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第56話

 体育館の中は、去年よりも暖かく感じられる。

 それが明らかに部室からスピーカーアンプを運んできたせいなのはわかっているが、それ以上にこれから自分たちがライブをするという意識が身体を温めている気がする。

 ステージの上でバスケ部が『第ゼロ感』をBGMにしてドリブルやパスをするのを眺めつつ、くるみはこっそりとポケットからはちみつレモンのど飴のスティックを取り出し、ひと粒口の中に入れる。

(久しぶりのステージだなあ、……でも、今日もみんないる。大丈夫)

 自分の周りで同じようにステージを眺める仲間と、背中に感じる興津の気配に、くるみはほっと息をついた。


「バスケットボール部のみなさん、ありがとうございました。それではこれからは、文化部の紹介になります。準備の間しばらくお待ち下さい」

 生徒会の副会長が手元の原稿を見ながら、棒読みで司会進行をする。

 ティンパニやバスドラムが運び込まれるステージへの登り口で、譜面台と楽器を持ってざわざわとスタンバイを始める吹奏楽部員の中に、麗の姿が見える。

(……麗ちゃん、結局うちの部には来ないみたいだなあ)

 どうやら最近彼女が使っているクラリネットは自前のもののようだが、かといって転部をしてくる気配はない。隆玄がいるということもあるのだろうが、土曜日はいつも軽音楽部の部室で一緒に昼食をとる程度には居心地が悪く、嫌がらせも続いている様子なのに、彼女はまったくそんな素振りは見せなかった。

(強いなあ、わたしだったら、もうとっくに辞めちゃってるのに。好きなんだろうな、吹奏楽)

 去年、教務主任の藁科秀幸に顧問が変わってから、麗はそのクラリネットの腕前を買われて、一年生ながらソリストや重要なパート担当に選ばれている印象があった。

 彼女にとって、自分の実力を認めてもらえる場にいることは、誰かの妬み嫉みなど気にならないほど誇らしいことなのだろう。

(カッコいいなあ……それに、最近急にきれいになった気がする。隆玄先輩にも優しくなったし、初めて会った時とは違う女の子みたい)

 当時の彼女が置かれていた状況が悲惨だったこともあるが、今こうして遠目から見るだけでも明らかに輝いている麗の横顔が嬉しくなって、くるみは小さな笑い声を立てた。


 吹奏楽部員たちがスタンバイを終えると、ステージの反対側にいたグレーのスーツ姿の藁科がぬっと姿を現し、新入生たちはその190センチの筋骨隆々とした体躯にどよめいた。

(ホント、藁科先生ってクマみたいなんだよね……ヒゲもすごいし、迫力あるなあ)

 生徒の一部から『ヒグマ』や『グリズリー』とあだ名されているだけのことはある、威圧感のある髭面は、初めて見る者を完全に圧倒する。

 しかし、後ろでちょんと束ねられた肩の長さの髪と、マイルドな訛りのあるひょうきんな喋りとのギャップで、彼は決して生徒にただ畏怖されるだけの存在ではなかった。

(ドラムも上手いんだよね、びっくりするくらいリズムがブレないんだもん)

 興津と一緒に教員同士で組んでいるバンドで藁科はドラムを担当しているが、打ち込み音源と遜色ないドラムプレイは、まさに人間シーケンサーというのにふさわしかった。

 それもそのはず、藁科は小学生の鼓笛隊からずっと打楽器一筋で、バンド以外にも全国大会に行くような実力のある市民楽団で今も演奏を続けているのだという。

 彼の技術と感性は『継続は力なり』という言葉を見事までに体現しているのだった。

(わたしもアコギ、続けてればうまくなるかな。先生だって高校生の頃からベース弾いてきたから、あれだけ上手なんだもんね。やっぱり長く続けることって大事なんだ)

 今日はハーモニカでの参加だが、去年の新入生歓迎会では痺れるほど重く、キレのあるベースを聴かせてくれた興津の姿を思い出す。

 それが十七年間、毎日何時間も弾いた上で培われたものだということを考えると、くるみはエレアコを買っただけではしゃいでしまっている自分が少しだけ恥ずかしくなった。

(……そうするとアコギより、ピアノと歌のほうが長続きしてるかな。うーん、長く続けるなら、どれ極めればいいんだろう……)

 まったく狂いのない藁科の指揮で吹奏楽部が奏でる『トランペット吹きの休日』を聴きながら、くるみは腕を組んで思案に暮れた。


 演奏後、藁科による部の紹介が終わると、拍手と共に麗たちがステージからはけて来る。

 ふっとこちらを見た彼女と目が会いくるみが手を振ると、麗はにこりと笑って手を振り返す。

 それを見た隆玄が自分に手を振ってくれたと思ったのだろう、頭の横で手を振る気配がする。

 麗は可笑しそうに笑いながら彼にも手を振って、ステージ脇へと去っていった。


 それと入れ替わりで、今度は合唱部が壇上へと上がっていく。

(あれから休部になって、新学期になるまで自主練してたって言うけど……この部もいろいろ言われて、大変だったろうな。……でも、怖かったな、あれ……)

 冬休み明けに建前上は『依願退職』した――悍ましいことに、『懲戒処分』を経てから警察に引き渡された後、取り調べで複数の似たような事例が発覚したのだが――古和土という男に、暗い空き教室で追い詰められた記憶が蘇り、くるみの顔は曇った。

(何もされなくてよかった。……もうあんなこと、起きませんように)

 彼女はその嫌な記憶を振り払うように頭を横にふると、大きなため息をつく。

 その様子に何かを察したように、後ろに立っている興津が半歩だけ彼女に身体を寄せるように前に足を踏み出す。

(?……先生、気にしてくれてるのかな)

 くるみも同じだけ後ろに下がると、とん、と彼の肩口が後頭部に触れた。

「あ、……すみません」

「いや、こちらこそ」

 そう言ってこちらを見た目が労りに満ちていることがわかり、

(……やっぱり、心配してくれたんだ)

 くるみは彼の気遣いが嬉しくなって、ほっと肩の力を抜いた。


 まだ新しい顧問が決まっていないのか、それとも間もないゆえに任せられないのか、壇上で指揮をするのは部長をつとめる少女だった。

 定期演奏会の時よりもしっかりとしたリズムと手つきのそれに合わせて、華やかでさわやかな前奏がピアノから放たれ、合唱部は『青葉の歌』を歌い始める。

(あ、なんか定演の時よりもずっといい感じ! 全然響きが違う……!)

 その歌声を聴いた経験のある者には、むしろ今までの顧問の指導が余分な雑味だったのだろうとすぐにわかる、安定した男声に柔らかいアルトと軽やかなソプラノが弾むように重なる澄み切ったハーモニーは、まさに歌詞そのままにきらめいて聴こえた。

(すごい、自分たちで練習しただけで、ここまで歌えるんだ……)

 自分の経験してきた合唱とは違う次元のものを目の当たりにし、くるみはただただ感心するばかりだった。


 彼らの歌が終わると同時に拍手が起こり、ステージの脇に立っていた、始業式の時に一度見たきりの、細い目に眼鏡をかけた若い男性教員がマイクを持って前に出る。

「新入生の皆さん、初めまして。僕は、今年から合唱部の顧問を任されることになりました、狩野(かの)一郎(いちろう)と申します。まだこちらに着任したばかりなので、わからないことだらけではありますが、合唱はみんなの心がひとつになると、とても美しいものが出来上がります。仲間と声を合わせて楽しく歌いたいという人は、ぜひ一度見学に来てください」

 彼が頭を下げると、温かい拍手が起こる。

(よかった、今度の顧問はいい先生っぽい)

 人の良さそうな笑顔で部員たちとともに舞台を降りていく狩野に、くるみも拍手を贈った。


(……さて、次がわたしたちの番)

 ガラスのように薄くなったのど飴を舌先で砕いてしまうと、くるみは一つ咳払いをする。

(隆玄先輩のポスター、ある意味魔よけになっちゃってるから、ここで頑張らないと新入部員が来ないかも……)

 掲示板の前を通る生徒たちが足を止め、名状しがたいものを見るまなざしで軽音楽部の勧誘ポスターを見ていたのを思い出し、彼女は苦笑する。

 ステージの上にスピーカーとアンプ、そしてドラムセットが運び込まれ、隆玄と太陽がそれぞれに位置を調整するために真っ先に壇上に上がる。

 それを追いかけるように祐華がベースアンプの側に移動し、ミチルがキーボードとスタンドを抱えて後に続く。

(よーし、今日も楽しもう!)

 いつもの気合を入れると、くるみは後ろを振り返って興津を見上げる。

 彼が演奏する前に見せる力強い笑みに、きゅっ、と胸が熱くなるのを感じながら、くるみは前を向いてステージのセンターに躍り出た。


 去年放送されていたテレビアニメの影響はおおいにあるのだろう、ギターやベースが目の前に出てきただけで、新入生たちは色めき立った様子だった。

 ところどころからアニメのタイトルらしき単語や、かっこいい、すげー、などという小さな声の誉め言葉も聞こえてくる。

(ふっふっふ、そうだよ一年生諸君、ここにあるのは本物の楽器なんだよ。すごいでしょ)

 マイクのスイッチを確かめつつ、ひとり手ぶらのくるみは調子に乗って、心の中で腕を組んでしたり顔を決めた。


 準備が整ったのを隆玄が腕で大きな丸を描いて副会長に合図すると、

「それでは、準備が整いましたので、今から軽音楽部の紹介に移ります。軽音楽部のみなさん、よろしくお願いします」

 丁寧な棒読みのアナウンスが体育館の中に反響した。

 全員で目線を交わすと、隆玄が笑顔でスティックを打って、リズムを取る。

 それに合わせて太陽のエレアコと祐華のベースが陽気なリズムを奏で始め、そこに隆玄の軽妙なドラムが加わり、ミチルのキーボードがピアノの弾む音色を響かせる。

 みんなが作り出すその音を背中で感じながら、くるみはJITTERIN'JINNの『にちようび』を歌い始めた。


 くるみが歌い始めてすぐ、新入生も在校生も教職員も一緒になって、裏拍で手拍子を始める。

(うああ、やっぱ楽しい! この感覚、久しぶりだ!)

 観客と自分たちが一体になって音楽を楽しむのは、去年の定期演奏会以来だった。

(みんな楽しんでくれてる、先生たちもノってくれてる! やった!)

 興奮でだんだん頬が染まっていくのを感じ、跳ねずにはいられないほどの楽しさが身体中を駆け巡る。


 歌いながら、くるみは興津と歌詞のようなデートをすることを思い浮かべる。

(卒業したら、いっしょにお出かけしたいな。どこだっていい……きっと二人なら、どこに行っても楽しいから)

 歌詞の風景は心の中で海岸になり、高原になり、花の咲き乱れる丘にもなっていく。

 その中を二人で手を繋いで歩くことを想い描きながら半分まで歌い終えると、いつの間にかステージの端に上がっていた興津が、くるみの歌声にかぶせるようにして、抜けるような明るい音色でハーモニカを吹いた。

 その瞬間、どっ、と笑い声が起き、くるみも思わず彼の方を見て笑ってしまう。

 ステージの上の仲間たちもつられて彼の方を見て笑顔を浮かべている。

 無事に練習通りのメロディを吹き終えた興津が、手を振ってまたステージの端へと引っ込むと、気の早い拍手が彼に贈られた。

 その後に太陽のエレアコのソロが入り、見事に弾き終えた彼にもまた拍手が沸き起こる。

(楽しいなあ、ホントだったらあと一曲くらい歌いたいな)

 その想いをぎゅっと詰め込んだくるみの歌声は、ますます華やかさを増した。


 無事に演奏が終わり、体育館の中は本物のコンサートのように盛り上がる。

(うああ、去年と全然空気が違う……これは部員、結構来るかも!)

 確かな手ごたえに、くるみたちは全員で顔を見合わせてうなずいた。

 そこにもう一度、今度はマイクを手にした興津がステージに上がり、くるみの斜め前まで進み出て、生徒たちの熱気が少しおさまるまで待ってから口を開く。

「みなさん、たくさんの拍手をありがとうございます。私は軽音楽部顧問の興津です。現在、この部は殆ど最小単位のメンバーで活動しています。できればもう一つバンドが組めるようにはしたいので、興味のある方は是非、西棟の四階にある我々の部室まで来てください」

 マイクのスイッチを切った彼に倣ってくるみたちも頭を深く下げると、再び頭上から滝のような拍手が浴びせられた。

「軽音楽部の皆さん、ありがとうございました。次は演劇部の発表になります。準備ができるまでお待ち下さい」

 副会長のアナウンスに身体を起こし、大急ぎでシールドをまとめ、楽器をぶつけないように気を付けつつアンプとスピーカーを片付けながら、くるみたちは久しぶりのライブですっかり汗ばんだお互いの顔を見て、満足気に笑った。


「やっぱり楽しいね、ライブって」

「ひさしぶりに人前で演奏するから緊張するかと思ったけど、そんなことなくてよかったわ」

「先生方も一緒にノってくださってましたね、大成功ですよ」

 職員室で鍵を借り、それぞれ楽器とカバン、そして購買で買った昼食を手に、くるみたちは部室に続く階段を上る。

「さて、……問題はどのくらい人が来るかなんだけど、せめて去年のわたしたち三人よりは多く来てほしいよね」

 去年の同じ日に、自分たちが訪れた部室の空間の広さを思い出し、くるみは肩をすくめる。

「先生も、もう一つバンドが組めるようにって仰ってましたものね、そのほうがお互いに切磋琢磨できるから、と」

 新年度に入ってからの練習中、難しいかな、と言いつつ興津が述べていた希望を、ミチルも思い返す。

「ギターはきっといるとして、ベースやドラムはどうかしら。あんまりやってみたいって人、いなさそうな……」

 と、祐華はそこまで喋って、階上の妙なざわめきに言葉を止めた。

「……なにか、ざわざわしてるわね」

「なんでしょう?」

「……行ってみればわかるよ」

 妙な予感に首を傾げつつ、くるみたちは階段を上り切り、廊下へと足を踏み入れる。

 するとそこには、

「「……えええ――――――――――っっっ!!?」」

 部室のある廊下の突き当りに溜まっている、一クラス分ほどの生徒たちの人だかりがあった。


「先生、どうしましょう」

「……どうするかなあ、ちょっとこれは私も予想外だ」

 教卓と黒板の間で、すっかり困り果てた隆玄と興津がひそひそと会話をしながら、ざっと四十名ほどいる入部希望者を見渡す。

 いつもは片側にできるだけ寄せてある机と椅子を、可能な限り元の教室に近い形に戻し、一人ずつを腰かけさせた後、遅れてやってきた入部希望者を二年生三人が整備して後ろの黒板の前に立たせながら、三年生二人と興津は不測の事態に頭を抱えていた。

「いやぁ、アニメの効果って怖いっすね……」

「何言ってるんだ、君たちの演奏が良かったからだよ。……いや、今はそんな話をしてる場合じゃない、とりあえず今日は簡単に話をして終わりにするしかないな、こんな大勢の演奏を一人一人聴いてたら、時間がいくらあっても足りない」

「演奏も何も、多分未経験の子の方が多いですよ、見た感じだと。楽器持ってるの、紗雪ちゃん入れて二人だけじゃないですか」

 入部希望者の中に隆玄の妹の姿を見つけた太陽が、興津にぼそぼそと囁く。

「こんな大人数、さすがに先生ひとりじゃ、さばききれないっすよね」

「うん、無理だ。今日はごまかしがきくとしても、今後どうするかなんだよなあ……」

「こないだも思ったけど、この中の何人が本気で音楽やりたいか、って話なんですよね……」

 男三人は教卓の周りで頭を寄せ合い、知恵を絞る。

「イメージ先行で来ちゃった子と、本当に続けていきたい子を、上手いこと振り分ける方法を考えないとだなぁ」

「できるだけ早い方がいいよな。楽器買ってからだと余計に辞めづらくなって、ずるずる部室に来て駄弁るだけになるだろうからさ、そんなの困るよ」

「やる気がないのに部室にくるのと、幽霊部員は私の主義的に勘弁してもらいたいね。本気でやりたい子のモチベーションの妨げになるし、名前だけ置いて何もしないよりは、他の部活に入るか、勉強に心血注いだほうがずっといい」

 彼らが小声で話している間にも、生徒たちの間からはアニメの名前がちらほらと聞こえる。

 ふとその声の中に混じって、ボーカルの子可愛かったね、という男子生徒の言葉が聞こえてきて、興津は思わずそちらを睨みつけそうになったのを慌てて堪え、苦虫をかみつぶしたような顔をした。


(……多少はいるとは思ったが、音楽がやりたいんじゃなくて、くるみだけが目当て、っていうのは困るな)

 この間、道を歩いていたら芸能人にならないかと不審者に声をかけられたと聞いているだけに、興津は余計に胸の奥がじりじりと焼けるような嫉妬に苛まれる。

 正直な話、今日のこの大盛況振りは、アニメに影響されて、一人前の演奏をするまでの時間や難易度を見誤った口以外は、くるみに近づきたくてやってきたという生徒が大半だろうという気はしている。

 そのくらい彼女が歌う姿は輝いているし、愛らしい声には人を惹きつける力があるのだが、その声がどれだけの彼女の基礎練習とトレーニングの上に成り立っているかと思うと、興津は中学生の頃から自分に課しているボイストレーニングや、高校の時にバンドを組んでから始めた筋トレですら生温い気がして、頭が上がらない思いになるのだった。


(……待てよ)

 瞬間、興津の頭の中に一つのアイデアがひらめいた。


「……伊東、島田、ちょっといいこと思いついたよ」

「何です?」

「打開策っすか?」

「ああ、……今日はまあ、これじゃ手に負えないから話だけして、一年生は全員帰そう。そして、みんな正式な入部はまだということにしてもらう」

「仮入部、ってことっすか」

「で、そこから先はどうするんです?」

「それはまた後で話すよ。牧之原の協力が必要だからな」

 興津はそう言ってにやりと口の端に強気な笑いを乗せると、

「よーし、みんな。今日は集まってくれてありがとう」

 教卓の端に両手を乗せ、正面切って一年生の群れと向き合った。

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