第45話
「「あけましておめでとうございまーす」」
新しい年を迎えたその日の午前十時すぎ、軽音楽部員と麗、慎、そして瑠菜は街で一番大きな神社の駐車場の隅っこで、互いに年始の挨拶をして頭を下げる。
本来なら元旦が一番忙しい郵便局のアルバイトなのだが、募集も応募も遅かったこともあってシフトが埋まっていたため、彼らは首尾よく揃って休みを取り、初詣に来ていた。
「グルチャで挨拶はしたけど、やっぱ顔合わせたほうが、何となく気持ちは引き締まるな」
神社の前の歩道を歩きながら、紘輝がそう言って笑う。
「シャキッとしますよねぇ、節目って大事っすわ」
ポケットから財布を出し、あらかじめ賽銭を用意しながら隆玄がそれに同意する。
「紘輝、合格発表はいつ?」
薄紅に白い花の絵が可愛らしい振袖姿の祐華の隣を歩きながら、慎が紘輝に尋ねる。
「今月の半ばです。実技も筆記も難しくはなかったんで、何も問題なくいけるんじゃないかなーとは思うけど、やっぱ心臓に悪いですね」
「一応去年のうちに、御守りもここで買ったし、効果あるといいわね、お兄ちゃん」
「大丈夫だよ、俺もここで御守り買ったら本命受かったから」
「そうやって余裕こいてたら、本命以外全部落ちたけどね」
「うるさいな」
最近いちだんと祐華と距離が近くなった兄をいじりつつ、薄荷色の振袖を着たくるみはみんなと一緒に鳥居をくぐる。
手水で手と口を清め、参道を進むと、遠目に大幣を持った宮司の姿が見える。
「くるみん、何お願いすんの?」
後ろを歩いていた紫地に金蒔絵の派手な振袖の瑠菜が、唐突にくるみに質問した。
「はへっ!?え、あわ、わわわたしは、あの、……」
まさか『興津との関係が卒業までこれ以上誰にもばれませんように』だとは言えず、くるみは焦りに焦る。
しかしその焦りっぷりを瑠菜は彼女なりに解釈したのか、
「あー、わかった! 好きピと両想いになりますようにとか、そんなカンジでしょ!」
当たらずとも遠からじな答えを導き出して、にっと歯を見せて笑った。
「あは、あはは、はい、そ、そういうかんじす……」
真冬だというのに額に汗をにじませるくるみの様子を気に留めることもなく、
「じゃー、あたしと一緒だね!」
瑠菜はそう言って、手に持っていた金色のクラッチバッグからコインパースを取り出した。
「え、るなぴパイセン、片想いのままでいいって……」
「んー、そう思ったんだけどね、ちょっと踏みだしてみようかなって思ってさ。ほら、あたし今年で十八になるじゃん? 一応成人するんだよね。だからうまくいくかいかないかは別にして、子供の自分にけじめつけようと思ったんだ」
どこか寂し気な光を、一瞬だけ瑠菜のパープルのカラーコンタクトの瞳は宿したが、すぐにそれは高く晴れ渡った空から落ちてくる日差しの中で、いつもの明るさを取り戻す。
「まーほら、言うても今年、あたしも受験だし? ずっともやもやしたまんまじゃ勉強に集中できないもんでさ、ちゃちゃっとコクってスッキリしたいんだよね! ってこんで、お互いがんばろーぜ、くるみん!」
「は、はい……」
瑠菜はそう言うとくるみを追い抜いて、賽銭を取り出しながらさくさくと本殿へと歩いて行く。
「はー、相変わらずさっぱりしてんなぁ、瑠菜ちゃん」
後ろから二人の会話を聞いていた隆玄の声がするが、
「何言ってんだ、さっぱりしてたら十五年も片想いなんか続けないよ」
太陽がそう答えて、あきれた様子でため息をつく。
「十五年!?」
子供の頃からとは聞いていたが、三歳になるかならないかの頃――自分たちにとっては人生のほぼすべての時間というその長さに、思わずくるみは振り返って太陽を見る。
「幼稚園入る前からってことですよね!? すごいなあ……」
「うん。あいつ、物心ついたころからずっと追いかけてきたくせに、素直にうちの学校来ないで、わざわざ別の学校選んで余計に拗らせてんだ。おまけに高校に入った途端に剣道辞めてギャルの真似なんかして、気の引き方が下手すぎて見てらんない。肝心の相手は案の定ノーリアクションだし、ほんとバカだと思うよ」
「えっ……ていうか、うちの学校にいるんですか? るなぴパイセンの好きな人」
「そうだよ、俺らもよく知ってる人」
太陽の言葉に、彼の隣で自分と同じ表情を浮かべている空色の振袖を纏ったミチルと、隆玄の横にいる制服にピーコート姿の麗とで、交互にくるみは顔を見合わせる。
「よく知ってる人って……」
「ああ、安心してくるみちゃん。興津先生じゃないから」
「なっ……! 誰もそんなこと聞いてないじゃないですか……!」
想定通りのくるみの反応に、くすくすと笑いながら太陽は続ける。
「これ以上はあいつが可哀想だから教えられないけど、一つだけヒントをあげるよ。瑠菜の好きな人は、その興津先生とすごく仲がいいんだ」
隆玄がそれを聞いて、すぐに何かを察した顔をした。
「あはは、太陽、それほとんど答えだって。俺わかっちゃったもん」
「あー……わたしもわかりました、なるほどね」
麗も納得の表情を浮かべる。
「……そういうことですか。そういえばずっと接点がおありですね」
ミチルもさほどの間を置かずに誰なのかが分かった様子だった。
「……あ」
くるみもその人物に思い当り、花結びの金帯を背負った瑠菜の背中を見遣る。
「え、でも、まさか、……え?」
興津と話をするとき、よく彼の口から出てくる名前に、彼女の脳は混乱した。
「はっくしょん!」
興津の運転する黒いSUVの助手席で、大井が派手なくしゃみをする。
「なんだよ、年始早々風邪か?」
初詣客で混んでいる道に若干の冷や汗をかきつつ、ハンドルを必要以上に強く握りしめている興津が、幼馴染に声をかける。
大晦日、紅白歌合戦を見ながら久しぶりに大井の実家で彼の弟たちや母親と過ごした興津は、自身が受け持つ三年生の合格祈願の絵馬を奉納するついでに初詣を済ませるため、市内の神社に車を向かわせていた。
「僕にうつすなよ、一応受験生の担任なんだからな」
「くしゃみひとつで大袈裟だな。去年の大ちゃんじゃあるまいし、俺は寒稽古で慣れてるから、冬場は風邪なんて引かないよ」
「……うるさいな、あれはたまたま二日酔いと乾燥が重なっただけだ、風邪じゃない」
「いや、あれは風邪だ。もうアラサーなんだし抵抗力落ちてんだよ。いい加減自分が年取ったって認めろよ、おっさん」
「黙れ、お前だってアラサーのくせに」
去年の大晦日、寂しさにかまけた深酒の末に、うっかり加湿器をかけ忘れたおかげで、元旦から二日酔いを伴うひどい風邪を引き、仕方なしに大井に助けを求めて半日ほど世話を焼かれた苦々しい記憶が蘇り、興津は心の中で舌打ちをする。
「今度風邪ひいたら、牧之原に面倒見てもらえ。甲斐甲斐しく世話してくれると思うぞ?」
冗談とも本気とも取れる大井の物言いに、興津は大きなため息を返す。
「……連絡先教えてないから絶対それはない。教えてたとしてもそんなこと頼まない」
「……そうなのか?」
意外とでも言いたげな声色に、興津は少しだけかちんと来る。
「当たり前だろ。……将之、お前は僕をなんだと思ってるんだ」
きっぱりと言い切った興津をちらと見て、大井は頭とヘッドレストの間に両手を挟む。
「いや……俺はてっきり、そこそこのことはしてると思ってただけど、そうでもないのか」
「『そこそこのこと』って何だよ。牧之原とは一切何もしてない。……あの子が他に好きな子ができるまでの間、ごっこ遊びしてるだけだ。だいたい、親御さんからの大事な預かりもんに手ぇなんか出したら、首になる上に社会的に抹殺されるんだぞ。それをわかってて、僕がそんな馬鹿っこんすると思うか?……牧之原が飽きたらそこで終わりだよ、こんなのは」
とてつもない大嘘をついているという意識のせいでずきずきと痛む胸に苛ついて、興津は思わず前の車との車間を詰めてしまいそうになる。
そして、
「嘘つくなよ。連絡先交換してないってのはホントだとしても、ごっこ遊びなんて器用なまね、大ちゃんが出来るわけない。そんなことができるんだったら、三十過ぎる前に女の一人や二人、ものにしてるだろ」
大井はこともなげに興津の嘘の深度を見抜いて、なかなか進まない車列の先を見遣った。
「……お前には言われたくないな、僕と同じ童貞のくせに」
「うっさい。俺は女にトラウマがあるんだって話はしたじゃないか。……好みじゃない相手に言い寄られる迷惑は、こないだ自分でも体験しただろ。諦めてくれただけマシだと思え」
「……」
巴からの凄まじく露骨なアプローチを引き合いに出され、興津は口をつぐむ。
大井が新任の頃、十歳年上の女の体育教師からしつこく交際を迫られ、既成事実を作ろうとした相手に不意を突かれて組み敷かれてしまったところを、たまたま現場を目撃した瀬戸に助けられたという話を聞いているだけに、それ以上何も言う気にはなれなくなる。
そのまま信号が変わって交差点を曲がるまで、二人は黙ったまま、ラジオから流れてくる『もう恋なんてしない』を聴いていた。
ややあって、車内のBGMが次の歌に変わったとき、
「……なあ、大ちゃん」
機嫌を損ねたとでも思ったのだろうか、大井が少しだけ柔らかい口調で呼びかける。
「なんだ?」
苛立ちの抜けた穏やかな口調で答えた興津に安堵し、大井は質問を続けた。
「牧之原、大ちゃんのこと、どのくらいわかってるんだ?……その、昔のこととか」
「そんなにたくさんじゃないよ。……事故の話と、大学からじいちゃんの介護してたのと、右脚引きずっちゃう癖があるってのと……あと、……車と映画がダメ、ってのは知ってる」
「なんだ、結構話してんな。……それでも引かなかったのか、あの子」
「ああ。……こんなにつまんなくって、運の悪すぎる男のどこが好きなんだろうな。ちょっとベースが弾けるだけで、他に何にも取り柄なんてないのに。……物好きな子だよ、ほんと」
そう言って笑った興津の横顔は、たまらなく嬉しそうだった。
不意に胸にこみ上げた痛くて熱いものを、目の奥から零してしまわないように、大井は慌てて飲み込んだ。
(幸せなんだな、大ちゃん。危ない橋を渡ってはいるけど、はじめてそこまで話ができる相手が出来たんだ。きっと、俺に話してないことも、牧之原にはたくさん打ち明けてるんだろう)
長い孤独の果てに彼が見つけた陽だまりを誰にも奪われないよう、秘かに大井は祈る。
(あーあ、神社につくのはまだ先なんだけどなあ……)
くすりと笑って、彼はラジオから流れる歌に耳を傾ける。
(『夢じゃない』か。BGMまでおあつらえ向きだな……ときどきは『神様』ってやつも、仕事するじゃないか)
幼いころから興津に降りかかる不幸が神の仕業ならば、その所業を絶対に許すまいと常日頃から思い、武道場の神棚に手を合わせる時ですら反抗心を抱いていた大井は、十数年ぶりに素直に初詣をする気になっていた。
やがて、道路を挟んだ農協の建物の向かいにある、警備員が立つ広い駐車場の入り口が見えてくる。
「……今年は賽銭、奮発すっかなあ」
石造りの鳥居を眺めて、大井はぽつりとこぼす。
「なんだ急に、なんか神頼みしたいことでもできたのか?」
「ちょっとな」
「いくらにするんだ?」
「五円」
興津は思わず吹き出すが、
「まあ、昔っからいつも一円しか出してなかったもんな。お前にしてみれば大盤振る舞いか」
そう言って納得した。
みんなで一列に並び、大幣で頭を祓われながらのお参りを済ませたあと、社務所で学業成就の御守を選びつつ、
(……お守りだったら、わたしがあげたってわかりにくいよね)
ふとそんなことを思って、交通安全の御守も手にしたくるみは、それをカウンターの向こうに立つ、同じ年頃の巫女に渡して会計を済ませる。
(断られたら、わたしが持ってよう。……受け取ってくれるといいな)
そんなことを思いながら、次は神籤を引こうと振り向いたとき、
「あれ、興津先生、大井先生!」
手前にいた慎が手を振りながら大きな声を上げた。
「えっ……」
兄の声にこちらを見た二つの人影は、本殿に向かう人波を垂直にかわしながらこちらにやってくる。
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう。他のみんなも一緒か?」
いつものダークグレーのコートに、斜め掛けのショルダーバッグを背負った興津が、嬉しそうに笑った。
「はい、こないだ寿司食べに行った面子は大体いますね。大井先生、ご無沙汰してます」
「おう、本当に久しぶりだな。ほぼ一年ぶりか」
黒いダウンのロングコートの裾から青いジャージと白いスニーカーの足をのぞかせた大井は、そう言って慎に歩み寄ると、そのまま二人で話を始めた。
「……あの、あけましておめでとうございます」
くるみはためらいなく興津の側に寄り、彼を見上げた。
「ああ、あけましておめでとう。バイト、今日は休みなんだね」
「はい。定員オーバーでシフトから外されました。……でも、それでよかったです」
二人は新年早々の幸運にくすくすと笑い合った。
「今から将之とお参り済ませてくるけど、まだここにいるかな?」
「はい、境内のどこかで待ってると思います。……あの、先生」
「うん?」
「あとでいいものあげますね」
くるみの言葉に興津はぴんときた様子で微笑むと、
「ありがとう。……じゃあ、絵馬書くから少し時間かかるけれど、みんなと待ってて」
そう言って、慎と話を終えた大井を伴い、また本殿へ向かう人の群れの中に紛れていく。
「くるみちゃん、おみくじ引きましょ……あら、先生たちいたのね」
「うん、お参りが済んだらまたこっち来るって」
自分と同じく社務所でお守りを買った祐華を振り向いて、くるみは幸せではち切れそうな微笑みを浮かべた。
「よかったわね、今日お参りに来て」
「うん」
すっかりテンションの上がったくるみは、いつものようにごまかすことも忘れてうなずく。
そしてひとつのことに思い至って、瑠菜を探した。
「祐華ちゃん、るなぴパイセンは?」
「?……さっきまでそこにいたけど、おみくじのところかしら。なんで?」
「あー、うん、ちょっとね……教えてあげたいことがあって」
興津と一緒に大井が来ていることを知ったら、瑠菜は喜ぶはずだ。くるみは話しながら、彼女のきらびやかな振り袖姿を視線の先に探した。
「ふうん……じゃ、おみくじ引きに行くついでに探しましょっか」
「そうだね」
とりあえず見当たるところにはいないことを確認して、くるみは神籤を扱っている社務所へと足を向けた。
「ちょえ、マ?……凶なんて引いたの、生まれて初めてなんですけど!?」
はたして、くるみたちの行く先に、瑠菜は太陽とミチルと共にいた。
「日頃の行いが出たな」
「はあぁ!?こんなに毎日一生懸命頑張ってマジメに生きてるっていうのに!?」
「うるせーよ馬鹿、黙って何書いてあるかちゃんと読め」
太陽との会話から察するに、瑠菜はどうやら神籤で凶を引いてしまったようだった。
「あの、凶はこれ以上悪くならないといいますから、あまり気落ちなさらなくても大丈夫だと思いますよ」
「うっそお、てかあたし、なんかした? マジで超ヘコむんですけどー……」
ミチルの励ましに、渋々瑠菜は神籤を熟読し始める。が、
「……わっかんない。古文ダメだからさっぱり」
すぐにそう言って深い溜め息をついた。
「貸していただけますか?」
「うん、ちるみー翻訳して」
「ええと……」
ミチルに渡した神籤を一緒に覗き込む瑠菜を見て、
「……今はそっとしとこうか」
「そうね」
くるみと祐華は顔を見合わせて苦笑いした。
「お、学問よろしって書いてある」
「良かったな紘輝、一安心じゃないか」
「いや、受かったわけじゃないですって」
「ねぇ、麗ちゃん何引いた? 俺、中吉ー。見せてー」
「な、なんで見せなきゃいけないんですか!」
「いいじゃん、……あれ、同じかぁ。おそろいだねぇ、俺ら」
「……だから見せたくなかったのに……」
「祐華さん、何を引かれましたか?」
「うふふ、大吉!」
「わ、祐華ちゃんすごい! よかったね!」
くるみたちが神籤の結果に一喜一憂している中、ミチルに訳してもらった自分の神籤を瑠菜はじっと見た。
『恋愛 障りあり 誠意を持てば自ずとよろし』
他の項目はことごとく散々な言われようだったが、唯一希望を持てそうな単語が一番の心配事にあったことだけは救いだった。
他は見なかったことにして、彼女は神籤を細長く折りたたむと、すぐそばの結び所に固く結びつける。
アイテープで持ち上げた二重まぶたとつけまつげの下の、パープルのカラーコンタクトの目がひどく乾いた気がして、彼女はそばに生えていた松の木の根本でクラッチバッグから目薬を出すと、枝の隙間からこぼれる青空を見ながら中身をぽたりと落とした。
そのとき、
「おまたせ、みんな」
「お、清水もいるのか。あけましておめでとう」
背中から聞こえた男二人の声の片方の耳慣れた響きに、瑠菜は思わず身をすくませる。
「瑠菜!」
太陽に呼ばれてそちらを向かざるを得なくなり、彼女は覚悟を決めて振り返った。
「よう、瑠菜。相変わらず派手だな」
まつげの長い猫目と視線がかち合い、一瞬だけ自分の表情があらぬ方向に変わってしまったのを自覚しながら、
「あはは、そっちも相変わらずジャージだっけね! そんなカッコで来たら神様に叱られるよ!」
瑠菜は懸命に作り笑顔を浮かべて、みんなの輪の中に戻った。




