108話 お互いに成長しました
クラスメイトたちが俺と彩に注目するなか、放課後まで待ってほしいと伝えれば彼女はそそくさと退散していった。
それから『何があったのか報告なさい』と、紅から秘密裏に連絡が入ったので、友達がナナシちゃんの正体を知っていること、新しい黄金領域について来てほしいって依頼を受けたと報告した。
すると紅にしては珍しく、『私たちはしばらく様子見でいくわ。上手くやりなさい』と簡潔な返事がきた。
てっきり紅のことだから、『新しい黄金領域の配信をするわよ!』とか『奴隷問題を解決して好感度アップよ!』なんて休みを返上してくるかと思った。
そんな疑問をぶつけてみると、至極簡単なリスクマネジメントのお話になった。
曰く、『彩と他のメンバーが関われば、みんなの正体すらバラしかねない』。
曰く、『他種族を隷属させる配信者との対立は、夏のイベントスケジュールに影響が出るかもしれない』。
曰く、『貴方がその依頼を受けたい様子だから、個人的な活動範囲に抑えなさい』。
曰く、『ナナシ。あなたの采配を信頼しているわ』。
とのことだった。
改めてうちの社長は度量が広いと痛感しつつも、【にじらいぶ】の迷惑にならないように立ち回ろうと思う。
そんなわけで放課後になって、彩がいる1年C組の教室へ足を運ぶ。
すると彩は数人の男女に囲まれながら、借りてきた猫のように自分の机に座っていた。
「最初、熊野さんは転校生かと思っちゃったよ!」
「体調不良で学校に来れてなかった分、俺らが勉強の課題とかサポートするから」
「あっ、よかったら俺のノート貸すよ?」
「お前より俺の方が成績いいし、ノートも綺麗だし、何なら参考書だって貸すぜ」
なんだか人気者になっていた。
まあそうか。
見た目はいいもんな、あいつ。
なんて思いながらしばらく様子を見ていると、彩はニコニコしたりコクコクと頷いていた。
自分から何かを喋る気配はないけれど、当たり障りのない対応に少なからず俺はビビった。
それから彩は俺が教室まで来ていると気付き、サッと立ち上がる。そして深くみんなにお辞儀をして、そそくさと俺の方に寄ってくる。
その表情は少しばかり困っているような色に染まっていた。
「お、遅い……」
「はいはい、わるか————」
俺が全てを言い切る前に、彩は強引に俺の腕を掴んで廊下へと脱出したのだった。
◇
「はあー……久しぶりの学校、ほんっと疲れたー……」
人気のいない外階段までくると、彩は大きく伸びをした。
ぬるい風が少しばかりの涼を運んでくれるので、俺は傍の段差に腰を落ち着けてリラックスする。
「刺激に満ち溢れてたろ?」
「引きこもりには刺激が強すぎて死にそうでしたー」
「そこは悪かったって。でも保健室に行ったり、途中で帰ったりしなかったんだな」
えらいな、と褒めてみると彩は前髪をもじもじといじって黙ってしまった。
うーん、お互い久しぶりだからちょっと会話に詰まりやすい?
「ま、まあ、がんばった甲斐はあった!」
ちょっと気まずい空気を壊すように、ニヘっと笑う彩。
それは教室で見せていた作られた笑い方ではなくて、本音からの緩い笑顔だった。
「そういや、クラスの連中とはうまくやれてるんだな」
「そ、そこも、おれの努力ってやつ。笑顔と肯定、二大コミュニケーションの予習はバッチリしておいた」
「ニコニコして頷くか」
「そう」
「……」
「……」
幼馴染とのコミュニケーション予習はしてなかったんかーい! とかツッコめる立場ではないので、さてどうしよう。
あっ、気になってたところを突っ込むべきか。
「その熊耳はどうしたんだ?」
「ナナさあ……普通はこっちから聞くんじゃないの?」
そう言って彩が示したのは、ギブスと包帯で吊るされた左腕だ。
「ああ、悪い。で、その左腕はどうしたんだ?」
「ははっ……だんだん思い出してきた。あんたがナナシって呼ばれてた理由」
過去のあだ名をいじりつつ、『そういうナナも嫌いじゃなかったけど……』なんてサラッと嬉しいことを言ってくれる幼馴染。
「異世界に行って怪我した。それだけ」
「おおう……あんま無理するなよ」
「うん。だから何週間も前からずっとナナに連絡してた」
「あー……なるほどな……それはごめん」
「いい。おれだってやっちゃいけないことをした自覚はあるから、ごめん」
「おう」
おそらく彩は【熊耳の娘】が奴隷扱いを受けていると知って、異世界に行って自力でどうにかしようとしたのだろう。
彼女だって【転生オンライン:パンドラ】のプレイヤーだったから、ステータスには目覚めていたわけで、無茶な話ではない。
それが最新の【黄金領域】を目指す、なんて高い目標でなければの話だが。
「全治何カ月なんだ?」
「二カ月だってさ。骨までボロボロに砕かれちゃって……ポーション類じゃすぐに回復しないとかで、じっくり再生させる治療を受けてるところ」
こんな腕じゃ、一人で異世界は無理。
だから俺を頼ったってわけだ。
「それで、その頭にくっつけた熊耳はなんだ? まさか【熊耳の娘】を保護しよう的なプロパカンダとか、宣伝戦略とかじゃないよな?」
「そんなわけないって。これはほら……【異世界アップデート】が来て、しばらくして生えたんだ」
「あー……意味不明だな?」
「でしょ」
「まあ俺のステータスや技術だって意味不明だから同じようなもんか」
そんな風に軽く片付けようとした俺だけど、彩にとっては思った以上に重かったらしい。
「まあ、この耳が学校に行けなくなったきっかけでもあるかな」
「……」
俺と彩は幼馴染だ。
でもだからといって、不躾に彼女の繊細な部分に触れていいわけでもない。
俺が黙っていると、彩はなぜか嬉しそうにニヘっと笑う。
「なんだ。ナナも成長したんだ?」
「もってなんだよ。彩はどこが成長したんだよ」
「えー? 例えばこことか?」
彩はそう言ってブレザー越しでもわかるほどに盛り上がった豊満なバストを、自身の右手でもみしだき始めた。
「おーおー立派に成長したなー、頭に行くはずの栄養は全部そっちに奪われたかー」
「い、偉大なグレイトのGに成長したおれを崇めろ! そしておれを悪く言うナナは……ゴミのGだ!」
推しの胸ならそれはもう大興奮案件だったけど、彩のはなんていうかうーん。
例えば妹とかの胸を凝視するような気まずさみたいなのがあって、ほとんど見ずにサラッと受け流す。
「ゴミのGか。つい最近までゴキブリ呼ばわりされてたから余裕だな」
「ゴキブリ!? ナナってメンタル強すぎない? じゃ、じゃあ、強がりなナナを、ゴッドなGカップで癒してやらなくもないぞ?」
「彩ってくだらないところは本当に変わってないな」
「ナナもおれをエロい目で見ないっていうか、変な勘違いしないところは変わってないな」
お互いがお互いを昔のように笑い合う。
でも昔と違ったのは、彩がぽそりと『少しは勘違いしてくれてもいいんだけどな』って呟きをこぼしたところだった。