第85話
梅雨入り前だというのに、照り付ける日差しも気温もまるで夏を先取りするような午後。
聖漣高校の中庭に組まれたステージの周りには夏服の生徒たちが集まって、前期の中間試験前のわずかな息抜きが始まるのを、今か今かと待っている。
「スマホ持ってる奴、撮影とSNSへの投稿は一切禁止だからな! 後日発覚したら、身元特定して親もろとも呼び出すぞ! 全員、電源切って今しまえ!」
そのステージの上で、体育教師の大井将之が、竹刀片手にメガホンで生徒たちにきつめの言葉で注意を呼び掛けると、ぱらぱらとポケットの中に何かをしまう動作をする生徒が見える。
彼がその様子にひとまずうなずいて壇上から降りると、
「……面倒な世の中になりましたね、ここまで注意しても隠し撮りする子がいるのかと思うと、なんとも言えない気分ですよ」
すぐそこにいた数学教師の安倍勇志が、ため息交じりで声をかける。
「この年頃は自己顕示欲の塊みたいな子がいない方がおかしいですよ。まあ、自分がやったことじゃなくて、他人のやったことで『バズりたい』と思う気持ちは一生理解できませんけどね。そういう奴は、自分が気持ちよくなるためだったらお構いなしだからタチが悪い」
足元にメガホンを置くと、大井は芝生についた竹刀の柄に両手を乗せつつ生徒たちを見渡す。
「『自分でやったこと』というのも程度がありますからね。この間の放送部のあれも、動画サイトに載せるためでしたっけ? 入学早々停学処分なんて、前代未聞ですよ」
安倍の話――二週間前の昼休み、一年生の放送部員が共産主義国家のプロパガンダ音楽を全校放送で流し、それを同じクラスの生徒が教卓の上に立って踊りながら歌う姿を撮影して、ショート動画を扱うサイトにアップしようとした事件に、二人は顔を見合わせて眉根を寄せる。
「どうも、あの手のサイトにはまった子は、全世界に恥をさらすって意識がないのが困るなあ。そういう授業、小学校から受けてきてるはずなんですけどね……」
視界を邪魔し始めた前髪をざっとかき上げ、秀麗な顔を強烈な日光に晒しながら、大井はジャージのポケットにその手を突っ込む。
「私が子供の頃は、掲示板やネトゲでそういうのを鍛えられましたね。デジタルタトゥーなんて言葉もありませんでしたが、いろいろと今思い返すとゾッとします」
安倍がそう答えながら苦笑しつつ、眼鏡のブリッジを押さえて腕を組む。
「SNSでバカやらかして大炎上してる人をリアルタイムで見てる身としては、リテラシーが希薄で怖いですよ。うちのクラスも、そんなのがいないといいんですけど」
一年間の学年主任を経て、今年再び一年生を担任することになった大井は、ステージの袖でスタンバイを始めたダンス部の生徒に目線を移した。
去年の倍の人数に増えた軽音楽部員たちは東屋からはみ出して、日陰になった校舎の壁にもたれながら指先のストレッチをしたり、チューニングに勤しんでいる。
「い、いかんですぞ、緊張してきたっ……! まさか人様の前に出るとは……っ!!!」
震える手でクリップチューナーをポケットにしまい、凛子が手汗をスカートで拭く。
「だいじょーぶだいじょーぶ、リンちゃんならうまくいくってば。ほら、深呼吸でもして落ち着きなよ」
ギロを袋から出し、溝を指で撫でながら、ソフィアが凛子に笑いかける。
「ピアノ、人前で演奏するの、小六の時以来だ。うまく弾けるかな……」
そう言って指先を軽く反らす敦哉が、ステージに昇っていくダンス部員を見遣る。
「オレなんて演奏するの自体初めてだよ、……でも何だろう、これって武者震いってやつかな、サッカーの試合前より、すっげーわくわくする……!」
今から興奮を抑えられない様子の翔琉が、チューニングの済んだレスポールを抱え、目を輝かせて同じ方向を見た。
「紗雪ちゃん」
祐華の声に、長いおさげを揺らして、一年生たちのいちばん後ろにいた彼女は振り返る。
「大丈夫? 歌えそう?」
「……はい」
「わたしたちも一緒だから、途中で無理だって思ったら、ハンドクラップだけ頑張ってね」
やわらかい言葉に、紗雪はかすかに微笑んでうなずく。
『これが私の生きる道』のコーラスに参加したいと紗雪が言い出したのは、三日前のことだった。
歌詞を聴いているうちに歌ってみたくなった、とは本人の談だが、生活と家族関係が改善したことと、中庭ライブの曲を練習した後、必ず一日に一回は彼女の『歌いたい曲』を合奏し、それを繰り返してきたことが、凍ってしまっていた彼女の心を緩やかに溶かし始めている確信を、部員たちも興津も抱いていた。
そして昨日、彼女は帰りしなにぽつりと言っていた。
「いまはもう、それを選んだあの子のことを、受け入れるしかない」と。
(……紗雪ちゃん、少しだけ、気持ちが変わってきてるのかな)
祐華が側を離れると、再びうつむいて校舎の壁に寄り掛かった紗雪を見て、くるみは心の中で独り言ちながら、ポケットからいつもののど飴のスティックを出す。
(やっぱりそう。……音楽は、人を救う力があるんだ。……今まで出会った曲や歌詞のすべてに、わたしたちは支えられている。それはきっと、紗雪ちゃんだって同じ……)
最初の練習の時にはおぼつかなかったポエトリーリーディングが、回を重ねるごとにはっきりし、それを力いっぱい読み上げるたび、そしてメロディを歌い上げるたびに流す涙と共に、徐々に彼女の中でずっと留められていた苦しみが吐き出されていくのを、くるみはつぶさに感じていた。
(起こってしまったことを変えられるわけじゃない。でも、自分の心の中や、目に見えるものの見方を変えてくれる。これから先を生きていくための力になってくれる。……音楽ってすごいな。ただ楽しいだけじゃない。自分ひとりでは治せない心の傷を、耐えられないほどの苦しみを、形にして、言葉と歌にして、少しずつ癒してくれる……)
敦哉と隆玄の間で、以前よりも重苦しさの消えた表情を浮かべて会話している紗雪を見て微笑むと、くるみはスティックからひと粒のど飴を取り出して口の中に入れ、舌で転がす。
いつものその味に、緊張も不安も消えて、肩から力が抜け、心にエネルギーが満ちていく。
(……よっし、今日も楽しもう! なんたって、こんなに大人数なんだもんね、楽しくならないわけがないよ!……紗雪ちゃんも、少しでいいから、楽しいって思ってくれたらいいな)
隣で歌った時の紗雪と自分の声のハーモニーが、どんなに悲しい歌であっても心地良いことに変わりがないことにひとり微笑み、そして、
(それにしても……遠目に見ればバレないとはいえ、先生も大胆なことするなあ)
くるみはブラウスの胸ポケットに入れてあった、興津が歓迎会で吹いたハーモニカを取り出し、じっと見つめる。
(アルコールで拭いてあるって言ってたけど、もう先生がこれを演奏したっていう事実がある時点で、間接キス以外の何ものでもないよ……! うああ、こないだの髪の毛にしてくれたキスとか、なんか最近、先生も距離近づけてくれてる感があって、凄く嬉しい……!)
ステージ袖で吹奏楽部の顧問の藁科と副顧問の巴弥生、そして狩野と談笑している興津を見て、思わず知らずくるみの頬は緩む。
彼の祖母と同じラインを描く横顔と、その唇を縁取るきれいな口髭に、きゅん、と胸は高鳴って、甘い痛みが沸き起こる。
口中のはちみつレモンの味がさらに狂おしく甘酸っぱくする、その幸せな感覚にうっとりと酔おうとしたその時、ステージ脇のスピーカーから爆音で『U.S.A.』が流れてきて、くるみは膝からこけそうになった。
「もうあれから一年経ったんですね」
「そうだね」
ステージの上で派手に踊り跳ねるダンス部員たちを見ながら、ミチルと太陽は隣同士で並んで校舎の壁に寄りかかっている。
「……ミチル、変わったよな。もちろんいい方にだけど」
「え?……ど、どのへんがでしょう? 確かに見たり聴いたりするものは増えましたが……」
隣に立つ彼の言葉の内容に自覚がない彼女は、首をかしげる。
「なんていうかさ、きっとそのおかげもあるのかな、目線が近くなった気がする。堅苦しくなくなったよ。側にいても緊張しなくなったっけ」
「それはわたしもそうです。……それに、なんだかこうして、ずっと前から隣にいてくださってるような気がします……」
二人はさり気なく距離を詰め、肩を寄せ合う。
「……俺さ、東京の体育大学受けようと思ってるんだ。そのために今度ちょっとだけ、剣道部に混ぜてもらって、大会に行ってくるよ」
「まあ……がんばってくださいね、応援してます」
「あはは、たぶん試合には出ないと思うけれどね。一応、実績作りってことで」
太陽はそう言うと、自分の肩の高さにあるミチルの顔を見つめ、にこりと微笑んだ。
「俺、大学出たら、実家継ぐためにこっち戻ってくるけど、ミチルはどうするの? 行きたい大学とか、将来やりたいこととかある?」
「……」
ミチルは答えに窮した。
(……大学……やりたいこと……)
自分の未来が、真っ黒に塗りつぶされていくような心持ちがして、胸がずきずきと痛くなる。
(わたしがやりたいことと、やらせてもらえること……)
その乖離の大きさに、ミチルの表情に影が差した。
もともと高校を出たら、花嫁修業の後に財産の散逸を防ぐため親族と結婚する、という祖父の方針に従って、ミチルは幼い頃から自由のない暮らしを強いられてきた。
その祖父が中学三年生のときに亡くなったことを期に、すべてぶち壊しにしようと、父親を半分騙すようにして聖漣に出願した後、それまで通わされていた幼稚園から大学まで一貫の女子校の、中等部最後の期末テストをすべて名前だけ書いて白紙で提出し、結果として自主退学したことによって入学を認めさせ、周りの大人の言うことすべてを振り切って、大好きだった祖母の生まれ育ったこの土地に逃げるようにやってきた。
その祖母も、美貌を見初められ、貧しかった家の生活の保障と引き換えに、十七の時に二回り以上も年の離れた祖父と身売り同然に結婚し、高圧的で気に入らないことがあればすぐに激しい暴力を振るう夫と、漁師の娘であることを理由に蔑んでくる前妻の娘からの嫌がらせに耐え、ミチルの父である一人息子を姑に取り上げられて手元で育てることもかなわず、祖父の許可がなければ外出すらもままならないという、絵に描いたような虐げられ方をする暮らしの中で耐え忍びながら、それでも凛とした気品と誇りを失わずに、強く生きてきた人だった。
ミチルが物心つくかつかないかの頃からすっと、周りの理不尽な人間から守ってくれたのは、両親ではなく祖母だった。
祖父に顔がそっくりな従兄に大嫌いなカエルを持って追いかけ回されたときも、大事にしていた着せ替え人形の髪の毛を勝手にばっさりと切られてしまったときも、最初に教わっていたピアノの講師に服の上から脚を撫で回されたときも、祖母はすぐにミチルの悲鳴を聞きつけ、飛んできてぴしゃりと叱ってくれた。
『嫌なことをされたら怒っていい』『嫌だと思ったら拒んでいい』という、普通に暮らしていればごく当たり前に教わることを、自分の方針に従順に従うようにとあえてミチルに教えない祖父と、その言いなりになっている周りの人々の目を盗んで、『我慢は美徳ではない』と、祖母はいつもミチルにそう言って聞かせてくれた。
ミチルが小学六年生のときに病で倒れても、『自分を大事にしなさい』『自由に生きなさい』と彼女は気丈に孫娘を励まし続けた。
そして、死期がわかっていたのだろう、自身の決して幸せではなかった人生を、ミチルにだけ静かに語り残して、彼女が中学二年生になった日に祖母はこの世を去ったのだった。
手の施しようがないほど重くなっていた病状から自宅で看取られることが決まり、日一日と死に近づいていく祖母を慰めようと、病床で彼女が毎日弾き続けたのがドビュッシーの『月の光』だった。
その曲を聴くと、故郷の港町の浜から見た、登ったばかりの大きな月が思い出されると祖母は喜んだ。
そして、想いを寄せ合いながら結局添い遂げることのできなかった幼馴染のことと、自分のようにそれを後悔して死なないように、と、亡くなる何日か前にぽつりと漏らしていた。
祖母がいなくなってから、ミチルはとうとう自分を抑えつけて都合よく利用しようとする周りの人間に、じわじわと反旗を翻し始めた。
手始めに、彼女は両親に言われたとおりにすることをやめた。
長男だからと祖父に甘やかされ、実家である財閥の経営を義姉の夫とその息子に丸投げし、自分は好きなチェロだけ弾いて遊び暮らす道楽者の父と、その父に若い頃からパトロンになってもらって不必要に贅沢をする三流バイオリニストの母も、ミチルは大きくなるにつれ尊敬が出来なくなり、好きにもなれなくなっていた。
毎週末に義務的に行われていた義伯母一家と祖父との会食も、バイオリンの稽古をするから、バレエのレッスンがあるから、と頻繁に嘘を吐いて、毎回欠席するようになった。
従兄から押し付けるように贈られてくる、まったく好みではない服やアクセサリーもすべて、封も切らずに突き返した。
『自分を大事にしなさい』という祖母の言葉――確かな遺言となったそれを胸に、周りの人間の意向より、まず自分の感情にミチルは向き合った。
祖父から意向に従わないことで叱責を受けても彼女はそれを無視し、物理的な接触を断った。
まだそれほど老いてもいなかった祖母の病を引き起こし、悪化させたのは間違いなく若い頃からの無体な仕打ちゆえだと確信し、見舞いにも訪れなかった祖父を、ミチルは深く恨んだ。
その反抗は、一年も経たないうちに祖父が心臓発作で死んだことによって加速した。
授業中、教師の目を盗んでパソコンで祖母の生まれた街のことを調べ、県外からも多くの生徒が通うこの高校を見つけ、手早く願書を取り寄せ、親の署名が必要なところ以外は全て書き終えた上で、帰国した父が酒に酔って気が大きくなったところを狙ってそれに署名捺印をさせ、翌日に大急ぎで郵便局に駆け込んだ。
祖母の戸籍を辿って存命だった大叔父と連絡を取り、今は誰も住んでいない実家をリノベーションしてもらって、もし合格しなかったとしてもそこで暮らすという覚悟を決めた。
そして、期末考査を白紙で提出したことでオーストリアから東京まで呼び出しを受けた両親との溝は、一気に深くなった。
結局ほとんど喧嘩別れのような形で、学費と生活費以外の金銭は出さないということと、部活動は茶道部か華道部に入ること、そして卒業後はどこにも進学せず、東京かウイーンに移り住むことを条件に、ミチルはこの街で暮らすことを認められたのだった。
(卒業したら、先輩とも会えなくなる……)
東京に行けば、彼が大学に通う間はどうにかできるかも知れないが、自分がどれだけ拒もうとも、きっと卒業と同時に結婚を、と、祖父が決めていた婚約者の従兄は言い出すに違いない。
それから逃げるためならウイーンに行くしかないが、自分たちは好き勝手に生きているのに、娘にはそれを許さない両親とともに暮らすことも苦痛だ。
(わたしは、……わたし、何になりたいのかしら)
自分の将来像が他人に振り回される絵しか浮かばず、ミチルは黙ってうつむいてしまった。
「……ミチル?」
優しい声にはっと顔を上げてそちらを見上げると、太陽が心配そうに見ている。
「あ……すみません、その、……まだ、何も決めていなくって……」
「そっか。まあ、まだあと一年あるし、ゆっくり探しなよ。……でもさ……」
彼はそこで少しだけ間をとると、照れた様子で顔を赤らめて、彼女と手をつなぐ。
「俺は、……きみが良ければだけど、この街で暮らしてほしいなって思ってるよ」
「……はい……」
繋いだ手の指先を絡めながら、彼女は彼の言葉にうなずいて、ステージを眺めた。
観覧している生徒たちも、サビの振り付けを一緒になって踊ったダンス部の発表が終わると、次はピエロやチャップリンに扮した演劇部がステージに上って、『イージー・ウィナーズ』に合わせてドタバタとセリフのないスラップスティックをキレ良く演じる。
「この学校の演劇部、本格的っすね。もっとこう、変に叫んだりするやつかと思いました」
凛子が隣に立っている政宗と隆玄にそう言うと、
「一応、外部のプロの演出家が時々来てくれてるらしい。理事長先生の教え子だった人だって聞いたな」
政宗が拍手をしながら答える。
「へええ、プロっすか……」
「でも、逆にそれが『高校生らしくない』って言われて、そっからコンクールで賞取ったことはないんだよ。理不尽だねぇ」
隆玄がドラムスティックを片手に肩をすくめる。そしてふと、
「そういや凛子ちゃん、中学んとき演劇部だったんだっけ? もしギターやってなかったら、やっぱあっち入ってた?」
思い出したことを何気なく凛子に聞いた。すると、
「いやあ、どうでしょうかね。確かに自分、小学生の時から声優になりたいって思ってたんで、中学で基礎から磨こうと思って演劇部に入ったんすけどね、やっぱ同じように声優にあこがれてる子が何人かいてですね、誰の演技が一番うまいかとか、あのアニメのこのシーンでの演技が良かったとか、台詞のアクセントだとかいろいろ語り合ってたんすわ。もちろん声優に興味なんてない子たちもいて、将来はプロ劇団員になるんだとか、歌劇団に入りたいとかそういう子もいました。でも所詮は中学校だもんで、やることなんてたかが知れてまして、せいぜい文化祭で、それこそ図書室でずっと眠ってた、誰も食いついて来ない時代遅れで古ーい話を棒読み演技で怒鳴って、クオリティ低いダンスを踊って、舞台の上でケーキとチキンなんぞをムシャアして烏龍茶飲んでヤジ飛ばされるくらいのもんでしたっけね。そもそも一年なんて絶対舞台に立たせてもらえなくって、裏方だけでしたし。で、そのうち気づいちゃったんすよ。『自分は演技が好きじゃない』って。みんなで演技の話すればするほど、なーんかどっかでそれを冷めた目で見てる自分がいるんすよ。あんまりにも研究しすぎて目と耳が肥えちゃったっていうか、マンガの主人公みたいな超絶演技力もないのに、こいつ何言ってんだみたいなね。役が付いてセリフ読んでも楽しくないっていうか、どんなに感情を込めてしゃべれって言われてもシラけちゃって。……だから三年になる前に幽霊部員と化しましたわ。もしギターやってなかったらフツーに帰宅部になって、学校に内緒でバイトかなんかして、ガチの推し活してたと思いますよ」
「お、おう、……そうか……」
質問に対して十倍の質量の答えが返ってきて、隆玄は引きつり笑いを浮かべる。
「なるほど。でも、向いてないことを早めに見極められたんだから、演劇部にいたことは正解だったな。下手に養成所なんかに入ってから気が付くと、金も時間も無駄になる」
政宗に自分の話したことを全肯定してもらえた凛子は、ぱあ、と顔を輝かせて彼を見上げる。
「そうっすね。……ある意味、親孝行したんでしょうか、自分」
「だろうな」
そう言って互いに笑い合うふたりを見て、
「政宗、やっぱお前、生音がどうとかっての嘘だろ」
隆玄が腕組みしながら渋い顔をしたが、政宗も凛子も気が付いていないようだった。
演劇部員たちが全員で手を繋ぎ、ステージのせりでお辞儀をする。
軽音楽部員たちはそれに拍手を贈りながら、まだ先の出番を待つ。
舞台袖に合唱部員たちが集まって、伴奏用のキーボードが下手側に置かれる。
(……あのソプラノにこだわってた先輩、どうなったかな)
くるみは合唱部の群れの中に目をやる。
その姿を見つけはするが、ソプラノなのかアルトなのか、それは立ち位置ではわからない。
(歌ってみれば、アルトも楽しいと思うんだけど、それを言うのは後輩のわたしじゃなくて、狩野先生の方がいいんだろうな)
もう二度と戻ることはない、壇上の整列を見てため息をつく。
(わたし、社会に出ても、やっていけるのかな……会社勤めなんかしたら、あっという間にクビになりそう……大人になったら、何になればいいんだろう)
どうしても直情的になりがちな言動を振り返り、くるみはうつむいて足元の小石を蹴った。
ステージに指揮棒を持って上った狩野が、腰を直角に折り曲げてお辞儀をする。
その拍手の音に慌ててくるみは顔を上げると、合唱部に詫びるような気持ちで手を叩いた。




