7話 推しを支える覚悟
拝啓、母さん。
俺はスマホに映る自分の銀行口座に、2000万円が振り込まれたのを見届けています。
これは夢なのでしょうか?
混乱しそうです。
ちょちょっーと簡単な契約書にサインして、ちゃちゃーっと推しに協力するだけで2000万円が手に入りました。
これで我が家の借金は帳消しです!
やっふうううううううううううううううううううう!
「ナナシ。これからしっかり働いてもらうわよ?」
「あっ、はい!」
俺は先程の紅茶を最低でも週5個、紅に納品する契約を結んだ。
売値は一つ100万円らしい。
★3の出来栄えの場合は一つ1000万円だそうだ。
紅は一杯200万円以上の価値があると豪語したものの、俺も彼女も冒険者に死んでほしくないといった思いがある。だから買いやすいよう、できるだけ価格を下げた。
それでも一杯100万円の紅茶は高級品すぎる。
そんなの売れるのか? と疑問に思ったがそこは大財閥の力を駆使して、宣伝やらブランディングやら上手くやるそうだ。
そんなわけで紅茶が一杯売れる度に、俺には50万円が入る仕組みだ。
100万円から50万円しか懐に入らないのか、と損した気分にはならない。
なにせ冒険者ギルドであれば5万~7万で買い叩かれた物が50万円だ。しかも安全に商売できる強い後ろ盾が得られたのだ!
納品したもの全てが売れると仮定すれば月収1000万円。
速攻でお金持ちになれそうだ!
「うーん……紅茶だけじゃ少し物足りないわね」
紅は諸々の手続きを終えて一息つく、なんてことはしない。
一杯100万円の紅茶を口にふくんだスペシャルアドバイザー兼ディレクター兼雇用主は、さっそく次の商売について思考を巡らせていた。
「あーそれは俺も思ってたところ。お茶請けというか、ちょっとしたお菓子が欲しくなるよな」
「わかっているのなら準備しておきなさいよ、気が利かない低能ナナシね」
うちのお嬢様は2000万円を振り込んだ後でも平常運転だ。
「さて、もう一つの業務もしっかりこなしてもらうわよ? 明日は近場の低級ダンジョンに入って配信をするわ」
「ダ、ダンジョン……」
「そんなに気負う必要ないわよ。初期街周辺のダンジョンは難易度がわりと低いものばかりよ。逆に日本に出現したダンジョンの方が危険よ」
「そ、そうか」
「千葉県にある【鈴木さんちのダンジョン】なんてひどかったわ」
紅はそれなりに場数を踏んでいるようなので、そこまで警戒しなくてもよさそうだ?
「じゃあ私はそろそろ変身時間が限界だから……また、明日の放課後ね?」
「ういー」
紅が帰ってからも、俺は【世界樹の紅茶】をいくつか作ってみた。
しかし、俺も今日は初めてのことだらけだったのでクタクタだ。
家に帰れば母さんはまだ仕事でいなかった。
妹たちも在宅ワークで何やら忙しそうにしていた。
なので家族と話す間もなく、俺は泥のように眠ってしまった。
◇
そんなこんなで、明くる日の放課後。
俺たちは【世界樹の試験管リュンクス】を出て、一面が青い砂漠へと冒険に出る。
この辺は【砂の大海】と呼ばれていて、砂から飛びだすキモイ魚に襲われたりしたけど、紅が手際よく倒してくれる。
なので俺はきるるんとしての彼女を撮影するのに集中していた。
まがりなりにも俺はきるるんのリスナー、きる民だ。
なればこそ、彼女の魅力がより多くの人に伝わるよう練習をしておくべきだ。
彼女が最も輝く瞬間、最も可愛いく映る画角を絶対に見逃したくなかった。
あ、や、べつに、私欲とか含まれてません。
これはお仕事です。はい。
「ついたわね」
「ここが……ゲーム時代と同じだけど、やっぱり実際にリアルで見ると圧巻だな……」
ダンジョン【地下砂宮ブルーオーシャン】。
青い砂漠が大口を開け、全てを飲み込まんとする見た目はできるだけ入りたくないと思わせてしまう。
ただの地下に通ずる洞窟、とは思えない。
冒険者たちを砂の海底に誘う、その神秘的かつ威容な景色はワクワク心と畏怖の両方を感じさせる。
「さあ、ナナシ。すこし声を出してみて」
「えっ? あーあー?」
きるるんは【地下砂宮ブルーオーシャン】を目の前にして、【記憶結晶】を何やらタップしている。
俺の視界と通ずる異世界産のUSBだ。
「んん、もうちょっと高音に調整すべきかしら。ほら、ナナシ! 発声して!」
「あーあーあーあー、これでいいか?」
「そうね、このぐらいかしら」
何やら納得したきるるん。
それから彼女は髪の毛や身だしなみを軽くチェックした後、しとやかな笑み浮かべる。
気品に満ちた姿勢、そして顔にはどこか闇を抱えていそうな薄幸の美少女ができあがる。
ほんの少しのピリッとした空気をまとわせ、だけどいつもリスナーたちに元気を届ける【手首きるる】が俺の目の前にいた。
「配信中はあなたのことをナナシちゃんと呼ぶわ」
「中学時代のあだ名を引っ張るなあ……」
「配信、始めるわよ? いいかしら?」
「お、おうっ」
俺の視界を通して推しの配信が始まる。
今更ながらその事実に緊張と興奮が走る。
「カウントダウン、スタート!」
紅と俺は見つめ合う。
【手首きるる】が、この幻想的な青い洞窟を背景に、1番映えそうな角度に調整する。
「5、4、3、2、1————」
俺が推しの配信に携われるなんて夢のようだ。
だけど、一人のリスナーとして————
【手首きるる】を布教したい。
【手首きるる】の魅力を少しでも多くの人に伝えたい。
だから、この配信を絶対に成功させたい。
そのためには冷静に状況を判断して、きるるんを映さなければ。だから個人的な欲求は消せ。全て、この配信のためになることをしろ。
そう、俺は何者でもない。
推しを影で支える名無しとなれ。
そんな気持ちを胸に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「君の手首もきるるーんるーん☆ 手首きるるだよー♪」
俺たちのダンジョン配信が————
推しと名無しのダンジョン配信が始まる。