第81話
「……」
凛子は硬直していた。
(うそ、マジで……? これは夢? なんかわたしヤバいモノでも食べたっけ?)
隆玄に伴われて部室に現れたその人の姿に、彼女の目は釘付けになる。
「……三年の磐田政宗です。よろしくお願いします」
そう言ってみんなの前で頭を下げた彼は、二年前に山ほどのお守りを授与したその人だった。
(あかん、奇跡じゃ、推しが、推しがご降臨なすった!!!……近い、近すぎる……ッ!!)
心臓はあっという間に拍動を速め、全身にどっと汗をかく。
いつものようにオーバーリアクションをしようとして、はっとそれを止める。
(オタバレ is 死……! 出来る限り普通の女子としてふるまわねば!!)
結果、ろくに身動きができない状態に陥り、凛子はギターを肩から下げたまま気を付けの姿勢で政宗を見る。
今、うっかりシールドに触ったら感電してしまうのではないかと思うほど、手汗が出てくる。
(うおお……聖漣受けて良かった……去年の自分マジグッジョブ……! そしてありがとう、ありがとう『いせバン』……! これからもじゃぶじゃぶお布施するけえの……!)
この高校に来たことも、アニメにハマってギターを始めたことも、すべてがきれいにぱちりとはまったような感覚がして、彼女は感動で身体が震えるのを止められなかった。
と、そのとき不意に政宗と目が合う。
(うおっまぶしっ)
冗談ではなくまばゆく感じる彼の美麗な顔立ちに、凛子は瞬きも忘れて見入ってしまう。
しかし政宗はにこりともせず、すぐにぱっと凛子から顔を背けて、隣の隆玄と話を始めてしまった。
(……あー、まあ、脈なしっすか。そりゃそうだ。しょんないっすね……)
自分は覚えていても、相手にとっては初対面なのだ。
(まあ、これからちょっとでも、話ができる機会が出来たってことだけで僥倖っすな。……あとでお賽銭入れとこ、セルフで)
自宅でのお礼参りを心に決め、政宗の美貌の横顔にうっとりとため息をついてから、
(……練習しよ)
凛子はギターを手に、いつも通り指慣らしをしようとスピーカーアンプの側に寄った。
(いた……! 本物だ、やっぱ見間違いじゃなかった!!)
隆玄と話し終え、オーディオインターフェイスをリュックサックの中から取り出しながら、政宗は聞こえてしまうのではないかと思うほど大きくばくばくと鳴る心臓の音に冷や汗をかく。
(あの時、社務所でお守り売ってた子だ、間違いない……! 俺と同じ高校来てるなんて、ほんと奇跡じゃん!!)
高校受験のために訪れた神社で出逢った麗しい巫女姿の凛子に、あの日声をかけなかったことをずっと後悔していた政宗にとって、これはまたとないチャンスだった。
(名前……後でちゃんと名前聞こう、ギターの音もらうふりして話をして……いや、ていうか俺、そもそも話しかけられるか? 女子と最後に話したのいつだっけ?)
常に虚勢を張り、硬派を装ってぐずぐずで脆い内面を隠している彼にとって、女子生徒と話すことは困難でしかない。
(どうしよう、なんとか卒業までには仲良くなりたい……大学受かったらどのみち静岡にはいないんだ……せめて連絡先だけでも教えてもらえれば……)
そこまで考えて、政宗はため息を付き、手の中のオーディオインターフェイスを眺める。
(もし、難しい大学入れたとしても……俺、何したらいいんだろうなあ)
幼稚園の頃に大人向けの簡単なプログラミングの本を読破し、小学校に上がってからも勉強が抜群にできた彼は、当たり前のように両親からも親類からも難関大に入ることを期待され、本人もそれが何を意味するのか、よく考えもしないまま目標にして生きてきた。
(……でも、勉強できることと、才能があるってことは、やっぱ別だよな……)
小学五年生の自由研究に、プログラミングの延長線上でボーカロイドを使って打ち込んだ曲を、たまたま当時の担任に褒めてもらったことがきっかけでDTMの世界に飛び込んだが、それに気を良くして初めて作曲し、意気揚々と動画サイトに上げた最初の曲が100再生もいかなかったことに、ひどいショックを受けたのを思い出す。
百万単位や千万単位で再生されている曲をいくつも作っている人と比べて、自分の才能の空っぽさに打ちひしがれ、悔し涙を流しながら、それでも勉強以外のことで褒められた嬉しさが忘れられなくて、諦めきれずにいくつも曲を作ってはその度に自分にがっかりした。
音楽理論を勉強し、ソフトも本格的なものを揃え、暗中模索で五年以上曲を作り続けたが、今でも再生数が1000を超えればいいほうだ。
(嫌だな、勉強しか取り柄がないなんて。でも、父さんみたいに自衛官になるのだけは俺には絶対に無理だ。メンタル弱いから間違いなく病む。運動神経ないから訓練もついていけないだろうし、災害派遣とか俺みたいな軟弱者なんて行くだけ邪魔になるだろうし、隆玄みたいに医者になるなんて目標もない。俺は、人の役に立つような、立派な人間じゃない……大学行ったって、そっから先が……先が何もない……)
このままではいわゆる高学歴ニートになる未来しか見えなくて、政宗は自分にうんざりした。
(俺の人生、勉強以外のこと上手くいかないように出来てんのかな……いや、そんなことはない)
振り返った先で同級生と会話をかわす、どこかぎこちない動きをする凛子をちらと見る。
(少なくとも今、一個はうまくいってる。それに、最近は曲上げるたびにコメントだってつくようになったじゃないか。前向け、前。卒業までにやれること全部やるって決めたんだから、そんくらいは貫けよ)
政宗は自分の手の中にあるオーディオインターフェイスを睨むと、それを傍らに静かに置いて、リュックサックからノートパソコンを取り出した。
その時、彼の耳に聴き覚えのあるフレーズが、エレキギターの音色で飛び込んできた。
「え……」
稲妻に打たれたような心持ちで、政宗は呼吸すら忘れる。
(俺の作った曲!? なんで!?)
それは彼が半月ほど前に動画サイトに上げた『春すぎて、夏来にけらし』のサビのメロディだった。
びっくりしすぎてパソコンを開いたまま、電源を入れることも忘れてそちらを振り返る。
凛子が抱えるレフトハンドモデルの白いギターから、それはよどみなく紡がれていた。
「リンちゃん、今の曲なに?」
「あー、これはですな……いや、えっと、これはね……」
「?……なんで言い直した?」
指慣らしにサビを全部弾き終わったところで、ソフィアの質問にいつも通りのしゃべり方で答えようとして、はっと口を抑え、慌てて祐華の口調を真似する凛子に敦哉が首を傾げる。
「あ、いや、何でもないんですのよ、おほほ……」
「なんかキャラぶれてるよ、掛川さん」
今度は自分なりのミチルの真似をしてみたがやっぱり上手くいかず、翔琉が不思議そうに彼女を見る。
冷や汗をかきながら彼女は一つ咳払いをし、
「ら、ライブの曲、練習いたしますです……」
できる限り今日は口を開くまいと、友人たちから逃げるようにこそこそと部屋の隅に移動した。
(……わたしはオタバレしたいのかい、したくないのかい、一体どっちなんだい!!?)
いつも話題のきっかけづくりや自己顕示のために、指慣らしで派手な曲を弾いてしまうことに、自分が嫌になるほどオタクであると思い知って、凛子は心の中でのたうち回る。
(いや、取り繕ってもいつかはバレるんだろうけどさ、それでもこう、まろやか~に本性を表していきたいんすよ……さじ加減クソムズ……)
案の定自分の行動にドン引いた様子の政宗を見て、彼女は肩を落とす。
それでもやはり『torimune』の曲はさすがにマニアックすぎた気がして、
(……次はもっと一般ウケしてる曲にしよう……)
凛子は若干の反省をしながら、ライブのギター譜に目を落とした。
(俺の曲の、数少ないリスナーのひとりが……)
政宗は感激で言葉を失う。
(まさかあの子が、俺の曲を聴いて、……ていうか、俺データ公開もしてないし配信もしてないから、耳コピで弾けるようになるまで聴き込んでるってこんだよな?……やべえ、めちゃめちゃファンだってこんじゃん……!)
思わずにやけてしまった口元を、大慌てで隠す。
(……ああ、でも駄目だ、俺が作ってますなんて言ったら……)
DTMをやっていることこそ家族と親しい友人に――とは言っても、それは隆玄と太陽だけなのだが――明かしてはいるが、自分が『torimune』であることは誰にも話していない。
そもそも、作っている曲が自分でもどうかと思うほどロマンチックで乙女っぽい雰囲気なのだ。『torimune』の性別は出来れば不詳にしておきたかった。
(言えないよなあ、夢ぶち壊しだろうし……)
もしかしなくても彼女は『torimune』のことを女性だと思っている可能性がある。いくら本人とは言え、そこに自分が無遠慮に顔を出してしまうのは、とても申し訳ない気がした。
(……駄目だ、この手は使わない。封印だ封印)
彼女と仲良くなるきっかけにしようとした手段をなかったことにして、政宗はようやくノートパソコンの電源を入れた。
「ねー、そういえばさっちゃん、今日もお昼おにぎり一個だったけど、お腹空かないの?」
窓際の机に腰掛けたソフィアが楽譜を眺めつつ、大袋入りの小さなチョコレートをひっきりなしに剥いて頬張りながら、エレアコを抱えた紗雪に問いかける。
「え……あ、うん……」
「もしかしてダイエット? そんな必要なさそうだけど?」
隣でベースのTAB譜を読んでいた祐華が、心配そうに彼女を見る。
「いえ……もともと、そんなに、食べられなくて……」
「じゃあちょっとずつでもカロリー取んなきゃ、小分けでいいからさ。はい、どうぞ」
そう言ってソフィアは机から下りると、袋を差し出す。
「ほら、取って」
半ば押し付けられたその中から、紗雪はおずおずと一つだけチョコレートをつまむ。
「祐華先輩もどうぞ。ミチル先輩も食べます?」
「まあ、いいんですか?」
呼びかけられたミチルもうきうきと側に寄る。
「リンちゃんも男子の皆さんもどうぞ、みんなでシェアしましょう」
「マジで? ありがとう、ごちそうさま」
あっという間に彼女たちの周りには人だかりができた。
「……りゅーげん? 食べんの?」
ふと、自分の後ろに隆玄がついてきていないことに気が付き、太陽が彼を呼ぶ。
「え? あ、ああ……悪い、考え事してた。……食べないわけないだろー?」
虚空を見ていた様子の隆玄は、呼ばれて初めて電源が入ったように動き出す。
(りゅーげん、大丈夫かな……)
くるみと緑郎の件も今日の話し合いですべて解決するだろうということで、ようやく政宗を部室に呼んだのだが、どうも先程から様子がおかしい。
何を話しても心ここにあらずといった素振りで、反応が薄い。
(先生来たら、ちょっと相談しよう。次から次へと申し訳ないけど……)
そろそろ興津も、彼を迎えに行ったくるみと一緒に戻ってくるはずだ。
袋から三個ほどもらったチョコレートの包みを剥いて口に放り込みながら、太陽は隆玄の同じ仕草を隣から見上げた。
「さゆ、食べなよ」
「うん……」
隣に座った敦哉に促され、紗雪はやっとチョコレートの包みを剥いて口に入れる。
それを見てほっとした様子で、敦哉は紗雪の耳元に顔を寄せ、
「……今夜、予備校終わる時間狙って、家に晩飯作りに行ってあげるよ。それなら人目気にしないでいいだろ? たっちゃんにも後でそう言っといて。買い物してから行くからさ、リクエストあったら教えて。二人の食べたいもの、何でも作ってあげる」
そう小声で囁いてから、自分もチョコレートの包みを剥く。
「……でも、あっくん、平気なの? またおじさんに叩かれたり……」
「そんなの気にしなくていい」
彼は鋭い視線と低い声でその先の彼女の言葉を封じ、すぐに頬を緩める。
「……どうせ二人とも帰り遅いし、バレなきゃいいんだ。俺がやりたいだけだから、自分のこん考えろ」
「……うん」
紗雪が不安げにまつげを伏せ、敦哉の言葉にうなずいたとき、
「ただいま戻りましたー……あ、チョコ食べてる! わたしももらっていい?」
「お疲れ様……ああ、磐田、いらっしゃい。軽音楽部にようこそ」
興津を連れたくるみが部室に戻ってきて、扉は閉じられた。
「……ありがとう。いいサンプルが撮れた」
「あ、はい、どういたしまして……」
くるみの発声練習を録音した政宗が、硬い表情で礼を言う。
「ちょっと、近づきがたい方ですね……」
「先輩たちから聞いてたのと、随分違うわね」
ミチルと祐華が二人を見ながらひそひそと言葉を交わす。
無意識に仏頂面を作る癖がある政宗は、そのままの表情で何の気なしに視線を送る。
それを咎められたと思ったのだろう、申し訳なさそうに愛想笑いを自分へ返す二人に、
(違う、違うんだ、ちょっと見ただけだって、誤解しないで……あああ、また女子に嫌われる……)
政宗は内心平謝りしながら、自身の面倒臭い性格を持て余して、頭の中でぐだぐだと転げまわっていた。
「政宗、それどうやって使うん?」
「……ボーカロイドの調声をするとき、ビブラートや息継ぎや声の切り替え方なんかを、この歌い方に近づけるための参考資料にする」
隆玄の質問に答えながら、どうにか気分を持ち直した政宗はDAWソフトを立ち上げる。
「ふーん、直接ボカロみたいにして使うんじゃないんだ。俺、てっきり『くるみロイド』みたいなやつにするのかと思ったよ」
「うえっ!? たったったっ太陽先輩!! 変なこと言わないでください!!!」
太陽の発言に素っ頓狂な驚き方をしたくるみに、部室がどっと沸く。
みんなと一緒に盛大に吹き出した政宗の笑顔を見て、部員たちは少しだけ胸をなでおろした。
(……この人、こんなふうに笑うんだ)
凛子がなんとも言えない幸せな気分で、無邪気に大声で笑う政宗の横顔を見ていると、彼はその笑顔のまま彼女に視線をよこす。
(め、目線頂きました……! これだけでご飯どんぶり三杯はいけるっす……!)
癖になっているオーバーなリアクションを隠そうと思っていた決意は脆くも崩れ去り、凛子はすっかり熱くなった頬に手を当てて、驚愕と歓喜の表情を浮かべる。
(……顔に似合わず大袈裟な子だな……でも、やっぱかわいい)
ムンクの『叫び』のような格好で自分を見る凛子の姿に、政宗は新しい笑いが込み上げる。
(うまく仲良くなれるといいんだけどなあ、……次、音録らせてもらおっか)
そこはかとない手応えを感じつつ、彼はまた目線をパソコンの画面に戻した。
(……よかった、これで元通りになった気がする)
政宗がみんなの輪に溶け込んだ雰囲気に、隆玄はほっと息を吐く。
部長を引き継いでから、この一か月がいちばんハードだったのは言うまでもない。
(俺もやればできるもんだなぁ、……あとで麗ちゃんに話したら、ちょっとくらいは、褒めてもらえるかなぁ……)
口ではきついことを言いながら、なんだかんだで自分を甘やかしてくれる恋人の顔が浮かんで、胸の奥がふわっと温かくなり、身体の力が抜ける。
(……あとは紗雪とあっちゃんが立ち直ってくれたらいい。先生もたぶん、あの様子じゃ報告書かなんか読んでるんだろう。俺にできることはもうないな、せいぜい塾と病院に付き添うだけだ)
最後のひとつの大問題を大人に投げ出す決心をして、彼は椅子から立ち上がろうとする。
(あれ……?)
その瞬間、自分の視界がぐらりと揺れたのを感じたきり、彼の意識は闇に消えた。
椅子が床に擦れる音とともに、どさりと何かが落ちる音がする。
「りゅーげん!?」
太陽が慌ててしゃがみこんだ横で、隆玄が糸の切れた操り人形のようにくずおれている。
「伊東!」
「隆玄先輩!?」
「部長、しっかりしてください!」
にわかに喧騒に包まれる部室の窓の外は、初夏の風が空高く舞い上がっていた。




