第十九話 四階へ
いやああああああああぁぁぁぁぁっ……
お願いだからあああああぁぁぁぁっ……
「っ!? 今のは!」
勇気を振り絞り、恐怖を押し込めて立ち上がった凜々花の耳に、聞き慣れた声が入ってくる。大切な親友たちの悲鳴と思われる叫び声。それを聞いた凜々花の体は、思考する前に既に駆け出そうとしていた。
しかし、そんな凜々花の手を掴んで引き留める希美。
「ッ!? ちょっと、何してんの!? 奏と秋子の声よ、早く助けに行かないと!」
「ダメッ!!」
普段の希美からは考えられない鋭い制止の声に驚き、凜々花は一度動きを止めた。奏と秋子が危険な状態なら助けに行かなくてはいけないと、それだけを思って飛び出そうとしたが、それをここまではっきり止めるなら相応の理由があるのだろう。自分が秋子や希美ほどしっかり物事を考えられる性質ではないことを自覚している凜々花は、まずは希美の意見を聞いた方が良いだろうと冷静さを取り戻す。
「はぁ……で、何でよ」
「あれが奏ちゃんと秋子ちゃんの声だって保証がないの」
「どういうことよ。あれは間違いなく二人の声だったわ。あたしの聞き間違いだとでも言いたい訳?」
「ううん。聞き間違いだとは思わない。わたしもさっきのは二人の声に聞こえた。でも、それが本当に本人たちの口から出た声なのか分からないの」
七不思議の一つ、校舎中に響き渡る少女の声。校舎に入る直前に聞こえた呻き声のようなものがそれだと勝手に断定していたが、本当にそうなのだろうか。呻き声と表現しているように、あれは少女の声とはなかなか表現し辛い音だった。風などの自然音の可能性が捨て切れない程度には、声というより音と表現するのが正しく思えるような声だったのだ。七不思議の題は校舎中に響き渡る少女の声だが、わざわざ少女の声だとしているのには理由があるのではないか。あんな呻き声のような音を七不思議認定するのなら、少女の声ではなく、それこそ呻き声などという表現になりそうなものだ。
「つまり、罠ってこと?」
「かもしれない。二人の声を真似して、わたしたちを誘き寄せようとしてるのかも」
「本物だったらどうすんのよ」
「うーん……仮に本物だったとして、こんなことは言いたくないんだけど、わたしたちが行って何か出来る?」
例えば先ほど見た幽霊が襲ってきていたとして、希美と凜々花が悲鳴を聞きつけて合流したとしよう。そうしたらどうなるのか。結局は幽霊から逃げる人間が二人から四人に増えただけである。奏の精神状態は良くなるかもしれないが、それだけ。何の助けにもならない。むしろ人が増えた分、隠れにくくなってマイナスになる可能性すらある。
「くっ……それを言われると……そうだけど」
「一度ここで待機しよう。周りに妙な気配がなくなってから移動しても遅くはないと思う」
「……分かったわよ」
「奏ぇ……!」
「ご、ゴメンね、秋子ちゃん……」
床に打ち付けて痛みを発する鼻を押さえながら涙目で奏を睨む秋子。幸い鼻血は出ていないようだが、鼻に広がるジンジンとした痛みはなかなか引いてくれず、自然と溢れた涙が一滴頬を流れ落ちた。
「はぁ、まあ良いわ。とりあえず、落ち着いた?」
「う、うん」
怪我の功名というべきか、秋子が転んで涙目になっている様子を見て、奏も正気を取り戻したようだ。教室から出てすぐに走り寄ってくる人体模型を見たら思わず逃げ出してしまうのも仕方がないが、それはそれとしてせっかく恐怖心を押し殺して頑張って立ち上がったのだから、もう少し頑張って欲しかったというのが秋子の本音だった。
「さっきの、何だったのかしら」
「え、走る人体模型じゃないの? ここまで追ってこなくて良かったよ……」
「人体模型にしては……まあ、今は良いか。あまりしっかり観察出来た訳じゃないし」
先ほど起きた出来事に関して、いつまでも考え込んでいても前には進めない。疑問は残りながらも、まずは進むことが先決だと思い直した秋子は、上へと続く階段に目を向ける。
「三階を探索する意味はない、わよね。さっさと上に行きましょうか」
「うん……そうだね……」
「そんなに不安そうにしなくても大丈夫よ。言ったでしょう。音楽室の動く肖像画は恐らく誰かの悪戯よ。人体模型も下にいたし、四階が特別危険ということはないはず」
「そっか」
音楽室の動く肖像画、走る人体模型、階段から覗く目、物音がする女子トイレ、校舎中に響き渡る少女の声、校庭の人影、現れ消える浮遊霊。発生場所が分からないこれら七不思議の中で、音楽室と理科室が四階にあることから四階は特に危険である可能性があった。しかし、音楽室の肖像画には穴が開けられており悪戯の可能性が高く、人体模型は下の階に移動していた。ならば、四階に上がったせいで複数の七不思議に襲われるというのは考えにくい。もちろん、偶然四階で複数の七不思議が現れる可能性はあるが、それはあくまで偶然であり、このまま三階にいたって同じこと。要するに、四階へ向かうことを躊躇う理由はないということだ。
階段を上る。他の階段と同じ、何の変哲もないいつも通りの階段。奏の手を引いて先行する秋子は、念のため階段の床に目を走らせるが、昼間に確認した時と同様、穴が開いていたりはしない。当然目が覗いてくることもない。踊り場でチラリと横目で鏡を確認。何もないことは分かっているのに、何となく気になってしまう。やはり怪談といえば鏡が関係しているものが多いからだろうか。
(これだけ七不思議が実在しているというのに……)
こうなると、逆に気になってくる。何故他の七不思議は実在しているのに、階段から覗く目は存在しないのだろうか。音楽室の動く肖像画も存在しないと仮定しても、他の五つは既に実在を確認している。この七不思議は実際の出来事から作られているのは間違いないはずだ。ならば逆に、存在していない七不思議は何物だというのか。
(そもそも、この七不思議って誰が広めたの? 誰かがわたしたちのように存在を確認して噂話をした、のよね)
人体模型に捕まったら何をされる、とか、浮遊霊は何をしてくる、とか。そういう具体的な情報が不足しているこの七不思議。これは恐らく、実在だからだろう。作り話のように盛られた話ではなく、実際に見て噂話を広めたから、体験していない部分の情報がない。
秋子はこれまでに遭遇した七不思議を思い浮かべる。少しずつ情報が集まっている感覚はある。校庭の人影、物音がする女子トイレ、走る人体模型。この予想が正しいのなら、恐らく音楽室の動く肖像画と階段から覗く目も同類。だが、そうだとするなら、校舎中に響き渡る少女の声、現れ消える浮遊霊は。
思考を進めながら音楽室を目指す秋子と、恐る恐る周囲を見回しながら手を引かれるままに秋子についていく奏。四階の廊下を半分以上進み、もう音楽室も目の前だ、というところまできて、
背後から追いかけてくる足音。
「誰っ!?」
「ひぃっ……!?」
勢いよく振り返る秋子と、つられて嫌々ながら振り返る奏。その声を聞いて、走っていた足音が歩く速度に変わり、ゆっくりと秋子が懐中電灯で照らす範囲へと入ってくる。
それは、身長百七十に届かないくらいの小太りのくたびれた灰色のスーツ姿の男性。秋子と奏もよく知っている人物。
「藤野谷と、音山、か? お前たち、何をしている」
そこにいたのは、天路ヶ丘小学校四年一組担任教師、大地場蛇田雄だった。




