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第62話

「うわっ、ベースってこんな値段すんのか」

 十二時を過ぎ、みんなで昼食を食べながら過ごしている間、スマートフォンで楽器店の通販サイトを覗いていた敦哉が驚いて声を上げる。

「初心者セットでも十万超え……貯金足りないな……」

 彼は意気消沈してがっくりと肩を落とした。

「足りない分はパパやママにお金出してもらったら? お小遣い前借りするとかさ」

 ソフィアの言葉に、敦哉は首を横に振る。

「いや……ちょっと事情があって、親に資金援助は頼めないんだ。……どうしよう、先生の話聞いて、やるならベースだって思ったんだけどな……」

 そう言って大きなため息をついた彼に、

「うーん、わたしのを貸してあげてもいいんだけど、一回壊れちゃってるもんで、音が少し悪いのよね……」

 自宅に置いてあるパステルピンクの先代ベースを思い出しつつ、祐華も困って頬に手を当てる。

「ギターではダメなのかね?」

「やだなあ、僕は掛川さんみたいに弾ける気がしないよ。さゆもいるし、ギターだらけじゃ先生だって困るだろ?」

「自分へのお褒めの言葉はさておき、確かにバンドの編成には難アリですなあ」

 敦哉の言葉に、ふむ、と腕を組みながら凛子が思案する。

「中古品は保証がないからおすすめしないって言ってたし、やっぱり新品がほしいなあ……」

 深いため息をついた敦哉に、

「贅沢言わねーで中古にしとけよ、貧乏人はさ」

 緑郎がヘラヘラと笑ってきつい言葉をかける。

「!……人の家の事情も知らないのに、そういう事言うのやめて。無神経ね」

 途端に紗雪が、きっ、とそちらを睨んで言い放つと、緑郎は不機嫌そうに、ぷいとあさっての方向を見る。

「未角、お前ほんと口の利き方気をつけろよ。今の、サッカー部だったら確実にコーチから怒鳴られてんだろ。音楽もサッカーと同じチームプレイなんだ、相手の気持ちを考えろ」

 太陽に厳しい口調で追い打ちをかけられると、緑郎は先程と同じようにふてくされて、はあ、と大袈裟に息を吐いた。


「そろそろ中庭ライブの曲、決めないとダメですよね」

 みんなの輪から少し外れたところで、くるみはミチルと隆玄、そして興津と一緒に昼食を取りつつ、この先の予定を確認する。

「そうしたいとこだけど、舞阪と未角の担当する楽器が決まってないからなあ……上級生だけという手もあるけれども、できれば一年生も参加させてあげたいから、とりあえず候補だけ考えて、本決めは月末でいいかなと思ってるよ」

「去年は全員経験者でしたから、すっと決められましたけど、そうなると楽譜書き起こす系の曲は無理っすね。ちゃんと既存のバンドスコアがあるものから選ばんと……」

 興津の言葉に、隆玄が早速スマートフォンをポケットから出して検索を始める。

「お二人が参加するとしても、いきなり演奏するのは無理でしょうから、何か他の方法を考えなければいけませんね」

「いや、本当に去年が出来すぎてたんだよ。もしかしたら、二人には見学と荷物運びだけお願いするかも知れないな」

「それでもいいと思いますよ、未経験なんだからしょんないですって。先生、そういう変なとこ平等にしようとか考えるもんで、未角みたいなのがつけあがるんすよ」

 メロンパンをかじりながら、隆玄がぐさりと興津の急所を突いた。

「……うーん、返す言葉がないなあ……」

 きれいに食べ終えた弁当箱に蓋をしながら、彼は小さくため息をつく。

「ほらぁ、そういうとこですって。厳しい先生なら『生意気だ』ってキレたりすんのに、いちいち真面目に考えちゃうから舐められるんすよ。ま、そこが先生のいいとこなんすけどね」

 隆玄の言葉にくすくすと笑うくるみを見て、興津は困り笑顔を浮かべる。

「でもまぁ、みんな仲良くお手々繋いで、とはいかないっすねぇ。俺は今日悟りました」

「なんか、申し訳ないな、伊東。君には苦労させてしまうね」

「いいですよって。本当に、去年のうちの部が仲良すぎただけです。これも社会に出る前の試練っすよ」

 隆玄はにこりと笑うと、またひとくちメロンパンをかじってから、検索の続きに戻った。


(……そうだ)

 隆玄を見て、くるみは先程調べようと思っていた歌詞のことを思い出す。

(ユーミンの『ひこうきぐも』か……今、調べてみよう。どんな歌かな)

 食べようとして手に取ったたまごサンドを置いて、くるみはスマートフォンをポケットから取り出すと、ブラウザを立ち上げて検索窓に『ユーミン ひこうきぐも』と入力する。

 はたして、サジェストされた目的の歌詞はすぐに引っかかり、くるみはそれを読み始める。


「……」

「くるみさん? どうかしましたか?」

 表情が淀んでいくくるみに、ミチルが声をかける。

「……え?……あ、……」

 そこに書かれていたことに絶句して、くるみはうまく返事ができなくなる。

 何回読み返しても目に入る『死』という一文字が、彼女の意識を凍らせた。


「なに見てんの、くるみちゃん?」

 隆玄がひょい、と横からくるみのスマートフォンを覗き込むと、彼はさっと表情を変える。

「どうした? フリーズでもしたか?」

 様子のおかしい二人を見て、興津も慌てて後ろからくるみのスマートフォンの画面を見る。

 そしてそこに書かれているものが何かを理解すると、彼はやっぱりな、という顔をして、瞳を曇らせた。


 くるみの目は何度も、画面の文字と紗雪を行き来する。

(紗雪ちゃん、いい曲だから選んだ、って言ってたけど、きっとそれだけじゃない)

 しかしその理由を無作法に問う気にはなれず、心の遣り場に困った彼女は、隣にいる紗雪の兄を見る。

 何も訊くな――

 確かに隆玄の目がそう言っている気がして、くるみは慌ててブラウザを閉じ、スマートフォンの画面を落とした。


「……大丈夫ですか?」

「……う、うん、大丈夫。ゲームの広告踏んじゃったけど、ブラウザ閉じたら直ったから」

「そうですか……」

 まだ心配そうなミチルに、くるみはとっさに嘘をついて、作り笑顔を向ける。

「……ははは、びっくりしたね、エッチなゲームだったもんで」

 さらに隆玄がすべてを打ち消すように、ひどい冗談を重ねる。

「えっ!?」

「うえっ!? な、何言ってるですか、そそそんなゲームじゃないですって!!!」

「こら伊東、そういう事は言わなくてよろしい」

 そして興津がそれをさも事実であったかのようにしてミチルを煙に巻き、くるみの疑問は頭の隅に無理矢理追いやられた。


 時計の針は十二時四十五分を指している。

「……ねえ、あっくん。お兄さんに頼んでみたら?」

「え? 兄さんに?」

 いい考えに目を輝かせた紗雪の言葉に、敦哉は思いもよらなかった答えをもらった心持ちで彼女を見る。

「足りない分だけ、あとで返すって約束して、貸してもらうっていうのはどうかな?」

「そうだな……ダメ元であたってみようか、兄さんが無理なら姉さんにも聞いてみよう」

 敦哉はすぐにチャットアプリを立ち上げ、兄との個別会話の画面を開く。

「うまくいくといいね、あっくん」

「うん、ありがとう、さゆ。やっぱさゆは頭いいな」

「そんな……たまたま思いついただけだよ」

 嬉しそうな敦哉の様子に、紗雪は安堵の笑みを浮かべた。


「……目の前でいちゃつくんじゃねーよ、ったく」

 緑郎が聞こえよがしに二人を見ながらつぶやく。

「よきではないですか、自分が先輩に振られたからって、嫉妬はカッコ悪いですぞ」

「いーよねえ、ラブラブで」

 さすがに凛子とソフィアにまで言われてしまうと無視できなかったのか、

「「いや、ふたりともただの幼馴染だから……」」

 二人は声を揃えて否定し、それが互いに可笑しくなって、顔を見合わせて笑ってしまった。

「はー、推せる……てぇてぇな……」

「ふふ、なんかうちのパパとママみたい」

 各々に仲の良い二人を眺めて感想を漏らす凛子とソフィアに舌打ちして、

「うっせーな、俺への当てつけかよ。あーもう、くるみ先輩もいっぺん俺と付き合ってみればいいのに、なんで断るんだよ」

 振られた腹いせを苛立ちのままに吐き出す。

「そりゃ、彼氏いるからじゃないの?」

 当たり前のようにソフィアがそう言うと、ぎょっとしたように緑郎はそちらを見る。

「え? あれだけ可愛いんだから彼氏くらいいて当然でしょ。ていうか、そこまで考えずにアタックしてたわけ? それはちょっとおめでた過ぎじゃない?」

 彼女にあからさまに馬鹿にされて、緑郎はあっという間に頭に血が上ったようだった。

 がたん、と椅子を後ろの机にぶつけながら彼は立ち上がると、ずかずかとくるみのほうに歩いて行く。

「ちょっと、松崎さん!」

「だめじゃないか、焚きつけてどうすんだよ!」

「……あらら、やり過ぎたか」

 緑郎を追いかける祐華と太陽に叱責されて、ソフィアも真面目な顔で慌てて席を立つ。

「これはよろしくないですな……」

 凛子が怯えるくるみに近づく緑郎を見て、形のよい眉を寄せつつ立ち上がる。

「未角君、やめなよ」

「おい、何する気なんだ」

 ただならない気配に、紗雪と敦哉もみんなの後を追って、くるみたちの座る机の近くに駆け寄った。


「くるみ先輩、彼氏いるんですか」

「……なんで、牧之原が君にそれを言う必要があるんだ」

 緑郎と目を合わせずに、そっと自分の方に身体を寄せたくるみを庇うように、興津は腕を彼女の椅子の前に出す。

「先生は引っ込んでてください、これは俺たちの問題です」

「……未角、お前さっき俺が言ったこと聞いてた?」

「おやめなさい、未角君。そんな不躾な質問、くるみさんが迷惑なだけですよ」

 隆玄とミチルの厳しい言葉を無視して、緑郎はくるみをほとんどねめつけるようにしながら言葉を続ける。

「どうなんですか、正直に答えてください」


(……彼氏とは言わなくても、好きな人はいるって言ったら、いい加減諦めてくれるかなあ……)

 顔を見ることにさえ疲れ果て、くるみは今日いちばんの大きなため息をついた。

(しんどい……あれだけ嫌だって態度と言葉で示したのに、なんでわかってくれないんだろ。もうさっさとサッカー部に戻ってもらって、早く楽になりたい)

 緑郎がそれで部室に現れなくなるなら、これ以上有効な手段はないような気がして、くるみは目を逸らしたまま、仕方なく彼の質問に答えることにした。


「……いるよ、好きな人。彼氏じゃないけど」

「!……」

 緑郎が息をのんだ気配と一緒に、自分を庇う興津の身体がぴくりと動いた。

「……じゃあ……」

 これで自分から手を引いてくれることを願ったが、

「そいつが誰か教えてください。俺、そいつと話して、先輩を譲ってもらいます」

「……は?」

 斜め上の回答に、くるみの喉からはまたいちばん低い声が漏れ、その会話を聞いていた全員が呆気にとられて動きを止めた。


「……いやいやいや、お前何言ってんの? 頭大丈夫?」

 さすがの隆玄も普段の人当たりの良さを捨て、辛辣な言葉を吐きながら恐ろしい表情で緑郎に詰め寄ったが、彼は平然としている。

「だから、先輩は俺のものなんで、そいつにはくるみ先輩に近づかないように言っとくんですよ。そしたら邪魔者はいなくなるから、先輩は何の気兼ねもなく俺と付き合えるでしょ?」

「緑郎くん、女の子はモノじゃないよ。その言い方は良くないと思うな」

 ソフィアにたしなめられると、彼は鬱陶しそうにそちらを見て、

「黙ってろ、大女。お前、自分で話振っといて止めんのかよ、ええかっこしいも大概にしろ」

 そう吐き捨てると、もう一度くるみのほうに顔を向けた。

「ちょっと……!」

 緑郎の発言に憤った祐華に、ソフィアは慣れた様子で笑って首を横に振る。


「先輩、教えてください。そいつ、何年何組の、何て名前ですか」

「……教えない」

 緑郎のしつこさに心底うんざりしながら、くるみは返事をする。

「だって、そいつがいなかったら、俺と付き合ってくれるんでしょ」

「そんなこと誰も言ってない」

 埒のあかない会話に、とうとうくるみは堪忍袋の緒が切れた。


(……うっざ……もう空気悪くなってもいいや、言いたいこと言おう)

 くるみは緑郎をぎろりと睨みつけると、敢えてブレザーのポケットに両手を突っ込んで椅子にふんぞり返り、

「……もしも、いま好きな人がいなかったとしても、君みたいに失礼でしつこくて無神経な人と付き合う気なんて、一切ないから」

 ばっさりとそう切り捨てた。


 緑郎はくるみの発言の意味が理解できない顔をした後、思いついたように口を開く。

「なんでですか、俺、金持ちだから、何でも買ってあげますよ?」

「いらない。どうせ自分のお金じゃなくて親の財布なんでしょ」

 図星だったのだろう、緑郎は一瞬ぐっと黙るが、どうにか言葉を続ける。

「……せ、先輩より背が高いから、一緒に歩いてもバエるじゃないですか」

「背が高いとか低いとか映えとかどうでもいい、一緒に歩きたくない」

「……ほら、顔だってイケてるから、美人な先輩とつり合いが取れるでしょ?」

「わたしお世辞大っ嫌いなんだけど? ていうか、顔だけ見てもの言う人、生理的に無理。そっちがそう言うならこっちも言わせてもらうけど、君の顔はどうしても好きになれない。そもそもわたしは顔で人を好きになんてならない。女の子のこと見た目で判断してるの、マジで最悪。顔よりもそういう君の中身が無理。君の顔、そういうキモいおっさんみたいないやらしいところがにじみ出てる感じがして、どこがどうイケてるのか全くわかんない」

 さすがにその辛辣さは堪えたのか、やや間が開いた後、緑郎は涙目で言葉を絞り出す。

「……俺の方がそいつより先輩のこと、幸せにしますって」

「わたしの好きな人を『そいつ』呼ばわりするような人とは口ききたくないし、誰といるかも幸せかどうかもわたしが決める。君みたいな人といてもわたしは全く幸せを感じない。むしろ不愉快」

「……」

 言うことが尽きたらしい緑郎が沈黙し、部室の中は静まり返る。

 くるみはふっと息を吐き、朝からずっと腹の底にしまっていた言葉をぶつけた。


「君さあ、何しにこの部に来たの? 真面目に音楽やらないんだったら、とっととサッカー部に帰ってくんない? みんなの邪魔」


「……っ」

 顔を真っ赤にした緑郎は、机の上にあった自分のカバンを掴むと、部室を飛び出していった。


「……言い過ぎたかな……」

「いーや、構わんと思うよ。よく言った」

 隆玄がくるみにそう言いながら、部室の外の廊下を見に行く。

「……様子を見に行って来る。君たちは一時になったら音出ししなさい」

 興津は立ち上がり、一瞬だけくるみと目を合わせて困った顔をすると、すたすたと廊下に出て行った。

(……あとで怒られるかも。でも、ずっとイライラしてたんだもの……)

 また昨日のように感情が高ぶったまま話をしてしまいそうで、くるみはどんよりとしつつ、まだ恐怖にがくがくと震える身体を落ち着かせようと椅子にもたれた。


「……片っ端から論破されてたなあ」

「しょんないよ。好きでもない相手にあんなこと言われて喜ぶ人、いないと思うから」

 腕組みして渋い顔をする敦哉に、紗雪が苦笑する。

「いやー……レスバつよつよですなあ、くるみ先輩。お見事っすわ」

 すっかり気圧された凛子が感心してつぶやく後ろで、

「これで目が覚めて、サッカー部に戻ってくれたらいいんだけど」

 祐華が大きなため息をつく。

「ほんとにね。あー、もう俺、あいつに運動部のノリであーだこーだ言うの嫌だよ。疲れるもん……」

「お気持ちお察しします、先輩。彼、あまりにも言うことが子供っぽすぎますものね」

 額に手を当てて呻く太陽の背中を、ミチルが労わるように撫でる。

「すみません、アタシが煽っちゃったから……」

 ソフィアはひどく申し訳なさそうに、くるみに頭を下げた。

「……気にしないで、多分今じゃなくても、いつかは言ってたと思うから」

 恐怖に打ち勝ち、興奮からの震えがおさまったくるみはソフィアに困り笑顔を返しながら席を立つと、廊下に出て興津の姿を探すが、既に足音すらそこには残っていなかった。

(ちょっとだけ、言い過ぎた気がするかも……さすがに可哀想なこんしたかなあ)

 ほんのりと緑郎に同情はしつつも、やはり清々しさの方が勝ってしまって、くるみはようやく安心して部室に戻った。

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