第十七話 現れ消える浮遊霊
ゆっくりと二階を進む一同。しかし、時間が経つにつれて段々と警戒するのも馬鹿馬鹿しい気分になってくる。何故なら、結局は一階で教室から校庭の人影を確認しただけで、それ以降何も起こらないのだ。もしかして自分たちのように学校に何らかの用事がある人が歩いていただけで、実際には七不思議など存在しないのではないか。最初に聞こえた呻き声のようなものも、やはり風か何かの音なのではないか。無意識に消していた足音も戻ってきて、歩く速度も普段と変わらない程度には上がっていた。
「ふん、何にもいないじゃない。やっぱり普通に肝試しして良いんじゃないの? とりあえず音楽室まではさ。ね、奏」
「ええ……何もいないなら……うう、そうだね凜々花ちゃん」
「奏、帰りたいならそう言って良いのよ?」
「あはは……」
少しずつ雑談の声も現れ始め、張り詰めた空気が日常のそれへと戻っていく。先頭を行く希美は、前方を懐中電灯で照らしつつチラリと教室内にも光を向けて中の様子を確認してみるが、やはり何もいない。そのまま歩を進めて行くと、二階の端まで懐中電灯の光が届く距離まで来たが、そこにも何もいない。この二階には何も変わったところはない。楽観ではなく、実際に自分の目でそれを確認出来た。これで一階と二階、合わせて校舎の半分には何も問題がないことが分かったことになる。七不思議などやはり存在しないのだろう。自分たちが見た物、聞いた物は、何かを勘違いしたに違いない。皆を引っ張るために不安を抱えながらも気丈に振る舞っていた希美の心にも一定の安堵がもたらされる。
「ん?」
「どうしたの、奏」
二階をほぼ踏破し、上ってきたのとは逆側の階段前まで来た辺りで、奏が足を止めた。後ろからそれを見ていた秋子も立ち止まり、前を歩く希美、凜々花が少し間をおいて気が付き振り返る。奏は周囲をキョロキョロと見回し、すぐ横にあるトイレをじっと見つめた後、首を傾げた。
「ここ……じゃない? えっと……下、かな?」
奏は耳を澄ませる。人よりもよく聞こえるその耳に、自分たちとは別の何かが発する音が入ってきた気がしたのだ。しかし、立ち止まり場を静寂が支配しても何も聞こえてこない。気のせいだったのか。それならそれで良い。もし聞こえてしまえば、自分たち以外の何かがこの校舎内に存在している証拠になってしまうのだから。目を閉じ、周囲の音にだけ集中する奏。すると、確かに聞こえた。下の階から何かの物音。七不思議の一つ、物音がする女子トイレに違いない。先ほど一階にいる時に確認しても何の音もなかったはずだが、校庭の人影だって自分たちが校庭にいる時にはいなかったのだ。きっと偶然このタイミングで現れたのだろう。
顔を青ざめさせ、目を開けて皆にその情報を伝えようとする奏。
それと目が合った
目の前に浮かぶ、半透明の人のような何か。それの足元まで届きそうなほどに長い黒髪が顔を覆い隠している。服装は自分たちと同じ、この天路ヶ丘小学校の女子制服に似ているような気がするが、セーラーの白い部分が黄ばんでいるようだ。髪に覆われた顔は何も見えないはずなのに、奏は確かに自分を見ているような視線を感じ取った。
「ァ……ァァ……」
何をしようとしているのか、むしろ何かをするという意思があるのかも不明だが、ほんの小さな呻き声を上げるそれが震える右手を少し持ち上げ、こちらに伸ばそうとしているかのように動かす。
そこで、奏は限界を迎えた。
「ひゃあああああぁぁぁぁぁぁッ!?」
「奏っ!」
悲鳴を上げ、あふれる涙もそのままにさっきまで歩いて来た廊下を全速力で引き返す奏。浮かぶ人のような何かを気にしつつも、奏を一人にする訳にはいかないと追って走り出す秋子。
「あ、ああ……!?」
「り、凜々花ちゃん、逃げるよ!」
そして、浮かぶそれを挟んで奏たちとは逆側にいる希美と凜々花もまた、それから逃げるために駆け出した。希美は凜々花の手を引いて、すぐ目の前にあった階段を全速力で駆け上がる。そのまま三階にたどり着き、廊下を少し駆け抜けたところで手近な教室の扉を勢い任せに開き転がり込んだ。教室奥の壁に背を預け、凜々花を抱きしめたまま座り込んだ希美。荒い息を整えることも忘れ、じっと廊下を見つめる。
そのまま何分経ったのか。永遠にも感じる時間、同じ姿勢のままで廊下を見つめ続け、知らず知らずの内に呼吸が落ち着いてきた。追ってはこなかったのか、この教室に何かが入ってくる様子はない。やっと大きく息を一つ吐き出して、自分の腕の中にいる凜々花を見る希美。凜々花もまた希美と同じように少しずつ落ち着いてきた。段々と治まっていく希美の鼓動を感じ、つられるように自身の鼓動も普段通りの動きを取り戻していくのが分かった。
「はぁ……何だったのよ、さっきの……」
「分からない。どう見ても幽霊、的な何かっぽかったけど……」
浮遊する半透明の人型と聞けば、多くの人が幽霊を思い浮かべるだろう。落ち着いて思い出せば、七不思議の一つに現れ消える浮遊霊というものがあった覚えがある。先ほどのがそれであるとしたら、追ってこなかったのも理解出来た。現れ消える、ということは、先ほど現れた幽霊はその場から動かずに消えたのだと推測出来る。思わず逃げ出してしまったが、もしかしたらあのまま幽霊の目の前にいても何もされなかった可能性もあるだろう。とはいえ、何かされる可能性もある以上、大人しく幽霊のそばにいるというのは難しいのだが。
「まあ良いわ。それより今は秋子と奏と合流する方法を考えないと」
秋子は恐らく冷静さを保っているだろうが、奏がどのような動きをしているのか全く想像出来ない。恐怖に負けて逃げだそうとして階段を駆け下りている可能性もあるし、震えて動けなくなっているかもしれない。最悪、その場で窓を開けて飛び降りている可能性すらあった。希美と凜々花は現在三階の真ん中付近の教室にいるが、秋子たちはどうしているのか。このまま三階で待っていれば良いのか、幽霊に見つかるリスクを冒してでも二階に戻るべきか、もしくは四階に上がるべきであるかもしれない。
「うーん……」
希美は考える。最も合流しやすそうな行動は何か。秋子は奏が逃走する姿を見てすぐに追いかけていた。自分たちも逃げ出してしまったため、その行き先を見る余裕はなかったが、流石に秋子と奏がはぐれているとは考えにくい。秋子ならきっと合理的思考に基づいて自分たちと合流しようとしてくれるだろう。奏を落ち着かせることが出来ているという前提にはなるが。奏が落ち着きを取り戻すことが出来ず、ずっと慌てて逃げ回っているのなら、行動を予想すること自体が無意味なので、それは考えないことにして。
「上、かなぁ」
この肝試しの最終目的地は、四階の端にある音楽室だ。そこで最後の七不思議、音楽室の動く肖像画を確認して終わりとなる予定だった。秋子の話では音楽室の肖像画は誰かの悪戯だろうとのことだったが、それは置いておいて、元々の行き先が音楽室だったのだ。ならば、合流するためにはそこを目指すのが良いのではないか。
「上、行くの……?」
「うん……わたしもあんまり行きたくないけど……」
上に行くということは、校舎の出口から遠ざかるということだ。更に、人体模型があるだろう理科室や、肖像画がある音楽室も四階にあり、他の七不思議の居場所でもありそうに思える。先ほどの浮遊霊のことを思えば、もう楽観は出来ない。七不思議は存在するものとして考えるべきだ。この校舎は間違いなく危険。すぐにでも脱出するべきであることは間違いない。
「はぁ、仕方ないわね。二人を置いていく訳にもいかないし。それならさっさと行くわよ」
「凜々花ちゃん……うん、そうだね」
恐怖が消えた訳ではない。二人とも、実際に目にしたそれに恐怖していて、少しでも気を抜けば動けなくなってしまいそうな状態のままだ。それでも、自分たちよりももっと怖がっているだろう仲間がどこかで震えているかもしれないのなら、それを放ってはおけない。
勇気を振り絞り、立ち上がる。




