第38話
「改めて見ると、ちょっとした団体だね」
土曜日、いつもより早めに活動を終えた軽音楽部員に混じって、師走の入り口の風が吹き始めた駅前のロータリーで、パーカーのついたダウンジャケットを着こんだ慎が笑う。
「ほんと、広いお店で良かったですよね」
その隣で、北風のせいだけではないりんご色の頬をした祐華がうなずく。
「祐華ちゃん、二本目のベースは買わないの?」
「あ……わたしはこれで充分ですから……プロになりたいとか、そういう訳でもないですし」
慎の問いかけに、背中のギグバッグを首だけ振りかえって、彼女は微笑む。
(慎先輩との思い出も、軽音楽部での楽しいことも、全部この中に詰まってるから、わたしはこれだけでいいの)
ボディの部分を手で撫でて、祐華は少しだけ目を伏せた。
そこから少し離れたところで、
「……なんか、話聞けば聞くほど怖いんだけど?」
瑠菜がくるみに起こったことをざっくりと聞き、戦慄の表情を浮かべている。
「でも、るなぴパイセンが教えてくれたことが頭に入ってたもんで、ずっと抵抗できたから、ほんとうに感謝してもしきれないというか……」
「いやいや、あたしの言うこんなんて素人の付け焼刃だからさ……こっちこそごめんね、先生に怒られるようなこん教えちゃって。何にしても、無事でよかったっけ」
ブルーグリーンのカラーコンタクトの瞳がにっこりと笑う。
「たまにはお前の読んでるヤバそうな本も役に立つんだな」
瑠菜の隣でミチルに寄り添うように立っている太陽が感心したように言うと、
「ヤバそうとは何よ。将来のための勉強なんだから、変なこん言うのやめてよね?」
ラベンダーのメッシュが入った髪を揺らし、彼女は腕を組んでむすっと膨れた。
(……なんか、るなぴパイセン、会うたびに派手さが増してってる気がするなあ……)
明らかに初対面の時より濃くなったメイクに、くるみは彼女の肌荒れを案じた。
「伊東、妹さんはそろそろかな?」
くるみの側にいた興津が、隆玄に声をかける。
「はい。もう来ると思いますよ」
冷たい風にツンツンに立てた髪をなびかせながら、隆玄がロータリーの向こうにある横断歩道を見遣る。
「紗雪ちゃん、久しぶりに会うな。そろそろ受験だけど、やっぱうち受けるのか?」
向かいで同じ風に吹かれている紘輝の質問に、隆玄はうなずいた。
「こないだ出願しましたよ。親父は隣町の高校に行かせたがってたんすけどね、そっちは偏差値高くても通学が大変だからって、うち一本に絞りました」
「はー、すげえ度胸だな、滑り止めなしか。でもまあ、紗雪ちゃんだったら受かるよな。お前もそうだっけが、頭いいもんなー、紗雪ちゃん」
感心しきりといった様子で紘輝は隆玄を見る。
「塾の全国模試一桁だっけ? マジでお前ら兄妹、何食って生きてきたんだよ?」
「紗雪はさておき、俺の主食はメロンパンっすね」
「いや、さすがにもうちょっとなんか他のもん食えよ、魚とか」
「いやいや、先輩知ってるでしょ、俺が魚嫌いなの」
「お前、漁師町に住む人間なのにもったいないなー、つくづく」
紘輝が心底残念そうにため息をつく。と、不意に隆玄は隣を見て、
「ということで麗ちゃん、俺と結婚したら、ご飯にサバの麹漬けとか出さないでね、泣くから」
そこにいた麗に話を振った。
「は!?……ね、寝言は寝て言ってください、先輩」
麗はそう言うと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
「いやぁ、これでも本気なんだけどなぁ」
いつも通りの手厳しい返しに、隆玄は肩を落とす。
「……なあ、もう一回確認したいんだけどさ、ほんとに二人とも付き合ってんの?」
どうやってもそうは見えないやり取りを、紘輝が本気で心配する。
「俺は少なくともそう思ってますよ。……あ、来た来た」
隆玄が長い腕を上に伸ばして、ぶんぶんと振る。
それに呼ばれるように、白いリボンがよく目立つ紺色のセーラー服に長いおさげ髪の少女が、横断歩道を渡ってこちらに向かってきた。
「初めまして。伊東隆玄の妹の、紗雪です。今日はよろしくお願いします」
そう言って紗雪はお辞儀をすると、赤いアンダーリムの眼鏡の蔓を押さえた。
(わ、先輩そっくり。一目で兄妹だってわかる)
くるみは思わず二人を見比べてしまう。
兄とよく似た猫目と太い眉が印象的な彼女は、なぜかひどく大人びて見えた。
「紘輝先輩と太陽以外はみんな初めてだよな。あんまり気を張らなくていいから、何か聞きたいこんがあったら、どんどん質問しろよ」
隆玄が妹の肩を叩くと、図らずも大所帯になってしまったくるみたちは、楽器店の入っている駅ビルの中に移動を始めた。
「その制服、市立三中でしょ? 祐華ちゃんの後輩だね」
くるみは何の気なしに紗雪に声をかけつつ、隣を歩く祐華に話しかける。
「あ、……うん、そうね」
なぜか浮かない顔の祐華に首を傾げつつ、くるみは視線を紗雪に戻す。
「隆玄先輩から聞いたけど、志望校うちなんでしょ? わたしも最近アコギ弾き始めたばっかりなんだ。入学したら、軽音楽部に入るのかな?」
「ええと……」
言葉に詰まり、うつむいた紗雪を見て、
(……ん? わたし、なんかやらかしてる?)
くるみは麗に初めて話しかけたときのデジャブに襲われた。
「さすがにまだ受験前なんだから、ちょっと気が早いぞ、牧之原」
隣を歩く興津が笑いながら話に加わる。
「あはは、……自分がそうだったもんで、つい……」
彼に優しくとがめられて、くるみは肩をすくめた。
(……嫌だな、この制服。紗雪ちゃんには悪いけれども)
紗雪の後ろ姿を見ながら、祐華はため息をつく。
(人にあげちゃったから、もう二度と間近で見なくて済むって思ってたのに……)
コートの上に乗る紺地に白の三本線の襟に、祐華の心は闇に沈んでいく
(入学式の時はすごく可愛くてお気に入りだったから、余計に悲しいわ。……タイの結び方だけで、グループが出来てたっけ。今もそうなのかしら)
自分もそうだったが、校則通りに襟の後ろからタイをはみ出させる着方をする子は、規範を守るおとなしい子の方が多かった。一年やそこらで習慣が変わることもないだろうから、きっと紗雪も見た目通りに真面目で、背中にはタイが見えるのだろう。
(わたしに意地悪した子っち、三年生になって教室に戻ったら、制服ものすごい改造してたな……スカートはすごく短く縫い直してあったし、上着の裾も短くして、スカーフと胸当てに卍の刺繍が入ってたりして。……今思えば、あれだけのことができちゃったっていうのは、先生にも手が出せないくらいわたしの学年が荒れてた、ってことでもあるのよね)
いじめや嫌がらせがあったのは、祐華の学年だけではないだろうことは想像に難くない。
自分のいた中学校は、学校中の雰囲気が暗く淀んでいたことを思い出して、心が曇る。
(紗雪ちゃん、学校楽しいかな。……いじめられてないといいな……)
どうにも自分の経験からの基準でしか他人の学校生活を図れない自分に嫌気がさして、祐華はもう一度ため息をついた。
駅ビルの中のエスカレーターを左側に並んで三階まで登ると、防犯ゲートの向こう側に壁一面のエレキギターが見えた。
「うああ……初めて来たけど、本当に広いですね……」
ゲートをくぐって店内に入ったくるみに、興津が背中から話しかける。
「初めて? ああ、そう言えばそのアコギ、通販で買ったって言ってたな」
「はい。とにかく早く弾きたかったもんで」
「そうか。エレアコ買うなら、ちゃんと試奏してからの方が間違いないから、気になったものがあったら店員さんにお願いするといいよ」
「はい」
そう言いつつ、くるみはギターを無視して、ベース売り場に向かう興津にくっついていく。
「……牧之原、アコギはあっちだぞ?」
自分の後ろにとことこと当たり前のように付いてきたくるみを見て、興津がわざとらしくアコースティックギターの売り場を指さす。
「ベースも見たいんです」
「ほんとに?」
「……先生の意地悪」
「そんなのとっくにわかってるだろ、君は」
「もう」
二人は顔を見合わせると睦まじげに小さく笑ってから、ベース売り場の奥に入って行った。
「……くるみ、やっぱり興津先生のこと好きだよね?」
「え、……えーと、どうなんでしょうか……」
先を歩く二人を眺める慎の、何故か目が笑っていない微笑みが怖くて、祐華は言いよどむ。
「いや、去年の文化祭の後、急に志望校変えたからさ、少しだけ、ホントに少しだけそんな気はしたんだよ? でもさ、父さんから聞いた話だと、わざわざ入学式の時にあいさつ行ったっていうし、ピアノも受験の時に急に再開して当たり前のように軽音楽部に入部するし、部活がある日はものすごいルンルンで家出てくし、合宿の時だって気が付いたらずっと隣同士で喋ってたし、この間の定期演奏会なんてがっつりアイコンタクト取って堂々とハモってたし」
すらすらと彼の口から延べられた言い逃れできない事実に、祐華は冷や汗をかきながら黙り込んで、明後日の方向を見る。
「まあ、いいんだよ、くるみも中学までいろいろあったからね、こうやって妹の世界が広がっていくのを喜ぶのは、兄として当たり前のことだと思ってるよ? そう、とってもいいことだと思ってるんだ、うん」
(絶対思ってない……!)
徐々に慎からにじみ出てきた黒いオーラに、祐華の頬は引きつる。
「でも、そうかあ、俺がビートルズの話するとうるさいって言うけど、先生とはきっと、にっこにこで話するんだろうなあ。寝坊助だったくせに早起きしてやたら丁寧に化粧するようになったのも、そういうことだったのかなあ。そもそもあいつギター見に来たのにベース売り場にくっついてってるしなあ、ふーん」
ベースの弦のパックを手にした興津と、その隣で頬を染めて彼を見上げるくるみを遠目に見ながら、慎は腕組みをする。
(慎先輩、ものすごくヤキモチ焼いてる!? 何で!?)
さすがの祐華も慎の言動に少し引き気味になる。
「あいつ母さんにそっくりだし、兄の欲目抜きでも相当の美人だから、いずれは彼氏くらいできるだろうとは思ってたけどさ、そうかー、興津先生に行っちゃったかー、はっはっは」
(やだやだやだ、なんとかしてごまかさないと!)
乾いた笑いを立てる慎に、祐華は慌ててこの場を取り繕おうとする。
「あ、あのでも、くるみちゃん歌上手だから興津先生も気にしてるだけかもしれないですし、くるみちゃんも利き手が同じだから先生にギター習いやすいって言ってましたし、……わたしには、そんな風には、見えないですけど……」
「そう?」
「そうです、先輩気にしすぎです」
「……祐華ちゃんがそう言うならそうなんだろうね、じゃあそういうことにしておこう」
慎はそう言うと張り付いた笑顔を収め、ベース売り場の中へと進んでいく。
(納得はしてもらえなかったみたいだけど、……ごまかせた?)
思わぬ一面に驚きつつも、幼いころからの境遇や、くるみが母親そっくりだという話を併せ考えればやむなしか、と自分の中で結論付けると、祐華もすぐに彼を追った。
「そう言えば紘輝先輩、あれから花束の子、どうなりました?」
エスカレーター脇の小物の打楽器売り場に吸い込まれてしまった瑠菜を置き去りに、アコースティックギターの売り場へぞろぞろと入ったところで、太陽がふと思い出したように紘輝に訊く。
「ああ、それなあ。定演の後、靴箱にチョコ菓子と一緒にまた『あなたのファンより』ってカードが入ってたっけ」
「え、また名前ないんですか」
隆玄がそう言うと、紘輝は頭を抱えてしまった。
「そうなんだよ。気になるなあ……一体何年なんだろな、それだけでも知りたいんだけど」
「花束の子?」
隆玄の隣にいた麗が、それを聞いて眉根を寄せる。
「うん。文化祭の時から、こっそり先輩を応援してる子がいるみたいなんだけどさぁ、どこの誰だかわからなくって……」
「……たぶんそれ、うちのクラスの子です」
「「へ!?」」
軽音楽部員が声を揃えて麗を見る。
「うちに一人いるんですよ、いわゆる『バンギャ』が。まあ、校則もあるんですごくマイルドですけどね。その子、文化祭の後『軽音楽部にサプライズしちゃった』って大はしゃぎしてましたから、間違いないと思います」
「えええ……そうか、そんな感じの子かあ……てか、俺らⅤ系じゃないんだけど……」
がっくりと肩を落として紘輝がうなだれる。
「え、あんま嬉しくなさそうですね」
太陽がきょとんとする。
「いや、嬉しくないわけじゃないけどさ、本当にこっそり秘密でくれたんじゃなくって、自分がやりましたー! って陰でばらされちゃうと、こう、萎えるっていうか……」
「お気持ちお察しします、なんだかもやもやしますよね」
ミチルが肩をすくめて笑いつつ同意した。
「まあ、大方テンション上がり過ぎちゃったんでしょう。本人も後から頭抱えてそうだ」
「そのノリだったら『推し活』みたいなもんなんじゃないっすかねぇ」
紘輝の落胆ぶりを見て、太陽と隆玄も苦笑する。
「『推し活』なあ……いや、ファンがいてくれるのはありがたいから、応援してくれてる気持ちは素直に受け取るよ。その子、名前はわかる?」
「はい。『下田実夢』さんです。彼女帰宅部なんで、放課後会いに来るなら早めに教室に行ったほうがいいと思います」
「そうか、じゃあ来週お礼でも言いに行くかなあ。『しもだみゆめ』さんね」
「多分ぱっと見てすぐにわかると思いますよ、スカートの下にゴスロリのパニエ穿いて、メイクが濃くて髪にメッシュ入ってるので」
「うわあ、一年でそれはすげー度胸だな……先輩にも生徒指導の先生にも、めちゃくちゃ目つけられてそう……」
「あ、体育の授業の時にお見掛けしたことあります。あの方だったんですね」
高校生たちはひとしきり、解けた謎に盛り上がった。
「……っとごめん、俺らばっか話しちゃって。紗雪ちゃん、まずはなんか、見た目で好きなのある?」
すっかり蚊帳の外になってしまった紗雪に、紘輝が声をかける。
「……」
「紗雪ちゃん?」
「!……あ、はい、すみません、何でしょうか」
紗雪は何も聞こえていなかったかのような反応を紘輝に返した。
「なんか気に入った見た目のがあったら試奏させてもらおうよ、って話。どれにする?」
「いえ、……音が出れば……」
彼女の受け応えに、紘輝と太陽は思わず顔を見合わせ、隆玄に視線を送る。
「……紗雪、ほら。いろいろ飾ってあるでさぁ、予算内でなんかいいの選んで来いよ」
「うん……」
気まずそうな兄に促され、紗雪はアコースティックギターが飾られた壁に歩いて行った。
「……なあ、りゅーげん、紗雪ちゃん具合悪いんじゃないのか?」
「なんか今日、全然元気ないけど、熱とかあるんじゃね?」
それを見送った後、少し離れたところで、太陽と紘輝はひそひそと隆玄に話しかける。
「あー……いや、元気なことは元気っすよ。……ただちょっと、……」
隆玄が何かを言おうとして、それを呑みこんでしまったことに二人は気づくが、
「……いいよ、無理に言わんでも。受験のストレスとかあるんだろうしさ」
「第三中、俺のいた頃からかなり荒れてたし、紗雪ちゃんもメンタルやられて当たり前だよ」
そう言ってその先を聞くことはやめた。
いつの間にか紗雪の隣にミチルと麗が寄り添い、会話を交わしながらギターを眺めている。
(……言えんよなぁ、ホントのことなんて)
夏休みの終わりに起こった哀しい出来事を、妹はまだ受け止めきれていない。
彼女の中でそれがきちんと消化されるまでは、自分の口からは語れることではない気がして、隆玄は唇を噛む。
(時間が解決するしかないんだろうな、こういうのは)
自分の無力さに思わずため息をつきそうになって、慌ててそれを喉元で止める。
(でも、今までやってみたことがないことをやろうとしてるってことは、何かいい方に変わろうとしてるのかもしれない。……いや、そうであってほしい)
三日前、突然ギターが欲しいと言い出した時の妹の目には、久しぶりに光が宿っていたような気がした――そう信じたい。
(なんでもいいや、元気になるなら)
隆玄はそこで考えるのをやめ、
「ねぇ、せっかくだから、麗ちゃんも試し弾きしてみたら?」
いつものお人好しな笑顔を作って、すがるような気持ちで麗に声をかけた。




