第二十四話 対峙する幽霊
秋子と奏が離れていくのを見送り、目の前に浮遊する幽霊へと向き直る流凪。幽霊は襲ってくるでも秋子たちを追おうとするでもなく、ただその場にふわふわと浮かんでいる。ただにらみ合っているだけの状況。怪異の類が相手なら無敵だと言い放った流凪だったが、しかし思ったよりも楽な相手ではないと感じていた。
(あれで祓えないとはね)
本当は、先ほどの柏手一つで祓って終わらせてしまうつもりだったのだ。実際、流凪の柏手は並の怪異なら一撃で消え去る祓いの技であり、幽霊などという存在が安定しない相手ならば確定で消し去ることが可能であるはずだった。だというのに、目の前の幽霊はわずかに苦しんで後ずさっただけ。ただの幽霊と言うには明らかに存在が固定され過ぎている。
「何か嫌なことでもあったのかな?」
声を掛けてみるが当然反応はなし。しかし、恐らく間違いないだろう。この幽霊を活性化させる何かがあったのだ。何か強い恨みや心残りのせいでこの学校に地縛霊のような存在として取り憑いているこの幽霊が、その心残りを強く思い出すような出来事。この幽霊が予想通り、秋子が話していた強姦されて自殺した少女だとすれば、大体その内容は想像出来る。生前、強姦された時のことを思い出すような出来事があったのだろう。
(もしかしてこの学校、希美ちゃんたち四人以外にも誰かいる?)
流凪はその怪異に対する能力を応用し、周辺の気配を読むことにも長けている。しかし今は、目の前の幽霊の存在感が大き過ぎて、他の気配が全く分からなくなってしまっていた。離れていく秋子と奏の気配でギリギリ。希美、凜々花、玲の気配はよく分からない。もし彼女ら以外に誰かいたとしても、その存在をこの場所から把握することは難しいだろう。十中八九、希美たちを襲おうとする男がどこかにいるのだろうという予想は出来るが。
(ま、仕方ない。そっちは玲に任せよう)
変態ロリコンの前に自分が行っても面倒なことになりそうだという合理的な考えにより、その正体不明の男性は玲に任せることに決めた流凪。まずは目の前の幽霊をどうにかして、のんびり合流することにしよう。そう考え、改めてこの幽霊をどうしようか考えようとした、その時。
「きゃあああああぁぁぁぁっ!?」
「奏っ!!」
この場から逃がした奏の悲鳴が聞こえてきて、慌てて振り返る流凪。すると、突き当りの扉から無数の白い腕が伸びてきて奏を捕らえ、その扉へと引きずり込もうとしているのが目に入った。奏と繋いでいた手を放さないように必死に掴む秋子だったが、足元が液体で滑る中では踏ん張ることも難しい。足を滑らせた拍子に手が離れ、そのまま奏は扉の中へと連れ去られてしまった。バタンッと音を立てて勢いよく扉が閉まる。
「奏! 奏ぇ!!」
連れ去られてしまった奏を取り戻そうと、慌てて立ち上がり扉に向かって駆け出そうとする秋子。しかし、それをさせる訳にはいかない。秋子がその扉を開けようとしても、開かないか奏と同様に閉じ込められるかの二つに一つ。
「秋子ちゃん駄目っ! 奏ちゃんはわたしが何とかするから、下に行って!」
「でもっ!!」
「秋子ちゃんじゃ何も出来ないでしょッ!!」
「っ! ううっ、うううううッ!」
敢えてはっきりと事実を告げ、秋子を下へ誘導する流凪。秋子は頭が良い。流凪に言われずとも、そんなことは当然理解出来ている。流凪が敢えて厳しいことを言ったのだって、自分を助けるためだということも分かっている。それでも、大切な親友が目の前で連れ去られてすぐにさっさと逃げろなどと言われたって、そう簡単に受け入れられない。目に涙を溜め、悔しさに叫び出しそうになる。が、それでも、やはり秋子は頭が良いのだ。今は逃げるべき。そう自分を納得させ、歯を食いしばり、溢れ出す涙を拭うこともせず、目の前の階段を駆け下り始めた。
「ふぅ……やってくれたね」
言う通りに逃げ出してくれた秋子に一つ息を吐き、目の前に浮かぶ幽霊を睨みつける流凪。確かに流凪は怪異に対して無敵だが、それは周囲の全てを守り切れるということを意味しない。自分だけが無事なら良いのではないのだ。相手が攻撃してこないなら、秋子たちが逃げる時間を稼げて良いなどと、のんびり構えている場合ではなかった。ここはこの幽霊の世界。活性化し過ぎたこの幽霊が作り出した、彼女固有の結界。この世界の中なら彼女は何でも出来るのだ。それでも流凪が自分の身を守るだけならばどうとでもなるのだが、全てを守ろうと思うのなら油断して良い相手ではない。
「まずは、それなりに力を入れてさっさと祓わせてもらうよ」
雑に力を音に乗せただけの柏手ではない。それなりに集中して力を使おうと、拝むように両手を合わせる流凪。この一撃で祓い切れるかどうかは微妙なところだが、さっきのように少し苦しむだけなどということはないはずだ。まずは拘束してこの場から逃げられないようにして、直接力を流し込むことで祓う。
「! ァァ……ァァァ……!」
「え、ちょ、ちょっと、待て!」
ずっと大人しくしていたというのに、急にあらぬ方へ視線を動かしたかと思えばフッとその場から消えてしまった幽霊。慌ててまだ溜まり切っていない力を使って幽霊の動きを止めようと柏手を打つ流凪だったが、一歩遅い。一瞬前まで幽霊がいた空間を駆け抜けただけの音を放った流凪は、呆然と幽霊がいたその場所を見つめる。
「もう! どういうことなんだよー!」
珍しくイラついたように地団駄を踏む流凪。幽霊の気配が下に行ったことを感じ取り、そちらへ行かなくてはと移動を開始する。が、その前にやらなくてはいけないことがある。最悪、玲がどうにかして皆を連れて逃げてくれるだろう。そう信じて。廊下の突き当りにある大きな扉。音楽室と書かれたプレートが上に付けられているそれに、両手を添える。押しても引いても扉が開く気配はなく、普通のやり方で開けるのは難しいだろうことがすぐに分かった。目の前の扉に集中。
『開け』
あの幽霊の力で封じられていたのだろう扉を、少しの時間をかけ両手で押し開き、音楽室の中へと入る。そこには。
「ひいいいぃぃぃ! 何!? なになになに!?」
部屋中を飛び回る体の透けた幽霊たちに怯えてうずくまる奏の姿があった。
「これは……」
飛び回っている幽霊は壁を通り抜けていなくなったり戻ってきたりしているが、全部で三、四体ほど。ただ飛び回るだけで何か危害を加えようという気はなさそうだ。幽霊たちは薄っすら白く、どんな容姿をしているのかもよく見えない。どう見てもあの幽霊より存在が希薄だ。
(幽霊、というより、何かの残滓って感じかな)
この学校に溜まった、不満や不安、怒りや悲しみといった負の感情。ほんの少し校舎に染みついていた誰の物かも分からない小さなそれの残滓が、あの幽霊が作ったこの世界のせいで弱々しい幽霊として現れてしまっているのだろう。何かが出来る訳でもない。放っておいても問題ない存在だ。
「あっ、流凪ちゃん! 良かった、流凪ちゃん流凪ちゃん!」
「あーい、奏ちゃんも無事で良かったよー」
震えながらも流凪の存在を認識し抱き着いてくる奏。流凪が無事で良かったという思いと、誰かが来てくれて良かったという思いが混ざり合って、とりあえず流凪にくっついておこうという奏自身もよく分からない行動に落ち着いているようだ。
「しかし……」
「えっ、なになに、怖いこと言わないで!」
「ああ、ゴメンゴメン。大丈夫だよ、怖いことじゃないから」
流凪は音楽室を見渡す。何の変哲もない音楽室だ。一クラス分くらいあるのだろう椅子と机が並び、奥の壁には肖像画や楽譜などが貼られていて、隣の音楽準備室へ繋がる扉がある。前の黒板には五線が引かれ、角には立派なピアノが陣取っていた。もちろん他の場所と同じように液体が付着しピンクに染まってはいるが、それだけ。音楽室に閉じ込めた人を害する何かは存在していない。
何故奏をこの音楽室に閉じ込めたのか。攻撃しようと思えば何でも出来たはずだ。逃げる秋子もあっさりと逃がしていたし、目の前にいた流凪に攻撃することもなかった。もしかして、何か勘違いしていたのではないか?
だとすれば
「しまった。失敗した」
「え、何が? どうしたの、流凪ちゃん」
「秋子ちゃんにハサミを渡すべきじゃなかった!」




