第27話
「お疲れっすー」
「お疲れ様です」
下手袖には、隆玄と太陽が先ほど楽器を寄せた場所で待っていた。
そのすぐ隣に、
「みんな、お疲れ様」
優しい笑顔の興津が立っていて、くるみは思わず駆け寄る。
「先生もお疲れ様です」
「うん、本当に今日は疲れたっけ」
肩をすくめて笑った興津が愛おしくて、くるみは思わず彼を抱きしめたくなる。
(だから落ち着いて、わたし! ここじゃダメ!)
そんなくるみの気配を察したのか、彼はぽんぽん、と優しく彼女の頭を撫でると、
「先に大きな荷物をトラックに積んでもらおう。アンコールの後にもう一回ステージで挨拶があるそうだ。あとは予定通りホワイエでお客さんを送り出したら、撤収作業して打ち上げだ」
そう言って目の前に置いてあったスピーカーを持ち上げる。
(え、あ、うああ、頭ぽんぽんされた……! めちゃめちゃきゅんってしたよ……!)
あまりにさり気なかったので誰も何も言わなかったが、くるみは彼からのスキンシップに、頬を赤らめて硬直した。
アンプとスピーカー、キーボードを毛布でぐるぐる巻きにしてから、輸送業者にトラックの荷台へ積みこんでもらうと、くるみたちは飴配りの衣装を取りに楽屋へ向かう。
「楽器、自分で持ち歩いたほうがいいんだろうけど、ちょっとめんどくさいな……」
エレアコの入ったハードケースを手に持ち、背中にはストラトキャスターの入ったギグバッグを背負った紘輝が苦心している。
「あー、俺でよければあとで持つっすよ」
「まじで? 悪いな隆玄」
「下手にトラックに詰んで、ネック折れたらシャレにならないでしょ?」
「問題は打ち上げ会場ですよね、壁に立てかけるわけにもいかないし」
二人の会話を聞いて、太陽がふむ、と困った様子で息を吐く。
「オカンが見に来てたら、持って帰ってもらうんだけどなあ。祐華、客席にいたか?」
「わたしが回ったとこにはいなかったわよ。多分来てくれてるとは思うけど……」
「まー、店で預かってなんてくれないよなあ、来てることを祈ろう」
紘輝はそう言いながら男の楽屋に入って行く。
「あとは衣装積んだらうちは終わりだね。とりあえず楽器はここにちょい置きして、あいさつの格好だけしとこう」
「カバン、舞台袖に置いとけばいいですよね」
「念のため貴重品だけポッケに入れときなよー」
隆玄の言葉に頷きながら、くるみたちも隣の楽屋に入った。
天井のスピーカーから、『ドレミの歌』が聞こえる。
「『サウンド・オブ・ミュージック』だったわよね、最後のメドレー」
「あ、それならわたしも観たことあります。小学校の授業で。素敵な曲ばかりですよね」
「合唱部と共演するにはもってこいだよね、音楽劇仕立てにしてあるみたいだし」
各々衣装をまとめ、紙袋に入れながらくるみたちは会話を交わす。
(……ひょっとして、ミュージカル映画だったら観れたりしないかな)
くるみはふとそんなことを思う。
過去のトラウマから映画を一切見られなくなった興津も、音楽があれば少しは気がまぎれるかもしれない。
(まあ、無理強いはしたくないけど……でも、映画音楽だって素敵な曲、いっぱいあるんだもの。聴けないままなのはもったいない気がするな)
彼女はその考えを、一つの可能性として胸に留めておいた。
「祐華ー、お前もこっちにベース置いとけ、一本だけ別にしとくのも不安だら?」
「わかったー。……行きましょ、二人とも」
「うん」
「はい」
隣の部屋から紘輝に呼ばれて、くるみたちは楽屋を後にした。
トラックに衣装を放り込んでから再び軽音楽部が舞台袖に戻ると、そこにはアンコール待ちの吹奏楽部員に混ざって、手ぶらの興津が立っていた。
彼の見つめる先では、インカムマイクを付けたトラップ大佐役のOBが、子供役の合唱部員とマリア役のOGの輪の中でアコースティックギターを持ち、それを演奏するふりをしながら、ビブラフォンとグロッケンの音色に合わせて『エーデルワイス』を歌っている。
部員たちは彼の周りにそれとなく集まり、静かにステージを見つめた。
くるみはそっと、興津の隣に立つ。
(先生、大丈夫かな。手が震えてたりしないかな……)
腕を組んでいるのでそこまで見て取ることはできなかったが、その広い肩の高さから見上げた彼の表情は、いつもと変わりないようでいて、どこか悲しそうだった。
(……やっぱり、『映画』っていうだけで、辛くなっちゃうのかな。でも、そうだよね。わたしもお母さんが死んだときからずっと、テレビのワイドショーや芸能ニュースが大嫌いだもん)
そんなくるみの視線に気づき、興津は傍らの彼女を見ると、ふっと柔らかく笑う。
(無理しないでね、先生)
彼に笑顔を返すと、くるみはかすかに互いの身体の熱が感じられる距離まで身体を寄せた。
全てのメドレーの演奏が終わり、演奏者たちと指揮をしていた巴が客席に向かってお辞儀をすると、客席から盛大な拍手が起こった。
ティンパニの後ろにいた藁科が頭を下げると、もう一段拍手は大きくなる。
くるみたちも拍手をしながら、彼らが一度退場するための道を開けた。
「おっと」
「わっ」
その拍子に軽くつまずき、くるみは興津の胸元に背中から倒れ込んでしまう。
(うああ、ダメダメ!)
ふわりといつものコロンが香り、くるみはすっかりどぎまぎして、彼から身体を離そうとする。
しかし、そこにOBたちと合唱部員がなだれ込んできて、結局そのままくるみは興津に抱き留められたままになってしまった。
(す、スケベではないけど、ラッキー……なのかな?)
鳴りやまない心臓と背中に感じる身体の温かさに、彼女は久しぶりに彼といることを戸惑った。
演奏者が去った舞台に向けて、アンコールの拍手が鳴り響く。
吹奏楽部員たちがそれに応えて姿を現すと、会場からは拍手だけでなく口笛も飛んだ。
そして藁科がやってきて、観客に一礼するとそのまま指揮台に上がり、すっと両手を上にあげる。
楽器を構えた演奏者たちが息を吸う音がし、ややあってから、今日最後の曲になる『オーメンズ・オブ・ラブ』が始まった。
「……ごめん、牧之原。大丈夫だったかな?」
「だ、だいじょうぶです。わたしこそすみません」
一応生徒と教師のふりをしてから、二人はもう一度隣同士に並んでステージを見遣る。
(終わっちゃった。これでもう、歓迎会まで人前で演奏することはないんだ……)
ひどく寂しい気持ちになって、くるみは胸の前で手を握る。
(でも、すっごく楽しかったな。先生と一緒に歌えて、みんなと演奏できて、吹奏楽部にちょっとだけ混ぜてもらって。可愛い衣装まで着たりして、なんかきょう一日、楽しいことがてんこ盛りだったっけ)
身体はくたくただが、長丁場を乗り切ったという自信と達成感で心は満ち溢れている。
(やればできるじゃない、わたし)
嬉しくなってくすりと笑うと、隣に立っている興津がそれに気づいて、やはり嬉しそうに微笑んだ。
演奏が終わり、上手側から巴に続いて合唱部員と古和土、下手側からは軽音楽部員と興津がステージに出てくる。
全員で深くお辞儀をすると、割れんばかりの拍手が起きて、ステージの中に反響した。
そのまま上から緞帳が下りてきて、客席に明かりがつく。
すぐさま吹奏楽部員とOBは椅子と楽器をざっと片付け始め、合唱部員は自分のカバンを持って三々五々ホワイエへと向かう。
「まずは、お客様のお見送りですね」
下手袖の壁際に寄せていたカバンを取って、ミチルが言う。
「ミチルちゃん、もしかしてお父さんたち来てるの?」
「まさか。二人ともまだウイーンにいます」
「あ、そうなんだ……ごめんね、なんか、変なこと聞いちゃって」
「いえいえ、お気になさらないでください。誰も来ない方が都合がいいです」
くるみにあっけらかんとそう言うと、ミチルは太陽と一緒にステージを降りてホワイエに向かう。
(やっぱ、ミチルちゃんちって、いろいろ複雑なんだな……)
くるみは小さく息を吐いて肩の力を抜くと、他の生徒に紛れてステージを降りた。
「やあ、くるみ。お疲れ様」
ホワイエに入ると、ミュージックホールの出入口の近くに父がいた。そして、
「おー、くるみ、久しぶりだっけねぇ」
「あ、おじいちゃん! やっぱり来てくれてたんだ!」
車椅子に乗った父方の祖父の雄三が、介護士に付き添われながらこちらを見て微笑んでいる。
「おめえ、えぇらい歌ぁうめえじゃん、そのうち歌手になるだかしん?」
「いやいや、ならないならない」
にこにこ顔の祖父のストレートな感想に、くるみは笑いながら答える。
「来てくれてありがとね、向こうからここまで来んの、大変だったでしょ」
「いやぁ、おめえに呼ばれたで、来んわけにゃあいかんがやぁ。朔太郎に呼ばれてもそうは思わんけどな」
「ええ? ひどいな父さん」
祖父の発言を聞きとがめた父が苦笑いする。
「じいちゃん、今日泊まってくの?」
久しぶりに会えて嬉しくてたまらない様子の智が会話を遮る。
「そうだよぉ、せっかく来ただけぇ、ちいっと世話んなってから帰るでね」
「やった!」
「お前、じいちゃんが来るたびに小遣いくれるから来てほしいだけだろ」
「ちげーよ」
慎が智を小突く。
「ははは、金なんてあの世に持って行けんもんで、あるだけくれるさぁ」
「勘弁してよ、父さんのその性格のおかげで、僕らめちゃくちゃ苦労したんだから……」
父が頭をかきながらため息をついた。そのとき、
「お、いたいた。みんなお久しぶりでーす」
特徴のある低く重たい声の男性が、人波をかき分けて現れた。
「あれ、翼くん? 来てたんだ」
父が驚きの声を上げ、みんながそちらを見る。
「伯父さん!」
「くるみ、お前伯父さんにも招待状出してたのか」
「あはは、一応……まさか来てくれるとは思ってなかったけど」
「おー、花音ちゃんの兄さんだっきね、いつもテレビで聴いてるよぉ」
「いやいや、どうも恐れ入ります。お義祖父さんもお元気そうで何よりです」
母の兄の神崎翼は、そう言って祖父に頭を下げる。
「伯父さん、オレあのアニメ見たよ。ほら、トラックにはねられて異世界行ってチートでレベルカンストして最強になって、パーティ追放されるけど、そいつらが全滅して、ハーレムでモテモテになるやつ」
「智、その説明じゃ、今そういう作品だらけでどれだかわかんないよ。俺何の役やってた?」
「えーと、ピンクの髪のエルフの師匠」
「あーはいはい、あれね。……あんなもん、中学生が見るんじゃねえよ! このマセガキ!」
翼は智の頭をぐりぐりとげんこつで捏ねる。
「だって、兄ちゃんが録画してるんだもん」
「慎、お前アニメなんて見ないで勉強しとけよ。高卒の俺が言うのもなんだけど、一応国立受かってるんだし、まだ一年だからってだらだらしてると後がキツいぞ」
「えー、息抜きくらいさせてよ、伯父さん」
「その息抜きのし過ぎで受験の時みんながひやひやしたんだぞ、少しは反省しろ」
痛いところを突かれて、慎は首をすくめた。
「それにしても、くるみ、軽音楽なんてやってたんだな」
翼はくるみに向き直り、少しだけ意外といった雰囲気で声をかける。
「ちょっと縁があってね」
「なかなかうまいじゃん、歌。あれ一緒に歌ってたの、顧問の先生だよな。あの人もいい声してるね、学校の先生にしとくにはもったいないよ」
「あはは、そっかな。……ありがとう、後で言っとくね。喜ぶと思うから」
興津のことを褒められて、くるみは我が事のように照れた。
翼の職業――既にベテランの域に入っている声優である、ということを鑑みるに、プロの言うことだからきっと間違いはないのだろう。
(でも……もしも先生がプロになってたら、今日一緒には歌えなかったんだよね。なんだか不思議な気分)
練習通りかそれ以上にきれいに重なったハーモニーは、まだ耳に焼き付いている。
(まあ、二人でたくさん練習したもんね、……うああ、ヤバイ、超うれしい)
喜びに思わず緩みそうになった頬を、くるみは慌てて引き締めた。
「ところでくるみ、このあと君たちはどう動くのかな? どうも、まっすぐ帰るわけではなさそうだけど?」
父に訊かれて、くるみは家を出るときにそれを説明していなかったことを思い出す。
「あ、言うの忘れてた。ここでお客さんを見送ったら、片付けの後にみんなで打ち上げなんだ。だから晩ご飯は大丈夫」
「帰りは何時ごろになる?」
「多分八時には終わると思うかな……」
「じゃあ、終わったら電話しなさい。迎えに行くから」
「わかった」
父の言葉にくるみはうなずいた。
「ねーちゃん、何食べに行くの?」
「教えない」
「俺は知ってる。バイパスんとこの焼肉バイキングだろ、あそこ安いもん」
「焼肉!?ずるいぞねーちゃん!!」
慎が正解を言ってしまうと、智がごね始める。
「ずるいって何よ、今日はわたし、お昼からずっと飲まず食わずで動きっぱなしなんだからね」
「まあまあ。じゃあこちらも対抗して、ファミレスで豪遊でもしようか。俺がおごりますよ」
「ははは、ええねぇ、あんたも来るかや?」
翼の言葉に茶目っ気たっぷりにはしゃいで、祖父は介護士に声をかける。
「いえいえ、規則違反になっちゃいますから、お気持ちだけ頂きますね。時間になったら私は帰ります」
「すみませんね、いつも」
父が申し訳なさそうに介護士に頭を下げた。
「ねえねえ、ファミレスってどこ? イタリアン? 俺ティラミスと旨辛チキン食べたい」
「まだ決めてないだろ、気が早いなお前」
「くるみは今度おごってやるからな、焼き肉楽しんでおいで」
「ありがと、いつになるかわかんないけど期待しとくね。……さて、そろそろ行かなくちゃ。伯父さん、今日は東京に帰っちゃう?」
「明日の始発で帰るよ、そのほうが身体が楽だ」
「そっか、じゃあみんな、また後でね」
「食べ過ぎるなよ」
「そっちこそ」
兄の一言をそのまま投げ返して、くるみは家族の輪から離れた。
客席に戻る前に、
(そうだ、祐華ちゃん、お兄ちゃんとまだ挨拶してないよね)
くるみはふと思い立って祐華の姿を探す。そのとき、
「!?」
予想もしなかった光景が視界に飛び込んできて、彼女は固まった。
(太陽先輩とミチルちゃんのとこに、知らない女の子がいる……! え、まさか修羅場!?)
ホワイエの真ん中で話し込んでいる太陽とミチルの間にいる少女に、くるみは目が釘付けになる。
そのあからさまな視線に気が付いたのだろう、太陽が笑ってくるみを手招きする。
「はは、くるみちゃん、そんなびっくりしなくていいよ」
「え、いや、だって、え……え?」
くるみは思わず三人を見比べる。
「あ! さっきのボーカルの子? ヤッバ、間近で見ると超カワイイー! ていうか、軽音楽部ってかわいい女の子しかいない感じ? すごくないっけ?」
少女はそう言って、くるみをきらきらした表情で見つめてくる。
(ん? あ、あれ? なんかこの子、太陽先輩と似てる……)
くるみは思わず彼女の顔をまじまじと見てしまう。
太陽とほとんど目鼻立ちは変わらないものの、明るいクリーム色に染め上げた長い髪と白い肌に、つけまつげと幅の広い二重瞼が目を惹く濃いめのメイク、そしてブルーグレーのカラーコンタクトのおかげでだいぶ印象は違う。
(ていうかちょっと待って。……うああ、この子、ギャルだ―――――!!!)
自分と最も縁遠いと思っていた種類の人間に想定外に出くわしてしまったおかげで、くるみは変な汗をかきはじめた。
「ごめん、くるみちゃんには言ってなかったっけね。俺、実は双子なんだ」
太陽は少し申し訳なさそうに笑う。
「はじめましてー! あたし、太陽の双子の姉の瑠菜でーす! 高校違うからわかんなかったっしょ?」
「え、あ、……はい」
唐突な展開に脳がついていかず、くるみは自己紹介すら忘れて立ち尽くす。
「あなた、すごく歌上手だっけね。あたし音痴だから、うらやましいなー」
真っ正直に褒めてくれる瑠菜に、くるみは気圧される。
「あ……いやどうも、恐れ入ります……とんでもないことで……」
「あっはっは、ちょっと、固まりすぎー! びっくりさせちゃってごめんっけねー! てゆーか、太陽もちゃんと言っといてよ、隠すようなこんじゃねえら?」
「隠してなんかねーよ、言う機会がなかっただけで」
「えー、いい会話のネタになるじゃん、積極的に使っていこうよー」
かなり活発ながらも、どこか太陽と同じ優しさと親しみやすさのある雰囲気に、くるみは次第に緊張がほぐれ、同時に自己紹介がまだだったことを思い出す。
「あの! すみません、自己紹介が遅れました。一年の牧之原くるみです、太陽先輩にはいつもお世話になってます!」
「いいよー、そんなかしこまんなくっても。時々太陽から話聞いてたでね、面白い子だって」
けらけらと笑いながら、瑠菜は太陽を見る。
「先輩、わたしのこと、どんな説明したんですか……」
「いやあ、まあ、いろいろとね?」
くるみに恨めしい目で見つめられて、太陽は明後日の方を見て後ろ手を組む。
「ていうか、ミチルちゃんも知ってたの?」
「ごめんなさい、実は結構前からお話は伺ってまして……あ、でも、お会いしたのは今日が初めてです」
ミチルが困り笑いを浮かべてくるみに謝った。
「ふふふ、いやー、未来の義妹がこんなに可愛い子だなんて思わなかったっけ!」
「いもっ……!」
「ちょっ……声がでけーぞ瑠菜!」
瑠菜にからかわれて、ミチルと太陽はそれぞれ真っ赤になる。
(ギャルだ……なんか清々しいほど、まっすぐなギャルだあ……)
見た目は華やかで圧が強いが、心根は素直で飾り気のない人物だということが手に取るようにわかる。
(普通にいい人だ。いいなあ、こんな先輩がいたら、中学の部活も楽しかったかもしれない)
自分が思い出すどの女の先輩にも当てはまらない、非常にからっとした性格の瑠菜に、くるみは好感を持った。
「あ、そーだ。ねえねえ、くるみんも個チャ交換しよ?」
「ふえっ!?」
当然のようにあだ名で呼ばれ、くるみは目が点になる。
「あははー、いいリアクションいただいちゃったー! 『くるみ』だから『くるみん』。アガるっしょ?」
「え、あ、いや、というか、わたしそういう好意的なあだ名は初めてなので……!」
瑠菜の笑顔のあまりのまばゆさに助けを求めてミチルを見ると、
「……わたしは『ちるみー』ですって、くるみさん」
とても困ったように、しかし嬉しそうに彼女も笑っている。
「ホント、太陽が言ってた通りカワイイのに面白いなー、くるみん! 個チャしたらえんえん終わらなさそーだっけねえ」
「うああ、わ、わたしそんな期待されるほど面白くないすよ!?」
「あっはっは! もうすでにその発言が面白いよー!」
「それ褒めてないですよね!?」
完全に瑠菜のペースに巻き込まれたまま、くるみは瑠菜の差しだしたスマートフォンに、慌てて自分も同じものを近づけた。
「はーい、これでオッケー。よっしゃー、軽音楽部の子、全員制覇!」
瑠菜は嬉しそうにスマートフォンをポケットにしまう。
「あんま変な時間に送るなよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「よ、よろしくおねがいします……」
「遊びに行くとき、気軽に連絡ちょうだいねー。あと、あたし駅前のカラオケボックスでバイトしてるもんでさあ、気楽に来てよ! 来てくれたらドリンクのタダ券あげるでねー!」
瑠菜はそう言うと、太陽の手からギグバッグを受け取って背負う。
「えーと、バッグから出してスタンドに引っ掛けとくんだっけ?」
「おう。絶対ぶつけたりするなよ、壊したら弁償な」
「わかったってば、へーきだって。じゃあ、あたし行くでね。ちるみー、くるみん、また今度一緒にあそぼーねー、バイバーイ!」
まるで嵐が去って行くかのように、瑠菜は出入口へさっさと歩いていってしまった。
「……なんか、ごめんっけね。二人とも」
太陽が肩をすくめて二人に謝る。
「いえ、そんな。……素敵なお姉さまですね、お話してると、気持ちが明るくなります」
ミチルがくすくすと笑いながら、瑠菜の背中を目で追う。
「……ギャルですね」
「うん、まあギャルだよ」
身もふたもないくるみの感想に、さすがの太陽も苦笑いを返す。
(年上の女の子と友達になったの、初めてかもしれない)
くるみは画面のライトを消したスマートフォンを改めて見つめる。
(ううん、これが普通なんだ。わたしの声を聞いても、あの人は笑わなかった。……きっと、わたしの家族の話をしても、それで態度を変えたりする人じゃない。太陽先輩がそうだから)
嬉しさに口元をほころばせつつ、ポケットの中にスマートフォンをしまう。
年上の女子と言えばもれなく自分に嫌がらせをしたり、嫌味や陰口を言ったりする人間ばかりだったことがおかしかったのだと、今頃になって気が付く。
それと同時に、自分が瑠菜のような見た目の子に多大な偏見を抱いていたことにも思い至り、
(……次に会った時は、もっと構えないでお話ししよう)
くるみは恥ずかしくなって、心の中で自分の頭を小突いた。
「そろそろ片付けに戻ったほうがいいかしん」
「そうですね」
太陽とミチルの会話を聞いてくるみは返事をしようとしたが、
「お姉ちゃん!」
「うわっ!?」
背中から聞き覚えのある声とともに抱き着かれて、その言葉を呑みこむ。
「莉里ちゃん!」
振り返ると、白いセーターに赤いチェックのスカート姿の莉里がべったりとくっついていた。
「うん? くるみちゃんの妹?」
「いえいえ、弟の同級生で……どうしたの、パパとママは?」
「そんなことより、今日、翼さん来てるの!?さっきそれっぽい人いたけど!!」
「えっ、あ……」
莉里が毎月雑誌を数冊買う程度には声優ファンだということを思い出し、くるみは焦った。
「まあ、……うん、来てることは来てる……」
「会いたい!!」
「えーと……困ったなあ、伯父さん今日は、プライベートで来てくれてるもんでさ……」
スタジオで出待ちされる程度には翼も日常生活に苦労しているようなので、身内のことで来ている時には、できるだけファンサービスで気を遣わせたくはない。しかし、
「お願い! 最後に会えたの三年生の時だもんで、もう一回会いたいの!」
可愛い妹分の頼みを無碍に断ることも出来ず、くるみは今しまったばかりのスマートフォンを出して父を呼び出す。
「ちょっと待ってて、まだ車出してないか聞くでね……あ、お父さん?」
通話はすぐに繋がり、
「うん? どうしたのかな?」
「莉里ちゃんが伯父さんに会いたいって。まだ近くにいる?」
「まだ駐車場にいるよ。莉里ちゃんのご両親はそこにいるかい?」
「えーと……莉里ちゃん、パパとママと一緒に駐車場に行って。まだ移動してないから」
「わかった! ありがと、お姉ちゃん!」
言うが早いか、莉里はくるみの身体から離れて自分の両親を探しに行く。
「……あー、今から両親同伴でそっちに向かうでさ、よろしくね」
わかったよ、という父の言葉を聞きつつ、くるみは通話を終えた。
今度こそ嵐が去ったという思いに、ふう、とため息をつくと、
「なに、今の子も歳の差恋愛してるの?」
太陽が楽しそうに笑いながらくるみをからかう。
「はへっ!?も、『も』って何ですか、『も』って!!どっからそんなの出てくるです!?」
どこからどう説明をして、どうやってごまかせばいいのかわからなくなり、くるみの脳内は再び暴風雨に見舞われた。




