第44話
窓の外に広がる冬真っ只中の色をした空の下に、陽の光を浴びて白く光る街並みが広がる。
その窓から見える景色を壁際から眺めつつ、昼食の匂いで満ちた休憩室の中、四人の女子高生は自販機の前のテーブルでおしゃべりに花を咲かせていた。
「三日経って慣れてきたけど、やっぱり立ちっぱなしはしんどいね……」
「お風呂の中でマッサージしても、むくんだままなかなか元に戻らないわよね」
「目も使うし神経も使うし、楽かと思ったらけっこう大変だね」
「でも、寒い中を自転車で走るよりは、気持ちは楽な気がします」
冬休みに入る前、聖漣高校の一年生と二年生にとある通知が配られた。
『冬休み、初めてのアルバイトに郵便局』と書かれたその紙に、くるみたちが食いついたのは言うまでもない。
後期の中間考査の席次が良い者に限って、という条件はあったものの、それを無事にしっかりと満たしていたくるみと祐華、そしてミチルと麗は、最低賃金に毛が生えた程度の時給ではあったが、市内の一番大きな郵便局の中で一日八時間、年末年始の年賀状の仕分けのアルバイトをすることになったのだった。
もちろん、隆玄と太陽もこの話を逃すはずがなく、彼らは今、郵便局員と一緒に配達の道順を覚えるため、この海沿いの街の冬に吹く突風の中、懸命に自転車を漕いでいるのだった。
「昔はもっとたくさん年賀状のやり取りがあったし、郵便番号を読み取れる機械もなかったから、今より全然大変だった、って局員さん、言ってたわね」
「今は個チャで『あけおめことよろ』だもんね。まあ、そんなのやったこんないけどさ」
祐華が先程ベテランの職員から聞いた話に、くるみが自虐的な答えを返す。
「小学生の頃は担任の先生から、毎年必ず年賀状が来てたな。でも面倒だからって返事書くの先延ばしして、いつも寒中見舞いになっちゃったっけ」
麗が懐かしげに笑う。
「先生からの年賀状かあ……高校はやっぱ、そういうことしないよね……」
一瞬、興津から年賀状が来ないかと期待したが、すぐに諦めたくるみがため息をつく。
「わかりませんよ、興津先生のことですから、軽音楽部員くらいには出してくださるかもしれません」
「うえっ!?べべべべべ別に!!?興津先生から欲しいって言ってないし!!?」
「いつまでそうやってしらばっくれてられるかな、ほんと……」
ミチルの一言に過剰反応するくるみに、麗がぼそりと冷めた視線と言葉をよこす。
「……と、ともかく、午後も頑張って仕分けしよっと。エレアコのためだし」
咳払いをして取り繕ったふりをすると、くるみは赤くなってしまった頬をぴたぴたと叩いて、深呼吸をする。
「わたしもエフェクターと新しいシールドのために、頑張らなくっちゃ」
くるみを微笑まし気に見つつ、テーブルに肘をついた祐華も微笑む。
「二人とも大きな買い物するなあ、わたし、リードの予備と参考書くらいしか思い浮かばないや。……ていうか菊川さん、なんでバイトするの?」
自分よりはるかに経済的に余裕のある生活を送っているミチルがなぜ働くのか、純粋に疑問を持った様子で麗が尋ねる。
「……実はわたし、自分の自由にできるお金が殆どないんです。確かに両親が仕送りをしてくれるので、生活には困らないんですが、毎月何にいくら使ったかちゃんと収支報告をしないといけない約束で……ですので、部活で使うために欲しいものがあっても、こっそり買うということは不可能なんです」
「うえー、そんな大変だったんだ……で、何買うの?」
「ポータブルキーボードを買おうと思ってます。学校の備品は年式が古いので出せない音がたくさんありますし、個人持ちの方が運搬も練習も楽になりますから」
「そっか、なるほどね。でもお父さんたち、よくバイトするの許可してくれたね」
「社会勉強のためと言ってごり押ししました。どのみち二人とも、あと二年は確実に海外にいるので、わたしが日本で何をしても手出しは出来ませんから」
「……なんか、変なとこ肝っ玉座ってるね、菊川さん」
にこにこと屈託なく語るミチルに、麗はやや引き気味に答えた。
「軽音楽部にいることも、彼氏がいることも秘密にしてるなんて……あとから知られて、怒られたりしない?」
「……大丈夫です」
「ほんとに?……心配だな……」
どこか有耶無耶なミチルの言葉に麗が珍しく素直な答えを返した時、休憩終了五分前のチャイムが鳴った。
(先生の誕生日プレゼント、何か用意したいな……)
仕事を終え、祐華たちと別れた後、自宅に向かって自転車を走らせながらくるみは考える。
アルバイトのため、軽音楽部は冬休みの間は練習をしないことに決まったのだが、その冬休みが始まったクリスマスの日――十二月二十五日が、興津の三十二歳の誕生日だった。
(なにも終業式に言わなくてもいいじゃない……もっと早く言ってくれたら、プレゼント用意したのに)
せめて学校が始まったら何か渡したいとは思いつつ、形に残るものは彼を困らせることもわかっているので、渡せるものは限られる。
(手作りのお菓子とか、そのくらいになっちゃうかな……でも、やっぱりちゃんと繋がってる『印』が欲しい……)
万一の時にしらを切り通すため、手紙のやり取りはおろか、個別チャットとメールアドレスだけでなく、お互いの電話番号も彼の住所も教えない、という約束でここまで来たが、冬休み前にくるみは『巴が興津に告白して振られた』という噂を聞いてから気が気ではなかった。
(そうだよね、やっぱりモテるんだよね。……カッコいいし、優しくて真面目だし、女の先生からしたら狙いたくなるんだろうな……何て言って断ったのかな、先生……)
胸の奥がちくちくと痛くなる。
どれだけ興津が自分のことを想ってくれているとしても、不安に心は揺れる。
だいいち、どう足掻いても自分は子供だ。もしもこの先、彼と年の近い魅力的な女性が目の前に現れたら、心変わりされてしまう可能性はゼロではない。
そうなったら、リスクの高い自分との恋愛など即座に終わらせてしまうかもしれないのだ。
普通の恋人同士のようにふるまえないことは、自分以上に彼もストレスに感じているだろうと思うと、くるみはそのたびに、ひどく自分の気持ちを申し訳なく思うのだった。
(わかってたけど、苦しいな……キスも出来ないし、ハグするのだって人に見られないように気を付けないといけない。人前では絶対に、先生と生徒のボーダーラインは越えちゃいけない。来年、新入生が入ってきたら、きっと部室でだって、今までどおりじゃいられなくなる……)
どんなに一途に想っても、ままならないことだらけでため息しか出てこない。
(……それに、藁科先生に感づかれちゃうくらいには、ぼろが出てたってことだもんね……気をつけてたんだけどな……もっとドライに見せないといけないんだ。廊下ですれ違っても、目を合わせたりも出来なくなるのかな……)
さすがに悲しくなってきて、鼻の奥がつんと痛くなる。
(……じゃあ、やめるの?)
不意に自分の中から別の自分が問いかけてきたような気がして、くるみははっと我に返る。
滲んでしまいそうな涙をぐっと飲みこみながら、彼女はブレーキをかけ、赤信号で止まる。
(……違う。わたしは普通の恋人同士になりたいから、先生を好きになったんじゃない。一緒にいれば、きっとなにもかもがいい方に変わっていく、って思ったからなんだ。そして、それは本当にそうなってる。……わたしも先生も、もう独りには戻れない。離れてしまったら、きっとふたりとも、枯れて死んでしまう……)
いつも抱きしめ合うときに彼が見せる、縋りつくような瞳を思い出す。
その中に宿る重く苦しい光の理由を知っているのは、自分しかいない。
彼が幼い頃からずっと抱えてきた孤独を受け止められるのは、間違いなく自分だけなのだ。
(それに、先生はわたしを、なによりも初めに、ちゃんと『生徒』として見てくれてる。よくニュースになってるような悪い先生だったら、もうとっくに手を出してるかもしれないのに、わたしのことを大事にしてくれてるから、ハグ以上のことはしないんだ。それだってすごく危険なことなのに、先生はどうにかして、わたしに応えようとしてくれてる……わたしも先生のこと、大事にしたいから、約束は守らないと。自分に負けちゃだめ。ここで弱気になってぐずぐず甘えたら、先生を困らせるだけになっちゃう。しっかりして、くるみ)
涙を振り払って前を見ると、くるみは大きく息を吸って、冷たい風を肺の中に入れる。
青になった信号が照らす夕闇の道路に力強くペダルをこぎ出して、彼女は家路を急いだ。
「ねーちゃん」
その日の夕食後、アコースティックギターのチューニングをしていたくるみの部屋に、智がいつものようにノックもなしに入ってきた。
「いっこ頼みたいだけえが、ええかしん?」
「ノックしないような子の頼みは聞きません」
「だああ、悪かったよ」
智は一度部屋から出ると、扉をノックするところからやり直す。
「頼みたいこんがあるだけえがええかしん?」
「あのね、あんた……わたしが言ったのはそういう問題じゃあないんだけど……で、何?」
弟の無意味な行動に呆れながら、くるみはギターをベッドに置く。
「あのさ、ミサンガ作ってくんない?」
「ミサンガ?」
「最近サッカー教室でみんなつけてるからさ、オレも欲しい」
「自分で作ればいいじゃない、なんでわたしに頼むのよ」
「ねーちゃん、オレが図工とか家庭科苦手なの知ってるだろ? 母さんの本棚にあったから作り方の本読んだんだけど、全然意味が分かんないんだよ」
智はそう言って、一冊の古ぼけた手芸の実用書を差し出す。
「へえ、お母さん、こんな本持ってたんだ……どれどれ……」
ぱらぱらとめくると、古い本の匂いがして、開かれたページには色とりどりのミサンガの写真と作り方の図解が交互に現れる。
それを眺めるうちに、不意にひとつの単語がくるみの目に飛び込んできた。
「……これだ……!」
「な、何が?」
突然目の色が変わった姉にぎくりとしながら、智は姉からの返答を待った。




