第82話
「頭、どこにもぶっつけなくてよかったわね。きっと心配事が解決して気が抜けたんでしょうけれど、……明らかに痩せすぎよ、お兄さん。ちゃんと食事も睡眠も取れてないでしょ」
救急車を呼ぶまでの間、保健室に運ばれた隆玄の様子を見て、朝比奈が紗雪に詰問する。
「あなたもよく見たらガリガリね。ご飯ちゃんと食べてる? お弁当は作ってるの?」
「……いえ、……」
紗雪は朝比奈から目をそらしてうつむく。
「りゅーげんの奴、いつも昼飯、好きだからって言って、菓子パン一個だけにいちご牛乳とか、そんなんしか……家でしっかり食べてると思ってたんですけど……」
涙目でそう証言する太陽に、白衣を纏った朝比奈は腕組みをして、眉間にしわを寄せた。
「そう。……夜は? 塾の前にご飯は食べる?」
朝比奈の追求にいたたまれなさそうに顔を背けながら、紗雪が答える。
「コンビニで、おにぎりとか、……でも、眠くなるから、いつも一個だけ……」
「駄目じゃない、とても成長期の子供の食生活じゃないわ。ご両親は何も言わないの?」
「……」
「……困ったわね。医者の子がこれじゃ、不養生もいいとこだわ」
黙りこくってしまった紗雪に、朝比奈は大きなため息をついた。
「塾から帰ったあとも、この様子じゃあ、日をまたいで勉強してる感じね。そこまでしなくたって、あなた達だったら、なんとでもなるでしょうに……」
「あの、……ごめんなさい、わたしが一年生と揉めて、先輩に迷惑かけたから、きっとストレスがひどかったんだと思います」
厳しい物言いの朝比奈にくるみはそう言ってとりなすが、
「いや、くるみちゃんだけのせいじゃないよ。……りゅーげん、去年の秋口からちょっと様子が変だったんだ。定演の後からこっち、空元気っていうか……冬休み明けてっから、どんどんそれが悪くなったような気がする」
太陽にそう言われて、少しだけ罪悪感が和らいだ。
「失礼します!」
突然保健室の扉が開き、血相を変えた髪の短い少女――二年生の清水麗が、息を切らせて飛び込んでくる。
「くるみちゃん、教えてくれてありがと。先輩は?」
「大丈夫、頭打ったりはしてないよ。麗ちゃん、吹奏楽部の練習、いいの?」
「うん、ちょうど終わったとこに連絡来たから……」
麗は話しながら、隆玄のいるベッドに向かう。
「先生、顔見ていいですか」
「寝てるから起こさないようにね」
朝比奈の言葉にうなずくと、麗は荷物かごにカバンとクラリネットケースを置いて、恋人が眠っている仕切りカーテンの中に姿を消した。
「……さゆ」
うつむいて椅子に腰掛けたままの紗雪に、敦哉が寄り添って肩を叩く。
「たっちゃん、もう黙ってるの、限界だと思うよ。ちゃんと先生に相談しないと、さゆだって同じように倒れちゃうよ。喋るのしんどかったら、俺も手伝うから、今、話してごらん」
敦哉の言葉に紗雪はますますうつむく。
「やっぱりりゅーげん、何か隠してるんだな。紗雪ちゃん、敦哉くん、教えてくれるかな? 俺、去年自分のことで迷惑かけたから、力になりたい」
真剣な顔で二人の側にしゃがみこんだ太陽に、
「島田、……やめておきなさい」
何かを知っている様子の興津が声をかけた。
「!……先生、なんで止めるんですか」
「……とても君たちに抱えきれるような話じゃないからだ」
そう零す興津の表情は重苦しい。しかし、
「じゃあ、なおのこと聞かなきゃ駄目です」
太陽は一歩も引かず、彼をじっと見つめ返した。
「その抱えきれない話を、りゅーげんも紗雪ちゃんたちもずっと隠して持ってたから、こうやって潰れちゃったんですよ。だったら、誰かが代わりに抱えてやらないと、いつまでも立ち上がれないじゃないですか。重い荷物はみんなで運んだほうが早く運べるし、軽くなる。……俺はりゅーげんにこれ以上、部長だからって負担かけたくないんです。そんなに重い話なら、聞きたくない人だけ出ていけばいい。でも、俺は何があっても出ていきません」
揺らがない決意を帯びた彼の言葉に、興津は何も言い返せなくなる。
「……わたしもです。隆玄先輩が具合悪そうなの、わかってて知らんぷりしたから、わたしにも責任があります」
祐華がソファから立ち上がって、同じ目で興津を見る。
「親しい方が苦しんでいるのを見過ごすわけには参りません。わたしも同席します」
ミチルが太陽の隣に立つ。
「……出てくわけないじゃないですか。隆玄先輩が倒れたのはわたしのせいでもあるし、それに、この話はちゃんと『最後まで』聞かないといけない。……そうでしょう? 先生」
どうする、という目でこちらを見た興津にくるみはそう言って、紗雪の隣へと歩み寄る。
「俺、隆玄がしんどいときに声かけちゃって……悪いこんしたな。……先生、俺も話聞きます。隆玄は俺が小学生の時からの友達なんです。このままほっとけない」
政宗も悲痛な表情で興津に訴える。
「話せば楽になることだってありますよ、紗雪氏」
「アタシたち、友達なんだから、遠慮しないで何でも言って」
「このまま隠してたって、なんにもいいことないと思うよ」
他の一年生たちも、心を決めたようだった。
「……朝比奈先生、どうしますか」
まだ迷っている興津に、朝比奈は諦めを込めた笑みを返す。
「ここまで来たらしょんないわよ。……いいわ。何かあったら私が対処する。伊東さんさえ良ければ、話してしまってもいいんじゃないかしら。うちの子たちも知ってるこんだし、近いうち、ニュースにもなるでしょうしね」
「え?」
「ニュース?」
不穏な単語にみんなが顔を見合わせたあと、
「さゆ、……大丈夫、俺が隣にいるから」
そう微笑んだ敦哉に片手を預けて、紗雪は兄とよく似た猫目を伏せ、静かに口を開いた。




