第三十三話 ご近所案内
優との間に入り込んできた玲の背中を、希美は少し意外そうな目で見つめる。
(プールでは放っておいて大丈夫って言ってたのに)
以前プールに行った際、玲は浮き輪の上で眠り始めてしまった流凪を放置したまま移動していたことがある。心配して流凪の方へ行こうとした希美に対して放っておいて良いとわざわざ発言していたので、うっかりなどではなく理解して流凪を放置していたのは確実だ。だというのに、今は大慌てで流凪と優の間に割り込んできて優を睨みつけている。プールの時と今とで何が違うのだろうか。そう考え、じっくり考える必要もなく結論が出た。何故なら、目の前に流凪に手を出しそうな馬鹿がいるのだから。
(危ない人が来てるかどうかの違いかな、多分)
実際にそうかは分からないが、希美の中ではそういうことになった。
「だ、だったら、まずは交友を深めようじゃないか! どうだ、俺にこの辺りを案内させてもらえないか」
はっきり断られたというのに諦めがつかないらしい優は、これから仲良くなっていけば流凪の返答も変わるに違いないと考えたようだ。この辺りを案内するという名目でデートをして、少しでも流凪のことを知ることから始めることにした。当然、そんなことを玲が許す訳がない。優の言葉が切れたかどうかくらいのタイミングで食い気味に口を開く。
「ふざけているのか。そのようなこと」
「いいよー」
「お、お嬢様っ!?」
「よっしゃあああぁぁぁッ!!」
が、玲の努力もむなしく、流凪のマイペースが発動。恋人にはなれないけど案内してもらうくらい良いかなーという浅はかな考えにより、優の提案は承諾されてしまった。
「だったら早速行こうぜ!」
善は急げとばかりに出発を促す優だったが、希美も玲もそんな優に呆れた視線を向ける。流凪は何も気にせず優について行こうとしていたが、その動きも玲が肩に乗せた手によって制止された。
「お兄ちゃん……そんなんだからモテないんだよ」
「女性に何の準備もさせないまま外出させようとするなど、信じられん。やはりお前のような奴にお嬢様を任せることは出来ん」
「お、おう……そりゃあ、申し訳ない……」
こういった男女の機微のようなものには疎いだろう希美にすら当たり前のように指摘され、流石に少し勢いが弱まった優。実際のところ、ここまで来るのが既に外出のようなものなので外出準備は大体完了してはいるのだが、まあ女性に準備時間を与えないのがよろしくないというのは間違いない。しっしっと追い払われるままに先に外に向かった優を放置して、希美は玲と相談を始めた。
「それで、本当にデートさせるんですか? 絶対に止めといた方が良いと思うんですけど」
「確かに止めておいた方が良いのは間違いないのですが……我々がいない時に勝手にお嬢様に声を掛けられるのも面倒なので、ここは我々も同行するという条件で許可しようかと」
もし玲も希美もいない時に流凪が優にデートに誘われれば、何も考えずについて行ってしまうことは想像に難くない。それだけは絶対に避けなければならないと考えている玲としては、今なら自分が同伴出来るのでまだマシだという結論を出した。
「もし実際に手を出そうとしてくれれば、それを理由に捻り潰すことも出来るので。一度やらせてみましょう」
「そっ、そうですね」
希美自身も流凪に手を出すなんて許さないと考えてはいるが、それとは比較にならないほど恐ろしいことを考えている玲に若干引き気味になるのだった。
「それで、案内ってどこに行く気なの、お兄ちゃん。この辺りに見て楽しいところなんてそんなになくない?」
準備を終えて家から出てきた流凪たちに対し、何か変わったのかとデリカシーのないことを問いかけた優が更にボコボコに言われるなどという一幕を挟みつつ、出発した一行。前に流凪と優、後ろに希美と玲という並びで移動を開始したが、辺りには田んぼが並ぶばかり。山の中なので上り下りが激しい道路は遠くまで見通すことも出来ず、田んぼの向こうには木が立ち並ぶだけ。確かに流凪と玲にとっては珍しい景色ではあるが、だからといってそれを見るだけで楽しいかといえば別の話だ。
「ふふん、まあ任せろって」
何やら自信があるらしい優は、流凪の一歩前に出てズンズンと道路を歩いて行く。歩幅の大きい優の歩きは当然ながら相応に速く、この中で最も背の小さい流凪は優の倍近い歩数を使ってトテトテとついていくことになる。その姿を後ろから見ている希美と玲はやはりこいつは駄目だという思いを強くしつつ、注意のために口を開いた。
「おい、お嬢様が歩く速度に合わせることも出来んのか木偶の坊。自己満足に付き合わせたいだけならばもう帰るぞ」
「ちょ、ゴメンって。俺だってこういうの初めてなんだよ。大目に見てくれよ」
「大丈夫だよー」
「流凪ちゃん優しいぜ……! やっぱり付き合って」
「それはダメー」
「ぐはっ!?」
わざとらしく胸を押さえつつも歩を進めた優が、重大発表のように両手を広げて背にした建物を流凪たちに紹介する。
「ジャーン! 見てくれよ、ここ、最近こんなパン屋が出来たんだぜ! 美味そうな匂いがしてくるだろー!」
それは、よく見るコンビニ程度の大きさのパン屋だった。確かに優の言う通り、美味しそうな良い匂いが漂ってきてはいるのだが。
「ふんふん、それで?」
「え? それでって?」
「え?」
「んん?」
紹介されたパン屋を見て、そのパン屋が一体どのように優れているのか説明を待つ流凪だったが、まさかの追加情報一切なしという優に流石の流凪も困惑の表情。
「はぁ……お兄ちゃん、パン屋なんてわたしたちが普段暮らしているとこにはいくらでもあるよ……」
「な、なにぃ!?」
どうやらこの辺りではこういうパン屋は珍しい、というか初めて出来たらしく、地元民的にはかなりの見どころだったようだ。が、もちろん流凪たちが普段生活している街にはそういうパン屋がいくつかある。パン屋としての建物も複数あるし、スーパーなどの中にはパン屋が入っていることが多いため、数えるのが面倒なくらいには近場にパン屋があるだろう。優は生まれてから今まで地元を出たことがなかったため、そういう常識を知らなかった。ネットを活用する自分は最先端を生きていると思っていたくらいだった優としては、あまりにも衝撃的な事実に震えることしか出来ない。実際のところ、優がネットを使用するのはたまにある暇な時間に動画などを見る時くらいなので、世の中の常識を知ることに対しては一切役立てられていないのだが。
「じゃ、じゃあこのコンビニは? ほら、ここにもあるのに、あっちの方にも見えてるんだぜ。すごいだろ?」
「いや、コンビニなんて並んでることもあるよ……」
「ならこれはどうだ。こんな洒落たカフェはあんまりないだろ?」
「あ、こういうのこっちにも出来たんだ」
「ほら、スーパーだ! 最近ちょっと大きくなって品ぞろえが良くなったんだぞ!」
「うん、そうだね。ウチの近くのスーパーはこの倍くらいの大きさがあるけどね」
「はぁ……結構難しいんだな……」
スーパー内のアイス屋で優に買ってもらったチョコチップアイスをスプーンで口に運んで美味しそうにニコニコしている流凪に頬を緩めつつも、意気消沈した様子が隠し切れない優。このデートもどきで流凪が笑ってくれたのはこれが初めてだ。自分が案内した場所を希美にひたすら否定されたこともあり、元気が取り柄みたいな性格の優としても流石に堪えたようだ。
「もう、仕方ないなぁ……」
希美としては全く間違ったことを言ったつもりはないし流凪との仲を応援する気もないので、優がどれだけ落ち込もうとも励ましてあげる義理もないのだが、流石に少し可哀想かなという希美の善良さが出た結果、ちょっとしたアドバイスをあげることにした。
「こういう最近出来たものとかは絶対わたしたちの街の方が進んでるからさ、昔からあるものの方が新鮮に映るよ、きっと」
「昔からあるもの……」
希美の言葉に真剣な表情で考え込む優。昔からあるものと言われても、そういうものは地元民からすればあって当然のものなので、すぐにはこれというものが思いつかない。そのまま、流凪がアイスを食べ終わる直前くらいまでじっくり考え、やっと絞り出した優の答えは。
「じゃあ、とりあえずウチの裏山の神社にでも行くか」
地元民なら誰でも知っている、しかし敢えて普段から行くような場所でもない神社だった。




