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応接間に戻った所で、僕と鴻上沙織は2つの事件を整理した。
「えっと、要するに――胡蝶さんと鹿乃さんはポロニウムを盛られて殺害されたってことなの?」
「ああ、そうだ。僕の見解が正しければ、胡蝶さんが飲んでいた紅茶には――多量のポロニウムが含有されていたはずだ。鑑識もそこまでは考えが及ばなかったみたいだが、多分、鈴村刑事は紅茶のカップをガイガーカウンターで調べているところだろう」
「それで、鹿乃さんが殺害された件についてはどうやって説明するのよ?」
「ああ、それに関してだが――多分、ペットボトルの水の中にポロニウムを含ませたのだろう」
「ペットボトルの水?」
「ああ、テーブルの上に置いてあった」
そう言って、僕は鹿乃さんのテーブルの写真を鴻上沙織に見せた。
「いつの間に撮ってたのよ?」
「ああ、鹿乃さんの遺体が見つかってすぐだ。『何かの証拠になれば』と思ってテーブルの上をスマホで撮ったんだ」
「ホント、気が利くわね。――それはともかく、テーブルの上には……水が入ったペットボトルと、ノートパソコンが置かれていたのね。あと、気になるモノといえば――コレ、何かしら?」
そう言って、彼女はテーブルの上に置いてあったモノを指差した。
「ああ、これは――例の『赤いダイヤモンド』だな。胡蝶さんが持っていたモノと違って、砕け散ってはいないみたいだが……」
赤いダイヤモンドというモノがこの世に存在しない以上、これは――何らかの鉱石である。僕はそう思ったが、どうしても名前が出てこない。
多分、すごく身近なモノなんだろうけど、イメージが沸かない。うーん、何だろうか。
無理に思い出すのもアレなので、僕は鈴村刑事の捜査を待つことにした。その間に僕ができることといえば――矢張り、事件に対する推理だろうか。
第1の事件――鴻上胡蝶殺害事件を考えてみる。あの事件は目撃者が多数いた。というか、鴻上家のほぼ全員があの場所に集結していたので、公衆の面前で鴻上胡蝶は殺害されたことになる。仮に死因がポロニウムによる毒殺だとして、問題は「誰が毒を盛ったか」だな。あの状況下で毒を盛ることができるのはメイドの沢木悦吏子だが、それだとありきたりすぎて面白みがない。となると、怪しいのは――鴻上敏彦だろうか。彼は胡蝶さんの態度を気にしていたので、もしかしたらどこかで殺意を抱いていた可能性がある。――まあ、鴻上敏彦は飽くまでも容疑者の1人なので、もしかしたら僕が予想打にしなかった人間である可能性も考えられるのだけれど。
次に、第2の事件――鴻上鹿乃殺害事件を考えてみる。遺体を発見したのが僕と鴻上沙織、そして鈴村刑事だとして、遺体にガイガーカウンターが反応したのも気になる。その時点で、鴻上鹿乃はポロニウムを盛られて殺害されたことになる。殺害現場は現在鈴村刑事が詳しい調査を行っているが、それ次第では容疑者が変わってくる可能性もある。――いずれにせよ、鴻上沙織という唯一の親友はシロであることは明確だ。
まあ、こんなところか。僕にしては上出来な推理だ。――鈴村刑事が聞いたらどう思うのか。
そんなことを考えているうちに、鈴村刑事が応接間に戻ってきた。
「絢華ちゃん、沙織ちゃん、少しいいか?」
「どうしたんだ?」
「どうしたのよ?」
よく見たら、鈴村刑事は息が上がっている。――相当急いで駆けつけてきたんだろうな。
息を上がらせつつ、鈴村刑事は話す。
「実は、鹿乃さんの殺害現場から――こんなモノが見つかったんだ。なんだろう、コレ? 錠剤?」
――錠剤。もしかしたら、アレの可能性もあるな。
そう思った僕は、2人に例のニュース記事を見せた。
「錠剤と言えば、この記事を見てくれ」
真っ先に反応したのは、鴻上沙織の方だった。
「えーっと、『鴻上製薬 内部被曝治療薬を開発』? そういえば、私もそういうニュースを見たことあるわ。一応、これでも医師の娘だからね。それで、『今後の製品化については未定だが、CEOである鴻上英治は記者会見において「早い段階で厚生労働省からの認可を受けて、製品化していきたい」とのコメントを残している』ねぇ……。――もしかして、この錠剤って『内部被曝治療薬の試作品』って言いたいの!?」
当然だ。僕は彼女に話した。
「ああ、そうだ。――恐らく、鹿乃さんはポロニウムを飲まされたタイミングでこの錠剤を飲もうと思ったんだ。でも、間に合わなかった。――血を吐いて倒れていたのがその証拠だ」
血という単語に反応したのか、鈴村刑事が口を挟んだ。
「そういえば、こんな血文字が遺されていました。多分、ダイイングメッセージというモノでしょうね」
そういって、鈴村刑事はタブレットを僕たちの方へと向けてきた。タブレットの画面には「319」と書かれていた。
僕は、数字について鈴村刑事に聞いた。
「この数字、どういう意味があるんだ?」
しかし、彼は――残念そうに答えた。
「残念だけど、それは僕にも分からないんだ。力になれなくてごめん」
「いいんだ。――どうせそんなことだろうと思っていたから」
ダイイングメッセージの数字が「731」なら、僕は旧日本軍の七三一部隊を浮かべたが――いくらなんでもそれは考えすぎだ。そもそも、七三一部隊は細菌兵器の開発するフェーズにおいて捕虜を利用して人体実験を行っていたとされている。実際、細菌兵器の散布は失敗したが――戦後の医学界に大きな影響を与えたことは確かだ。
――そうか、鴻上製薬は戦時中に七三一部隊に関わっていたのか。だから、鴻上財閥が解体された時に鴻上製薬だけが残ったのか。そうなると、鴻上製薬という企業が製薬会社において大きなシェアを占めている理由も分かる。そして、内部被曝治療薬を開発していた理由は、矢張り「戦時中の罪滅ぼし」なのだろう。そう思うと、この家は――呪われている。呪われた血筋が、鴻上胡蝶と鴻上鹿乃という2人の女性を殺した。そうなると、鴻上猪子の命も危ないが……この呪いを操っているのは誰なんだ? 正直言って、僕にも分からない。
事件について悩んでいるうちに、僕は――目眩を覚えた。色々と考えすぎだろうか。
「冬ちゃん、大丈夫なの?」
心配してきた鴻上沙織が、僕に声をかけてきた。
僕は、明らかに大丈夫じゃない声色で答えた。
「――大丈夫だ」
「いや、全然大丈夫じゃないわよ?」
ああ、見透かされていたか。彼女が見透かすなら、仕方がないな。
「ちょっと、少し休んできたら?」
「そうだな。――休んでくる」
そう言って、僕は客室の方へと戻った。明らかにフラフラとしながら歩いていたので、周りの警官も心配そうに僕を見つめていたらしい。
やがて、客室に辿り着いたところで――僕は死んだようにベッドへと倒れ込んだ。当然、意識なんてものはある訳ない。
*
「――また、君か」
僕の目の前には、例のドッペルゲンガーがいた。
「こう見えて、あなたが事件を追っていたことは知っている。――『僕』の意識が眠っているときでも、体が動いている限りは記憶を共有しているから」
「そうか。ドッペルゲンガーと記憶を共有しているということは、『僕の知らない記憶』がどこかにあるということもあり得るのか?」
「それはどうだろうか? 僕には分からない。でも、言われてみれば――あなたの知らない所で、『何かがあったこと』は確かだ」
僕の知らないところで焼き付いた記憶――なんだろうか? 自傷行為は明らかに僕の意思だし、向精神薬の過剰摂取も僕の意思だ。いや、「死」に対する記憶の大半は「冬月絢華」の記憶であって、「フユヅキアヤカ」の記憶ではない。それは確かだ。けれども、僕の中に――「あるはずのない記憶」がフラッシュバックすることがある。
それは、人工呼吸器を付けてベッドの上に寝かされている記憶であり、病室なので心臓の鼓動に合わせて心電図が無機質に鳴り響いている。心拍数は70から80程度であり、要するに――安静状態である。しかし、僕は意識不明で病院に搬送された記憶がまったくない。精神面はともかく、健康面では自信がある方だ。
――もしかして、「フユヅキアヤカ」は何らかの事故で植物人間になっているのか? それで、同姓同名の僕に魂というか、意識が宿った。そう思っていると、「フユヅキアヤカ」は胸を押さえて苦しんでいた。
「――うっ……はぁ……はぁ……」
「大丈夫なのか?」
――僕はそう言ったけど、忘れていた。「フユヅキアヤカ」と感覚が共有されているということは、僕にも胸の苦しみが――伝わる。
「――うがぁっ!」
呼吸が早くなる。心拍数が早くなる。まるで、体のすべてが心臓になったように鼓動が大きく脈を打つ。どくんどくんと鳴り響く鼓動は、死ぬ間際に感じる感覚のようだった。
「――はぁ……はぁ……はぁ……」
藻掻き苦しむ中で、僕の意識は――朦朧としていた。夢の中で死んでたまるか。
そう思った僕は、咄嗟の判断で――「フユヅキアヤカ」の頸動脈を強く押さえた。
「――あ、あああああああああああっ!」
断末魔を上げて、彼女は白目を剥いた。そして、「フユヅキアヤカ」の心臓の鼓動は、完全に――止まった。それは、僕が「フユヅキアヤカ」の胸に耳を埋めても鼓動が聴こえないことから明確だった。
――ああ、人を殺した。殺した。僕は、人を殺してしまった。どうせ夢の中だし、罪には問われないだろう。けれども、僕の心の中に「罪悪感」というモノが残ってしまったのは確かだ。
でも、ドッペルゲンガーが死んだということは、「冬月絢華」という人間はこの世で1人しかいないということになるのか。だから、「死」に怯えることもない。そう思っていた時だった。
――ドクン。
なんだ、この感触。まるで、心臓を抉り取られるようだ。
――ドクン。ドクン。
何なンダ! 僕の心臓はドウナッテいるんだ!
――ドクン。ドクン。ドクン。
イイ加減ニシテクレ! 僕ハコノ世デ1人シカイナインダ!
――ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
アア、ドッペルゲンガーガ死ンダトイウコトハ、僕モ死ヌノカ。
――ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
――ドクン。
*
何なんだ、この夢は。ドッペルゲンガーが現れたかと思えば、僕は彼女の首を絞めて殺した。ドッペルゲンガーがいなくなって僕だけになったかと思えば、心臓発作が起きてそのまま死んだ。――まあ、現実世界では生きているのだけれど。
そう思って、僕は鏡台を見た。相変わらず、死んだ魚のような顔をした自分しか映っていない。――映っていない? いや、違う!
僕の後ろに、僕と似た女性が映っている! これは――ドッペルゲンガーだ!
ドッペルゲンガーは、僕の意識に反して――笑った。
「アハハハハッ!」
薄気味悪い笑い声を浮かべながら、ドッペルゲンガーは僕の首を絞める。恐怖で体が動かない。恐怖のあまり、心臓の鼓動が早鐘を打つ。
――今度こそ、僕は死ぬのか。ああ、死んでやろうじゃないか。
そう思った僕は、彼女に感覚を委ねようと思った。徐々に絞められる頸動脈。薄くなる意識。段々と遅くなる心臓の鼓動。
完全に「僕という存在」がこの世から消えようとしていた時だった。客室のドアが開いた。
「だ、誰なのよっ!」
そこにいるのは、鴻上沙織? 彼女は絞殺魔に向かってそう叫んだ。
「あれ? 冬ちゃんが2人? どういう事よ?」
彼女が僕にそう言ったところで――絞殺魔は窓から逃亡した。
*
一命を取りとめた僕だったが、矢張り――気味が悪い。絞殺魔は、なぜ僕の格好をして僕の命を狙おうとしたのか? 正直言って、それが分からなかった。
鴻上沙織が、怯える僕に対して声をかける。
「――大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫じゃないらしい。どうやら、僕は『鴻上家の呪い』について知ってしまったから、犯人から命を狙われる羽目になったんだ」
「鴻上家の呪い? 一体何なのよ?」
「ああ、話すと長くなるが――いいか?」
「いいわよ? 話してちょうだい」
そういう訳で、僕は鴻上沙織に「鴻上家の呪い」のことを詳しく説明することにした。
「そもそもの話、鴻上製薬は――戦時中にあるモノを開発していた。それは所謂『七三一部隊』にも関係していたモノだ。沙織、七三一部隊は知っているよな?」
「知ってるわよ? 旧日本軍の細菌兵器部隊で、京極夏彦の『邪魅の雫』でもネタにされてたわ」
「ああ、そうだ。――それなら、話が早いな。なんでも、七三一部隊は捕虜に対して人体実験を行っていたらしいが、実戦投入では失敗している。しかし、七三一部隊が行った実験は戦後の医学界にも大きな影響を与えた。その結果――ある製薬会社が莫大な富を得た」
「そ、それって、もしかして……」
「言うまでもなく、鴻上製薬だ。鴻上製薬は戦時中にある『毒』を開発していた。それは細菌兵器ではなく、確実に少ない量で人間を殺害できるという代物だ。しかし、その開発は――米軍の攻撃によって頓挫した」
「米軍の攻撃? あっ、それってもしかして……」
「そうだ。広島と長崎への原爆投下だ。原爆投下によって、鴻上製薬は『毒』の開発から『治療薬』の開発へとシフトせざるを得なかったんだ。でも、『治療薬』を開発しようと思ったら反対に位置する存在である『毒』の開発も必要だ。その『毒』は――ポロニウムを使った毒だ。ここでもう一つ質問。沙織は、『リトビネンコ事件』を知っているか?」
「うーん、流石に知らないわね……」
「そうだな。別に知らなくても生きていけるからな。――リトビネンコ事件は、平成18年に発生したロシアの元スパイであるアレクサンドル・リトビネンコが何者かにポロニウムを盛られて殺害されたという事件だ。殺害の経緯については諸説あるが、ロシアのスパイ部隊であるKGBが寿司の中にポロニウムを盛って、それを彼が食べた。結果、彼は体内で被曝を起こした。被曝を起こした結果、髪は抜けて、体はやせ細り、3週間後には――死んだ」
「お、おぞましい事件だわね……。それで、どうして盛られた物質がポロニウムって分かったのよ?」
「尿検査だ。彼の尿内から致死量のポロニウム210が見つかったんだ。最初はタリウム中毒だと疑われたが、タリウム中毒を見抜くためのガイガーカウンターは反応を示さなかった。だから、ガンマ線で尿を検査したら――ポロニウムが検出されたんだ。ちなみに、ロシア当局は彼の暗殺司令について否定しているが――僕は、誰がどう考えても時の大統領の仕業だと思う」
「なるほどね。――あの国ならやりかねないわね」
「そうだな。――話を鴻上製薬に戻そう。それで、鴻上製薬は戦時中に『ポロニウムを使った暗殺兵器』を開発していたんだ。それは今でもこの屋敷の中に厳重に保管されている。それで、誰かが持ち出して――惨劇は起こった。恐らく、遺産を横取りしようと思った人間による犯行で間違いない」
「それで、一連の事件の犯人って誰なのよ?」
「残念だけど、今は――分からない。ただ、僕の首を絞めた犯人に関しては見当がつく」
「マジで?」
「ああ、マジだ。僕の首を絞めた犯人は――鴻上敏彦だ」
「えっ? 敏彦さんが冬ちゃんの首を絞めた? でも、冬ちゃんが見た『もう一人の冬ちゃん』って、普通に考えたら女性なんじゃ……」
「いや、アレは女性の握力じゃなかった。僕は夢の中でドッペルゲンガーの首を絞めたことがあるけど、力を入れようと思っても力が入らない。所詮、女性の手だと『指を使った絞殺』は無理なんだ。まあ、それなりの握力があれば女性の手でも首は絞められるけどな。それで、僕が頸動脈に感じた感触は――明らかに男性のモノだった。この時点で、僕の首を絞めた犯人は鴻上英治と鴻上敏彦に絞られるが、鏡に映った『もう一人の自分』は――明らかに鴻上敏彦だったんだ。――沙織、スマホを見せてくれ」
「スマホ? まあ、いいわよ?」
「それで、アルバムから、鴻上敏彦が映っている写真を見せてほしい」
「オッケー。――えっと、これでいいかしら?」
そう言って、鴻上沙織はスマホの画面を見せてきた。当然だけど、画面には鴻上敏彦が映っている。
「確かに、暗い場所だと――冬ちゃんと敏彦さんって、少し似てるわね」
「ああ、僕は中性的な格好をしているから、よく男性に間違えられるんだ。僕が首を絞められた時は、暗かったから、ドッペルゲンガーと見間違えるのも致し方ない。――ところで、鴻上敏彦はどこへ逃げたんだ?」
「そういえば、あの後――どこへ行ったんだろうね? 残念だけど、私には分からないわ」
「というと、逃げられたか……」
鴻上敏彦は逃走した。毒殺魔は分からない。事件は――手詰まりか。
この事件は諦めよう。だから、いい加減家に帰らせてくれ。そんな事を思っている時だった。
「――う、うわあああああああああっ!」
この悲鳴は――鴻上敏彦の声か! おのれ、絞殺魔! 逃がすものか!
悲鳴がしたのは食堂の方だった。僕と鴻上沙織は、食堂へと走る。日頃走らないのが祟ったのか、少し走っただけで足が攣る。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、僕は食堂の中へと入っていった。――遅かったか。
僕が目の当たりにしたのは、白目を剥いて倒れている「鴻上敏彦だったモノ」だった。よく見ると、試験管のようなモノが倒れている。
鴻上沙織が、倒れた試験管に注目した。
「この試験管って――例の毒かしら?」
「ああ、どうだろう? 液体は無色透明だが……」
「まあ、とりあえず鈴村刑事を呼んだほうがいいわね」
「そうだな。――もう、来ていたみたいだが」
頭を掻きつつ、鈴村刑事は話す。
「呼ばれて飛び出てナントカカントカってヤツですね! ――コホン。とにかく、鴻上胡蝶と鴻上鹿乃の毒殺事件、冬月絢華の絞殺未遂事件、そして――鴻上敏彦の刺殺体。これらはすべて連鎖した殺人事件であって、絞殺魔である鴻上敏彦はこうやって殺害された。絢華ちゃん、こういうことで間違いないと?」
当然だ。僕は言う。
「ああ、間違いない。恐らくだが、鴻上敏彦は――抵抗しようと思って逆に殺害されたんだ。その証拠に、背中をナイフで刺されている。これだけ刺されていたら、ほぼ即死だろう」
僕の推理は合っていたらしい。鈴村刑事は話す。
「その通り。『急所を狙われた』といった感じだ」
「急所を狙われたってことは――ナイフで一刺しってことかしら?」
鴻上沙織がそう言ったので、僕は――できる限り最善の答えを返した。
「ああ、そうだな。毒を飲まされようと思ったところで抵抗して、その隙に背中をナイフで刺された。それが僕の考えだ」
ナイフで刺された背中。零れた試験管。これらが意味することは一体なんだろうか? 僕は考えを巡らせるが――分からない。
ふと、鴻上敏彦だったモノの前に立つ。特にそれで何かが分かるかと思えば、そうでもないのだけれど――ヒントぐらいは見えるんじゃないかと思った。
鑑識が零れた試験管を検査する。当然だが、ガイガーカウンターは反応を示している。
僕は、鑑識に声をかけた。
「――えっと、鑑識でいいか?」
「ああ、確かに私は兵庫県警捜査一課の鑑識だ。今はこの試験管に入っていた液体の調査を行っている。ガイガーカウンターが反応したことから考えると、恐らく液体は放射性物質で間違いない。ただ、どこでこんな代物を入手したかは――分からない」
「だよな。僕にも分からない。でも、鴻上製薬が内部被曝の治療薬を開発していたというのはニュースで読んだ。――だから、これは『遺産の奪い合い』に見せかけた『人体実験』なんだ」
「じ、人体実験!? 令和の世の中にそんなことが罷り通るのか!?」
鑑識はそう言うが、多分、これは――遺産の奪い合いなんかじゃなくて、最初から鴻上清三郎によって仕組まれた人体実験だったんだ。だから、最後まで残った人物が遺産をすべて相続できる。こんなことができるのは――あの人しかいない。
すべてを見通した僕は、鴻上沙織に声をかけた。
「沙織、少しいいか?」
当然だけど、彼女の頭にはハテナマークが浮かんでいる。
「どうしたのよ?」
「――一連の事件の犯人が分かった」
「ホントなの?」
「本当だ。僕を信じてくれ」
やれやれという顔をしながら、彼女は話した。
「――仕方ないわね。じゃあ、さっさと解決してちょうだい」
「分かった。――ただ、少し準備が必要だ。一旦家に帰らせてくれ」
「えっと、どういう事?」
「だから、そういうことなんだ」
「――ああ、アレね。いいわよ? とりあえず車でアパートまで送ってあげるから、3分で支度してちょうだい」
「そんなラピュタみたいに急かすな。せめて10分はくれ」
「それはそうよね」
そういう訳で、僕は――一旦アパートへ帰ることになった。当然「準備」のためである。
*
「――沙織、鈴村刑事には『例の件』を伝えたのか?」
僕がそう言うと、彼女は親指を立てながら話した。
「もちろんよ。なんていうか、冬ちゃんらしいわね」
とりあえず、アパートに戻った僕は「あるモノ」を引き出しから取り出した。それは鴻上家の呪いを解くための最終兵器というか――抑止力のようなモノだった。
やがて、準備ができたところで、僕は彼女が運転する赤いアウディへと乗り込んだ。
「じゃあ、鴻上家に戻るわよ? いいわね?」
「もちろんだ。――これで、すべてを終わらせる」
なんだか彼女に対してクサいことを言ってしまったような気がしたが、今の僕にとっては――そんなことはどうでもよかった。
6月ということもあって、大気は不安定である。空は鉛のように暗く、雷が鳴り響いている。あと数分もすれば、雨が降りそうだ。事実、FM802の天気予報もそう告げている。
六麓荘に戻った時点で、雨がポツポツと降り始めていた。当然だが、鴻上邸の前には無数の兵庫県警のパトカーが停まっている。僕は規制線をくぐり抜けて、鴻上邸の中へと入っていく。――正直言って、これじゃあプライバシーもへったくれもない。
やがて、僕は屋敷の中へと入った。そして、容疑者が集まる食堂へと向かった。
*
食堂の中には、鴻上家の生き残りと、メイドの沢木悦吏子がいる。――揃っているな。
覚悟を決めた僕は、推理小説でお決まりのセリフを自ら発した。
「みんなをここに集めた理由は、言うまでもなく、一連の事件の犯人がここにいるからだ」
当然だが、僕のセリフに対して――鴻上英治が反論する。
「ふざけるな! 私はなにもやっていないぞ!」
それはそうだ。――鴻上英治は犯人ではない。それを踏まえた上で、僕は言葉を発した。
「――英治さんは犯人なんかじゃない。その点では安心していい」
「そ、そうか……。じゃあ、誰が犯人なんだ?」
ここで勿体ぶるのも申し訳ないので――僕は、思い切って犯人を名指しした。
「――犯人は、鴻上猪子だ」
僕がそう言ったところで、食堂はざわつく。当然だろう、一番犯人から遠い存在だから。
そして、真犯人――鴻上猪子は言葉を発した。
「絢華ちゃん、よく私が一連の事件の犯人だと分かりましたね」