうやら勝と静香が昨日からずっと帰ってきていないらしい。静香はお茶を受け取らずにどこかへ行ったきり、勝に関しては朝に恐らく道場へ行ったきり姿を見ていない。優はあの後、もう寝ようと流凪たちが布団に入る頃になってやっと帰ってきたが、勝と静香は少なくとも流凪が眠るまでの間には帰ってこなかった。それ以降、全員が眠っている中で一度帰ってきた可能性はもちろんあるが、昨日から誰も姿を見ていないようだ。
全員で家の中を隈なく探しても居場所のヒントすらなかったので、これから外に探しに出ようとしていたところだったらしい。やっと目が覚めてきた流凪が希美と共に玄関まで行くと、今まさに出発しようとしている春希と佳奈美、それを見送る佳子と玲の姿があった。
「ああ、おはよう流凪さん。申し訳ないのですが、我々はこれから勝さんたちを探しに向かいます。土地勘のある我々があちこち見て回りますので、流凪さんと玲さんは裏山の方を見てきていただけませんか」
「おっけー」
「ありがとうございます。行くよ、希美」
「あ、うん、分かった。じゃあ行ってくるね、流凪ちゃん」
急いで家を飛び出していく希美、春希、佳奈美を見送った流凪は、佳子に見送られながら玲と共に裏山へと出発した。用意されていたココアを飲み干して、パンをモグモグ齧りながら。




