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第84話

「お疲れ様ー。いやー、みんなごめんっけねぇ、心配させちゃって」


 ゴールデンウィーク明けの部室に、すっかり肌つやも良くなり、休み前よりも顔に丸みの出た隆玄が、他の三年生二人を伴って現れた。

「わー! お帰りなさい!」

「お元気になられて何よりです、伊東先輩」

「顔色、すごくよくなりましたね」

 先に部室でチューニングと指慣らしをしていた二年生たちに出迎えられて、隆玄はえへへ、と照れ笑いする。

「点滴なんて初めて受けたよ、あれほんと退屈で困るよなぁ、針が刺さってるとこ見てるだけで痛いしさ、ほっといたら血が逆流してグロいし……もーやだ、二度と入院なんてしない。俺は死ぬまで健康体で生きてやる」

「じゃあ、これに懲りて、もうメロンパンは主食にすんなよ」

 そう言いながら笑う太陽に脇腹をつつかれて、隆玄は肩をすくめた。

「先輩、麗ちゃんのお弁当、ちゃんと全部食べてましたか?」

「大丈夫、側で監視してたけど残さず食べてた。シャケには四苦八苦してたけどな」

 祐華の質問に、だいぶ硬さが取れ、軽音楽部の水に馴染んできた政宗が答える。

「ほんとに俺が嫌いなもの入れるんだもんなぁ、困るよ。でも病院で出てきた魚の煮つけよりは全然おいしく食べれたよ。骨もなかったし」

「まあ。麗さん、お気を遣われてますね」

 どうせ姉の分も含めて毎日作るものだから、同じ献立のものが一人分増えても大差ない、と言いつつ、自分の弁当に入っていた鮭の塩焼きから器用に骨を外していたのを思い出し、ミチルがくすくすと笑った。


 紗雪と共に軽度の栄養失調と診断された隆玄は、兄妹揃ってそのままゴールデンウイークを病室で過ごすこととなった。

 市立病院に運ばれた当日、自分たちの病院の診療時間が終わった後、特別に面会を許されてやってきた二人の両親と、興津をはじめとする教師たちは彼らの生活についての話をしたが、やはり両親ともに命を預かる仕事であるために、子供たちへの対応をこまめにするのは難しいと言われてしまった。

 ただ、毎日の通塾から、週に三日をリモートでの在宅講習に切り替え、睡眠時間の確保をさせることだけでも確約してもらえたのは、自身も不眠症を患って長い興津には、我が事のように喜ばしかった。

 紗雪の通院への付き添いも結局、多忙を理由に断られてしまったのだが、彼女への接し方に誤りがあったと素直に認め、すぐに病室に謝罪に向かった二人に、どれだけ環境が荒れてしまってもそれに抗って、できる限り人間らしくあろうと子供なりに踏ん張っていた隆玄と紗雪の親であることが垣間見え、教師たちはひとまず胸をなでおろしたのだった。

 そして、先に見舞いに訪れていた麗と敦哉、それぞれの善意で、麗が隆玄の、敦哉が紗雪の昼食を毎日作って持ってくるということになった。

 さらに敦哉から、彼の家でも利用している食材宅配サービスを利用して、料理が苦手な二人でもできる限り簡単に食事が作れるようにしてみてはどうか、という提案を受け、先ほど部室にやってきた隆玄は、興津が来るまでの間、スマートフォンでそのサービスのホームページを眺めて、どれに申し込もうかと品定めをしているのだった。


「やっぱこれかな、食材切ってあるやつ。包丁使うのダルいもんなぁ」

 スマートフォンをタップしながら、快気祝いにくるみが作ってきた人参入りのケーキを、そうとは知らずに野菜嫌いの隆玄は頬張る。

「……くるみちゃん、これ、オレンジ入ってる? いや、うまいんだけど、なんか独特な……」

「ふっふっふ、どうでしょうねえ。全部食べたら教えますよ」

 最初にこのケーキを食べた人間が必ずもらす感想に、くるみはしたり顔で隆玄を見る。

「なーんか怪しいなぁ……」

 首をかしげつつ、むしゃむしゃと食べる三年生たちを、彼女は実に楽しい気分で眺める。


(あとで先生にもあげるけど、材料教えたらびっくりするかな)

 母の本棚で眠っていた、昭和に発行された古い本から引っ張り出してきたレシピだが、何度も小さい頃に作ってもらった記憶が蘇る優しい匂いに、くるみは満足気に微笑む。

(わたしもお兄ちゃんも、これで人参食べられるようになったんだよね。懐かしいな……)

 今日のおやつにと家に残してきた分も、今頃きれいになくなっていることだろう。

 隣でケーキを頬張る祐華とミチルの反応も気になりつつ、くるみも自分の手の中にある同じものをかじった。


「くるみちゃん」

 祐華がひそひそと話しかけてきて、くるみは慌ててそちらに耳を寄せる。

「なあに?」

「わたし、わかっちゃった。これ、入ってるのって、人参でしょ?」

「当たり。すごいね祐華ちゃん」

 答えを教える前に、このケーキの材料を当てた人間は祐華が初めてだった。

「……今度作り方教えて。次、お兄ちゃんとこ行くときに持っていくから」

「紘輝先輩のとこ?」

 くるみに聞き返された祐華はため息をつくと、声のボリュームを戻して話を続けた。

「実はね、ゴールデンウイーク、わたしとお母さんでお兄ちゃんの様子見に東京に行ったの。そしたら、もうちょっとで今回の隆玄先輩と同じ状態になりそうだったのよ……」

「えええ……」

「だってひどいのよ、毎日インスタント麺と野菜ジュースと、コンビニのツナマヨおにぎりしか食べてなかったんだから! お母さんと一緒に買い物して、大急ぎでおかずの作り置きして帰ってきたけど、あれが無くなったらまた同じことするのかと思うと……」

「あはは、なんか紘輝先輩らしいって言えばそうなんだけど、笑い事じゃあないっけね……」

 心配と憤慨でむくれる祐華を前に、くるみは頬を引きつらせて肩をすくめる。

「……なんだか、お話を伺ってると、他人事とは思えません……」

 合宿で味噌汁を沸騰させたミチルが、反対側で話を聞きつつ、所在なさげにつぶやいた。


「お疲れ様です」

「お疲れ様でーす」

 ややあって、一年生の集団が、部室の入り口からぞろぞろと入ってくる。

「みなさん、ご迷惑をおかけしました」

 兄と同じく、少しだけふっくらとし、頬と唇に血色が差した紗雪が頭を下げる。

「大丈夫だよ、気にしないで」

「顔色よくなったね。体調、回復してよかったよ」

 先輩たちから掛けられる優しい言葉に、彼女はほっとしたようにかすかな笑みを浮かべる。

「はい、楽譜。紗雪ちゃんが休んでる間にこっちの曲のパート分けはしたから、中庭ライブの曲の練習の息抜きがてら、ゆっくりやっていこう」

 そう言って、『ひこうき雲』と一緒に、敦哉から聞いたもう一つの曲のスコアも紗雪に手渡しながら、太陽はにこりと微笑むと、

「りゅーげんもまだ本調子じゃないだろ? 無理すんなよ」

 傍らでケーキを食べ終えた親友に声をかけた。

「大丈夫大丈夫、ぶっ倒れる前よりも全然エネルギーあるから。キース・ムーンくらいの動きは出来そうだよ」

「大見得切るなあ……」

 すっかり元通りにおちゃらけてみせる隆玄に太陽は苦笑する。

 そして、

「……あれ? ところでソフィアちゃんは?」

 この場にまだ現れない部員に気が付いた。

「あー、……松崎さん、昼休みにこないだと違う男子に声かけてたけど、あれかな……」

 翔琉が腕組みをして渋い顔をする。

「え、じゃあ結局この前のデートの相手、どうなったの?」

「なんか、『着てきた服が好みじゃなかった』って、すぐ別れたっぽいっす……」

「ええっ!? そんな理由で別れるの!?」

 自分の質問に呆れ顔で答えた凛子に、敦哉が目を丸くして驚く。

「いやあ、陽キャの感覚ってよくわからないっす。聞いた瞬間『こっわ!!』て思いましたわ」

 両手を顔の横にあげて、「やれやれ」のポーズをしてみせる凛子の発言に、

「コスプレでもして来たとかならまだしも、基準がわからんもので拒否られるとなあ……」

 そう言ってすかさず政宗が乗っかる。

「え……先輩も、そう思います?」

「あ、ああ、……俺も私服のセンス、いいとは言えないからな……」

「いや、でも、せ、先輩なら、何着ても、似合うんじゃないっすかね……」

「……そうか?……あ、ありがとう……」

 二人はもじもじとしつつ、目線を交わしては逸らしを繰り返して頬を染める。

 その様子を後ろから見て、

「……政宗、やっぱお前、なんか別の目的でうちに入ったろ?」

 隆玄が疑惑の眼差しを送る。

「まあまあ、目くじら立てんなよ。俺とミチルの肩身が狭くなるからさ」

 困り笑いを浮かべた太陽が、彼の背中を宥めるように叩いた。


「あの、いっこ聞きたいんですけど……」

 一年生にもケーキを配ったくるみは、ずっと気になっていることを三年生に訊く。

「そのギター、どうするんですか? もう取りに来ることはないです?」

 そう言って、くるみは緑郎が残していったテレキャスターの入ったハードケースを指さした。

「あー、それかあ……」

 太陽が困ったように頭を掻く。

「俺も気になって先生に聞いたんだよ。そしたら、迷惑かけたお詫びに、部持ちの楽器として周辺機器も含めて寄付する、って言ってたらしくてさ。……まあ、正直、くるみちゃんの言いたいことわかるから、俺もあんまり、こう、諸手を挙げて嬉しいとは言えなくて……」

「まーじで? 俺が寝てる間にそんな話になってたの?……弱ったねぇ、退院したから明日あたり、返しに行こうと思ってたんだけどなぁ……」

 隆玄もドラムセットの椅子の上で、組んだ膝に肘をつき、うんざりした顔でそれを眺めた。

「間違いなくいいものだから、使わせてもらう分にはありがたい……なんて思えないか……」

 いち早くケーキを食べ終えた凛子が頬を掻く。

「今さら話しかけるの嫌ですよ、ボク。たぶん向こうも同じこと思ってるでしょう」

 翔琉がすっぱりと返却という手段を切り捨て、ケーキの残り半分を口に入れる。

「いっそのこと、弦外してどっかに封印しちゃうか?」

「あっくん、それは楽器が可哀想よ。持ってた人は印象最悪だけど、あのギターに罪はないわ」

 敦哉の後ろ向きな発言を、紗雪が辛辣な感想を交えつつ諫める。

「困っちゃったわね……」

「せめて目に入らないところに移動だけでもしたいですね……」

 祐華とミチルもため息をついて、黒いハードケースを見る。

「ふーむ……そうだ! ネットオークションとか、フリマサイトで売ればいいじゃん! そしたらその金を部費として、どっかにプールしとけば……」

「やめとけ。それ、バレたらすげー怒られるやつだぞ、隆玄」

 名案とばかりに指を鳴らして、なかなかあくどいことを言い出した友人を、政宗が慌てて止める。

「『立つ鳥跡を濁さず』ってこと、ないんだなあ……」

「どうします?」

 結局全員、何も良い考えが浮かばず、そろって大きなため息をついたとき、

「お疲れ様でーす……あれ? 何この空気?」

 十五分遅刻して部室に現れたソフィアは、どんよりしている彼らを見てきょとんとした。


「あー、そういうこと……」

 半分に割ったケーキの片方を口に入れ、話を聞きながら咀嚼したあと、ソフィアがくすくすと笑いだす。

「なあに? なんかいい案があるの、ソフィアちゃん?」

 祐華の問いに、彼女は唇をぺろりと舐めてから話し始める。

「ペイントしてもらいましょうよ、美術部に。自分たちでやるより、まったく趣味趣向の違う人たちに好き勝手ペイントしてもらえば、絶対印象がらっと変わるから、きっと気にならなくなりますよ。音も少し変わるかもですけど、そこまで気にする人もいないでしょう」


「……なるほど、そういう手があったか……」

「オークションで売るよりはいいと思うな」

「明日、美術部の先生に聞いてみましょう」

 部員たちはソフィアの提案に色めき立つ。

「面白いこと思いつくね、ソフィアちゃん」

「アハハ、アタシのママが持ってるカヴァキーニョも、カスタムペイントしてあるんで」

 感心するくるみに、満面の笑みでソフィアは答える。そして、

「んー、それにしてもくるみ先輩の手作りケーキが食べられるなんて、サイコーだなあ! 軽音楽部に入ってよかった!」

 口いっぱいに残りを頬張ると、幸せそうに両頬を押さえた。

「いやあ、どうも……そこまで言ってもらえるとは……」

 少々過剰なほど喜ばれてしまい、くるみはほんのりと申し訳なくなる。


(……みんながおいしいって言ってるし、きっと先生も喜んでくれるよね)

 カバンの中にこっそり忍ばせている、可愛くラッピングをした彼専用のケーキの存在を思い出して、くるみは小さな笑い声を立てる。


「あの、ところで……くるみちゃん、そろそろ何が入ってたか教えてもらってもいいかな?」

 すっかり食べ終わった後だというのに、今更心配そうな顔の隆玄に、くるみはにやりと笑う。

「ふふふ、……聞いても後悔しませんね?」

「なんか意味深だなぁ、……野菜とかだったら俺、泣いちゃうよ?」

「じゃあ泣いてください」

「まじかよー!」

 容赦ないくるみの言葉を聞いて雄叫びを上げた隆玄に、部員たちは一斉に笑いだす。


 廊下の先、突き当りにある部室から聞こえる、賑やかではじけるような笑い声が、ギグバッグを背負った興津の耳に届く。

(……ああ、そうだ、この空気。久しぶりだな……)

 階段を上り終えた彼は、清々しい笑顔を浮かべて足取り軽くその声を目指す。

 ここ一か月、こんな楽しい声が部室から聞こえてくることはなかった。

 静まり返った部室の中、狭く暗く張り詰めた世界で、敵意と嫌悪感丸出しの殺気立った部員たちを見ることは、もうないだろう。


(ぶつかり合うのは悪いことじゃない。誰とでもうまくやろうなんてのも、どだい無理な話だ。でも、嫌われきってしまうまで、我を通すことは損でしかない。あいつもそれがわかっただけ、ここにいた意味はあったのかもしれないな。でも、もう二度とごめんだ、あんなこと)

 男としてはもう関わり合いになりたくないが、生徒としてはこれからも接していかなければならない少年の顔を、今だけは思い出さないようにしながら、興津は部室の扉を開けた。

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