第十五話 凜々花の原点
「上、かしらね」
しばらくの思考の後、秋子は絞り出すようにそう言った。
「あれを七不思議の一つであると仮定するなら、あれのテリトリーは校庭のはずよ。校庭の人影、だからね。外に出るのはリスクが高過ぎる。あれの正体が分からない以上、発見される可能性も極力小さくしたいわ。見つかったら校舎内に入ってくる可能性もある訳だし」
七不思議の題が校庭の人影である以上、見つかりさえしなければ校舎内には入ってこないのではないか。それが秋子の考えだった。
「ずっとここで隠れてちゃダメなの……?」
「うーん……それも実は危ないんじゃないか、というのがわたしの考えね」
「何でよ。ここにいればあの黒いのに見つかることはないんじゃないの?」
「他に何もいない保証がない。自由に動けない状態は維持したくないわ」
確かにこの教室でずっと身を隠していれば、校庭の人影に見つかるリスクは最小限に抑えられるかもしれない。が、七不思議の何かが存在するのなら、他の七不思議も同様にこの校舎内にいるものと考えるべきだ。例えば、走る人体模型や現れ消える浮遊霊といったどこに現れるか不明な七不思議が、この教室を襲ってきた時、どうなるか。これから発生し得る危険に備え、様々な状況に対応出来る態勢を整えるべき。それが秋子の意見。
「うん、わたしは賛成かな」
秋子の思考を一通り聞き、希美も賛同した。そもそも希美としても最初から外は危険だと思っていたのだ。他の三人から別の意見が出ればそれも含めて考え直したいと思って提示した選択肢だったが、秋子も自分と同じ考えであると示された今、より上階へ意識は向いていた。
「うう……上って、学校に立てこもるってこと、だよね……? それっていつまで……?」
「……分からないわ。七不思議の活動時間ってどれくらいなのかしら。最悪、朝まで、かもしれない」
「あ、朝まで!? そんなぁ……」
今にも泣きだしそうな奏の様子に、秋子の表情が曇る。思えば、好奇心に任せて不用意な行動をし過ぎた。凜々花もそうだし、奏は特に、こういうホラー系が苦手だと分かっていたのに、半ば無理矢理のように連れてきてしまった。確かに肝試しを言い出したのは凜々花だし、それについてきたのは奏本人の意思ではあるが、とはいえ自分がもう少し用心深く行動していれば、こんな状況にはなっていなかったかもしれない。危険がはっきりと見え始めたこの状況になって、やっと秋子は思い出す。この肝試し中、決して奏から目を離さないと誓っていたことを。七不思議実在という予想外の出来事に興奮して、そんな大切なこともすっかり忘れてしまっていた。
奏の恐怖心が伝播していくように、場の雰囲気が暗くなっていく。反省して自分を責める秋子。壁に背を預けうつむく凜々花。しりもちをついたままの態勢で恐怖に震える奏。
そんな三人から離れ、態勢を低くしたまま廊下側へと移動していく希美。
「の、希美……?」
「ちょっと希美、一人になっては……」
「あ、危ないよ、希美ちゃん……」
聞こえているだろうに、三人の声を無視して教室の扉まで移動した希美。そっと顔を廊下に出し、左右を確認する。数度、左右の確認を繰り返した後、その場で立ち上がり、振り返る。
「うん、何もいない。行こう」
そんな希美の言葉に驚愕の表情を浮かべる三人。まさか、この状況で前向きに行動しようとしているというのか。先ほど決めたように、上階に向かうために、廊下の安全確認をしたというのか。何故そこまで強い。三人は知っている。希美は決して気が強い方ではないはずだ。教室の自分の席で大人しくしていて、凜々花が何を言っても言い返してきたりしない。多くの人に詰め寄られれば目を回して何も言えなくなるし、初対面の相手とは上手く話せない。もしかしたらホラー系は苦手ではないのかもしれないが、今の状況をホラーの一言でまとめることなど出来はしない。得体の知れない何かが襲ってくるかもしれないという、どんな人間だって怖がってしかるべき状況だ。ましてや、気が弱い希美ならなおさら。
だというのに、希美は笑顔で振り返る。
手を伸ばす。
人を導こうとしている。
そんな希美の姿をしっかりと見て。そして三人は気が付く。脚が、震えている。笑顔も、僅かに引きつっている。怖くないんじゃない。平気なんじゃない。全く大丈夫なんかじゃない。それでも、無理矢理にでも笑顔を浮かべて、三人を安心させるように、前に立っている。
凜々花は思い出した。
もしかしたら希美は覚えていないかもしれないが、実は凜々花と最初に会ったのは秋子でも奏でもなく、希美なのだ。
保育園時代、凜々花は現在のように前に出る性格ではなかった。むしろ逆。引っ込み思案で人見知りで、物静かな性格だった。ただ、体が小さいのは現在と同様で、自分より大きい周囲の子供たちに怯えがちな日々を過ごしていた。この時の凜々花にとっては不幸なことに、凜々花は顔が良かった。一人でいることが多く、大人しく、可愛い女の子。ちょっかいを掛けたがるやんちゃな男の子が現れるのに時間はかからず、凜々花は数人の男の子からからかわれるようになる。
自分より体の大きい、元気な男の子に囲まれて、引っ張られたり、チビと言われたり。
お気に入りのカチューシャを取られたり。
「か、かえして……」
「へーん、やだよー! かえしてほしいならとりかえしてみなー!」
お母さんに誕生日プレゼントとしてもらった赤いカチューシャ。これでおしゃれして、自信が持てるようになると良いねって、そう言って買ってくれた、大切な物。まだまだ気弱な自分も、このカチューシャを付けていればきっと強くなれるって、そう信じて毎日身に着けている、凜々花の宝物。
「かえしてよぅ……」
涙が溢れてくる。まだまだカチューシャに相応しい強い子になれてなんかいないのに、その上カチューシャを取られてしまっては。その心は既に折れてしまい、それでも返してだけはもらえないかと下を向いた顔をどうにか上げて。
「こらー!!」
凜々花の目に映ったのは、自分をかばうように前に立つ大きな女の子の背中だった。
「だめでしょ、かえしなさい!」
「うげっ、でかおんなだ! にげろー!」
その大きな女の子を見ると、すぐに彼女に向かってカチューシャを投げつけて逃げていく男の子たち。
「はい、これ」
振り返った女の子が、取り返したカチューシャを差し出してくる。受け取って付け直し、涙を拭って助けてくれた彼女の姿をしっかりと視界に入れた。すると、分かった。彼女の脚が震えていることが。大きくて強い子だと思ったのに、違ったのだ。彼女も自分と同じ。決して強くはないけれど、強くなりたい女の子。強くあろうとする女の子。
だから、そんな彼女と対等になりたくて。
自分も強くなったんだって見せつけて、隣に立てるようになって、それから。
友達になろうって、そう言いたくて。
あの頃より彼女は大人しくなった。きっと成長して、無鉄砲さがなくなって、恐怖心に従って動けないことが増えたんだろう。凜々花にも分かる。物事を知り、成長するというのは、きっとそういうこと。
それでも、動くべき時に真っ先に動いて導いてくれる、大きな背中はあの頃と同じ。
それが、凜々花には何よりも嬉しくて。負けたくなくて。追いつきたくて。
「そうね。行くわよ、秋子、奏」
笑みを浮かべ、立ち上がる。




