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第69話

「おお! 新作きとる!」

 動画サイトの登録チャンネルのアイコンに、新着の通知である赤い丸印がついているのに歓喜して、凛子はカーソルを合わせてそこをクリックする。

「しかも一時間前! ホヤホヤではないですか……! コメもまだついてない! 早速聴いて一番乗りしますぞー!」

 数多いサムネイルのその一番上で、ヘッドフォンを抑え、長い髪を風になびかせて歌うボーカロイドの艶やかな着物姿の一枚絵に、淡い桜色と水色が水彩画のようににじんだ背景と、手書き風のさらりとした白抜きのフォントが描いた『春すぎて、夏来にけらし』という曲名は、アニメで古典文学に親しんだ覚えのある凛子の期待値を余計に高める。

 洗った髪も乾かさないままヘッドホンを付けると、彼女は大急ぎで再生ボタンを押す。

 特徴的な打ち込みピアノのイントロからストリングスのサウンドがクレッシェンドで加わり、ウインドチャイムとグロッケンが可愛らしく華を添えた後、ボーカロイドのくっきりした歌声がドラムンベースに乗って憂いたっぷりの恋心を歌い始める。

「ほあああ、これは……このキラキラ感に鬱な歌詞っていうのが……! こういうのでいいんだよ、こういうので……! これは伸びる……!」

 そうは言っても毎回せいぜい3000再生がいいところだが、この作曲者『torimune』が作る曲を、凛子は中学生の頃からこよなく愛している。

 たまたまおすすめに出てきた動画のサムネの色が、当時推していたキャラクターのイメージカラーだったのがきっかけではあったが、今ではこの出会いは間違いではなく運命だったと言えるほど、『torimune』の生み出す歌と世界観は、凛子の心にしっくりと来るのだった。


 儚げなボーカロイドの声は、一度逢ったきりの相手に恋をした、名前もわからないゆえの切なさをとうとうと歌い上げる。

「……わかる。わかりみが深すぎる……」

 凛子はふっと息をつき、学習机の椅子の上で体育座りになって膝を抱える。

「……あの人、またお参りに来ないかなあ……」

 二年前からずっと頭を離れない面影が浮かんで、彼女は膝に頭をうずめる。


 毎年、年末から春先までの受験シーズンになると、凛子の実家であるこの街で一番大きな神社は、受験生のお参りで賑わう。

 平日は流石に人出は少ないが、土日ともなれば地元の中学生や高校生は絵馬を奉納しに来たり、お守りを買ったりお御籤を引いたりして、皆それぞれに夢が叶うよう願っていく。

 その人波の中で彼を見たのは、凛子が中一の元旦に社務所で御守を授与していたときだった。

 学業と厄除け、交通安全に身体守に身代と絵馬という、およそこの神社で出来得る限りのフルコースを授与したその人の顔と声がとても綺麗だったことと、随分と念入りだなと思ったことだけは確かに覚えている。

 それが一目惚れだと凛子が気づいたのは、その人が立ち去ってしまった後だった。


 どのみち社務所にいる間は個人的に声などかけられないので、儚く散るしかない恋ではあったのだが、その散った花びらはいつまでも心の中できらきらと輝いて、枯れたはずの恋は後から後から咲いては日々降り積もっていく。

 彼がもう一度お参りに来てくれたら、父に大目玉を食らうことを覚悟の上で、そして神様の罰が当たることもやむなしと腹をくくって、仕事を放り出してでも話しかけようと心に決めているが、彼が当時中学生だったという保証は一切なく、仮に高校生だったとしたら、もうとっくに大学に受かるか落ちるかしてこの街を出てしまっているだろうと彼女は思っていた。

 もしそうなら、お礼参りにでも来ない限り、二度と出逢えはしないということが、ただただ切ない。

(でも、あの雰囲気、たぶん中学生だったと思うんだけど……)

 高校生にしてはまだ雰囲気が幼かった、と自分を励ましてみるが、どこまで行ってもすべてが推測の域を出ない。

(ま、あんなイケメンだもんなあ、たぶん彼女もフツーにいるだろうし、陰キャのわたしには高嶺の花……ああ、せめて同じ環境で影から推せる場所にいたかった……)

 未だに時々夢に出てくるほど恋してしまったその面影が胸に痛くて、深い深いため息をつく。


 歌は終わり、

(……今回のもグッと来たなあ、よき……)

 空気の読めない無粋な広告が、淡い色どりの歌の余韻をぶち壊しにしないうちに慌てて動画を止め、凛子はコメント欄に感想を打ち込む。


【エモすぎてキュン死した、配信首長くして待ってる】


「……この人、全然ストア配信してくれないんだよね……なんかこだわりがあるんかな?」

 そう呟いたときに前回も同じことを書いた気がして、読点以降を削除する。

「たぶん本業でやってるわけじゃなさそうだから、副業禁止とかかな。配信されたら速攻で全曲買うのに……」

 少なくとも3000回は聴かれているのだ、一定の需要はあるだろう。

「……ま、どこの誰かもわからんし、あんま期待しないで待つか……」

 結局いい言葉が思いつかず、凛子は短いが素直な感想をそのまま送信した。


「隆玄。折り入って相談がある」

 水曜日の昼休み、同じクラスの磐田いわた政宗まさむねに深刻な顔でそう切り出された隆玄は、食べようと思って開けたメロンパンの袋を閉じる。

「……そっちから話しかけてくるなんて珍しいな。何? 金なら俺、今ガチで金欠だからなんもできんよ?」

「金の話じゃない。音楽の話だ」

 政宗は極めて端正な、たとえて言うなら人形のような顔で、ただ真剣に隆玄を見る。

「?……音楽?」

 政宗は急に辺りをうかがうようにきょろきょろと見回し、ついてこいとジェスチャーで示す。

「これ、俺はついてかないほうがいいかな?」

 隣でコンビニのおにぎりのラップを剥きかけていた太陽が首を傾げる。

「いんじゃね? 音楽ってこんは、たぶんうちの部活に関する話だ。一緒に行こう」

 隆玄にそう言われて太陽がついていくと、政宗は別段顔色を変えるでもなく廊下に出て行く。

 その様子に安心して二人は顔を見合わせると、彼の後を追った。


「……で、話って何?」

 人気のない西棟の三階で隆玄たちと向き合った政宗は、ぐしゃっとその顔を情けなく歪め、

「なあ、三年からでも軽音楽部って入っていいか!?」

 長めの前髪をばさっと振り乱し、まるで先ほどまでとは別人のように隆玄に泣きついた。

「は? 別にいいけど、お前受験どうすんだよ、部活入ってないの予備校行ってるからだろ?」

「そんなもんどうでもいいわ、後からだって何とかなる! 今やらんと一生後悔する事案が発生したんだ、頼む、力を貸してくれ!!」

 人格が180度変わったような政宗の振る舞いを、当たり前のように受け入れて話をしている隆玄の隣で、

「いやちょっと待て、磐田くんこんなキャラなの!? さっきまでのクールな感じどこ行った!?」

 学年トップの隆玄と常に首位争いをするほど成績優秀かつ眉目秀麗ということで、相応な有名人だった彼を見知ってはいたものの、クラスが今まで別だったことでさほど親しくはなかった太陽は、思わず声に出すほど引いた。

「あー……こいつ、人前ではめちゃくちゃカッコつけてんだけど、実はメンタル豆腐なんだわ。優しくしてやって」

「へ、へー……」

「……おどかしてすまん、そういうことなんだ」

 すっかり憔悴した様子で、政宗は、はあ、と息を吐いた。


「……で? なんかあるの、うちの部に来なきゃならん理由。正直今すっげー揉めてるから、おすすめしないんだけど?」

 すぐそばの空き教室で先ほどのメロンパンをかじりながら、隆玄がやや苛立ちを含んだ声で問う。

「いや……そう言われるとちょっとな……」

 政宗はふにゃりと机の上にくずおれてしまう。

「どっちなんだよ……」

「まあまあ、りゅーげん。イライラしない。磐田くん、なんか音楽やってんの?」

「うん」

 穏やかな太陽の問いかけに、政宗は身体を起こして話し始める。

「……バンドとはちょっと違うんだけど、俺、DTMでボカロ曲作ってるんだ」

「へぇ……てか、お前と長年付き合ってっけど、それは初耳だなぁ。いつから? 動画サイトとかにアップしてんの?」

「小五の夏から……なんか、その、あまりに零細なもんで、言いだせなくってな……あんま再生数は伸びないし、いいねも二桁だし、一個か二個コメントもらえるくらいだから……」

 隆玄の驚いた声に、政宗は長い前髪を揺らして、照れくさそうに答えた。

「いや、アップしてコメントもらえるってだけで十分すごいよ。いやあ、こんな身近にボカロPがいたとはなあ……」

「俺なんて全然。飛沫も飛沫だよ。憧れるけどね、万単位の再生数」

「なるほど。……でもどうかなぁ、興津先生ならたぶんいいよって言ってくれそうではあるけれど、打ち込み音源は何となく、使わない方向で来ちゃってるんだよなぁ。来てくれるなら演ってみたい曲は山ほどあるけどねぇ……」

「シンセなら持ってるから、それでちょっと噛ませてくれるだけでもいいんだ。頼むよ」

 懇願する政宗に、隆玄は疑いの眼差しをちらりと向けながらため息をつく。

「……その前に、だ。お前がどうしてうちに入りたいのか、ちゃんと理由が聞けてないなぁ。……包み隠さず吐けよ、ただし色恋沙汰は勘弁してくれ。今それで部の中がめちゃくちゃ荒れてるから、これ以上何か起きたら、俺の正気度がもたん」

「……」

 その言葉に一瞬だけ政宗は詰まった様子だったが、

「……いや、生音が取りたいんだよ、実際にギターやベースを演奏してる音源が欲しい。俺、自分の曲は音に迫力が足りんって常日頃思ってたんだ。できれば卒業までに一曲でいいから、万越えの再生数の曲作りたい。伸びてる人はやっぱり生音上手く取り入れてる人多いし、かといって、俺には100パーセント打ち込みでいい音が作れるほどの技術がまだない。でも、自分で一から練習して演奏なんて悠長なことやってたら、さすがに受験に間に合わないし……」

 そう説明しながら隆玄と太陽をじっと見た。

「……ホントかぁ? なんか隠してる気配するっけなぁ……」

「ホントだって」

「……生音録るだけっていうには、お前ちょっと必死過ぎやしないかねぇ?……まあいいや、興津先生も今、トラブルの対応してるから、すぐにってわけにはいかんかもしれないけど、落ち着いたら入れるように話はしとく。なんだったら、好きな時に見学に来ればいい。……俺と太陽が、今どんだけしんどいか見せてやる。お前だったら絶対吐くぞ」

 心の底から辛そうな表情で額に手を当てた隆玄の隣で、太陽も苦笑して肩をすくめる。

「……そんなに大変だったら、あまり慌てんでもいいよ。俺も機材の準備があるし……」

 せっぱ詰まった様子の隆玄を見て、さすがに何か思うところがあったのか、政宗は素直に遠慮する。

「……悪りぃな、すぐにいい返事できなくって」

「いいって。……早く落ち着くといいな」

 政宗の労りの言葉に、眼鏡の奥の茶色の瞳がかすかに潤んだ。

「ははは、……なんか、去年からずっとドタバタ続きで、参っちゃうよ」


 本当に疲れた様子で力なく笑う隆玄に、太陽は一抹の不安を覚えた。

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