第43話
「……はい、ありがとう。お疲れ様。やっぱり牧之原さんは上手ね、定演のときも思ったけど、あなたの歌は歌詞に込められたものがストレートに伝わってくるわ」
「いえいえ、そんな……あの、あんまり褒められると調子乗っちゃうんで、あはは……」
中間テストの最終日、音楽準備室の中で巴を前に『スタンド・バイ・ミー』の弾き語りをワンコーラス無事間違えずに演奏し終えると、くるみは照れて指をもじもじと動かした。
「謙遜しなくていいわよ、本当のことなんだから。プロは目指さないの?」
「……いえ、わたしそういうの興味無いんで。他にやりたいことがありますし」
どうしても芸能界に良い印象がないのもあるが、何よりも興津の傍を離れることはしたくなくて、くるみは巴の質問に微笑みながら否定の返事をする。
「そう、なんだかもったいないわね」
多分採点しているのだろう、手元の紙にボールペンでメモを取りながら巴が続ける。
「ギターも頑張ったのね、コード表、見づらいから大変だったでしょ?」
「はい。でも、部活の時間にアコギで練習したんで、なんとかなりました」
「そうか、軽音楽部はそれができるからいいわね。ギター、先輩に教わった感じ?」
「いえ、……興津先生から教わりました。利き手が同じだもんで、すごくわかりやすくて」
教えてくれている間に触れる指先の感触と、背中や腕に感じる優しいぬくもりを思い出して、くるみは思わず満面の笑みを浮かべた。
「あら、そうなの。……そうだったのね」
「?」
「うん、ありがとう。次の人呼んできて。お疲れ様」
「ありがとうございました」
小首をかしげつつギターを手に準備室を去るくるみを見ながら、
(……私、付き合いたいって思った男の利き手さえ、ちゃんと見てなかったな)
巴は肩をすくめて、評価を『5』と書き留めた。
その日の放課後、紘輝は一年一組の教室の前にいた。
(髪にメッシュ……)
麗に教えてもらった少女の姿を、帰り支度をする生徒の群れの中に探す。
はたして、まっすぐに切りそろえた黒い前髪に赤紫のメッシュを入れた姫カットをハーフツインテールに結い、堂々と校則違反の黒いパニエを短いスカートから溢れさせている、背の低い女子生徒がすぐさま目に入る。
「……あの、『しもだみゆめ』さん?」
名前を呼ばれて紘輝を見た顔は、明らかにそれと見て分かる程度に化粧をしている。
「!」
実夢は自分の視線の先に紘輝がいることに、ひどく驚いたようだった。
「君なんだって? 文化祭のとき、俺に花束投げたの」
「……」
「定演も見に来てくれたみたいで、ありがとうな。お菓子ごちそうさま」
「……」
大きな釣り目を見開いたまま、全く表情を変えない実夢に、紘輝は少しずついたたまれなくなってくる。
「……もしかして、違った?」
「いえっ! ちがくはないんですけどっ!」
真っ黒な口紅とひどく歯並びの悪い口から飛び出した、くるみほどではないが特徴のある声で返ってきた返事に、紘輝は一瞬だけびくっと体をすくませてしまう。
「あの、自分が出待ちされるとか思ってなかったんで! そーゆーのびっくりってゆーか!」
「いやいや、出待ちって……」
『バンギャ』らしい言葉のチョイスに、紘輝は思わず苦笑いした。
「今まで推しから話しかけられることとか全っ然なかったんで! マジで反応に困るってゆーか! あのっ、お礼とかそーゆーのいいんで! 推せるときに推してるだけなんで!! あたしが楽しくてやってるだけですから!!!」
半分叫びながら顔の前でぶんぶんと両手を振る実夢に、
(あー、やっぱ隆玄の言ったとおり、推し活かー……ま、そんなもんか)
個人的感情がないことに少しだけがっかりしつつ、紘輝は笑みを浮かべてみせる。
「そっか、でも俺の流儀に反するから、ちゃんとお礼は言わせてくれな。ありがとう。俺、もう部活引退するけど、最後の年に花束くれるようなファンができて、すごく嬉しかったよ」
「……」
「……じゃ、また縁があったら。バイバイ」
言葉とは裏腹に、これきりになるだろうという確信を胸に、紘輝は実夢に手を振って、一年生の教室を後にした。
「ありゃー、マジで推し活でしたか……」
「残念でしたね、フラグ立ったかと思ったのに」
ついに紘輝にも浮いた話が出てきたかと期待していた二年生二人が、彼の話を聞いて露骨に肩を落とす。
「んー、まあいいよ。そもそも、ファンに手を出すバンドマンってアウトだろ」
「紘輝先輩、それ言ったら刺さる人いるからダメですって」
少し離れたところでチューニングしながら談笑している興津とくるみを見て、太陽が慌てる。
「いや、あの二人はそれ以前の問題だけどな」
もはやすっかり見慣れた光景とはいえ、本人たちが否定しても誰も信じないであろう距離の近さに、紘輝は苦笑する。
「バレなきゃいいですけどねぇ。ま、今んとこそんな様子はないのがすごいなぁ」
「ほんと、部室の外での線の引き方がきっちりしてますよね。そこはやっぱ先生の年の功と、くるみちゃんのお母さんの血ってやつなのかな」
隆玄と太陽が、くるみを背中から抱くようにして新しいコードを教えている興津を見て、感心したようにため息をつく。
「……新入生の前でやらかさなきゃいいけど。みんながみんな、俺らみたいに考えてるわけじゃないからな」
心配そうに呟いた紘輝に、隆玄が笑いかける。
「だいじょぶっすよ、ヤバそうだったら俺らが釘刺しときますから」
「頼んだぞ、隆玄も太陽も。先生が懲戒解雇なんてニュース、俺は見たくもないからさ」
「笑えない冗談はやめてくださいよ、紘輝先輩。……それ以前に来年、新入生が入部してくるかって話ですけどね。年明けには演目決めとかないとな……」
太陽の言葉に、上級生たちの脳裏には今年の新入生歓迎会の様子が思い浮かんだ。
「『Smoke On the Water』、今だったらもうちょっとマシに演れるかな……」
だいぶ手に馴染んできたストラトキャスターを撫でながらぽつりと呟いた紘輝に、
「……演りましょうよ、せっかくだから。リベンジリベンジ」
そう言って太陽がギターのコントロールをひねる。
「祐華ちゃんも弾けるかな? おーい、祐華ちゃん、『Smoke On the Water』のベース、弾ける?」
白いベースのチューニングを終えて、ミチルと話していた祐華に隆玄が呼びかける。
風花が舞う窓の外の曇り空とは真逆の熱気が、にわかに部室を沸かせた。




