2話 きるゆー【世界樹の試験管】
「おい、紅……これはどういうことだ?」
紅との雇用契約を結んだ俺は、あれからバイトの引継ぎに追われた。
それらをようやくクリアして、いざ紅の元でバイトを始めるに至ったのだが……。
「ゴキブリにはわざわざ口で説明しないとわからないのかしら? 政府の異世界課が管理している転送門よ?」
「それはわかる。異世界に繋がってるんだよな? でもこれって政府公認の冒険者証がないと入れないだろ」
「あるわよ? 私と、ゴキブリのも」
そう言って紅が手渡してきたのは、正真正銘の冒険者証だった。
ちなみに最下級のランクGと表記されている。
こいつ……いつの間に他人の冒険者証を発行してたんだ?
そもそも政府管轄の証明カードを俺の同意なく勝手に作れるものなのか?
色々とツッコミたくなったが……夕姫財閥のご令嬢であれば何かしら国家権力に手を出せそうな闇深さがある。下手に藪をつついて蛇が出たら嫌なので、ここはひとまず遠回しにジャブを放ってみる。
「これから冒険者として【異世界】に行こうとしているのはわかった。だが、俺の業務内容は紅と遊ぶ、だったはずだぞ。あと、動画編集……?」
「ゴキブリにもわかりやすく説明してあげるわ。約二年前に全世界で【異世界アップデート】という天災があったのは御存じ?」
「え、誰でも知ってるけど」
「ゴキブリも知っていたのね。さすがだわ」
笑顔で毒を吐く紅。
「その【異世界アップデート】はかつて大盛況だったVRゲーム、【転生オンライン:パンドラ】に出てくる様々な要素と似ている、と言われているわ」
「え、知ってるけど」
二年前。
謎の建造物やダンジョン、そしてモンスターが出現した時、世界は震撼した。同時に、当時絶大な人気を誇ったVRゲーム【転生オンライン:パンドラ】に登場する地名やモンスターの種類、魔法などが全く同じだったため話題にもなった。
さらに特定の人間にステータスが発現し、その全てが【転生オンライン:パンドラ】のプレイヤーだったことから……【異世界アップデート】とあのVRゲームは何らかの関係があると見込まれている。
「パンドラに行くのと、【転生オンライン】をプレイして遊ぶのも同じよ。おわかり?」
「おいおい、無茶苦茶だろ」
さすがに死ぬ危険性のある現実と、サービスが終了したVRゲームを一緒にするのはナンセンスだ。ましてやステータスがある人間なら冒険者として成り立つかもしれないけど、俺は————
「ゴキブリ。あなたも【転生オンライン:パンドラ】の元プレイヤーでしょう?」
「……どうしてお前が……知っている」
「そんなのはどうでもいいのよ。それよりステータスがあるなら、冒険者になっても問題ないわよ」
「そ、それは……」
ステータスを得た人間は、【転生オンライン】をプレイしていた時のキャラクターと同じものになる。さらに習得している【スキル】や【身分】などの変更が基本的にはできない、だった気がする。
そして俺の肝心のスキルや身分は……。
俺が【転生オンライン】をサービス終了前に辞めたきっかけを、紅に話す義理はない。
ステータスを持っているのに、冒険者になろうとしなかった理由も話す必要性はない。
だから、俺は静かに頷くだけだった。
◇
「うわああ……すごい景色だな……」
転移門をくぐると、そこは中学生だった頃の俺を夢中にさせたゲームの世界が広がっていた。
いや、臨場感や迫力を踏まえればそれ以上だった。
ゲーム内では四つある初期都市のうちの一つ、【世界樹の試験管リュンクス】。
「馬鹿でかい試験管が五つも連なって、しかもその中に都市があるとか斬新すぎるよなあ……」
俺は少しだけワクワクしていた。
色々と紅に不満はあるものの、やはりファンタジーっぽい風景に心躍らないと言えば嘘になる。
まずはビルと同等の高度を誇る巨大な試験管だ。その中に俺がいて、これまた巨大すぎる大樹が試験官を超えて生い茂っている。
「五つの試験管で世界樹を育ててるってか」
左右を見れば、俺がいる試験管の隣にも巨大な試験管がそそり立ち、同じように大樹が元気いっぱいに育っている。もちろん上を見上げれば、大樹の幹や枝に木造建築物が多種多様にあり、そこで多くの冒険者や異世界人が行き来している。
「試験管内の最下層にあたる部分は、水辺と世界樹の根っこ……ゲームと変わらないデザインだな」
現在俺は巨大な根っこの上に立っている。
まるで湖から生えた巨木と見間違えそうだけど、ようは巨大な試験管に水を入れ、さらに世界樹を差している状態がこの都市の真相だ。
やっぱりめちゃくちゃ世界観が面白い!
俺は歩きながら樹液など、採取できそうなものをそっと手持ちの瓶や鞄に入れてゆく。
だってせっかく異世界にきたなら、家族へのお土産にしなくちゃもったいない!
お得意の貧乏性が発動しているが気にしない。
おっ、なんか美味しそうな果実もなってるじゃないか。
り、林檎に似ている!?
「さて、ゴキブリ。業務連絡よ」
「あ、はい」
上がりかけたテンションを一瞬にして氷点下にしたのは、もちろん雇い主である紅だ。
「まず、一日二時間ぐらいは私と行動を共にすること」
「アバウトー……そして日勤たったの二時間で基本給80万とか、すごいなお嬢様は……」
「それと勤務中は私を見ること。正確には私をゴキブリの視界に映すこと」
「なぜ?」
「記録魔法————【あなたの瞳に思い出を】」
不意に紅の人差し指が明滅し、その光が俺の瞳に集束————
「うわっ! な、なにしたんだ!?」
「ゴキブリに記録魔法を発動したわ」
こいつ……魔法をすでにいくつか習得しているのか。
もしかしたらけっこうパンドラに来てたり、日本のダンジョンを攻略してたりするのか?
「で、こっちが【記憶結晶】よ」
「ああ……それが噂の異世界産USBメモリーか」
「あなたの瞳で見たものはこれから三時間、この【記憶結晶】に保存されるわ。これ、PCにも差せるし、そのまま配信だって始められちゃう優れものなのよ」
異世界産の物は飛びぬけてるな。
正確には異世界の素材と現代の科学の融合で、とんでも機器がいくつか発明されている。
なので異世界で取れる素材などは高額で取引きされることもあり、まさに一攫千金、冒険者ドリームなどと言われたりする。
それはそれとして————
「どうしてわざわざ俺の視界をカメラ替わりに……?」
「モンスターと戦うのに、カメラ片手にレンズを覗いてる余裕があるのかしら? 下手したら死ぬわよ?」
「なるほど……俺は紅の専属カメラマン的な仕事をするわけだ」
「そうね。それが基本的な業務よ」
それから紅はコホンッと咳払いした後、ほんの少しだけ頬を赤らめる。
「つ、続いて、録画した映像の中で……ゴ、ゴキブリが、私を1番可愛いと思った瞬間を切り取って動画編集しなさい」
「かわいい瞬間……?」
あまりにも唐突すぎる要望に俺は首を傾げてしまう。
するとなぜか紅はひどく顔を真っ赤にしながらまくしたてる。
「な、なによ。別におかしな事じゃないわ。私はVTuberとして活動するの。ゴキブリはその宣伝広報みたいなお仕事をするのだから、私の魅力をたっぷり愚民たちに味あわせるのよ」
「あ、はあ……」
紅の言葉を要約するなら、俺は紅がパンドラで過ごす動画や配信を撮影する。そして動画編集してYouTuboにアップするってところか。
そもそもVTuberをするなんて初めて聞いたんだけど、紅が言ってた事業ってVTuber関連なのか?
「私は近々VTuber事務所を立ち上げるから、その先駆けとして私自身がVTuberとして知名度を上げるわ。ゆくゆくはゴキブリにマネージャーみたいな仕事をやってもらう予定よ」
「なるほどなあ……ん、待てよ? VTuberで活動するなら生身の紅を映したらVじゃないだろ」
「言い忘れていたけど、私は魔法少女なのよ」
「まじか!」
これには少々、驚きだった。
中学から紅とは知り合いだったが、まさか彼女が魔法少女だとは夢にも思っていなかった。
何せ【冒険者】の台頭で、魔法少女の存在は希薄になったとはいえ、その希少性は30万人に一人ぐらいだ。
魔法少女を目の前にしたのだって初めてだし。
「しっかし魔法少女なら、わざわざVTuberやる必要なくないか? 普通に魔法少女として配信活動するとかどうよ」
魔法少女VTuberの推しがいる俺が言えた義理じゃないけど、実際に自分が制作陣に回ると色々見えてくるものがある。
まあ単純にめんどくさそうって理由で指摘してるのだが。
「これだからゴキブリは馬鹿ね。魔法少女は変身しないと一般人と変わらないステータスなのよ」
「知ってるが?」
「……冒険者はデフォで強い肉体でしょうけど、私たちは変身してる時だけなの。ずっとここで戦い続けるなんて無理だわ。変身を維持する魔力だってもたないもの」
「あっ……だから普段はVTuberとしてゲーム配信して活動したり、ああ、なるほど!」
「安全面の話なら他にも、私たち魔法少女は初期スペックからステータスが成長しないのよ」
「知ってるが?」
「変身してないターンを映してリアル顔バレした場合、もし誰かに襲われるようなことがあったら?」
「あっ……抵抗できない強さの冒険者だったりしたら、やばいかもな」
「視聴者やアンチ、ファンの中にそういった輩がいないとも限らないでしょ?」
「だから安全面を考慮してVの皮をかぶる、と……」
「他にも様々な理由があるけれど、とりあえずその認識でいいわ」
なんだか魔法少女ってやつは大変そうなんだな。
今度、推しのきるるんに応援の投げ銭をしよう。今は家計に余裕はないけど、紅から100万もらった後なら投げれる。
少しでもきるるんのためになればと思う。
「紅が魔法少女VTuberをやるのはわかった。どんな名前にするんだ?」
「名前ならすでにあるわよ。手首きるるってVTuber名がね」
「……メンヘラなの!? コンプライアンス的にその名前で大丈夫なの!? そもそも同じ名前の魔法少女VTuberがいるけど!?」
すでにいる魔法少女VTuberと名前が同じだとか、推しを愚弄するなとか、色々な意味合いを込めてツッコミを入れまくる。
しかし、紅は涼しい顔で俺の主張をいなす。
「手首きるるってVTuberは、私ただ一人だけど?」
「はっ?」
お前、何言っちゃってんの?
きるるんはお前とは大違いで、ちょっと過激で残虐なふりをした優しい元気っ娘なんだぞ。そのくせ、メンタルはよわっよわですぐにいじけて挫けて、それでも難易度の高いゲームに挑戦して、四苦八苦して、『クリアできたのはみんなが応援してくれたからよ!』とか言っちゃう最高に可愛い子なんだぞ!?
それでもって初期は登録者数100人に満たなかったものの、いまでは個人勢の中でもそこそこ有名でチャンネル登録者数10万人を超えた! 今度その記念にダンジョン配信を始めるってがんばってて——————ん、ダンジョン配信?
「あなたみたいなゴキブリには論より証拠よね————【魔法武装】!」
紅が煌びやかな光に包まれ、魔法少女特有の変身演出が派手に始まる。
可愛らしい衣装は、鉄をもひしゃぐ鎧。
つぶらで煌びやかな深紅の瞳は悪を許さぬ正義の後光。
しなやかに伸びる肢体はこちらの目が眩むほどに白く美しい。
黒髪から一新して、燐光をまとう紅玉色の長髪をなびかせる————
儚さを帯びた薄幸の美少女がドドーンと見参。
そして、お決まりのポーズをビシッときめる。
「きるるんきるるんマジカルきるるん☆ 魔法少女VTuberの手首きるるだよー♪ 君の手首もきるるーんるーん☆」
いや、まじか。
楽しんでいただけましたら嬉しいです。
ブクマ、評価★★★★★、コメント等も嬉しく存じます。
お読みいただきありがとうございます!