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僕から見てテーブル越しに、茶色いゆるふわパーマの女性がいる。彼女こそが藤崎沙織――もとい、鴻上沙織である。
季節限定のフラペチーノを飲みつつ、鴻上沙織は話す。
「こんな所で生々しい話をするのもアレだけどさ、この令和の世の中で『犬神家の一族』みたいな話ってホントにあるんだなって思って」
「というと、鴻上製薬の相談役――鴻上清三郎が莫大な遺産と遺書を遺して死んだと」
「死因自体は老衰だけど、矢っ張り自分の死期を悟ってたのか遺書に関しては用意周到だったのよね。鴻上家って、3人の娘というか――私から見て姑に当たる人が3人いるのよ。名前はそれぞれ鴻上猪子、鴻上鹿乃、そして鴻上胡蝶っていうの」
「猪鹿蝶か。――いや、考えすぎだな」
「まあ、3人の名前の由来は恐らく花札の役である猪鹿蝶でしょうね。それはともかく、遺産の相続権は当然この3人以外にもある訳なんだけどさ、それが私の旦那――鴻上敏彦なのよ」
「なるほど。――鴻上敏彦って、鴻上製薬においては新薬の開発に携わっている人物なのか。年齢は35歳だから、3歳上になるんだな」
「そうよ。――互いに年取ったわね」
当たり前の話だが、僕にせよ鴻上沙織にせよ、年齢は32歳という微妙な年頃である。この世代はなんというか――格差が激しい。鴻上沙織のようにセレブと結婚して成功している人間もいれば、僕のように結婚もできずに毎日をダラダラと過ごしている人間もいる。まあ、僕はこの年になっても結婚を望んだことはないし、今後も結婚するかどうかは未知数である。ただ、両親からは「孫の顔を見せてほしい」と言われているので、正直焦っている。
将来の伴侶を探すためにマッチングアプリの登録も考えたが、僕は――自分の性格に対して致命的な欠点を抱えていた。それは極度の人見知りというか対人恐怖症であり、なんというか――鴻上沙織のように信頼できる人間じゃないとこうやってまともに話をすることができないのだ。だから、就活も失敗したのだろうか。
とはいえ、矢張りコミュニケーションを取らなければ人間は生きていけない。例えば、新作小説を出すためには講談社の担当者とビデオチャットをしなければならない。別にメールのやり取りでもいいのだけれど、会社の方針としては矢張り面と向かって話し合うことを推奨しているらしい。正直言って、僕はこのビデオチャットが苦手である。自分の汚い部屋はバーチャル背景で誤魔化せるが、容姿と声までは誤魔化せない。――昔はわざわざ本社まで出向いていたことを考えると、こうやってビデオチャットで完結できる世の中はありがたいのだけれど。
思えば、未知の疫病騒ぎがあってからこの世の中はデジタル化が進んだ。オフィスへの出社は最低限に留められるようになって、学校は遠隔授業用のタブレット端末が必須になり、そしてビデオチャットで遠方のクライアントとのやり取りができるようになった。僕が就活していた頃にこれらのことが実現出来ていたら、多分就活は失敗せずに普通の会社でシステムエンジニアとして働いて、そして普通に結婚もできていたのだろう。ただ、「小説家になる」というふざけた夢を持つことなんてなかったのは確かだろう。――別に、「小説家になる」という夢を持ったことについて後悔はしていない。
そんなことを思いつつ、鴻上沙織は話を続ける。
「それでね、敏彦さんに分配される遺産の総額は、一応全体の5パーセント程度なのよね」
「5パーセントか。案外少ないな」
「って思うじゃん? 清三郎さんが遺した遺産の総額って――100億はくだらないらしいのよ」
「ひゃ、100億!? それって年末ジャンボが10回当選するのとほぼ同じ金額だよな。そこから5パーセントだとしたら――5億円が鴻上敏彦の手元に入るってことなのか」
「そうなるわね。――でも、件の3姉妹と比べると少ない金額であることに変わりはないわ」
「3姉妹はどれだけもらえるんだ?」
「うーん、だいたい1人あたり20億ってところかしら。20億×3で総額60億ってところだわね」
「20億ずつ分配されるんだったら、それで解決できるだろう」
「そうは言うけどさ、矢っ張り――女って厄介な生物だからさ、争いが絶えないのよ」
「つまり――遺産の横取りってことか」
「そういうことよ。――ミステリ小説だとよくある展開だわね」
遺産の横取り。――日本の古典的なミステリ小説においてはよくある争い事である。
横溝正史が『犬神家の一族』を世に出したときから「遺産の奪い合い」というのは永遠のテーマであり、そこにはドロドロの人間ドラマが絡みつつ次々と遺産目当ての人間が殺害されていくという生々しい描写がなされている。そして、そういう小説に登場する家族というのは旧来の家族であり、そこから生まれる悲劇が――読者の共感を呼んでいる。
当然だけど、鴻上家もそういう「旧来の家族」なのだろう。僕はそう思った。そして、鴻上沙織にあることを聞いた。
「沙織、少しいいか?」
「冬ちゃん、どうしたのよ?」
「あの、遺産って――現金以外に何かあるのか?」
僕がそう言うと、鴻上沙織は――何かを思い出したような顔をした。
「あっ、そう言えば『宝石のようなモノ』を自分の子供たちに渡してたわね。それは3姉妹だけじゃなくて、敏彦さんも受け取ってたわ」
「それ、見せてもらえないか?」
「いいわよ?」
そう言って、鴻上沙織は自分のスマホの画面を僕に向けてきた。スマホの画面には、赤色の宝石のようなモノが表示されていた。
「宝石か。――ルビー?」
「そうねぇ……私はそういうのに詳しくないけど、鑑定士に見せてもらったら一発で分かるような気がするのよね」
「鑑定士の友人でもいるのか?」
「流石にそこまでの友人はいないわよ。でも、なんとなくこの宝石が――鴻上家の遺産争いに絡んでるような気がするのよね」
「なるほど。――その写真、僕に送信してくれ」
「オッケー。――送ったわよ?」
鴻上沙織がそう言うと、僕のスマホのメッセージアプリに写真が送信されてきた。それにしても、この宝石は恐ろしいほど真っ赤な色をしている。
世の中には「ホープ・ダイヤモンド」という青いダイヤモンドがあるという。そのダイヤモンドは「持ち主を不幸にする」という言い伝えがあり、あまりにも不幸が続くので現在ではアメリカのスミソニアン博物館に封印されている。ちなみに、タイタニック号が沈没した原因も「ホープ・ダイヤモンドが積載されていたから」という噂があるが、それはとある有名なハリウッド映画における監督の脚色である。
そもそも、ダイヤモンドは炭素でできた無色透明の宝石であり、「青いダイヤモンド」ということ自体があり得ない。最新の研究結果で「ホープ・ダイヤモンドにはホウ素が含まれている」と判明したが、ホープ・ダイヤモンドをダイヤモンドとするかどうかは審議の対象となっている。
そして、鴻上家に伝わる宝石は――ルビーというよりもダイヤモンドに近いモノだった。なんというか、鮮血が凝固してそのままダイヤモンドになったような色をしていた。
仮に、鴻上家に伝わる赤い宝石がダイヤモンドだとしたら、これは――科学的にあり得ない代物だ。しかし、宝石の形はどう見てもダイヤモンドのソレである。所謂「ダイヤモンドカット」という可能性も考えられるが、それにしては――出来すぎている。この宝石が遺産争いとどう関係あるかは分からないが、多分――鴻上清三郎のことだから、何らかのメッセージを遺したかったのだろう。
とりあえず、赤い宝石のことは置いておいて――僕は話を続けた。
「それで、これからどうするんだ?」
「うーん、とりあえずウチまで来てくれるかしら?」
「ってことは、鴻上家に行くのか」
「そうよ。――ちなみに、家はここだから」
そう言って、鴻上沙織は自分のスマホの地図を指差した。そこは六麓荘の頂上であり――芦屋の中でも超が付く高級住宅街である。いくら僕が芦屋在住と言っても、到底縁がある場所ではない。
そんな場所に、僕は行くのか。いくら友人の頼み事と言われても、僕は信じられない顔をしていた。今の僕の身なりは、夏物のミリタリージャケットの下に、大きな髑髏がプリントされた黒いTシャツ。――とても芦屋に住んでいる人間の格好ではない。それでも、鴻上沙織は僕を赤いアウディの中に連れ込んだ。そして、エンジンボタンを押して――車は発進した。ちなみに、スタバのコーヒー代は割り勘で支払った。
*
芦屋駅から六麓荘までは、車で10分ぐらいだろうか。カーナビのオーディオからはFM802が流れていたが、トークの後に流れていた曲の1コーラスが終わる前に車は鴻上邸へと辿り着いてしまった。
それにしても、鴻上邸は大きい。さすが大手製薬会社の経営者の邸宅だけある。鴻上沙織が自分のICカードをカードリーダーに翳した上で、漸く邸宅の門が開いた。
門の向こうには――日本に似つかわしくない洋風の邸宅が建っていた。これが鴻上邸なのか。なんというか、「ヴァンパイアの棲家」のようなゴシック調の邸宅だったことは確かである。多分、鴻上清三郎の趣味なのだろう。
口を開けて邸宅を見ていると、鴻上沙織が肩を叩いた。
「あら、そんなにこの家が珍しいの?」
僕は、鴻上沙織の質問に答える。
「当然だ。芦屋どころか――日本でもこんな邸宅はお見えにかかれない。本来ならスマホで邸宅の写真を撮影したいが、プライバシー的にマズいな」
「そうね。身元が割れる危険性もあるし、撮影はやめたほうがいいと思うわ」
そんなことを話しつつ、僕は鴻上邸の中へと入っていった。玄関からして――日本の邸宅とは思えない。雇われのメイドがいることからも、それは明らかである。
僕の姿を珍しがったのか、メイドが声をかけてきた。
「あら? 沙織ちゃんのお友達かしら?」
僕の代わりに、鴻上沙織が質問に答えた。
「そうです。えっと、名前は――冬月絢華っていいます」
「冬月絢華ちゃんね。――私は鴻上家でメイドとして雇われている沢木悦吏子よ」
僕は、沢木悦吏子と名乗ったメイドから握手を要求された。仕方がないので、僕は彼女の手を握った。彼女の手は荒れていて、長年この家でメイドとして従事してきたことを証明していた。まあ、彼女の見た目は「ステレオタイプ的なメイド」ではなく――少しふくよかな体格で、なんというか、「優しい大阪のおばちゃん」といった感じだったのは確かだ。多分、彼女は遺産争いとは無関係だろう。
それから、僕は――応接間と思しき場所へと通された。なんだか、妙に居心地が悪い。
応接間の中で、僕は鴻上沙織と話をした。
「とりあえず、猪子さんに紅茶とクッキーを持ってきてもらうように頼んだから」
「ありがとう。ただ、僕は――知っての通り紅茶よりもコーヒーのほうが好きだ」
「そうだったわね。大学でもずっと缶コーヒーばかり飲んでたもんね」
「ああ、そうだ。『コーヒーは体に悪い』と言うが、僕はどうやらカフェイン中毒らしい」
「アハハ、それは言い過ぎよ」
そんなしょうもない話をしているうちに、応接間の戸が開いた。――猪子さんがクッキーと紅茶を持ってきてくれたのだ。
鴻上沙織が、猪子さんを紹介する。猪子さんの見た目は、姑にしては優しそうというか――特に沙織を妬んでいる様子はないように見えた。
「この人が、鴻上3姉妹の長女――鴻上猪子よ」
猪子さんは、僕に向かって快活そうに話す。
「沙織ちゃんは、敏彦にとって良いお嫁さんだと思っています。もちろん、私は姑として沙織ちゃんに接していますが、特にこれと言ったトラブルはありません。――別に、建前で話している訳じゃありませんよ?」
「ああ、それは分かっている。――それで、清三郎さんから遺産はどのぐらい相続されたんだ?」
僕がそういうと、猪子さんはあっさりと質問に答えてくれた。
「沙織ちゃんから聞いている通り、私は清三郎さんの遺産から20億円を相続しました。それと、この赤い宝石――ダイヤモンドかしら? とにかく、清三郎さんから相続したのはこれだけです」
「なるほど。――猪子さん、あなたの妹さんはどれぐらい遺産を相続したんだ?」
「――残念ですが、その質問にはお答えできません」
僕の質問に対して、猪子さんは――青褪めた表情を見せていた。矢張り、都合が悪いのか。
「そうか。――それなら、改めて2人の妹さんに同じ質問をしてみようと思う。それで何かが分かるのなら、僕はそれでいい」
僕の話し言葉に対して不思議そうに思ったのか、猪子さんが疑問をぶつけてきた。
「ボクちゃん、どうして女の子なのにそんな喋り方なの?」
「ボクちゃんか。――ああ、名前を言い忘れていたな。僕の名前は冬月絢華だ。一応、これでも小説家という仕事に就いている。僕がこういう喋り方をするようになった理由は――正直言って、分からない。でも、気づいたら『僕』は『僕』だった。『私』でも『アタシ』でもない」
僕がそう説明すると、猪子さんは――納得した表情を見せていた。
「なるほどねぇ。色々と理由があるみたいだけど、絢華ちゃん、中々面白そうな子ですね。私は気に入りました」
こういうの、何ていうのだろうか? ――万事休す? とにかく、僕は自分のことを他人に知られるのが嫌だったので、一先ずは事なきを得たというか、難を逃れた。多分、そんな感じだろう。
それから、猪子さんは応接間から踵を返した。どうやら、鴻上沙織と2人だけになりたいという空気を読んだらしい。
完全に猪子さんの姿が消えた所で、鴻上沙織は漸く口を開いた。
「――さっきの話、嘘でしょ?」
僕の答えは、分かっていた。
「ああ、90パーセントは嘘だ」
「そんなことだと思った。――言われてみれば、冬ちゃんが自分のことを『僕』と呼んでる理由を知らなかったわ。どうして『私』とか『アタシ』じゃなくて『僕』なのよ?」
「その件については――話すと長くなる。それでもいいか?」
「そう……。じゃあ、また今度ね。どうせ大した理由じゃないでしょうし」
確かに、鴻上沙織が指摘する通り「僕」が「僕」である理由は――大した理由じゃない。でも、大した理由じゃないからこそ、回りくどい説明が必要なのだ。今はまだその時ではない。
*
それから、僕は鴻上沙織から鴻上家の家系図を見せてもらった。鴻上家はよくある旧来の家系であり、戦前は「鴻上財閥」として関西で名を馳せていたらしい。しかし、戦後の財閥解体のドサクサの中で製薬事業である鴻上製薬だけが残った理由は――彼女にもよく分かっていない。
・鴻上家当主 鴻上清三郎(故人)
・清三郎の妻 鴻上サナヱ(89)
・清三郎の子 鴻上英治(65)
・英治の妻 鴻上美智子(61)
・英治の子/長女 鴻上猪子(45)
・英治の子/次女 鴻上鹿乃(38)
・英治の子/長男 鴻上敏彦(35)
・英治の子/三女 鴻上胡蝶(31)
・愛犬 鴻上ココア(?)
愛犬であるココアちゃんはともかく、いかに鴻上英治という人物が子沢山だったかは言うまでもない。そして、清三郎は自分の子供を――コネというか、縁故就職というカタチで鴻上製薬に就職させている。これは所謂「一族経営」であり、最近では就活におけるトラブルの元にもなっている。スマホで鴻上製薬の企業情報を見ると、現在のCEOは鴻上英治となっており、このまま行けば新薬開発事業部の敏彦が次期CEOになってもおかしくはない。――だから、自分の血筋を後世に残すために鴻上敏彦は藤崎沙織という伴侶を得たのか。
僕は、鴻上沙織に対して――少々聞きづらいことを聞いた。どうせ、この部屋には女性2人だけしかいない。
「そうだ。沙織――もしかして、妊娠しているのか?」
しかし、彼女は――それを否定した。
「してないわよ。というか、嫁いで2ヶ月も経ってないのにそういう行為をするほうが間違ってるわよ」
「――それはそうか。すまなかった」
矢張り、鴻上沙織と鴻上敏彦の間に肉体関係はまだないらしい。肉体関係がないということは、当然妊娠もしていないのか。――じゃあ、何のために鴻上敏彦は結婚をしたんだ? 正直言って、僕にはそれが分からなかった。
そして、噂をすればなんとやら――応接間に、鴻上敏彦と思しき男性が入ってきた。鴻上敏彦は、切りそろえられたセンター分けの髪に眼鏡といういかにも「インテリ」のような見た目をしていた。
鴻上敏彦が、僕の姿を見て――ある質問をした。
「沙織、そこにいるのは――探偵なのか?」
「敏彦さん、この人は探偵なんかじゃありません。ただの――親友です」
「親友? どう見ても男性だが……もしかして、沙織――私のことが気に入らないのか!?」
誤解される前に、僕は敏彦さんに挨拶をした。
「僕は――男性なんかじゃない。こう見えて、『冬月絢華』という立派な女性だ」
「ああ、そうでしたか。すまなかった。――確かに、わずかに胸に膨らみがあるな」
「ほんの僅かだけどな。お陰で学生時代は『まな板』といじめられていた」
「なるほど。――コホン。ともかく、君が探偵じゃなくて良かったよ。最近、この家に関する『不穏な噂』を耳にしていたからね」
不穏な噂――矢張り、相続トラブルに関することなのか。僕は鴻上敏彦にそのことを詳しく聞いた。
「その――不穏な噂って、一体なんだ?」
「ああ、矢っ張り気になるのか。君は怪しい人じゃなさそうだし、詳しく説明しても良さそうだな」
「――説明してくれ」
それから、鴻上敏彦は鴻上家にまつわる「不穏な噂」について説明してくれた。
「とりあえず、これを見てほしい。これは――所謂脅迫状と呼ばれるモノだ」
「脅迫状?」
鴻上敏彦が言う「脅迫状」は、昔ながらの新聞の切り抜き――ではなく、単純にテキストエディタで編集してから印刷したようなモノだった。
――鴻上家の遺産は私が頂く。
――他の人間には譲らせない。
――それが出来なければ、鴻上家を皆殺しにする。
「という訳だ。送り主は全くもって不明。ただ、鴻上家に対して血縁関係を持っている人間であることは間違いない」
「となると、犯人はこの家系図の中にいるのか?」
「それはどうだろうか。少しでも血縁関係を持っていたら、その時点で鴻上清三郎の遺産を継承することは可能だからな」
「なるほど。まあ、この件に関してはオフレコにしておく。――とはいっても、恐らく既にバレていると思うが」
仮に、脅迫状の送り主がこの家系図の中にいなければ――矢張り、部外者による脅迫なのか。そう思った僕は、念のために――消印を確認してもらった。
「脅迫状の消印はどうなっているんだ?」
「えーっと、『大阪府堺市』になっているな」
大阪府堺市か。――そういえば、鴻上製薬の本社は堺市だったか。僕はそのことについて指摘した。
「堺なら、鴻上製薬の本社機能がある場所だな。犯人は、そこから脅迫状を送付したのか」
「ああ、その可能性は考えられるな。多分、脅迫状の送り主はカモフラージュを施したんだ」
ということは、遺産の横取りを狙っている犯人は、矢張りこの家系図の中にいるのか。それとも――家系図の外の人間なのか。いずれにせよ、鴻上家の中で殺人事件の気配があることは事実だろう。
僕と鴻上敏彦が色々と考えを張り巡らせているうちに、鴻上沙織が口を挟んだ。
「冬ちゃん、少しいいかしら?」
「どうしたんだ?」
「ちょっと、この件に関して思う節があるのよね。ああ、もちろん私は脅迫状を送ってないわよ?」
「それは分かっている。そもそもの話、沙織は依頼主じゃないか」
「そうね。――私、この家に嫁いだ時からある『違和感』を覚えていたのよね。何ていうんだろう? 今流行りの映画じゃないけど、『この物件、何か変』とかそういう感じなのよ」
「変? 具体的に教えてくれ」
「一応、これが私の部屋というか、敏彦と私の私室なんだけど――色々とおかしな点が多いのよね」
そう言って、鴻上沙織はスマホの画面を見せてきた。画面には、彼女の私室が映し出されている。特に変わったところはないが――あれ?
僕は、思ったことを鴻上沙織に指摘した。
「ガラス窓に、2つ並んだベッド。机にはそれぞれのパソコンが置いてあって、多分、新薬の研究を行っているのだろう。でも、この部屋って――本来はそういう私室として使われていた部屋ではなさそうだ」
「それって、どういうことよ?」
「――これは僕の考えだが、この部屋はもともと『閨』として使われていたモノだろう」
「閨? それってもしかして……」
「ああ、そういうふしだらな行為というか、生命の儀式を行うための部屋だ。恐らくだが、鴻上清三郎は正室の他に妾と呼ばれる女性を多数抱えていたのだろう。――多分、鴻上清三郎という人物は自分の子孫を残すためならそういう行為を厭わないような人だったんだろうな」
僕がそう言うと、鴻上沙織は――ドン引きした。
「な、なんなのよ……それ……」
「そういうことだ。――まあ、昔ながらの家系なら仕方のないことではあるのだけれど」
僕の考えだと、恐らく――鴻上清三郎はあの3姉妹とも肉体関係を持っていたのだろう。それは所謂「近親相姦」と呼ばれるモノであり、本来ならあってはならないことでもある。しかし、財閥というか、そういう類の家系に関していえば「暗黙の了解」としてまかり通っていたのだろう。
僕は、鴻上沙織に対して――あることを告げた。
「だから、沙織――離婚するなら今のうちだ」
「でも、私は敏彦さんに対して恋愛感情を持った上で結婚したのよ?」
「そうなのか。――そういえば、馴れ初めを聞いていなかったな」
「そうね。聞く?」
「ああ、よろしく頼む」
そう言って、鴻上沙織は敏彦との馴れ初めを語りだした。
「えっと、私――知っての通り豊岡でお父さんの仕事を手伝ってたのよね。とはいえ、私のお父さんは内科の開業医だから――手伝えることと言っても、限られてたんだけど。それで、調剤に関して言えば鴻上製薬と取引があった訳。何ていうんだろう? 大型顧客ってヤツ?」
「大型顧客か。それなら、鴻上敏彦と面識があるのも分かるな」
「そうね。――そして、ある時私は敏彦さんと出会ったのよ。仕事中に見た敏彦さんの見た目に惚れた私は、度々プライベートで付き合うようになったの。流石に豊岡じゃデートできるような場所はないから、デートの場所は専ら神戸が多かったんだけどさ」
「その件に関して、沙織の父親は何か言わなかったのか?」
「言ってないわよ? でも、思えばあの頃から薄々感づいてたかもね。結果的に婚約を認めてもらったのがその証拠よ」
「まあ、それならいいんだ」
「それで、敏彦さんと結婚して現在に至るって訳。交際期間はだいたい1年から2年ぐらいだったかしら?」
交際期間が1年から2年の間――まあ、普通のカップルの交際期間と同じぐらいか。それで鴻上沙織が幸せなら、僕はそれでいい。
*
その後も鴻上家について色々と聞いたが、特にこれといった情報を得ることはできなかった。
「冬ちゃん、私から言えることはこれぐらいよ。後は追々調べていくことにしましょ」
「そうだな。――そろそろ、帰っていいか?」
「そうは言うけど、まだ全員と顔を合わせてないじゃないの。今、夕食の支度をしてもらっているところだから、その時に顔を合わせるのもアリだと思うわ」
「もしかして、夕食の席に同行していいのか?」
「いいわよ? 多分、猪子さんは悦吏子さんに『冬ちゃんの分の夕食も用意してほしい』と伝えてあるだろうし」
――そうなのか。最初から、鴻上沙織はこういうつもりで僕をこの屋敷の中へと誘ったのか。なんか、僕は彼女にしてやられたといった感じだ。もしかしたら、彼女は僕を信頼しているが故に、「自分を殺人鬼から守ってほしい」と懇願したのか。それなら、上等だ。
そういう訳で、僕は――鴻上邸の客室へと案内された。あの、僕の家って六麓荘の近所なんだけど。
仕方がないので、夕食の席に呼ばれるまで、僕は持ってきたダイナブックで原稿の続きを書くことにした。――矢っ張り、あのドッペルゲンガーに引っ張られているな。それは僕の心の弱さが露呈したモノなのか。仮にだが、ドッペルゲンガーが自分の心を乗っ取って不可解な行動を起こすということはあり得るのだろうか? いや、それはないか。
ふと、客室の鏡台に目を向ける。当然だけど、鏡に映った僕以外に誰もいない。いるはずがないのだ。
黒いショートヘアに、華奢な体つき。それが「僕」というモノを作り上げているのか。辛うじて、胸に乳房と思しきモノが膨らんでいるだけで、僕は生物学上で「女性」だと判別される。しかし、周りは僕のことを「男性」だと思っている。それは僕が内気で陰気な性格をしているからなのか。
鏡に映った自分に触れてみる。当然だけど、鏡は冷たい感触なので――人の肌に触れる感触ではない。顔を見ると、相変わらず無愛想な表情をしている。もっと、笑うことは出来ないのか。――いや、笑おうとと思ったことがない。僕は昔から「笑顔」を作ることが苦手なのだ。多分、冬月家としてのプレッシャーが僕をそうさせたのか。故に、周りからも「絢華は無表情だ」と言われることが多い。別に、僕が無表情であることで周りが損をする訳じゃないし、笑った所で――「ブサイク」と言われるのがオチだ。
僕しかいない部屋は、当然ながら風の音しか聞こえない。他に聞こえる音があるとすれば――自分の心臓の鼓動だろうか。
そう思った僕は、乳房の間――胸に手を当てた。確かに、心臓が脈を打っている。これが、生きている証なのか。その状態で目を瞑ると、より一層心臓の鼓動を感じることができた。視界が遮断されているから当たり前だろうか。
――誰だ? 遮断されているはずの視界に、あの時のドッペルゲンガーが見える。
ドッペルゲンガーは、僕に話しかけてきた。
「どうやら、『自分が生きている理由』を見出だせたようだな。その調子だ」
僕は、ドッペルゲンガーの言葉に――反論した。
「別に、僕はそういうつもりで生きている訳じゃない。今すぐにでも死にたいぐらいだ」
「そうなのか。――でも、僕は『死にたい』とは思わない」
「『死にたい』とは思わない? じゃあ、どうしてあの時『死にたい』と願ったんだ?」
僕がドッペルゲンガーに対して疑問をぶつけると、彼女は――意外な答えを返した。
「それは、あなたが『死にたい』と思っていたからだ。でも、頸動脈を押さえつけたことによって自分の中で『死にたくない』という願望が見つかったのでは?」
ああ、確かにそれは正論かもしれない。あの時、ドッペルゲンガーの頸動脈を押さえつけたことによって、僕は――息ができなくなるほど苦しくなった。それは、自分が「生きている」からなのか。それとも、別に理由があるからなのか。いずれにせよ、僕はあの時の幻覚を境に「死ぬこと」を一旦忘れることにした。
ドッペルゲンガーは、話を続けた。
「仮に、『僕』という存在がもう一人の『僕』だとしたら――あなたはどうする?」
「それは――答えられない。でも、君はもしかしたら『僕の心の中に眠っているもう一人の自分』かもしれない。それは感じている」
「そうか。――そろそろ、夕食の支度ができる頃だろう。僕はこれで失礼する」
そう言って、ドッペルゲンガーは僕の視界から消えていった。――一体、何なんだ?
*
ドッペルゲンガーが言ったことは、本当だった。幻覚が消えると同時に、鴻上沙織が僕を呼んできてくれたのだ。曰く「そんな所で何をボーッとしてんの?」とのことだった。――当然、ドッペルゲンガーのことなんて言えるはずがない。
食堂には、沙織を含めた鴻上家の面々が集まっていた。――部外者の僕としては、なんだか申し訳ない気分だ。
テーブルに盛られたローストビーフを食べつつ、次女の鴻上鹿乃が僕に話しかけてきた。
「へぇ、小説家ねぇ。――面白そうな職業じゃないの?」
「確かに、僕は小説家だが――そんなに稼ぎが良いとは思えない。むしろ、売れない小説家だ」
「あらあら、そんなに謙遜しなくてもいいのよ? こう見えて、私もミステリが好きだからねぇ」
鴻上鹿乃は、アッシュピンクの髪にポニーテールという見た目をしていた。製薬会社に勤務している人間の容姿ではないが、鴻上製薬では事務員として働いているとのことだ。
僕は、彼女に対して沙織のことを聞く。
「それで、鹿乃さんは――僕の友人のことをどう思っているんだ?」
「友人? ああ、沙織さんね。彼女、意外と『デキる』って感じかしら? なんというか、敏ちゃんのためなら何でも尽くすってイメージがあるのよねぇ。もちろん、悦吏子さんの手伝いもきちんとやってくれるわよ?」
鹿乃さんから見ても、鴻上沙織という人物は好印象だったようだ。――矢張り、沙織の命が狙われているというのは彼女の勝手な思い込みなのか。
しかし、同様の話を三女――鴻上胡蝶に振ると、態度が一変した。
「沙織? ああ、出来損ないのクソビッチね。アタシ、アイツのことが嫌いなのよね。どうして敏彦さんが惚れたのかよく分かんないわ」
当然だけど、敏彦さんは妹――胡蝶を止める。
「胡蝶、それは言いすぎだ。それに、身内に向かって『クソビッチ』はないだろう。その口を慎んだ方がいい」
鴻上胡蝶は、なんというか――長い髪に機嫌の悪そうな顔をしている。食事中にも関わらず煙草を吸っていて、ナメた態度をしていた。当然だけど、その態度の悪さは見事に口に出ている。猪子さんと鹿乃さんが沙織に対して好印象を持っている分、僕は胡蝶さんの態度の悪さが余計と気になってしまった。
その後も、食事の席は賑やかだった。僕という部外者というか、来賓者がいたから当然だろうか。ちなみに、その日の献立は――ローストビーフと生野菜のサラダ、そして焼き立てのパンだった。猪子さん曰く、「この料理はすべて悦吏子さんが朝から仕込みを行っている」とのことだった。今の日本でも、そういう家事を専門に行うメイドっているのか。まあ、そもそもの話、鴻上家という存在が――今の世の中において特殊な存在である。それは確かだった。
やがて、食事が終わると――コーヒーと紅茶が出された。当然だが、僕はコーヒーを出してもらうようにお願いした。
コーヒーを飲みつつ、僕は鴻上美智子と話をした。
「美智子さん、清三郎さんが亡くなった時は――どういうリアクションだったんだ?」
「そうねぇ……。一家の長が死んだのはショックだったわよ。でも、人間っていつかは死ぬものだと思っているから、私は死に対する覚悟は決めてるわよ」
「なるほど。『死に対する覚悟』か……」
「冬月さん、どうされたの?」
僕が意味深なことを言ってしまったからか、美智子さんが怪訝な表情をする。
「いや、最近――『自分が生きている理由』がわからなくなる時があるんだ。要するに、『死にたい』と思う感情が強い」
「そうですか。――まあ、清三郎さんの遺産と意思は我々鴻上家で受け継ぐつもりよ。もちろん、その中にはあなたのお友達である沙織ちゃんも入ってる。それは安心していいわ」
矢張り、鴻上胡蝶を除けば――藤崎沙織という人物は鴻上家で受け入れられているようだ。そして、鴻上家の間で清三郎の遺産を奪い合うような雰囲気は見受けられない。でも、僕は――どうしても敏彦さんの元に送りつけられてきた脅迫状が気になる。一応、スマホで脅迫状は撮影したが、それだけじゃ意味がない。ここは、団欒の席で見せるべきか。
覚悟を決めた僕は、皆が集まっているという状況で――脅迫状についての話をした。
「こんな団欒の場で話すようなことじゃないけど、実は――僕がここに来たのは、鴻上沙織からの依頼だったんだ」
真っ先に反応したのは、鴻上鹿乃だった。
「あら? どうされたのかしら? 詳しく説明してちょうだい」
「分かっている。今から説明しようと思っていたんだ。とりあえず、この手紙を見てほしい。これは、敏彦さんに送られてきた脅迫状だ。なんでも、脅迫状には『遺産の横取り』と『一家の皆殺し』が書かれていた。僕の考えだと、これは――殺人事件の予兆かもしれない」
僕がそういうと、鴻上胡蝶は――鼻で笑った。
「フン、そんなの嘘に決まってるわよ。ミステリ小説の読みすぎなんじゃないの? とにかく、アタシは先に部屋へと帰らせてもらうわ。虫唾が走るのよ」
鴻上胡蝶は、煙草を吸っている。矢張り、彼女はヘビースモーカーなのか。そして、煙草を吸い終わって紅茶に口を付けた瞬間だった。
「――う、うぐっ!」
彼女は、突然藻掻くように苦しみ――泡を吐いてその場に倒れた。
「ちょ、ちょっと……胡蝶さん!?」
鹿乃さんがそう言ったところで、僕は――咄嗟の判断で110番通報をした。
「とりあえず、警察は呼んだ。みんな、しばらく待っていてくれ」
僕がそう言うと、沙織が――口を開いた。
「冬ちゃん、警察を呼んだってことは――矢っ張りこれって殺人事件なの?」
「ああ、間違いない。これは――殺人事件だ」
「じゃあ、あの脅迫状の文言って……」
「恐らく、犯人は最初から鴻上家の遺産を横取りするつもりだったんだ。当然だけど、沙織はシロだと思っている。それは安心してくれ」
「そうね。いくら立志舘大学のミステリ研究会に在籍してたと言っても、実際に殺人事件を起こすことはお門違いだと思うわ」
「――じゃあ、僕の推理に協力してくれないか?」
「もちろんよ? こう見えて、冬ちゃんの推理力を買ってるからね」
「ああ、こうやって実際に殺人現場に立ち会うことは初めてだが――なんとかやってみようと思う」
「期待してるわよ?」
別に、僕は――探偵じゃない。ただの小説家でしかない。でも、ミステリを専門に書いている小説家ということで、推理は――得意な方である。流石に京極夏彦や舞城王太郎みたいなぶっ飛んだミステリは推理できないが、綾辻行人や有栖川有栖ぐらいなら読みながら推理することだってできる。
まず、鴻上胡蝶はなぜ殺害される必要があったのか。死亡時の状況から考えて、死因は恐らく毒殺だろう。となると、矢張り――煙草か紅茶の中に毒を仕込んだのか。でも、あの状況下で毒を仕込めるのは――メイドである沢木悦吏子しかいない。彼女は鴻上家の人間ではないので、鴻上家の人間を殺害する要素はどこにも見当たらない。
ならば、犯人は鴻上家の中にいるのだろうか? そう思った僕は、改めて――家系図を見た。よく考えると、鴻上敏彦以外の人間は、独身だな。まあ、鴻上敏彦は男性であって、3姉妹は言うまでもなく女性だから――結婚に対して慎重になる理由は分かる。もしかしたら、3姉妹は何らかの事情があって結婚できないのか。例えば、近親相姦でキズ物になってしまったとか。――いや、考えすぎか。
色々と考えを巡らせた上で、僕は――ある一つの考えを持った。現時点でその考えが正しいとは言い切れないが、警察に話す分には十分だろう。
そうこうしているうちに、パトカーのサイレンが鳴った。――警察が来たのだ。
インターホン越しに、刑事と思しき人物が声をかける。
「私は兵庫県警捜査一課の警部、寺内武志です。こちらは鴻上さんの家で間違いないでしょうか?」
寺内武志と名乗った警部の質問に答えたのは、猪子さんだった。
「はい、間違いないです。――入ってください」
そう言って、猪子さんは門の解錠ボタンを押した。――こういう時って、内側から開けられるのか。
*
兵庫県警捜査一課の刑事さんがぞろぞろと中に入ってくる。なんだか、大事になってしまったな。果たして、この事件はどうなってしまうのだろうか? 今後のことなんてあまり考えたくないのだけれど、今は――考えざるを得ない。
やがて、刑事さんの1人が、僕に声をかけてきた。
「えっと、君――絢華ちゃん?」
――誰? 僕は困惑した。
「どうして、刑事が僕の名前を知っているんだ?」
僕の質問に対して、刑事は――自分の名前を名乗った上で答えた。
「ああ、僕は――鈴村阿須賀だ。ほら、立志舘大学のミステリ研究会の同期って言えばすぐに分かるはず」
――鈴村阿須賀か。確かに、立志舘大学ミステリ研究会で同期だったのは覚えている。別に、彼に対して恋愛感情を持っていた訳じゃないが、なんとなく僕は彼に信頼を寄せていた。――思い出した。
「ああ、思い出した。好きだったロボットアニメのパイロットみたいな名前だったからよく覚えている。――それにしても、阿須賀が兵庫県警の刑事になっているとは思わなかった」
「まあね。一応、僕の父親は兵庫県警捜査一課の刑事だったからさ、コネで警察官というか、刑事になったようなモノだよ」
「コネで刑事になれるんだったら、上等だ。僕ですら、なんの実力もないのに小説家になったんだから」
僕がそう言うと、鈴村刑事は――僕の黒歴史を暴露した。
「ああ、確か沙織ちゃんが『月極冬華』というペンネームで絢華ちゃんがボツにした同人誌の原稿をこっそりと講談社に送付したのは覚えてる。そうしたら――メフィスト賞だ。正直言ってビックリしたよ」
「そんなこと、別に覚えてなくてもいい。――コホン。まあ、僕は沙織のお陰で小説家になれたようなモノだ。その点では感謝している」
黒歴史のことはともかく、僕は――鴻上胡蝶殺しに関してある持論を述べた。
「ところで、鴻上胡蝶を殺害した凶器だが――僕は煙草に仕込んでいるんじゃないかと思って」
「なるほど。中々鋭い考えだな。一応、紅茶が入っていたカップと煙草について毒物が混入してないか調査しているところだが、少し時間がかかるらしい」
「そうか。――じゃあ、僕はどうすればいい?」
「うーん、そうだなぁ……。とりあえず、沙織ちゃんを呼んでくれ」
「彼女が何か関係あるのか?」
「いや、特に関係がある訳じゃない。ただ――ミステリ研究会のメンバーとして、少し気になっただけだ」
「ああ、そうか。――仕方ないな」
そういう訳で、僕は――鴻上沙織を鈴村刑事の元へと連れて来ることにした。それで何かが分かるかと思えば、何も分からないのが実情なのだけれど。