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ボクっ娘小説家のトラブル解決ログ  作者: 卯月 絢華
Phase 02 刀は知っている
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 鏡に自分の裸体(らたい)が映っている。白い肌に華奢な体つき、いわゆる「まな板」に分類される乳房、自傷行為によって付けられた無数の傷痕――それらが「冬月絢華」という「僕」を作り上げている。

 右手に握られたカミソリが何を意味するかは言うまでもなく、自傷行為という名の「自慰行為」を行おうとしている。僕は昔から精神を病んでいるので、こういうことでしか生きていることを実感できない。

 左腕に、カミソリでシュッと線を入れる。やがて、線は傷口となり、傷口から血がどくどくと出てくる。白い肌が赤黒い液体で(けが)れていく様子は、僕の心が穢れていくことを意味している。

 人間は、自慰行為や自傷行為を行うことによって一時的に心が満たされるという。しかし、満たされるのは一時的なので――すぐに満たされなくなる。

 満たされなくなるから、自傷行為を繰り返してしまうのだろうか。――傷が痛い。自傷行為をしている間は痛覚なんて感じなかったのに、満ちていた心が満たされなくなったから、傷が痛むのか。

 傷の痛みは心の痛みであり、僕はその痛みを物理的なモノとして転嫁してしまう。いい加減この悪循環をやめなければいけないのに、やめられない。

 満たされなくなった精神状態で自分の腕の傷痕を見て、僕は――酷く落ち込んだ。


 *


 酷く落ち込んだ僕は、そのまま裸の状態で気を失っていた。せめて、服ぐらいは着るべきだろうか。そう思った僕は、タンスから夏用のルームウェアを出して、それを身に包んだ。

 テーブルの上には、精神安定剤と空っぽの缶チューハイが置いてある。――一歩間違えば、僕は死んでいたかもしれない。もっとも、僕が死んだところで誰も弔ってはくれないだろうけど。

 人間にあるべき「理性」を取り戻した僕は、とりあえずコーヒーを淹れて飲んだ。コーヒーも飲み過ぎは良くないというが、こういう精神状態だとコーヒーでも飲まないとやっていられない。

 ダイナブックの画面には、書きかけの原稿が表示されている。――行き詰まっているな。

 僕は小説家なので、ダイナブックは商売道具である。昔の人間はワープロというデバイスで小説を書いていたらしいが、パソコンの中にワープロが取り込まれて、ワープロはデバイスからソフトウェアとなった。とはいえ、僕はダイナブックの中に最初から入っているワープロソフトと相性が悪いので、外付けのワープロソフトを使っている。――そんなことはどうでもいい。

 例の連続毒殺事件の影響で「探偵・冬月絢華」としての知名度が上がったが、僕は探偵ではなく小説家である。それに、僕が連続毒殺事件に関わったのは、飽くまでも友人からの依頼があったからだ。

「探偵が書く小説」というのは話題性があるのか、事件の後に僕が講談社から発売した小説はかなりの売れ行きとなった。担当者からも「冬月先生大復活ですね!」と言われた。余計なお世話だ。

 とはいえ、矢張り新作小説は求められる。活動拠点である神戸や大阪じゃ範囲が狭いから、京都を舞台に何か小説を書こうと思ったが――ありきたりなモノしか書けない。土地勘がないから当然だろうか。

 そうかと言って、住んでいる場所である芦屋じゃ極端に範囲が狭すぎる。例の連続毒殺事件は六麓荘の屋敷で発生したが、たまたま「近所」で発生したので事細かく小説として記録することができた。――もっとも、事件の後味が悪すぎて商業では出せなくてUSBメモリの中に封印したのだけれど。

 そういえば、あの事件で僕に依頼してきた友人はどうしているのだろうか? 僕が聞いた話だと、連続毒殺事件の舞台となった鴻上家とは縁を切って西宮にマンションを買ったと聞いたが……。

 そんな事を考えていたら、スマホが鳴った。

 着信画面には「藤崎沙織」と表示されている。ならば、出るべきか。僕は通話ボタンをタップした。

 スマホからは、案の定藤崎沙織の声がした。

「冬ちゃん、元気?」

 僕の答えは――言うまでもない。

「全然元気じゃない。さらに言えば、さっきまで自傷行為の影響で気を失っていた」

 僕がそう言うと、彼女は心配そうに声をかけてきた。

「あら、相変わらず病んでんのね。――いくら医師の娘といっても、私は精神科医じゃないわよ?」

「それは分かっている。――用件はなんだ?」

 僕がそう言うと、彼女は用件を説明した。案の定、大した用件ではなかった。

「ああ、大した用件じゃないんだけど――今度さ、一緒に京都まで行かない?」

「京都? 何しに行くんだ」

「博物館で刀剣展があるのよ。しかも、展示の目玉は三日月宗近(みかづきむねちか)らしいのよね」

「三日月宗近? あの三日月宗近か?」

 刀剣に食いついたのか、彼女はグイグイ来る。

「食いつきが良いわね。好きなの?」

 そこまで好きな訳じゃないけど、相槌(あいづち)を打つべきだろうか。そう思った僕は、彼女に対して覇気のない返事をした。

「ああ、多少は……まあ、僕は和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)が好きだけど」

 僕の話に乗ったのか、彼女は――和泉守兼定に食いついた。

「和泉守兼定って、土方歳三(ひじかたとしぞう)愛刀(あいがたな)よね。私も好きよ。――それはともかく、刀剣展に行くんだったらついでに小説の取材もできるんじゃないかって思って。冬ちゃん、そういうのが好きなんじゃないの?」

 なるほど。その発想はなかった。そう思った僕は、彼女に対して返事をした。

「ああ、それは一石二鳥だ。沙織の案に乗ろう」

「助かるわ。ぼっちで博物館に行くのって、なんだか心許なかったし……」

 後で聞いた話だが、藤崎沙織という人物は無類の刀剣好きであり――特に推しの刀は「日光一文字(にっこういちもんじ)」とのことだった。いくら某ゲームで擬人化されているといえども、セレクトが渋い。

 それはともかく、刀剣を題材としたミステリ小説なら――面白いモノが書けそうだ。僕はそういう軽い気持ちで藤崎沙織の付き合いに乗ることにした。


 ――まさか、この時は京都で思わぬ事態に巻き込まれるとは思ってもいなかったのだが。


 *


 藤崎沙織から誘いを受けて2日後。僕は阪急西宮北口駅のホームで彼女と待ち合わせをしていた。周りからの視線を気にしていたので、僕はハンチング帽にサングラスという出で立ちで待っていた。

 いかにも「不審者」的な格好で特急を待っていると――誰かが僕の背中を叩いた。

「――冬ちゃん、お待たせ。待った?」

 僕の背中を叩いたのは、言うまでもなく藤崎沙織本人だった。彼女はゆるふわパーマの髪に刀を擬人化したキャラと思しきTシャツを身に纏っていた。――ガチだ。

「そんなに待っていないが、その格好は……刀の擬人化で間違いないのか」

「そうよ。――中々イケメンでしょ」

 彼女が何を考えているのかはさておき、僕は適当に相槌を打った。

「まあ、イケメンだな。推しなのか?」

「言うまでもなく、推しよ? まあ、今回の展示品じゃないらしいけど」

「そ、そうなのか……」

 それから、僕たちは特急へと乗り込んだ。――どうせ、十三(じゅうそう)駅まで1駅なんだけど。

 十三駅に着いたところで、僕たちは京都河原町駅行きの特急へと乗り換えた。十三から京都というのは時間がかかるので、その間に藤崎沙織は例の連続毒殺事件の話を持ち出してきた。――正直、こんな場所でする話じゃないのだけれど。

「それで、あの後――どうなったのよ?」

「ああ、そういえば沙織には説明してなかったな。屋敷の地下倉庫に大量のウラン鉱石が格納されていて、鴻上製薬はウランからポロニウムを抽出しようとしていた。その証拠に、抽出するための機械が見つかっている。ちなみに、ポロニウムのアンプルは昭和39年から製造されていたらしい」

「昭和39年? それって、私のお父さんが生まれた歳だわね。ついでに言えば最初の東京オリンピックが開催された年かしら?」

「そうだな。ロシアの元スパイがポロニウムで暗殺されるずっと前から、鴻上製薬はあんなふざけた代物を作り出していたんだ」

「やってることが酷いわね……」

 僕がその後の経緯を説明したところで、藤崎沙織はドン引きしていた。当然だろうか。ましてや、事件の被害者の1人である鴻上敏彦は彼女の元夫なので――藤崎沙織という存在は未亡人である。だから、実家に帰ることを恐れた彼女は鴻上家と縁を切った上で西宮にマンションを買ったのか。それで彼女が幸せなら、僕はそれでいい。

 その後も彼女との話は続いたが――案の定「最近のhitomiは音楽番組よりもバラエティ番組でしか見ないので少し淋しい」という話になった。僕はテレビを持っていないけど、民放の番組に関しては無料のオンデマンドサービスで見逃し配信を見ているので(かろ)うじて話にはついて行けた。

 推しのアーティストにまつわるしょうもない話をしているうちに、特急は桂駅を発車して地下へと潜った。――ここまで来たら、目的地である烏丸(からすま)駅までは5分もかからない。

 特急が烏丸駅へと着いたところで、僕たちは下車した。――終点の京都河原町駅だと、博物館を通り越してしまう。

 博物館へと向かう出口から地上に上がって、僕は眩しい日差しを浴びた。――8月の京都というのは、暑い。僕は黒いTシャツの上に夏物のミリタリージャケットという夏の京都をナメきった格好をしていたので、余計と暑い。

 僕は溶けそうになりつつも、博物館へと歩いていった。京都というのは地名にもある通り「小路(こうじ)」という小さな通りで成り立っているので、思っている以上に複雑である。いくら大学時代に京都に住んでいたといえども、4年間じゃ全く土地勘が身につかないし、立志館大学のキャンパスがあるのは洛中(らくちゅう)ではなく金閣寺がある方面――洛西(らくせい)なので、絶望的に洛中に対して縁がなかった。もっとも、「陽キャ」と呼ばれる人間は夜の四条河原町周辺で遊んでいたらしいが、僕は真面目だったので――遊んでいない。

 僕はただ、立志館大学で単位を取りつつミステリ研究会でミステリ小説を読み漁り、時に自らの手で小説を書いたりしていた。――それでも、就活に失敗したら意味がないのだけれど。

 烏丸駅から博物館まではおよそ10分だっただろうか。古びた建造物が見えてきた。――ここが博物館か。人で溢れかえっている。

 当たり前の話だけど、刀剣展は――全面撮影禁止である。博物館の中へと入ったところで、僕たちはスマホの電源を切った。


 *


 刀剣展は――見応えがあった。特に展示の目玉である三日月宗近の周辺は多数の人がその姿を見ていた。いくら人気があるとはいえ、あそこまで人を惹きつける魅力があるとは予想外だった。藤崎沙織の蘊蓄(うんちく)によると、三日月宗近は三条という刀派の刀剣であり、その歴史は平安時代まで遡るとのことだ。かつての持ち主は足利義輝(あしかがよしてる)だったと言われている。

 三日月宗近は鬼丸国綱(おにまるくにつな)数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)童子切安綱(どうじぎりやすつな)、そして大典太光世(おおでんたみつよ)の5振りを合わせることで「天下五剣」と言われているらしいが、今回展示されていたのはそのうちの2振り――三日月宗近と大典太光世だった。スマホの電源を切っていても藤崎沙織が解説をしてくれるので、かなり助かった。

 博物館の外へと出たところで、僕たちは再びスマホの電源を入れた。――僕のスマホに大した通知は来ていない。

「流石に僕のスマホに通知は来ていないな」

 そう言ってみたものの、彼女のスマホにも――通知は来ていなかった。

「私もよ? そんな簡単に通知が来る訳ないじゃないの」

 それはそうか。むしろ、頻繁にスマホの通知が来る方がおかしいか。

 スマホの時計を見ると、午後3時を少し過ぎていた。――おやつの時間だな。

 四条通へと戻った僕たちは、適当なカフェ――というか、スタバの中へと入った。そもそも、京都でそういう店を探す方が間違っている。ボッタクリ価格なのだ。だから、スタバで妥協せざるを得ない。

 互いに限定フラペチーノを頼みつつ、矢張り話は刀剣の話になった。

「それにしても、見応えがあったわね。三日月宗近の刀身ってとてもきれいというか、本当に三日月の形をしているんだって思ったわ。名前通りってヤツ?」

「そうだな。――おかげさまで、すっかり刀剣に詳しくなった」

 藤崎沙織から刀剣に対する蘊蓄を聞きまくったお陰なのか、知らず知らずのうちに刀剣に対する知識が身についた。これは新しい小説のアイデアになるかもしれない。僕はそう思っていた。

 彼女は話す。

「次の小説、刀剣を題材にしちゃう?」

「そうは言うけど、題材としてはありきたりだ。もっと、こう――一捻りか二捻りは欲しいな」

「なるほど。――冬ちゃんさえ良ければ、小説のアイデアを出すのに協力してあげるけど?」

「こんな僕でいいのか? アイデア提供料というか――報酬はいくらだ?」

「報酬なんてモノはいらないわよ。私の家を何だと思ってんのよ?」

「ああ、そうだった」

 藤崎沙織というのは豊岡でも有数の開業医――藤崎医院の娘である。医師の娘とはいえ、沙織の兄が家業を継ぐのは分かっているので――藤崎沙織という人物は割と自由人である。兄の名前は藤崎聡(ふじさきさとし)とかそんな感じだっただろうか。まるでOfficial髭男dismのボーカルみたいな名前だと思っていた。

 僕だって一応「冬月家」という名家の血を引く娘なのだが――矢張り、スペックで姉に負ける。だから、僕は「冬月家の出来損ない」でしかないのだ。

 僕の姉の名前は冬月真衣(ふゆづきまい)という。容姿端麗(ようしたんれい)頭脳明晰(ずのうめいせき)、それでもって異性にはめちゃくちゃモテる。――要するに、()()()()()()()()()なのだ。

 確か、京都大学から大手商社に就職して、今ではかなり偉いポジションに就いていたような気がする。まあ、京大ならそれなりの将来は見込めるか。当たり前の話だが、大手商社に勤めているということは東京在住であり、数年前に六本木(ろっぽんぎ)のタワーマンションを買ったという話を聞いた。正直、羨ましい。

 そんな真衣とはたまにビデオチャットでやり取りをするが、矢張り年収1000万となるとやること成すことが桁違いである。――僕には到底辿り着けない世界だ。

 とはいえ、冬月家は裏の顔として「エクソシスト」という血筋を引いている。父親曰く「どうせ真衣は実家に帰らないだろうし、この仕事を引き継ぐなら絢華の方がいいだろう」という理由で、僕は悪魔祓いで使うためのロザリオを常に持っている。

 このロザリオは関西におけるキリシタン大名の雄――高山右近の家来が持っていたモノであり、その家来が徳川幕府におけるキリシタン弾圧の際に但馬国に流れ着いたことによって、冬月家という血筋が出来上がった。冬月家は豪商として名を挙げる一方、「狐憑(きつねつ)き」を追い払う仕事をしていたという。普通なら、狐憑きは陰陽道(おんみょうどう)に通じた人間が行うらしいのだけれど、但馬国にはその手の仕事を行う人間がいなかったので、仕方なく僕の先祖が行っていたらしい。もちろん、キリシタン弾圧の最中(さなか)なので――ロザリオは隠して狐憑きを追い払っていたとのことだ。

 やがて、明治維新で徳川幕府に対してピリオドが打たれると、明治政府はキリスト教への信仰を正式に認めるようになった。そこで冬月家は漸くエクソシストとしての裏の顔を見せるようになり、人間に取り憑いた悪魔を追い払う仕事を行うようになった。――というのは父親から聞いた話なので、どこまで本当でどこから嘘なのかは分からないのだけれど。

 だから、現状における僕は――どうやら小説家兼探偵兼エクソシストという二足どころか三足の草鞋(わらじ)を履いていることになるらしい。比喩(ひゆ)といえども、そんなに草鞋を履いていたら靴擦(くつず)れを起こしてしまうじゃないか。

 一応、「僕がエクソシストである」ということを知っているのは――家族を除くと藤崎沙織だけである。この事実は、六麓荘の連続毒殺事件で刑事として数年ぶりに再会したミステリ研究会の同期である鈴村阿須賀ですら知らないのだ。というか、知られる前に事件の犯人からナイフで刺されて病院へと救急搬送されてしまったから当然だろう。

 思えば、あの事件で急所を外れたのが功を奏したのか、僕はこうやって生きている。でも、本当に僕は生きていていいのだろうか? 時々それが分からなくなる。

 ――ボーッとしているな。藤崎沙織には迷惑をかけっぱなしだ。

 とにかく、僕は「藤崎沙織」という戦力を手に入れたことによって――小説のネタに対する幅を広げることになった。当然だが、彼女は僕に対して報酬をよこさないらしい。

 僕は、彼女に対して話を続けた。

「――それで、どの刀剣をネタに小説を書けば良いんだ?」

「うーん、例えばだけど『和泉守兼定』とかどうよ? ほら、土方歳三の愛刀」

「そうだな。兼定なら知名度もあるしネタにし易いだろう。でも、スマホで現在の所有者を調べたら、どうやら東京の土方家の子孫が持っているらしい」

「ああ、そういえばそうだったわね。――じゃあ、思い切って三日月宗近とか」

「それは――やり過ぎだ。ファンが多いが故に、下手なことが書けない」

 それはそうだろう。知名度がある刀剣に対して下手な事を書くと「無知」として炎上するのがオチだ。

 そんな事を考えつつ、30分ぐらいが経過しただろうか。流石に、観光地のスタバは――長時間の滞在に向いていない。

 僕たちはそれぞれのコーヒー代を支払い、スタバから出ることにした。スマホを見ると、時刻は午後4時になろうとしていた。

「どうする? 流石に帰る?」

 藤崎沙織がそう言うので、僕は――返事をした。

「そうだな。ここは一旦帰ろう」

 そう言って、京都河原町駅の方まで向かおうとした時だった。


 ――きゃあああああああああっ!


 これは、女性の叫び声か! 僕たちは、叫び声のした方へと向かった。そこは四条通でも有数のデパート――京都髙島屋がある方向だった。


 *


 髙島屋の前で、男性だったモノが倒れている。男性の背中は、×マーク――十文字に斬られている。

 周辺がざわつく中、僕は男性だったモノの脈を測る。脈はなく、肌触りは氷のように冷たかった。

「――当たり前の話だけど、死んでいるな。死因は斬殺だろう」

 僕がそう言うと、藤崎沙織は反論した。

「今って令和よ? そんな江戸時代みたいな話がある訳ないじゃないの」

「そうは言うけど、これは――明らかに日本刀のようなモノで十文字斬りにされている」

「十文字斬りねぇ……となると、この事件の犯人は日本刀を隠し持ってるの?」

「ああ、恐らくだ。だが、犯人は――逃走したようだな」

「これ、警察に言うべき?」

「――その必要はなさそうだ」

 僕の目の前に、京都府警の刑事がいる。

 刑事は、僕に声をかけてきた。

「もしかして、君は――冬月絢華? いや、ここは『月極冬華』と言った方が良さそうだな」

「僕の小説家としての名前を知っているようだが、誰だ?」

 僕がそう言うと、刑事は――自分の名前を名乗った。

「失礼。僕の名前は保科矢真人(ほしなやまと)だ。見ての通り、京都府警捜査一課の刑事をやっている」

 保科矢真人と名乗った刑事は――赤みがかった髪に無精髭(ぶしょうひげ)(たくわ)えていて、おおよそ刑事とは思えない見た目をしていた。ただ、僕の目には彼が悪い人には見えなかった。

 彼は話を続けた。

「冬月さんの功績は知っている。なんでも、小説家の身でありながら芦屋で発生した連続毒殺事件を解決したとかなんとか。――まあ、兵庫県警から詳しい話は入っている」

 保科刑事にそうやって言われたら――謙遜するしかない。

「それはどうも。――もっとも、僕の功績なんかじゃないんだけど」

「そう謙遜するなって。謙遜すると、探偵の名が廃れてしまうじゃないか」

「――そうなのか」

 どうやら、「探偵・冬月絢華」としての名声は兵庫県を飛び越えて京都府でも広まっているらしい。まあ、京阪神なら噂ぐらい広まっても当然だろうか。

 そして、保科刑事は話を続けた。

「本来なら、こういう事件は『明智善太郎(あけちぜんたろう)』という変人に任せるべきなのだが――残念ながら、彼は現在イギリスで修行中だ」

 明智善太郎か。この名前、何か――聞き覚えがあるな。一体、誰だったか。正直言って、思い出すのは面倒くさい。

 そんな事を思っていると、藤崎沙織が口を挟んだ。

「明智善太郎って、あの明智善太郎よね? 立志館大学のミステリ研究会から本当に探偵になっちゃった明智先輩」

 どうやら、彼女の言っていることは正解だったようだ。

「あっ、もしかして君は立志館大学のOGなのかな?」

「そうです。そこにいる冬月さんとは大学の同期で……明智先輩は2歳上だったんです」

 そういえば、僕の目から見て明らかに「変人」と思える先輩が立志館大学のミステリ研究会にいたな。常に真円の黒いサングラスをかけていて、赤髪のパーマで自らを「2代目明智小五郎(あけちこごろう)」と名乗っていたか。確かに名字は「明智」だったが、下の名前は全然合っていないと思っていた。

 ――そうか、明智先輩の下の名前って「善太郎」だったのか。僕は漸くそのことに気づいた。僕にとって「善太郎」といえば、あの作曲家が浮かぶ。

 作曲家のことはさておき、僕は保科刑事に先輩――明智善太郎のことについて聞いた。

「それで、明智先輩はどうしてイギリスへ?」

 質問に対して、保科刑事は――困惑していた。

「数ヶ月前に、どういうわけか――善太郎さんは『オレはホームズになるぜ!』と言い残してイギリスに旅立ってしまってね。そのせいで我々京都府警は戦力ダウンを余儀なくされてしまったんだ」

「なるほど。――帰国の目処は立っているのか?」

「それが……全くもって分からないんだ。だから、善太郎さんがいない状態でこういう『明らかに人間の手とは思えない事件』が起きてしまって――正直困っていた。そこに現れたのが、冬月さんだったんだ。冬月さんは、巷で『芦屋のミス・マープル』と呼ばれているじゃないか」

 誰が勝手に付けたんだ、そのあだ名。それに、ミス・マープルはおばあちゃんであって、僕はまだ32歳だ。もっとも、芦屋っぽいあだ名ではあるが。

 そういうあだ名に対して若干不本意に思いつつも、僕は話を続けた。

「まあ、誰がなんと呼ぼうと勝手だけど――要するに、僕が明智先輩の代わりを務めたらいいのか?」

 当然だけど、保科刑事は二つ返事で答えた。

「そうだ。冬月さんには、この『日本刀斬殺事件』の謎を解いてほしいというわけだ。悪い話ではないと思う」

 そう言われると、仕方がないな。――ここは、京都府警に協力するか。

 ただ、協力する上で――困ったこともある。それは「活動拠点」である。最近はビジネスホテルですら1泊2万円超えはザラであり、特に京都のような観光地は3万円を超えることもある。一旦芦屋へ帰る訳にもいかないし、どうしたものか。

 そんな事を考えていると――藤崎沙織がスマホで誰かに電話していた。一体誰なんだ?

「――それでね、そういうことなの」

「――うんうん、あっ、いいの? 助かるわ!」

「――それじゃ、待ってる」

 通話が終わったところを見越して、僕は彼女に声をかけた。

「誰に電話していたんだ?」

「えーっと、覚えてない? 城戸口杏奈(きどぐちあんな)

 城戸口杏奈か。――立志館大学で同期だったな。ミステリ研究会には在籍していなかったが、無類の京極夏彦好きだったことは覚えている。

 僕は、記憶を手繰り寄せながら話をした。

「――なんとなく覚えている。専攻が僕と同じ理工学部だったからな」

「そうそう。それでね、杏奈ちゃん――今、上京区(かみぎょうく)に住んでるんだって」

「上京区か。それなら当面の拠点として活動できるな」

 そんな話をしているうちに――オレンジ色の日産リーフが目の前に止まった。

 日産リーフの中から、ポニーテールの女性が現れた。そして、僕を見るなり声をかけてきた。

「あら、絢ちゃんじゃないの。小説家になったってマジなの?」

 それは、紛れもなく城戸口杏奈本人だった。僕は、彼女の質問に答えた。

「――杏奈か。僕が小説家になったのは本当だ。ただ、正直売れているという実感は湧かないけどな」

「相変わらず、男っぽい口調ね。でも、アタシ――絢ちゃんのそういうところが好きよ?」

「勝手にしろ」

 僕は見ての通り声の温度が低い人間なので、自然と口調が男っぽくなる。でも、僕はそれで良いと思っているし、今更口調を女らしくするつもりはない。むしろ、僕が女っぽい口調で話したら――周りはドン引きするだろう。

 そんな事を考えつつ、僕と藤崎沙織は城戸口杏奈が運転する日産リーフへと乗り込んだ。

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