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第59話

 土曜日の朝八時半、自転車置き場で顔を合わせたくるみと祐華は、職員室に部室の鍵を借りに向かっていた。

「……くるみちゃん、昨日の、大丈夫だった?」

「ああ、あれね……正直、今日からサッカー部の方に行って欲しい気持ちでいっぱいなんだけどさあ……」

 思い出しただけでうんざりしつつ、くるみはため息をつく。

「昨日、興津先生が顧問の先生たちに話しとくって言ってたから、強制連行とかされてくれたらいいなあとは思ってるよ」

 父が遊んでいたレトロゲームの中に出てきた、エンディングで宇宙人に連れ去られる主人公の絵が、両脇を教師に抱えられる緑郎の姿に変わり、くるみは自分の想像にげんなりした。

「そうね、困るわよね、……くるみちゃん、付き合ってる人いるのに」

「うえっ!?」

 気落ちしていたところに突然かまされた祐華からのストレートな物言いに、くるみは目いっぱいにうろたえる。

「だだだだれのこといってるの、す、すきなひとはいるけども!? 付き合ってるとはひとっこともいってないすよ!!?」

「そう?」

「そう!」

 真赤な顔をぶんぶんと縦に振るくるみに、からかったことを申し訳なく思ったのか、祐華は眉根を寄せて微笑むと、話題を変えた。

「……わたし、えらそうなこん言っちゃうとね、音楽を始めるきっかけって、なんだっていいと思うの。好きな人に振り向いてほしいのも、目立ちたいのも、嫌なことから目を背けたいのも、それからちゃんと、その人が音楽を好きになって、いろんなことに真剣に向き合えるようになれるなら。だけど、あの子は本当にくるみちゃん『だけ』が目当てで入部したのがわかるから、何か始めたとしても、長続きするかどうか心配だわ……」

「そうだね、……わたしのこと、さっさと諦めて、ちゃんと音楽に専念してくれたら、それはそれでいいと思うんだけどね……」

 そこまで話した頃合いで職員室の入り口に着き、

「おはようございまーす」

「おはようございます」

 二人は開かれたドアの中へと足を踏み入れる。

「……ああ、二人ともおはよう」

 真ん中の通路でサッカー部の監督と会話していた興津が、こちらに首だけ向けて挨拶を返す。

「部室開けたら、先に筋トレとチューニングだけ済ませておきなさい。すぐ行くから」

 彼はそう言うと、二人の返事を待たずに話に戻る。

(どうにかなってくれないかなあ、あの子が来るって思うだけで、すごく気が重いよ……)

 深刻そうに話しこんでいる興津たちを見遣って、くるみは暗い気持ちでため息をついた。


「おっはよー」

「……おはようございます」

「おはようございます、失礼します」

 くるみと祐華が部室を開けて間もなく、隆玄が紗雪と敦哉を伴ってやってきた。

「おはようございます」

 二人が笑顔で挨拶を返すと、一年生二人はぺこりと頭を下げる。

「紗雪、ギターはそこのスタンド使って立てときな」

「うん……」

 隆玄の言葉に、紗雪は真新しいギグバッグを肩から下ろす。

「あっちゃんは何やるか決めてきた? 多分今日、自己紹介の時に聞かれると思うでさ」

「あ、いや、俺、入ってはみたけど、なんも決めてなくって……どうしよう」

 手ぶらでやってきた敦哉は、隆玄の言葉にひどく慌てた。

「あとで音出しの時に、誰かの楽器借りて弾いてみるといいんじゃないかな、えっと……」

 敦哉を何と呼ぼうか、くるみは一瞬考えあぐねる。

「くるみちゃん、深く考えなくていいよー、あっちゃんでもあっくんでも敦哉でも、好きに呼んだげて」

「いやあ、後輩が出来るなんて久しぶりだもんで……あはは……」

 椅子を円座に置きながら声をかける隆玄に、くるみは困り笑顔を返す。そこに、

「おっはよーございまーす!」

 やたら元気のいい挨拶と共に、ギグバッグを背負った凛子が姿を現した。

 部室の方々から帰ってくる「おはよう」に彼女は目を輝かせると、

「わー、なんか部活って感じでよきですなあ!」

 その端麗な顔からは想像できないような口調で感想を述べた。

(……なんか、やたらテンション高いな、この子……)

 うきうきとした様子でギグバッグを肩から下ろす凛子に、くるみは首をかしげた。


 椅子を人数分、丸い形に置いたころ、

「おはよう」

「おはようございます」

 いつものギグバッグに加え、二人分のカバンを抱えながら右手にキーボードを持った太陽と、バイオリンを手に持ったミチルが部室に入ってくる。

「ありがとうございます、先輩」

「いいよ、お安い御用だ」

 太陽はミチルに微笑みながら、キーボードとカバンを机の上に置く。

 相変わらずの睦まじさに、くるみは頬をほころばせた。

「りゅーげん、おはよう。……どうなった? 昨日のあの一年」

 太陽は部室を見回してから、ちらりとくるみの方を心配そうに見遣ると、隆玄に訊く。

「いや、まだ来てないっけ。まあ、どう足掻いてもサッカー部の方に引っ張られてくんじゃないかとは思うけれどねぇ……」

 隆玄は肩をすくめて窓の外を見る。

「おはようございます、くるみさん、祐華さん。あの……ご気分は? 先生とお話はされました?」

「うん、ちょっとだけ愚痴は聞いてもらったよ」

「そうですか……」

 その一言で危惧していたことは回避できたということがわかった様子で、ミチルが息を吐く。

「困った方ですね。サッカー部の皆さんも、心配されていたでしょうに」

「きっと大丈夫よ、さっき職員室で、興津先生が監督とお話してたもの」

 すっかり呆れた様子のミチルに、祐華はそう言ってにこりと微笑むと、ギグバッグからベースを出した。


 部員全員での筋力トレーニングを終え、楽器を持っている者は、三々五々チューニングを済ませて音出しを始める。

「……ふむ、これであと来てないのは、あの背の高い女の子と、例の一年生か」

 隆玄の隣で、チューニングを終えたストラトキャスターのヘッドからクリップチューナーを外しつつ、太陽が呟く。

「名前覚えんとなぁ、仮入部の時は誰が残るかわからなかったから、紗雪とあっちゃん以外、顔見てなかったし、なーんにも考えてなかったっけ」

 スティックを使って手首と腕のストレッチをしながら、隆玄がぼやく。

「しっかりしろよ部長、大した人数じゃないんだから」

「ははは、まあ、自己紹介の時に何とかするって。……あ、そうだ。先に一年生にドラムの並べ方、教えとけって言われてたんだっけ。おーい、一年生、ちょっとこっち来てー」

「すでにグダグダだなあ……」

 うっかり自分で並べてしまったドラムの側に一年生を召喚しながら立ち上がった隆玄を見て、太陽が呆れた。


「さゆ、ギター貸してもらっていい?」

「……うん」

 ドラムのセッティングを隆玄から手短に教わった後、暖かみのある木目を透かした緑色のエレアコをスタンドから持ち上げた紗雪に、敦哉が声をかける。

「えっと、……どうやって弾けばいいのかな」

 エレアコを抱えて敦哉は椅子に座ると、ネックを左手で支え、右手でざっ、とハート型のサウンドホールの上を撫でる。

 べろん、と微妙な大きさとアタックの開放弦の音が鳴る。

「うわあ、指紋削れそう」

 彼は思わず指先と爪を見て、ダメージを受けていないか確認する。

「あっくん、ピック使わないとだめだよ。爪、怪我しちゃう」

「ピック?」

 紗雪は彼の右手に、白く薄い三角のプラスチックでできた、小さな板を乗せた。

「これ。ギター弾くときにはそれを使うの。そのほうが音もちゃんと出るよ」

「ふうん……やっぱ、さゆは何でも知ってるな」

「……お店の人に教えてもらっただけだよ」

 曇った表情の紗雪が見守る中、敦哉はピックで弦を一本ずつはじく。

「……なんか、曲弾けるようになるまで、時間かかりそうだな。さゆ、なんか弾ける?」

「……ううん、まだなにも」

「なんか練習してんだろ?」

「……一応、ね……」

 紗雪はぽつりとそうこぼすと、敦哉から目を逸らしてうつむいてしまった。

 それ以上は何も話してくれなさそうな気配の幼馴染に、彼はふっと微笑むと、

「じゃ、練習しなよ、その曲。貸してくれてありがと」

 椅子から立ち上がってエレアコとピックを手渡し、部室の中を見渡した。

 そして、視線の先にいた祐華と目が合う。

 思わず軽く頭を下げてしまった敦哉に、祐華はにこりと笑いかけると、

「舞阪くん、ベースさわってみる?」

 そう言って彼を手招きした。


「あのー、部長」

 白いレフトハンドモデルのエレキギターを抱えた凛子が、すすす、と隆玄の隣までやってきて遠慮がちに声をかける。

「ん? なに?」

「自分、スピーカー使わせてもらってもいいっすか?」

「え、ああ、うん、いいよ」

「あざっす!」

 大袈裟に頭を下げた凛子に、隆玄は思わず苦笑いする。

(この子、黙ってれば美人ってやつかぁ……喋り方が何か、ちょっとこう、くるみちゃんとは違うベクトルで残念だなぁ)

 言動と容姿が極度にミスマッチな後輩が、鼻息荒くシールドをギターアンプに挿すのを見ながら、彼は頬を掻いた。


 敦哉が祐華にベースを借り、何回か音を出しているその横で、凛子はスピーカーの音量を調節し、満面の笑みで彼の方を見て話しかける。

「すまん、指慣らしさせてもらってもかまわんかね?」

「え、うん」

「サンキューガッツ」

「は?」

 耳慣れない言葉に敦哉がぽかんとするのと同時に、高らかにいくつかの音でチョーキングが聴こえた後、少しリズムの走り気味な『残酷な天使のテーゼ』が奏でられ始めた。


(……ああ、なんかわかった、この何とも言えない、この子の雰囲気……)

 ワンフレーズ弾き終えたところでしっかりとドヤ顔を決める凛子を見て、くるみの頬は引きつった。

(しゃべり方、なんか変わってると思ったんだ……うああ……すっごい微妙な気分……)

 心の中でやきもきとするくるみを尻目に、

「お上手ですね」

 ミチルが素直に拍手を贈る。

「いやあ、恐れ入りますぞ、そのお言葉! ヌクモリティがありますなあ! ふむう、今日も自分、絶好調である!」

 他の部員も彼女に倣って拍手を始めたため、くるみもそれに追随するが、

(うああああ、もったいない! 喋り方だけなんとかなれば普通に可愛い子なのに、これだとただの痛い子にしかならないよ! やめて、やめてえええ……! 見てるこっちが恥ずかしい……!)

 新旧織り交ぜたネットスラング丸出しな喋り方のせいですっかり共感性羞恥に陥ってしまった彼女は、真っ赤になった顔を隠すために下を向いて、そのいたたまれなさを必死でやり過ごすしかなかった。


「すごいね、ギターいつから始めたの?」

「去年の秋からですな」

「え、マジで?」

「まだ半年じゃない、それであんなに弾けるの……」

 驚く敦哉と祐華に、凛子は鼻を高くして話し始める。

「いやあ、去年の秋にテレビでやってたアニメがあったじゃないですか、今はスマホゲーでも展開してるんでひょっとしたらご存じかとは思うんですけれど、『異世界転生バンド無双~異種族同士でフォーピース組んで世界最強の魔女と対バンしに行きます~』略して『いせバン』っていうアニメ。まあ自分はあんまり流行り物には手を出さない主義だったもんで最初は華麗にスルーしてたんすが、周りがあんまりにも大騒ぎしてるからこれはいっちょ噛みしとかないと世の中の流れに取り残されるって思っちゃったもんで見てみることにしたんすよ。そしたら想定外に主人公のキャラ立ちやサブキャラの声優さんの演技が良くってですね、異世界無双ってどれも結局一緒だろうってちょっと舐めてかかってたらいい意味で裏切られて、思いのほかストーリーも非常に熱くて構成もしっかりしてて、しかも変身バンクまであって、演奏前にピックを媒体にしてそれぞれのキャラがステージ衣装にチェンジするんすけど、その衣装も男性向けっぽい際どさがなくてほんとカッコカワイイって感じで、おまけに文字通りに敵と『対バン』するシーンは実際にあるライブハウスがモチーフになった空間が魔法で出てきてそこで演奏するもんで、実にリアルで圧巻で、何よりギターでコードを抑える指一本一本の動きまで繊細に描き込まれていてこれはもう覇権アニメキター! と思ったんすよ。で、それを見てるうちにちょうど受験のタイミングが来たもんで、なんか日常生活だけしてるのも面白みがない気がしてしまってですね、せっかくだし勉強の合間にやってみるかーって思って主人公の使ってるモデルのギター探したんすわ。でも自分左利きだから、残念ながら左利き用は生産終了してたりで全部とんでもなくお高いお値段になってお財布が死ぬもんで、仕方なく同じ会社が作ってるレフトハンドモデルのこの子をお家におむかえしましてですね、そっから一日平均三時間くらい練習してみたらわりと弾けるようになれた気はしてるんですな」

「……あ、うん、そうなんだ……」

「へー……」

 早口でまくしたてる凛子に圧倒され、祐華と敦哉は二の句が出て来なくなっている。

「長えよ……」

 げんなりした太陽が、喋り終えた凛子を見てぼそっとつぶやく。

「なるほどねぇ、そうかぁ……」

 隆玄が納得したように笑いながら腕を組んで、ポニーテールの後ろ姿に小さくため息をつく。

(いやいや、うちもお兄ちゃんがアニメ見たりするし、わたしも嫌いじゃないし、伯父さんもそういう仕事してるから、まあ、わかるんだけど、……わかるんだけどさあ……! ネットスラング丸出しはやめようよ……いや、でもでも、しゃべり方は人それぞれなんだし、素直でいい子みたいだし……うああ、ギャップが激しすぎて風邪ひきそう……)

 くるみはそれ以上何も考える気が起きなくなり、エレアコを抱えたまま膝の上に上半身を突っ伏した。


「まだ来ないわね、あとの二人」

 敦哉からベースを返してもらった祐華の声に、くるみが時計を見ると、もう針は九時五分前を指している。

「もめてるのかなあ……素直にサッカー部、行ってくれないかな……」

「どうなんでしょうね……」

 何度目かの深い深いため息をついたくるみの背を、ミチルが優しく撫でた。


「先生もそろそろ来るかなぁ」

「……昨日、先生とくるみちゃん、二人で話とかしたかな」

「どうだろねぇ、……でも、俺が先生だったら、決して心中穏やかじゃいられないから、なんか声はかけるかなぁ」

「まあな、目の前で彼女が他の男から横取り宣言はな……あーやだやだ、俺、ほんとああいうの無理。瑠菜が昔読んでたマンガでもああいうのあったけどさ、チラ見しただけで吐きそうになったっけ」

「まあまあ、お前がここで怒ったってどうしようもないって」

 三年生二人は控えめな声で話をしつつ、落ち込んでいるくるみを見て、それぞれに彼女とその想い人を慮った。


 やがて、

「……おはよう、もうみんな来てるかな?」

 興津がどこかぎこちなく挨拶をしながら、ギグバッグを背負って現れる。

(先生……!)

 くるみは喜びにぱっと顔を上げる。が、

「おはよーございまーっす。あ、くるみ先輩、今日も可愛いっすね、隣座っていいっすか?」

 彼の後ろについて入ってきた緑郎の姿と声に、苦々しく表情を歪めた。

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