第十話 モテモテ流凪ちゃん
「ぐすっ、ひぐっ」
「よしよし。凜々花ちゃん、もう大丈夫だからね」
玲の説教を受けて泣いている凜々花の頭を撫でる奏。玲のその異常なほどに高い運動能力を間近で見せつけられた凜々花にとって、玲は絶対に敵わない圧倒的強者と位置付けられた。そんな相手からの説教は流石の凜々花にも堪えたようで、溺れて救出された時ですら涙を流さなかった凜々花の涙腺を軽々と破壊した。
「危険なことをすれば怪我のリスクがあるだけでなく、周囲の人にも心配をかけます。一度立ち止まって、よく考えてから行動するように。良いですか?」
「はいっ!」
「良いお返事ですね。では、お説教はこれくらいにしておきましょう」
目を真っ赤にした凜々花は恥ずかしそうに自分を撫でる奏を押し退けて剥がし、全員に背を向けスタスタと心なしか普段よりも速い歩調で二十五メートルプールから離れていく。
「じゃあ秋子たちと合流するわよ! あの子、どこに行ったのかしら、まったく」
結局何のために勝負したのかも分からないし、決着もついていないのだが、これからもう一勝負しようなどとは凜々花も言い出さないようだ。だったらこんな無駄な時間を使わず流凪と一緒に遊びたかったと思う希美だったが、ここで何か下手なことを言えば凜々花に再び火をつけてしまう可能性もある。せっかく大人しく戻ってくれるらしいので、素直についていくことにしよう。それなりに長い時間が凜々花への説教で経っているため、凜々花が溺れるというアクシデントによる熱も抜け、冷静に状況が見えている希美であった。
そして、流れるプールへと戻ってきた四人。
彼女らが見たのは。
「ふ、うふふふ……ふへへ……」
「すぅ、すぅ……」
流れるプールにプカプカと浮かぶ浮き輪の上で仰向けに転がり昼寝に興じる流凪と、その上に身を乗り出すようにして流凪の寝顔を覗き込んで怪しい笑みを浮かべる秋子の姿だった。
「うわぁ……」
「あ、秋子ちゃん……?」
ドン引きした顔で思わず声を漏らす凜々花と、そのあまりにも普段とはかけ離れた姿にあれは本当に秋子なのかと疑う奏。秋子はいつでも冷静で、凜々花、奏に知恵を与えてくれる三人組のブレーンだ。俯瞰した物の見方をしていて、直情的な凜々花や臆病な奏では見えない周囲の様子を常に観察している。少なくとも、あのように今にもよだれを垂らしそうな緩んだ表情で、凜々花たちが戻ってきたことにも気が付かないほど目の前のことに熱中している姿は、長い付き合いの凜々花、奏ですら見たことがなかった。
「あーっ! ズルいズルいズルい!!」
と、そこで、動きを止める凜々花や奏とは違い、慌てて流れるプールへと入っていく希美。その動きは凜々花のせいで無理矢理勝負に向かうことになった先ほどとは比較にならないほどに俊敏で、凜々花たちがハッと意識を取り戻した時には既に流凪が眠る浮き輪へとたどり着いていた。そして、秋子の反対側から浮き輪につかまると、流凪の寝顔を観察する姿勢へ滑らかに移行。
「カワイイ……」
ニコニコと笑顔で流凪を見つめる希美。だらしなくウヘウヘと笑う秋子。多少の違いはあれど、二人とも周囲の様子はまるで目に入っていないようだ。そのまま飽きることもなく一生見つめ続けそうな二人だが、じゃばじゃばと騒がしく水を掻き分けて希美が接近してきた上に、新たに浮き輪につかまる存在が増えたことで振動が加わり、流石の流凪も眠っていられなかったのか、その目をゆっくりと開く。
「ふわぁ……あれ? 希美ちゃん、戻ってきたんだね」
「あ、うん、ついさっき」
「勝負は終わったの?」
「終わったというか、何というか……。あれ、そういえば流凪ちゃん、勝負については聞こえてたの?」
「うっすらとねー」
「むぅ……」
聞こえてたのに一人で流れるプールに入っていったのかと、頬を膨らませる希美。しかも自分が望まない勝負に付き合わされている中、秋子と二人で仲良くしていた様子。希美はメラメラと嫉妬の炎を燃やし始める。希美にとって流凪は初めて出来た友達で、誰よりも優先される存在だ。だが、流凪にとってはそうではないようで、その考え方の差に不満を覚えてしまう。
とはいえ、希美だって分かっているのだ。確かに自分にとっては初めての友達だが、流凪にはきっと他にも友達がいる。これまでの流凪の人生がどのようなものだったのかなど希美には分からないが、メイドを常に連れているようなお嬢様に友達の一人もいないなどということはきっとないだろう。何の根拠もなくそう考えている希美なので、流凪と自分の友達関係に対する意識に差があるのは仕方がないと思っていた。
しかし、それはそれとして不満ではあるのだ。せっかく出来た友達なので、この上なく仲良くしたいのである。と、そんなことを考えている希美の内心を理解してか否か、浮き輪から起き上がった流凪の両手が希美へと伸びてくる。
「え、え?」
顔を赤くして慌てる希美の首に腕を回し、ぶら下がるようにして水に浮かぶ流凪。先ほどまでの不満など全て忘却の彼方へと吹き飛ばし、そっと流凪の背中に腕を回して抱き寄せると、流凪はそんな希美の動きに逆らわずに近づいて顎を肩に乗せた。
「――――――」
希美は声にならない叫びを上げる。何を言っているのかは誰にも分からないが、しかしそれが歓喜の声であることは誰の目にも明らかだった。何故なら、希美の表情は緩みに緩んでデレデレ以外の表現のしようがないくらいなのだから。そんな希美の目に、流凪が降りた浮き輪を持って先ほどまでの希美と同じような不満顔を浮かべる秋子の姿が入ってくる。
(これが、優越感……!)
希美の顔は無意識の内にこの上ないドヤ顔になっていた。そして、秋子の顔はこの上なくイラついた顔になっていた。
「スンスン……うん、やっぱりね」
「え、何がやっぱりなの、流凪ちゃん?」
「ううん、何でもないよー」
それだけ言って離れてしまう流凪。ああ、と残念そうな声を出す希美に対し、どうやら自分にもやったのと同じ何かの確認をしていただけらしいと理解した秋子はイライラを引っ込めて普段通りの冷静さを取り戻した。そして希美の耳元へと口を寄せて、ささやく。
「それ、わたしにも同じことしてたから」
「むっ」
浮き輪を挟んでにらみ合う希美と秋子。そんな二人を放置して、流凪は流れるプールから上がって玲たちの方へと移動していた。
「ちょっとごめんよー」
「うえっ!? な、何よ!?」
「な、ななな、何ですか!?」
希美や秋子にしたのと同じように、凜々花と奏にも顔を寄せてスンスンと鼻を鳴らす流凪。何を確認したのか、何かに納得したようにうんうんと頷いて。
「止めなさい」
「あいたー!?」
パシーンッと軽やかに玲によって頭を引っ叩かれるのだった。
「ちょっとー、一応わたし、主なんだけど。酷くない?」
「酷くありません。一体何をやっているんですか、女の子の匂いを嗅いで回るなんて。やっていることが変態以外の何者でもありませんよ」
「良いじゃーん、わたしだって女の子なんだからさー」
「何が女の子ですかこの似非幼女。絵面が良ければ何をしても良い訳ではないんですよ」
「もー、必要なことなのに。変態じゃないよ」
不満気に唇を尖らせる流凪を見て、凜々花も奏も急に匂いを嗅がれたのは恥ずかしかったけど、可愛いしまあ良いかと思ってしまう。玲は絵面が良ければ良いという問題ではないと言うが、何だかんだ言っても絵面は大切なのだった。
「待ってよ流凪ちゃん! まだまだ時間はあるし、今度は一緒にスライダー行こ!」
「わたしも行くわ。流凪、一緒に滑りましょう」
「秋子ちゃんはずっと流凪ちゃんと一緒にいたでしょ! ここはわたしに譲ってよ!」
「希美、無条件に譲ってあげるほどわたしは優しくないわ。せめてじゃんけん」
「くっ……! それなら、じゃーん」
「けーん」
「ぽん!」
流凪を追ってプールから上がってきた希美と秋子は、滴を飛び散らせながらあいこでしょ、あいこでしょ、と何度もじゃんけんを繰り返している。
「あんたたち、いつの間にそんなに仲良くなったのよ……」
いつの間にか名前で呼び合い、楽しそうにじゃんけんで流凪を取り合う二人の様子に、呆れを隠せない凜々花。
「でも、仲が良いのは良いことだよね?」
「…………そうね」
奏の無邪気な正論に返事をする凜々花の表情は、何とも複雑そうなのだった。




