第三十一話 希美母の実家へ
ピンポーン
インターホンの音が鳴った瞬間、希美は玄関へと駆けだした。黒シャツにデニムショートパンツという活動的な服装でいつでも出発出来る準備を整え、今か今かと待っていたのだ。ガチャリと扉を開けると、そこにはいつもと変わらぬフリフリの服を着た可愛い友人がいた。
「いらっしゃい、流凪ちゃん! 玲さんも!」
「やっほー」
「お邪魔いたします、希美さん」
希美に手を引かれるままに流凪が家の中へ入っていく。正面に階段や奥への廊下を見つつ靴を脱いですぐ左手側の扉を開けると、そこはリビングダイニングキッチン。テレビがあってソファがあって、テーブルに椅子が三脚あって、そしてキッチンが奥に見える大きな部屋だ。全体的にベージュの落ち着いた色合いの部屋は温かみが感じられるが、今はそれよりもエアコンによって冷やされた室温が気持ち良い。
室内には二人の人物が待っていた。
一人は、希美を少し大人にして身長を縮めたらこんな感じ、という見た目の女性だ。身長は百五十に届かない程度。希美より少し暗めの肩くらいまでの茶髪で、小学校高学年の子供がいるにしては若く見える。何よりも、希美と同じように垂れたその目が血の繋がりを感じさせる、白いシャツにふわりとした黒いキャミワンピースで、柔らかい印象の可愛らしい雰囲気の人だ。
もう一人は、百八十を軽く超えていそうな長身の男性だ。女性と似た茶色い短髪に細身で引き締まった体。穏やかに微笑む表情からは優しさが感じられ、ただの白シャツとジーパンが雑誌からそのまま取り出した着こなしのように見えてくる。全体的に、イケメン、という雰囲気の人だ。
並んで立っていると親子かと思えるこの二人が、希美の両親。母の佳奈美と、父の春希だ。佳奈美は役所勤めの公務員、春希は自動車部品メーカーで若くして課長を務めている、夫婦共にそれなりの稼ぎがある共働きで、明里家はなかなか裕福な家庭だ。だからこそ大切な一人娘には安全に学校に通って欲しいと思い近所の私立校へ入学させた訳だが、まさかそれがあんな事件に巻き込まれるなどあまりにも予想外の事態だった。一週間もの長い期間を佳奈美の実家で過ごすこの行事は毎年の恒例だが、今年に関しては一度遠くへ行くことで希美の気分転換にもなれば良いという狙いも含んでいた。
だからこその、流凪の同行である。
希美が流凪といつ友達になったのか、それは実際のところ両親からは分からない。希美の口から流凪の存在が明言されたのは今回の事件が発生してからのことだからだ。しかし、両親は希美に友達が出来たその日を正確に把握していた。急に嬉しそうに学校に通うようになり、スマホを何度も確認するようになり、スマホを見てはだらしなく笑うようになり、何かに悩むことが増えて。そして友達とプールに行くなどと言い出したのだ。間違いなく大切な友達が出来たのだろうと、最初から予想出来ていた。この友達はきっと希美にとって何よりも重要な存在であり、一緒にいるだけで幸せな相手なのだろう。この旅行が希美にとって少しでも良いものになってくれれば。両親はその一心で、流凪に同行を頼むことにしたのだ。
ちなみに、最初はもしかして彼氏でも出来たのかという可能性も疑っていた。希美の表情は恋する乙女のそれに近かったためだ。今回の事件に際して、流凪についての詳細が希美の口から語られたことで、大切な友達なのだろうと理解するに至った訳だ。
「あなたが流凪ちゃんなのね。カワイイー!」
「初めまして、希美の父です。希美と仲良くしてくれてありがとう」
「よろしくー」
「メイドの玲と申します。よろしくお願いいたします」
挨拶をしつつ、玲は希美の両親を観察する。流凪の可愛さに騒ぐ母親の方はいつも通りの反応として、父親の方。最初に一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、その後は動揺した様子もなくごく普通の挨拶をしてきた。流凪との初対面でこのような立派な大人としての対応が出来る人間はそう多くない。
(信用しても良さそうですね)
もし希美の父親に僅かでもロリコンの気があったら流凪に出会うことで碌でもない結果になりかねないと思っていた玲だったが、どうやらその心配はなさそうだ。最悪、この直前のタイミングでも断る選択肢は持つべきだと考えていたものの、杞憂に終わりそうでなによりである。
「妻の実家にはここから車で二時間半ほどかかります。山道なので曲がりくねった場所も多い。お二人は車酔いは大丈夫ですか?」
「大丈夫だよー」
「はい、問題ありません」
「それは良かった。では、早速ですが向かいましょうか」
春希が運転するマッシブグレーの五人乗りSUVに乗り込み、目的地への移動を開始した。
運転席に春希、助手席に佳奈美、後ろに左から希美、流凪、玲の順で座り、車は走る。最初は普段通りの街中の景色で、片道二車線で周囲に建物がいくらでもある道を走っていた。同じように走行する車も何台もあり、信号で度々停止する。それがいつしか、どんどん周囲から車がいなくなっていき、建物もほとんど見なくなり、信号が減っていった。車線が片道一本になり、しばらくするとそれすらなくなってすれ違うにはどちらかが路肩に寄せて止まらなくてはならないような細い道へと変わっていく。その道自体もぐねぐねと曲がりくねっており、目の前のカーブの先がどうなっているのかが見えない。景色は崖、森、川、そんな自然が溢れている。
「ひゃー!」
「あはははっ!」
そんな曲がりくねった道を進む車内では、流凪と希美の歓声が上がっていた。車が曲がる度に遠心力で体がどちらかへ持っていかれる。そうやってぐわんぐわんと振り回される感覚が子供には楽しいのだ。流凪が子供なのかどうかはとりあえず置いておいて、多くの場合に物静かな方である希美も家族の前では年相応の子供。車に振り回される感覚を楽しみ、その度に隣の流凪とぶつかっては笑っていた。こうなるとシートベルトがわずらわしく感じられてくるが、玲が横から目を光らせているので外すことは出来ない。
「スゴイぐにゃぐにゃだねー」
「流凪ちゃんはこういう山道は初めて?」
「うん。こういうのも楽しいねー」
「良かった。あっちは涼しくて過ごしやすいから、楽しみにしててね」
車内はエアコンで快適な気温に保たれているが、目的地も快適なようだ。それはそうだろう。周囲は自然ばかりで涼しく感じられるというのに、標高も高いので気温自体も低くなる。エアコンが不要なレベルで快適になるはずだ。ただし、その代わりに虫が多くなる。特に夏で肌が出た服を着ている場合、虫よけは必ず用意しなければならない。街中ではなかなか見かけないような虫もいるため、注意が必要だ。
流凪と玲は、何故この旅行に呼ばれたのかを聞いていない。確かに希美と仲良くはしているが、だからといって祖母の家にまでついていく友達というのもなかなかいないだろう。きっと何か理由があるのだろうなとは思いつつも、それを言ってこないということは気にしなくても良いということだろうとも思っている。流凪と玲は今のところ、この旅行をただ単純に楽しむつもりでいた。もちろん、希美の友達として来ているので、希美を放っておくことはないという前提ではあるが。
建物もほとんど見られないただの山道を通り抜け、少しずつ民家や商店が見え始めた。そろそろ希美の家を出発して二時間半になる。予定通りなら、目的地は目の前のはずだ。




