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全治2週間の入院を経て、僕は漸く外の空気を吸った。――一応、入院中も外の空気は吸えたのだが、矢張り「安静にしたほうがいい」と医師に言われてしまったので仕方がない。ちなみに、医師に言わせると――僕は胸を刺されたとはいえ、急所は外れていたので一命を取りとめたとのことだった。その差、わずか1ミリ。どこぞのサッカー選手のゴールじゃないけど、1ミリ差が生死を分ける世界なんだと改めて実感したのは言うまでもない。
一応、講談社の担当者にも「入稿の遅延は入院が原因」と伝えたが、入院の理由までは伝えなかった。もっとも、鴻上製薬のスキャンダル自体が新聞沙汰になっていたので――「冬月先生が事件に巻き込まれた」という噂は文芸第三出版部を駆け巡っているんだろうけど。
そういう訳で、僕は急ピッチで原稿を書いていた。当初は鴻上製薬のスキャンダルを題材にして原稿を書いていたが、矢張り「生々しい」という理由でボツ。もっと、こう――読者が望んでいる単純明快な作品を書くことにした。ちなみに、担当者も諦めが付いたのか「講談社ノベルスじゃなくて単行本で出していい」と言われたので、少し気が楽になった。単行本なら40文字×40行の70枚程度で入稿できるから、僕としてもありがたいのだ。
一方、鴻上製薬の信頼は一気に失墜することになった。鴻上猪子という社外取締役のスキャンダルは世間で大バッシングとなり、株価は暴落。SNS上では「同族経営が生んだ悲劇」として取り上げられるようになった。もっとも、僕としては――本当の理由を知っているから、なんだかモヤモヤとするのだけれど。とはいえ、このスキャンダルが令和の『犬神家の一族』として格好のネタになったのは言うまでもない。――横溝正史が見たら激怒しそうだけど。
そして、藤崎沙織から聞いた話だと、鴻上製薬のスキャンダルは朝のワイドショーの格好のネタになっているらしく、とある日本人メジャーリーガーを差し置いて連日議論の的になっているそうだ。僕はテレビを持っていないので、そういうネタには疎い。――どうせ、テレビなんて無くても生活できる。
*
数日後。僕は――あの忌々しい屋敷へと向かった。理由は言うまでもなく、事件解決でお世話になった沢木悦吏子さんに会うためだ。
すっかり意味を成さなくなったのか、門は開きっぱなしというか、兵庫県警の規制線が張られたままである。当然、僕は「事件の関係者」ということで規制線を潜って屋敷の中へと入った。
玄関で、沢木さんが――荷物をまとめている。矢張り、お暇を出したのか。
僕は、彼女に話しかけた。
「沢木さん、メイドを辞めるのか?」
彼女は、僕の質問にキッパリと答えた。
「はい。20年以上鴻上家に仕えていましたが、今回の事件を受けてメイド業を辞めようと思いました。もっとも、私はもう65歳。世間なら『定年』と言われる頃合いですからね。――たんまりと稼いだ分、老後はゆっくりとさせてもらおうかな」
「そうか。――まあ、色々あった分ゆっくりしたほうがいい」
話は、例の推理ショー――というか、鴻上家にかかった呪いを解くための「儀式」の話になった。
「そういえば、あの時――絢華ちゃんって何か準備をするために一旦家にお戻りになられましたね。一体、何の準備をなされていたのでしょうか?」
言おうかどうしようか悩んだが、ここは――言ってしまおう。
「僕は、あの時『聖遺物』を準備していたんだ。僕の家系って、豪商である一方――キリシタン大名の家来だったんだ。それも、高山右近の家系」
「まあ、高山右近って――明石を支配していたと言われているあの高山右近ですか」
「そうだ。そして、冬月家というのは――江戸時代におけるキリシタン弾圧で但馬国へ亡命したと言われているんだ。その時に、高山右近から受け継いだ聖遺物が――悪魔祓いに使われるロザリオだった」
「じゃあ、もしかして、絢華ちゃんの子孫って……」
――ここまで言われたら、もう言うしかないな。
「そうだ。話によれば、冬月家というのは――今で言うエクソシストの家系だ。もっとも、どこまで本当でどこからが嘘なのかはよく分かっていないらしいんだけど。ただ、今回の推理ショーにおいてはロザリオの出番はナシ。悪魔に取り憑かれたように見えた猪子さんの正体は――恐らく、危険ドラッグによる禁断症状だろう」
鈴村刑事から聞いた話だと、尿検査の結果――猪子さんの尿からは危険ドラッグの陽性反応が出ていた。殺人罪に加えて覚醒剤取締法違反は――役満だ。
ついでに言えば、敏彦さんが僕の首を絞めて殺害しようとした理由は――矢張り、鴻上家の秘密を知ってしまったからだった。本来なら僕の首を絞めた上で猪子さんを屍姦するつもりだったらしいが、首絞めに関しては既のところで藤崎沙織に阻止され、屍姦に関しては猪子さんから返り討ちに遭っている。ある意味、今回の事件の一番の被害者は敏彦さんだと思っていたが、彼のゲスい行動を見ていると「ざまぁ」という感情が浮かび上がってくる。
それはともかく、僕は――屋敷の地下へと向かった。理由は言うまでもなく「アレ」を確かめるためである。
英治さんの案内の元で、僕は地下倉庫へと向かう。ちなみに、この屋敷――大震災どころか空襲をも生き抜いているので、築100年は下らないとのことだ。矢張り、昔の屋敷というのは頑丈なのか。そして、頑丈であるが故に――こんなモノが保管されていたのか。
昔ながらの照明スイッチを押した瞬間に見えたのは――大量のウラン鉱石だった。いくらかは兵庫県警に押収されたとはいえ、それは氷山の一角に過ぎない。というか、さすがの兵庫県警でもこの量のウラン鉱石を押収することは不可能だろう。
「――こんなモノがあるから、鴻上家は『悪魔の液体』という妄執に取り憑かれてしまったのか」
「冬月さん、その通りだ。我々鴻上家は、戦時中にポロニウムを材料とした暗殺兵器を開発していた。それは紛れもない事実だ。でも、あの日を境に――旧日本軍から暗殺兵器の開発中止が命令されてしまった」
「それが、広島と長崎への原爆投下だったと」
「そうだ。その結果、原爆症に苦しむ人々を救うための薬品の開発に舵を取らざるを得なかった。本来ならそうあるべきなんだろうけど、清三郎はそれを認めなかった。だから、暗殺兵器の開発中止が命令されても、秘密裏に開発は続けていたんだ」
「――そして、出来てしまったと。それも、ロシアの元スパイがポロニウムで暗殺される遥か前に」
ロシアの元スパイがポロニウムで暗殺されたのが平成18年の秋。そして、アンプルのラベルを見る限り――この薬品が最初に作られたのは昭和39年の秋頃だった。つまり、最初の東京オリンピックが開催された年に、こんなふざけたモノが出来上がってしまったのだ。
僕は、英治さんにある質問をした。
「――それで、このアンプルはどうするんだ?」
英治さんの答えは、単純なモノだった。
「廃棄処分だ。まあ、ポロニウム由来の成分で出来ているが故に、このアンプルはとっくに半減期を過ぎているから――ただの液体だろうけど」
ポロニウムの半減期は約138日であり、この日をすぎれば放射能は徐々に減っていく。とはいえ、リトビネンコのように大量に浴びれば――半減期もへったくれもないのだけれど。
そういえば、もう一つ気になることがあった。それは――鴻上家で遺産とともに相続されていた「赤い宝石」である。
僕は、サナヱさんから「赤い宝石」の正体を聞くことにした。――どうせ、大したものじゃないと思うのだけれど。
サナヱさんは、この歳にしては――やけに活発な女性といった感じだった。とはいえ、車椅子には乗っていたのだけれど。
「あら、探偵さん。この度は猪子が迷惑をかけてすまなかったねぇ」
「僕は探偵なんて大それたモノじゃない。ただの小説家だ。――それはそうと、猪子さんに聞きたいことがある」
「何かしら?」
「あの『赤い宝石』の正体、ヒ素だろう?」
僕がそう言うと、サナヱさんは――その目を見開くように答えた。
「よく気付いたわねぇ。あの赤い宝石はダイヤモンドじゃなければルビーでもない。ただのヒ素よ。探偵さん、どのタイミングで気付いたのかしら?」
「ああ、沙織さんが写真を見せてきたフェーズだ。そもそもの話、ああいう色をしたダイヤモンドは存在しない。かといって、ルビーは――ピンクがかった色をしている。だから、僕は敢えて『宝石』という可能性を捨てたんだ。だとしたら、『鉱石』だろうか? 実際、地下倉庫にはポロニウムを抽出するためのウラン鉱石が多数保管されていた。ウラン鉱石があるぐらいなら――原始的な毒、ヒ素の鉱石も当然あるだろう」
僕の推理は、合っていたらしい。サナヱさんは話す。
「そうよ。清三郎さんは――ヒ素の鉱石から毒物を抽出する実験を行っていたわ。でも、あの時点でヒ素は毒物としてはありきたりな存在になっていたからねぇ」
「あの時点――ああ、七三一部隊が暗躍していた頃か」
「そうよ。噂によれば、帝銀事件で使われた毒物は青酸カリだったって話じゃないの。これは私の考えだけど、七三一部隊は細菌兵器じゃなくて――青酸カリやヒ素を使った暗殺兵器を開発していたんだと思うの。だから、我々鴻上製薬では、より殺傷能力の高い毒物を開発することになった」
「それが――ポロニウムを使った毒物だったんだな」
そういうことだ。僕とサナヱさんの考えを合致させると、恐らく――鴻上製薬は七三一部隊と協力関係を結んでいて、青酸カリ由来やヒ素由来の暗殺兵器を開発していた。それは紛れもない事実だろう。研究を重ねた結果、青酸カリやヒ素よりも即効性の高い毒物――ポロニウムを何らかのルートで入手した。ポロニウムはウランから抽出することができるが、日本におけるウランの産出地は鳥取県と岡山県の境にある「人形峠」という場所だ。
とはいえ、日本におけるウランの産出量は雀の涙程度なので――実際に人形峠のウランを兵器として利用できるかどうかと言えば、微妙である。
仮に、オッペンハイマーよりも先に日本が原子爆弾の開発に成功していたら――この世界はどうなっていたのだろうか? 少し前に、京極夏彦の『鵼の碑』を読んだついでに「日本における原子爆弾開発」を調べることになったのだが、どうやら――仁科芳雄という博士が開発に成功していたらしい。しかし、米軍の空襲によって東京にあった実験施設は壊滅。結果的に日本における原子爆弾の開発は有耶無耶になってしまった。
今から思うと、こんなモノは有耶無耶になって正解だったのだろう。オッペンハイマーは「トリニティ実験」において原子爆弾の開発を成功させたが、その時点で――彼は「悪魔」になった。もっとも、実際に広島と長崎に対して原爆投下のボタンを押したのは、オッペンハイマーじゃないのだけれど。
鴻上家の本当の秘密が分かったところで、僕は屋敷を後にした。当然だが、藤崎沙織が迎えに来る訳ではないので――バイクに乗って来ていたのだ。
六麓荘の坂を降りていって、芦屋川が見えてくる。そして、芦屋川沿いにある古びたアパート――「メゾン・ド・芦屋」が僕の仕事部屋というか住居である。
カワサキグリーンのバイクを駐輪場に停めて、階段を上がる。202号室が僕の部屋であり、鍵穴に鍵を入れたところで――隣人の額にドアを当ててしまった。通算5回目である。
「――イテテテテ、冬月さん、ちゃんと見てくださいよ」
「すまなかった。今度からはきちんと見てからドアを開けるようにする」
「そういえば、冬月さん――今回は大変な目に遭ったんですって? 御愁傷様です」
「ああ、すごく大変な目に遭った」
「でも、それって小説家の特権じゃないですか? 私、冬月さん――というか、月極先生の小説、好きですよ? これからも応援してますから」
「ああ、勝手にしろ。次回作はいつ出すか分からないからな」
ちなみに、隣人――201号室の住民の名前は、降矢瞳である。――僕が大好きなあのアーティストの本名と読みが同じなので、親近感があるのは言うまでもない。
*
部屋に入ったところで、僕は――ドッと疲れた。当然だろうか、一連の事件の尻拭いをしたからな。
それにしても、家族というものは――難しいな。僕だって、両親は大切にしている方だが、「小説家になる」という夢に関しては両親からの反発もあった。でも、僕が大の京極夏彦ファンであり、なおかつメフィスト賞受賞作を読んで育ってきた人間なので、多少の無茶は見逃してもらえたようだ。
――そういえば、最近両親に連絡していないな。ここは、久しぶりに連絡してみるか。
そう思った僕は、スマホの通話アプリから――とりあえず、母親の電話番号を選択した。
コールが4回鳴ったところで、スマホの画面には――母親の顔が映った。
「あら、絢華ちゃん。急にどうしたん?」
「ああ、なんとなくオカンの顔が見たいと思って」
「アハハッ。――そういえば、入院しとったたらしいけど、大丈夫なん?」
「バ、バレテーラ。どうして知っとるんや」
「ニュースになっとったで? 鴻上家での刺殺未遂事件。どうせ取材に行って巻き込まれたんやろ?」
「――その通りや。沙織からの依頼で鴻上家に行ったら、犯人に胸ェ刺されたんや」
「あらあら、それは大変やったねぇ。――まあ、無茶はせんといてや? 私も心配になるから」
「へいへい」
それから、しばらくは他愛のない話をしていたが、やがて、話は仕事の近況へとシフトした。
「それで、仕事の方はどうなん?」
「ああ、次回作を講談社に入稿したとこや」
「そっか。――次回作、楽しみにしとるで?」
「勝手にしてくれ。――どうせ売れへんし」
「せやな。まあ、アンタの小説は『玄人好み』っちゅうしな。でも、その『玄人』を大事にするのが、アンタの仕事ちゃうん?」
「せやな。――それじゃあ、切るで」
「ほなまた」
そうして、僕は終話ボタンを押した。――35分も通話していたら、スマホが熱々だ。
まあ、母親が元気ならそれでいい。冬月家自体が豪商でエクソシストという奇妙な血筋である以上、矢っ張り家族は大事にしなければならないと思ったのは、言うまでもない。ちなみに、後で聞いた話だと、父親は――海外出張だったらしい。
母親とのビデオ通話が終わったところで、僕は完全に意識を失った。――言うまでもなく、相当疲れていたのか。
そして、ある夢を見た。普段なら、こういう時はドッペルゲンガーの夢を見るのだが――その日は、どういうわけか少女の幻覚がそこにあった。
少女は話す。
「――やっと、『わたし』をみつけられたね?」
そうか。この幻覚は――僕の心の中に眠っていたもう一人の僕なのか。
僕は、少女に話しかけた。
「そうだな。君は、『ふゆづきあやか』で間違いないな?」
「そうよ。わたしは『ふゆづきあやか』のほんらいあるべきすがたなの」
本来あるべき姿――一体、何だろうか? 幻覚の少女は、幼い顔に――長い髪を靡かせている。まあ、少女だから当たり前なんだけど。
色々と考えを巡らせているうちに、僕はある答えを見つけた。
「――もしかして、こういう事なのか?」
僕は、着ていた服を脱ぎ捨てて――ありのままの自分をさらけ出した。白い肌に、自傷行為の傷痕。大人の女性にしては膨らみのない乳房。それらは所謂「コンプレックス」として処理されてきたが、あの時――死の淵を彷徨っているうちに、僕は確かに少女の幻覚を見たことに気付いた。
裸の僕を見て、少女は話す。
「――そうよ、それが『わたし』。あのときであった『ぼく』は、げんきのないかおをしていた。でも、いまの『わたし』は――えがおをみせているわ」
「そうか。笑顔か」
僕は、少女に言われるがままに、笑った。
当然だけど、少女も――笑っていた。
*
夢から覚めると、スマホの時計は午前7時だった。
その日は月曜日だったので、とりあえず――燃えるゴミを集積場へと持っていった。
それにしても、あの夢は何だったんだろうか? 幼い頃の自分を見ているような夢だったな。
でも、あの夢のお陰で――僕は「生きていくこと」に対して自信を持つようになった。
そんな事を考えながらゴミ出しを終えて、ダイナブックの電源を入れた。――メールが来ている。送信者は講談社文芸第三出版部か。一体何だろうか?
――月極先生、原稿は読ませてもらいました。
――やりましたね! これはかなりの自信作だと思います!
――校正完了次第、順次プルーフの方を手配したいと思いますので、よろしくお願いします。
――追伸 友人の沙織さんにもよろしくお伝え下さいね。
担当者の手応えが良いということは――売れるのか。僕は小さくガッツポーズをした。
それから、僕の久々の新作はショート動画サイトで紹介されてZ世代に大バズり。結果的に僕は「売れっ子小説家」の仲間入りを果たしたのだが、それはまた別の話である。