表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/90

第40話

「紘輝先輩の引退ライブ、学校のデジカメで撮影するんだね」

「活動記録になるから、資料として残しておきたい、って先生言ってたわね」

「『今宵の月のように』なんて選曲が渋いなあ、お母さんのiPodに入ってたからたまたま知ってたけど、けっこう昔の曲だよね」

「動画サイトでおすすめに出てきて、それで知ったみたいよ。それまで『筋肉マイフレンド』演りたかったみたいなんだけど、参加できる人数が少ないから却下されたって言ってたわ」

「あはは、やっぱり一度は打首の曲、演りたいって言ってみてるんだ」


 週明けの部活動の後、会議のため途中で抜けてしまった興津の代わりに、部室の鍵を職員室へ返しに行った太陽とミチルを皮切りに、忘れ物を取りに教室に戻った紘輝と、麗の部活終わりを待つために音楽室の前に残った隆玄と別れ、くるみと祐華は二人で昇降口に向かっていた。

 もちろん、土曜日に興津から聞いた話は部員どころか全校生徒の知る話になっていたので、彼女たちは駐輪場で全員と待ち合わせ、駅前まで一緒に帰ってそこで解散する、という段取りを取ることにしていた。

 中庭を挟んでいる校舎の窓から、正門の様子をうかがうことはできない。しかし、改造された原付の出す種々の派手な音はしていないため、警察の見回りが功を奏しているのだろう。

 今日は安心して帰れそうだ、とくるみは人心地ついていた。


 音楽のテストに向けて、興津に教えてもらった『スタンド・バイ・ミー』の弾き語りは、ほぼ完璧になった。授業で使うクラシックギターと扱い方に多少の差異はあるものの、変に緊張さえしなければ彼に教わった通りの演奏を巴に披露できるだろう。

 その後はまたキーボード担当に戻って、紘輝の引退ライブ――ライブと言っても部室でセッションするだけなのだが――の曲である『今宵の月のように』の練習に入る。

 そしてその撮影が終わる年明けに紘輝は部活を引退し、ほとんど同じ時期に専門学校の推薦入試の結果が出る。その結果を受けて彼は上京の準備をはじめ、くるみたちは引き続き、新入生歓迎会の曲決めを済ませて練習を開始する。

 もちろん、二月の頭には後期の期末テストもあるし、最後の組替えテストに加え、模試と進路希望調査が終わったその後には三者面談も控えている。

 結局のんびりしていられる時間はないのだが、それでも今までよりずっと落ち着いて、怯えずに過ごせそうな日々が来ることにくるみはほっとしていた。


「それにしてもお兄ちゃん、前に比べたら全然歌えるようになってよかったわ。くるみちゃんのボイトレのおかげね」

「あははは、そっかな。でも、紘輝先輩が毎日頑張ってたからだよ」

 二人は会話を交わしながら、靴箱の前で上靴からローファーに履き替えて外に出る。

 傾きかけた日差しが空の縁をほんのりとオレンジと黄色に染め、冬の白っぽい夕暮れを教えてくれる。

「定演のとき、来てくれた先生たちのびっくりした顔、よく見えたわ。まあ、逆に言えば歓迎会がそれだけぐだぐだだったって事よね」

「それは否定しない」

 足元に暗く落ちる影が冷たく吹き付ける北風に震え、首元にしっかりと巻き付けたチェックのマフラーのタッセルをふわふわと撫でていく。

 少し底のすり減ったローファーがアスファルトを踏む音が職員室と会議室の前を通り抜け、自転車置き場の前までやってきたとき、

「!」

 くるみと祐華の足は止まった。


 眼前に佇む数人の少女たちに、心拍数は嫌な音とともに急速に跳ね上がり、手足が痺れる。

 だぼだぼのパーカーとデニム、そして茶色や金色にきつく脱色された髪に、赤や青の派手なメッシュが混じり、こちらを見て、獲物を見つけた、と言いたげな顔の派手な化粧をクロムやシルバーのボディピアスが厳つく飾り立てている。

 そのうちの一人が、金属バットを片手にこちらに近づいてくる。

「……!」

 恐怖で足がすくみ、くるみと祐華は動けないままに距離を詰められる。

「藤枝、久しぶりじゃん? やっぱり頭のいい人は違いますねえ、聖漣なんて受かってたんだ」

 唇にリングピアスをした少女は、そう言うと金属バットを地面に突き立てて、憎々しげに睨みつつも笑い声を立てる。

「なんで友達なのに秘密にするかなあ、随分探したんだよ、この辺の高校全部に探り入れて。……金と手間かけさせやがって、このブス」

 後ろにしゃがんでいた残りの女子生徒が立ち上がる。

「なんか、聞いた話だとお前、いっちょ前にギターなんか弾いてるらしいじゃん?」

「いいねえ、青春を謳歌してますねえ」

「こんなとこ来れる金持ちだから、アホみてーに小遣いももらってんだろ?」

「男作って遊んでたりしてな」

 げらげらと笑いながらやってくる少女たちの言葉に、祐華は何も言い返せない様子で一歩だけ後退る。

「……祐華ちゃん、……」

 聞くまでもなく、目の前の少女たちが祐華の友達などではないことは、くるみにもわかった。

 彼女たちはなおも続ける。

「調子乗ってんじゃねーぞ。うちらから逃げ出せるとでも思ってたのかよ」

「お前がこの世に存在してるだけで吐き気がすんだよ、ゲロブス」

「調子こいて生きてんじゃねーぞ、なんで中学の時に死ななかったんだよ、お前」


 その一言だけで、祐華の過去に何があったのかをくるみは察した。


「……祐華ちゃん、逃げるよ」

 くるみは祐華の手を引くが、彼女は凍りついたように動けなくなってしまっている。

「祐華ちゃん!……っ」

 置いて逃げるわけにも行かず、くるみは祐華の手を握りつつ無言で相手を睨みつけた。


「なにお前、こいつと『おともだち』ってやつ? いーねー、熱い友情かよ、くっそだせえ」

 地面に唾を吐きながら、金属バットの少女はまた距離を詰めた。

「生意気な面しやがって、気に入らねえな」

「ふたりともさ、今からうちのガッコの先輩十人くらい呼ぶから、自殺しとけばよかったって思わせてやろっか?」

「いんじゃね? 面白そう」

 後ろの少女たちはそう言いながらスマートフォンを触り始める。


「祐華ちゃん! ねえ、逃げるよ! どうしたの!」

 興津の話と今朝の全校集会を思い出して、くるみは何度も祐華の手を引く。

「……」

 まるで恐怖に身体をその場に縫い付けられてしまったかのように、目だけをぎょろぎょろと動かしながら、祐華はなにも答えない。しかし、

「しっかりして、祐華ちゃん!」

 ひときわ鋭いくるみの声にようやく、祐華は我に返る。

「あ……」

「走って!」

 くるみがさっきよりも強く手を引くと、祐華は少しだけ足をもつれさせながら走り出した。


「待てやゴラァ、逃げんじゃねえクソブスが!!」

 言うが早いか、金属バットの少女が怒鳴りながらくるみたちを猛追し始める。

 その声に、明確に『祐華への殺意』が混じっていることに恐怖し、ますます足を速め、

「先生!!!不法侵入です!!!!」

 背負った楽器の重さもものともせずに、全身全霊で走りながら、くるみは会議室の前で力いっぱいに叫ぶ。

 その瞬間、祐華がまた足をもつれさせ、二人の手が離れて、彼女は地面に転んだ。

「祐華ちゃん!!!」

 勢い余ったくるみが引き返す前に、すぐさま追いついた金属バットの少女が、好機とばかりに手にしたものを振り上げ、まだ腹ばいのまま起き上がれない祐華めがけて振り下ろす。

 がつん、と鈍い音がして、それは背中のギグバッグに当たった。


「……!」

 背中に感じた衝撃と弦の音で、ベースのネックが叩かれたことがわかった。

 次に叩かれるのが頭かもしれない、という恐怖よりも先に、

(わたしの楽器を傷つけた)

 その怒りのほうが先に沸点に達し、祐華はもう一度振り下ろされた二発目を身体を丸めてかわし、擦りむいた足の痛みも忘れて立ち上がる。

「この……っ、逃げんな!! さっさと消えろゴミカス女ぁ!!!」

 三発目を後ろに飛んで避けると、勢いがつきすぎた相手は自分のデニムの裾を踏んづけて、不格好に地面に転がる。

 空を切ったバットは少女の手から抜け、明後日の方角に飛んでいく。

 葉の落ちた紫陽花の植え込みをぎりぎりでかわし、調理室の窓に飛び込んだそれは、ガラスを一枚粉々にした後に、からからん、と床に転がる乾いた音を校舎にこだまさせた。

 祐華は相手の上半身に無我夢中で馬乗りになり、両手を足で抑え込みながら体重をかける。

 そこに後から走ってきた少女たちのすぐ後を、騒ぎを聞きつけた教職員たちが会議室の掃き出し窓から姿を現して、次々に追いかけた。


 祐華は怒りに任せて、平手打ちを食らわそうと右手を振り上げる。

「!……」

 しかし、その手は震えたまま、頬を打つことなく静かに下ろされた。

 武器を失くしたことと、格下だと思っていた相手にマウントを取られたショックで、下敷きになった少女は、真っ青なカラーコンタクトの目を見開いたまま仰向いている。

 その目を鋭く睨んで、祐華は口を開いた。


「……わたしがわたしの人生を楽しんで、何が悪いの? 勉強も部活も努力して、その結果幸せになることの何が気に入らないの? 人を見下すことでしか生きていかれないんなら、勝手に一生そうやって格好悪く僻んでなさいよ! 誰かの足を引っ張って、みっともない自分をよく見せようとしたって無駄よ! そんな意地の悪いことを考えて生きてる限り、あなたの人生はみじめなままで、何も変わらないんだから……!」

 彼女はそう吐き捨てて立ち上がる。


 そこにすかさず、

「藤枝さん! 牧之原さん!」

「二人とも大丈夫か!!!」

 安倍と興津が上靴のまま走ってくる。

「先生! 祐華ちゃん、転んじゃって……バットで背中も殴られました!」

「!」

 血まみれの足で立つ祐華の側に駆け寄るくるみの言葉に、二人の顔がひきつった。

「立て! 警察が来るまでお前はこのままだ!」

 安倍たちを追い抜いた藁科が、後ろ手に金属バットの少女を拘束する。

 残りの少女たちも他の教職員に両手を拘束され、悪態をつき、暴れながらも、全員が校舎の中に連れて行かれる。

 それを見送ってから、二人は祐華とくるみに向き直った。

「足、擦りむいてるな。いったん保健室に行こう」

「藤枝さん、他に怪我はありませんか?」

 下を向いたまま無言でうなずく祐華に、二人は顔を見合わせてほっと息をつく。そのとき、

「祐華!! くるみちゃん!! どうしたんだ!?」

 昇降口から紘輝たちが現れ、慌ててそばに駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん……」

 兄の声が聞こえた途端、祐華はわっとその場に泣き崩れた。


「本当に、今年の軽音楽部は色々ありすぎるわね。興津先生、厄年?」

「まだ十年も先ですよ。前借りしてるのかもしれませんけどね」

 保健室で祐華のギグバッグを数カ所触りながらため息を付きつつ、興津は朝比奈に答える。

「しかし、うっかり開けなくてよかったですね、朝比奈先生のおかげですよ」

「たまには刑事ドラマで得た知識が役に立つものね、嬉しくはないけれど……」

 ベースへの愛着心からいてもたってもいられず、開封して中を確認しようとした興津を「証拠品の保全」と言って止めた朝比奈に、安倍が感謝の言葉をかけた。

「……だめだ、間違いなくネックがやられてる。残念だが、修理しても元通りの音は出ないと思ったほうがいい」

 ネックとヘッドの境目あたりにはっきりと折れた感触がある祐華のベースを、興津はバッグの上からそっと撫でた。

「当たったのが頭や首じゃなかっただけ良かったですよ。……こうなってしまったら、身代わりになってくれたと思ったほうがいいですね、藤枝さん」

 両膝に大きな絆創膏を貼った祐華に、安倍が声をかける。

 疲れとショックで押し黙ったままうつむく祐華の隣で、くるみとミチルはまだ震えている彼女の背に手を置いている。

「祐華、さっきの奴ら、中学でお前のこん、ずっといじめてた女子か」

 紘輝の言葉に、祐華は更にうつむいて肯定の返事をする。

「卒業した後も祐華ちゃんを追いかけて、わざわざここまで嫌がらせに来たのか……粘着質すぎて意味が分からないな、いったい何がしたかったんだ、あいつら」

「女の嫉妬ってやつで、祐華ちゃんのことが羨ましかったんじゃないのかねぇ。……陰でどんだけ努力してるかも知らんで、成功した人や幸せそうな人たちに嫌がらせや誹謗中傷することで溜飲を下げるなんて、つまらない生き方だと思うんだけどなぁ。んなことに使う時間があったら、他のことすりゃいいのに」

 理解しがたい感情にため息を付いた太陽に、隆玄が馬鹿馬鹿しい、といった風に言葉を返す。

「伊東、みんながみんな、君みたいに割り切って考えられるわけじゃないよ。人を羨む気持ちは誰にだってある。ただ、その遣り場のベクトルを間違えると、あの子達みたいになるんだ。……きっと、周りにそれを教えてくれる大人がいなかったか、聞く耳を持てなかったんだろう。ある意味、可哀想な子たちだよ」

 口ではそう言うものの、全く同情している素振りもなく、興津が吐き捨てる。

「それにしてもだよ、祐華ちゃん捕まえて『ブス』って、何あれ。あいつらカラコンの入れ過ぎで目ぇ腐ってんじゃないの? ほんっとムカつく!」

 怒り心頭で暴言を吐くくるみに、ミチルと麗が大きくうなずく。

「こんなに可愛らしい方を、なんて品位のない言葉で傷つけようとするんでしょうか。失礼すぎます」

「人間、誰かを悪く言うときは、自分が一番言われたくない言葉が出てくるっていうからね」

「……牧之原、清水、気持ちはわかるがもうちょっと言葉を選びなさい。辛辣が過ぎるぞ」

「はーい……」

「すみません」

 興津に叱られて口をつぐんだくるみと麗に、朝比奈が肩をすくめて笑いかけた。


「さて……」

 腕組みをした安倍が、腹に据えかねた様子で朝比奈と興津に話しかける。

「藤枝さんが命にかかわるような大怪我を負わされそうになったうえ、演奏家の命と言ってもいい楽器を壊したんですから、保護者でも学校でも相手は構いません、しっかり弁償してもらいましょう。いっそ、高級品を買いなおしする金額くらいは上乗せして請求してやったほうがいいですね」

「そろそろ警察と救急車も来るかしら。傷害罪に器物損壊罪、不法侵入に殺人未遂で、更生施設行きは免れないわね。もう二度とあそこの生徒に、うちの学校の敷居はまたがせないわよ」

「藤枝の個人情報を漏らした生徒も探さないといけませんね。きっちり詰めてやりましょう」

 普段が穏やかな分、三人の怒気は暖房が効いているはずなのに肌寒くなるほど恐ろしい。

 くるみたちは文字通りに震え上がった。


 祐華はベッドの上に置かれた自分のギグバッグに目をやる。

(……大事にしてたのにな……)

 命がなくなったり、治らない大怪我をするよりはずっとましだったが、やはり自分の半身のように感じていただけにやるせない。

(いっぱい、大切な思い出が詰まってたのに)

 買ってもらった時の喜びも、みんなで演奏した楽しさも、難しい曲を必死になって真夜中まで練習した指の痛さも、すべてがそこに繋がっている。

 まるでそれが砕けてなくなってしまったかのような喪失感に、涙さえ出てこない。

(直っても、同じ音は出ない……もう、元には戻らないんだわ)

 先程の興津の言葉がじわりと心を突き刺し、その痛みに、祐華は血がにじむほど強く唇を噛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ