第三十二話 狂乱の従兄
森と田んぼばかりの景色の中にポツリポツリと建物が見える道を走り、春希が運転する車が入っていったのは広い庭だった。ドーナツ状に砂利道があり、中央のドーナツの穴にあたる部分には花壇がある。花壇にはヒマワリが何十本も並んで太陽を見上げていた。
そんな庭の端。何もない開けたスペースに、無造作に車を止める春希。車から降りると、流石にヒンヤリとまでは言えないものの、それなりに快適な気温が出迎えてくれる。何より、空気が澄んでいて心地良い。気温以上に過ごしやすく感じられる空気は、標高が高いからか自然に囲まれているからか。流凪と玲には初めての感覚だが、これが空気が美味しいという感覚なのだろう。
最初に目に入ったのは、庭を見渡せるように出来ている縁側だった。
建物の中と庭とを隔てるはずの大きな窓は開け放たれ、入ろうと思えば誰でも勝手に入れてしまうようになっている。中を見ると、板張りの縁側の向こうに畳が敷き詰められており、その更に奥には松の絵が描かれたふすまが閉じられていた。建物は全体的に古き日本を感じる木造建築に瓦屋根の平屋。木目そのままの外壁が、その建物の歴史を感じさせる。
「来たよー!!」
佳奈美が大きな声でその建物の中へと呼びかける。扉の横にはちゃんと呼び鈴もついているようだが、それを押しはしないらしい。ほどなく、真っ白な髪の花柄スモックに紺色のもんぺ姿の老婆が縁側に出てきた。
「おかえり、よく来たね。おお、そっちの可愛らしい子が希美ちゃんのお友達だね」
「そうそう。流凪ちゃんね。こっちはメイドの玲ちゃん」
「よろしくー」
「お初にお目にかかります、玲と申します」
「うんうん、二人とも良い子だね。希美ちゃんも、ゆっくりしておいき」
「うん、ありがとう、おばあちゃん」
希美の祖母、佳奈美の母、田野山 佳子だ。腰はやや曲がっているが弱々しい雰囲気はない。夫はもう何年も前に亡くなってしまったが、子供や孫の存在を支えに気落ちすることなく花壇や田んぼ、畑の世話をしながら生活している。
「兄さんたちは?」
「買い物に出てるよ。もう少ししたら帰ってくるんじゃないかねぇ。とりあえず、上がって待てば良いよ」
この家には佳子の他に、佳奈美の兄夫婦とその息子が暮らしている。そちらにも挨拶をと思った佳奈美だったが、どうやら今は三人とも出かけているらしい。ならば仕方がない。佳子が勧める通り、家の中で待たせてもらおう。そう判断して中へと入っていく。佳奈美に続いて春希、そして希美と流凪、玲も中に入る。
その建物の構造は、流凪たちが普段暮らしている家とは異なっていた。
まず、流凪たちの家は基本的に開き戸、蝶番を軸に押し引きして開閉する扉によって部屋が区切られているが、この建物の扉はその多くが引き戸、学校の教室のように左右にスライドして開閉する扉だ。玄関と中を隔てる扉はふすまではないがやはり引き戸で、濁ったガラスがはめ込まれた扉が開かれている。部屋もその多くが畳敷きだ。廊下やダイニングはフローリングだが、それ以外の部屋は畳が敷き詰められており、リビングと思われる部屋には掘りごたつもあった。水道からは山の水が出てくるらしい。手を洗うだけではその冷たい水が普通の水道水と何が違うのかよく分からないが、何となく特別感がある。
「で、あとはこのふすまを開けると仏壇がある部屋があって、って感じかな」
「ほー」
希美がこの家の案内として最後に流凪を連れて行ったのは、外からも縁側ごしに見えた畳の部屋。十畳ほどのその部屋には隅に座布団が積まれている以外に何もない。その部屋を横切って、奥のふすまを開けると、先ほどの部屋と同じくらいの広さの畳敷きの部屋が再び顔を出す。その部屋の奥には、希美が言うように仏壇があった。中央に仏壇、その左にはよく分からない文字が書かれた掛け軸があり、右手側のふすまの上には顔写真が何枚も飾られている。恐らくこの家のご先祖様たちだろう。白黒のその写真には年老いた男性の顔もそれより少し若い男性の顔も、幼い子供の顔も飾られている。
「とりあえず仏壇に手を合わせておこっか」
「うん」
希美が仏壇の前の座布団に座って手を合わせて目を閉じる。その姿をチラリと見て、流凪も同様に手を合わせた。口ぶりからして、きっと希美は仏壇に手を合わせる意味もよく分からないままやっているのだろう。それでも、何となくでも面倒に思わずそれを出来るというのはきっと小学生の子供としては良い子に入るのかもしれない。
「よし、案内終わり。じゃあどうしよっか、流凪ちゃん」
「んー、そうだなー」
家の案内が一通り終わり、何をして遊ぼうかとワクワクしながら流凪の言葉を待つ希美。この場所なら流凪よりも自分の方がよく知っている。流凪には新鮮に映る物ばかりのはずだ。きっと自分でも楽しませられるはずだと、希美は流凪がやりたいことを言ってくれるのを今か今かと待ち構えている。道中の車内のように流凪がはしゃぐ姿を思い浮かべ、その愛らしさに希美の頬が紅潮し始めた、その時。
「ただいまー」
玄関からそんな声が聞こえてきた。
「あ、伯父さんたちが帰ってきたみたい」
買い物に出ていたという三人が帰ってきたようだ。玄関からの声を聞いた希美は、どうにも微妙そうな表情を浮かべている。苦手、というほどではないが、そんなに好きな相手ではないのかもしれない。流凪と遊びの計画を立てている最中であることも相まって、なかなか不機嫌そうだ。
そんな希美の状態を知ってか知らずか、玄関からの足音が一つこちらへと向かってくる。ドタドタとやかましいその音が近付いてくるにつれて、段々と希美の落ち着きがなくなっていき、流凪とふすまへ交互に目を動かしてはどうしようか悩んでいるようだ。最終的に流凪を背にかばうような体勢に移動したところで、パンッと勢いよくふすまが開き、そこから一人の男性が現れた。
「おお愛しの妹よ! よく来たな、お兄ちゃんは嬉しいぞ!」
「はぁ……はいはい、相変わらず元気そうだね、お兄ちゃん」
お兄ちゃん、などと言っているが、もちろん彼は希美の兄ではなく従兄だ。白いタンクトップに灰色の作業着のズボン。作業着の上着を腰に巻き付けている、二十歳前くらいに見える若い男性だ。百九十近くあるように見える高身長の体はとても鍛えられているのが見て取れる。筋骨隆々という表現が似合う若者で、角刈りにした短い黒髪に暑苦しい笑顔の、なかなか希美の親戚とは思えない存在感のある男だ。
「流凪ちゃん、この人はわたしの従兄で、優さんだよ」
「おー、よろしくー」
希美の背中からチラリと顔を覗かせ挨拶する流凪。その姿を見た瞬間、優の目がカッと見開かれる。
「お、おおおおおぉぉぉぉッ!! 何だこの愛らしい幼女はッ!!」
「流凪だよー」
「か わ い す ぎ る ッ ! !」
天井を見上げてグッと両手を握り締めて叫ぶ優。流石の流凪もここまで劇的な反応をされたのは初めての経験だ。マイペースな流凪でも、珍しく足でトントンと床を二度叩いて落ち着かなそうにしている。希美はどうやらこうなるのが分かっていたからあんな反応をしていたようだが、流凪としてはこの新鮮な反応はなかなか面白いと感じられた。
「ちょっとお兄ちゃん! 流凪ちゃんはこう見えて二十三歳なんだから、失礼なこと言わないでよね!」
「なん……だと……っ!? 合法ロリ、実在したのか……っ!?」
そんな優の騒ぐ声を聞きつけたのか、見失いそうなほどの速度で玲がやってきて優と流凪の間に割り込んだ。以前の事件の際に蛇田雄に向けていたほどではないものの、とても人を見るものとは思えない視線を優に向けて冷え切った声で警告する。
「お嬢様に手を出したら、殺す……!」
「おお、メイドさん。良いね!」
しかしそんな射殺さんばかりの視線を受けても何ら動じた様子のない優。むしろグッと親指を立てて玲を歓迎する姿勢すら見せる。
「心配しないでくれ。俺はこう見えて紳士だ。イエスロリータ、ノータッチの精神は決して忘れないぜ! それはそれとして合法なら話は変わる。流凪ちゃん、俺と結婚を前提に付き合ってくれ!」
「ごめんねー」
「そんなああああぁぁぁぁッ!!」
田野山優、十九歳。出会って僅か一分で玉砕。その涙は滂沱の如しであった。




