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第61話

「……すごい……」

「うわー、指の速さは俺、負けたかもなあ」

「やるねぇ、凛子ちゃん」

「いやいやいや、わたしの腕前じゃなくて、原曲がいい仕事なさってるんですよ、これは!」

 部室の真ん中で白いエレキギターを手に、拍手を浴びながら凛子が満足げにドヤ顔をする。

 くるみたちと同じく技量をチェックするため、一人ずつ前に出て演奏をすることになった一年生のトップバッターを切った彼女は、『ビッグブリッヂの死闘』を部員たちと興津の前で見事に弾き終えた。

「お疲れ様、いい演奏だったよ。半年でここまで指が動かせるようになるなんて、まずその情熱がすごいな」

「いやあ、あはは、ありがとうございます」

 興津に褒められて、凛子は素直に照れた。

「……でも、少しリズムの刻み方が雑で、テンポも走りがちだね。メトロノームは使って練習してるかな?」

「ぎくっ」

 癖なのだろう、擬音を声に出して凛子は身体を硬直させる。

「なんとなくだけれど、基礎練はすっ飛ばして、コードの押さえ方といくつかのテクニックだけわかったら、あとは自分の好きな曲ばかり弾いてきたんじゃないかな?」

「はうっ」

 大袈裟なリアクションで、凛子は後ろにのけぞった。

「やっぱりね。私も通ってきた道だからわかるよ」

 くくっ、と笑って興津は言葉を続けた。

「今日からでも遅くないから、動画サイトのギター講座や教則本を見て、メトロノームできちんとテンポを合わせながら、指だけじゃなくて身体でリズムを取って弾く練習をしよう。そうすれば曲の勢いにつられてテンポが走ることもなくなるし、もっと音が粒立ってキレよく聴こえて、格好いい演奏ができるようになるからね。今はまだ、少し音が潰れて、始まりと終わりでテンポが変わっちゃってるし、指を早く動かすことだけに意識が集中してるから、音にメリハリが足りないかな」

「りょ、了解っす……」

 凛子はいささか芝居ががった動きで、がっくりと体を傾ける。

「でも、これだけ指が動くってことは相当この曲を弾き込んでるね。毎日練習した成果は、今みたいにかならず出るから、面倒くさがらずにやってみよう。そのほうがきっと、自分で弾いていてもっと楽しくなるよ。習慣にすれば続けるのなんて面倒じゃなくなるから、まずは一週間ためしてみるといい。大丈夫、君ならできるよ」

「……はい、頑張ります!」

 最後の興津の励ましに再び素直な返事をすると、凛子はふむ、と嬉しそうに息をついた。

「それじゃあ、いい演奏をありがとう。みんな、もう一回拍手!」

 お辞儀をする凛子に、温かい拍手が贈られた。


「……あの、ほんとうに練習中なので、できるところまででいいですか……?」

 プラグレスのエレアコを抱え、紗雪が申し訳無さそうに言葉を発する。

「いいよ。弾き終わったら終わりって言ってくれ」

「はい……」

「それじゃあいこうか。何を弾くのかな?」

「……『ひこうき雲』です」

 曲目を聞いて、興津は一瞬だけひどく真面目な顔をした。

「『ひこうき雲』……わかった。じゃあ、自分のタイミングで始めて」

 紗雪はカポタストをネックにつけながら、小さくうなずいた。


(『ひこうきぐも』……どんな歌なのかな。お母さんのiPodに入ってるかなあ)

 ひとつひとつ確かめながらゆっくりと、コードをアルペジオで爪弾く紗雪の手元を見つめて、くるみは聴こえてこないメロディと歌詞に興味を持った。

 隣に座る興津の横顔を見ると、彼が何かを感じ取ろうとするときの癖で、じっと紗雪を見つめて口髭の下に手をやっている。

(……先生、何か考えてる。なんだろう?)

 あまり明るい事柄ではない気がして、くるみも無意識にほんのりと顔を曇らせた。


 やがて、おそらく最初のサビの終わりだと思われる部分まで弾くと、

「……終わりです、ありがとうございました」

 淡々と紗雪は頭を下げる。

 ぱちぱち、と静かな拍手が部室に広がって、興津が軽いため息をついた。

「ありがとう、いい演奏だったよ。……どうして、この曲を選んだのかな?」

「……特に、理由はないです。いい曲だなと思って……」

「……そうか」

 納得していない声色で彼は答えた。

(なんだろう、すごく気になる……後で歌詞、検索してみよう)

 言いようのない不安にかられつつ、くるみは興津の言葉に倣ってもう一度拍手をしながら、伏し目がちにお辞儀をする紗雪を見つめた。


「先生、アタシ特に曲っぽいもの、演奏しなくていいですよね?」

 自前のスティックをくるくると回しながら、ソフィアがドラムセットの椅子に腰掛ける。

「いや、やりたいものがあれば遠慮しなくていいよ。先輩っちがなんとかするでね」

「うえっ!?」

「出たよ、先生の無茶振り」

「俺、協力できないもんで、みんな頑張ってねー」

「急に言われましても……」

「し、知ってる曲ならできるけど、わかんない曲はできないわ……」

「祐華ちゃん、それはみんなそう」

 上級生たちはにわかにざわついた。

「アハハ、何でもいいですよー、先輩たちの好きな曲とかでお願いします」

「うーん……あ、じゃあ、あれやろう、『カントリーロード』」

 新入生歓迎会で『にちようび』とどちらを演奏するのか迷った末、くるみが「自分の弾き語りが不完全だから」――本当のことを言ってしまえば、『映画』に使われた歌であることから、興津を過去の記憶で悲しませないためだったのだが――と、それなりに練習した時点でやめてしまった曲を、太陽が引っ張り出してくる。

「ああ、ジョン・デンバーのか。しかし君たちの選曲も渋いね」

 幸い、彼は原典のカントリーミュージックの方だと認識してくれているようだった。

 くるみはほっとしつつ席を立って前に進み出ると、スタンドに立てかけてあったエレアコのチューニングをもう一度耳で確認した。


「すごいな、この距離でバイオリン見るの、俺、初めてだっけ」

 バイオリンの調弦をするミチルを見て、隣に座る紗雪に、敦哉が小さな声で話しかける。

「……うん。話には聞いてたけれど、すごいね」

 紗雪は部室に入って初めて、感情をあらわにして頬を染め、目を輝かせる。

「な、うちの部って楽しいだろ、紗雪」

 反対側から隆玄が声をかけると、彼女ははっとしたように身をすくめ、何かを堪えるようにうつむいた。

「……」

 まぶたの裏の暗闇で自分の感情に蓋をするかのように、黙って目を伏してしまった妹の肩を、兄はそっと叩く。そこに、

「……たっちゃん」

 ひやりとするような――それが一瞬、敦哉のものだとわからないほど、恨みがましい響きの声がして、

「ごめんって。……俺が悪かったから。怒るなよ」

 隆玄がひどく申し訳なさそうな、わずかに怯えた口調でそう返すと、敦哉はため息をついて紗雪に身を寄せた。


 楽器の音に紛れて消えそうなその会話を、彼らの前に座った興津の耳は、しっかりと捉えていた。


「そんじゃ、よろしくお願いしまーす」

 楽しそうにソフィアが声をかけてくる。

「みんなー、頑張ってねー」

「こちらこそよろしくね、ソフィアちゃん」

「楽しくいこう。編曲は完全に俺らのアレンジだから、気にせず好きなとこから入って」

「よろしくお願いしますね」

「緊張しなくて大丈夫よ」

 くるみたちの声かけに「はい」と返事をした後、ソフィアはまたくるみににこりと笑いかける。

(?……ブラジル人のお家の子って、すごくフレンドリーだなあ)

 くるみは彼女にまた幾度目かの笑顔を返すと、前を向いてギターを構え、一つ咳払いをした。


 図書館でようやく見つけた映画のサウンドトラックから、必死になって書き起こしたミチルのバイオリンソロが始まり、祐華のしっかりしたベースに太陽のストラトキャスターとくるみのエレアコが重なる。

 Aメロを歌い終わったところで、ソフィアがハイハットを叩いて、すっと自分たちの演奏に混ざってくる。

(へええ、アドリブとはいえ、なんかセンスが独特だなあ……隆玄先輩だったら、もう少し早く入ってるのに)

 歌いながらくるみは、同じ楽器でも演奏する人間が違うと、面白いほど音色とリズムが変わることを肌で感じていた。

 隆玄の叩く、どこか繊細さを感じさせつつも硬い芯のある、すっきりした聴き心地のドラムとは違い、ソフィアの音は華やかさと勢いに溢れ、明るい色の塗料でメロディの隙間をリズムが埋めていくような感覚がある。

(そっか、先生はこれがやりたかったんだ)

 興津がもう一つバンドを組みたい、といった理由に納得して、ふと正面に座る彼と目を合わせると、コーヒー色の優しい瞳が自分に微笑んでくれて、くるみは彼のことをまた一つ新しく知ることのできた喜びに、満面の笑みを浮かべた。


 演奏は中盤に差し掛かり、ミチルのバイオリンと太陽のギターの掛け合いになる。

 と、急にソフィアの手数が増え、タムとクラッシュシンバルが派手に鳴り響いた。

(ん?)

 違和感に心の中で首を傾げつつ、くるみはCメロを歌い始めるが、明らかにハイハットの拍数が増え、バスドラムが高速で打ち込まれ始める。

(んんん?)

 テンポはずれていないのだが、徐々にヘビメタの様相を呈してきたドラムの音に、ミチルが心配そうにくるみと目を合わせる。

 その途端に、背後から凄まじい数種のシンバルの連打が始まり、歌詞が飛びそうになった。

 なんとかそのまま歌いながら視線を前に戻すと、一年生全員と隆玄、そして興津までもが自分たちから目を逸らし、各々の方法で必死に笑いをこらえている。

(わ、笑ったら負け……!)

 違和感はお笑い番組の企画のような拷問に変わり、くるみたちに牙をむいて襲い掛かる。

 ハイハットとスネアドラムがごちゃ混ぜになった凄まじいビートにつられて声が震えてしまったがどうにか堪え、ツーバスかと思うほど早いバスドラムに乗せてハイとローを往復するタムに、顔をこわばらせて思い切り目をむくことで懸命に抗う。

 そしてどうにかラストのサビを歌おうとしたとき、それまでの倍の速度で交互に叩かれ始めたタムとハイハットとスネアドラムに、とうとうくるみは吹き出してしまった。


「……松崎、正直に言いなさい。メタル大好きだろ?」

「アハハ、すみません。ぶっちゃけサンバよりメタルです」

 結局全員で大爆笑してしまったおかげで最後まで演奏することが出来ず、ソフィアもそれをわかってやっていた様子で、彼女は咳き込むほど笑ってしまった興津に尋問されていた。

「やだ、もう、お腹痛い……!」

 紗雪はひいひいと泣きながら、まだ笑っている。

「いやー、すげえもん見ちゃったな、俺……」

 その隣で笑いのおさまった敦哉が、改めてソフィアのテクニックの高さに感心する。

「いやぁ、俺、完敗だなぁ。あんな動きマネできんっけ」

 隆玄が肩をすくめながら拍手を始める。

「神ってる……これがガチ勢ってやつか……」

 同じように拍手を贈りながら、凛子が感服した様子でため息をついた。

「……こりゃ、ドラムは勝てねえな」

 出来れば楽器を買わずに済ませようとしたのだろう、緑郎が悔しそうに腕を組む。

「技術は申し分ないけど、曲に合わせた叩き方をしなさい。コミックバンドじゃないんだから」

「いやー、ドラム触るの久しぶりだったから、叩いてるうちにだんだん抑えらんなくなっちゃって……次からは気を付けます」

 まだ半笑いの興津に叱られたソフィアは肩をすくめて、ぺろりと舌を出した。

「横見たらヘドバンしてんだもんなあ、ずりぃよ」

「でも、あんな動きしながら叩けるなんて、すごいわね」

 太陽と祐華の褒め言葉にソフィアは照れる。

「隆玄先輩とはまた違いますね。先輩もソフィアさんも、どちらの音も素敵です」

 ミチルがバイオリンをケースに片付けながら、にっこりと笑う。

「うん。びっくりしたけど、すごく上手だったよ。今度叩くとこ、ちゃんと見せてね」

 くるみがそう言うと、ソフィアはぱっと顔を輝かせて走り寄り、くるみの手を取った。

「嬉しいなあ、先輩にそう言ってもらえて! 今度と言わず、今お見せしますよ!」

「え、あ、えーと……」

 言うが早いかソフィアはドラムセットの椅子に座り直し、両腕を数秒クロスさせた後、

「……『紅』だあぁ――――――――――――――――ッッッ!!!!」

 そう叫んで、爆発しそうな勢いで叩き始める。


「あはは、……なんかすごい子ですね」

 傍らにやってきた興津に、くるみはなんとも言えない気分で笑いかける。

「……今年の一年生は、クセが強いなあ……」

 彼は少しだけ困ったようにくるみに微笑み返すと、ドラムの音に紛れてぼそりと呟いた。

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