107話 幼馴染にやりすぎた
「あー……やってしまった……」
学校の昼休み。
俺は暑くてぬるい、絶妙なクーラーの効く教室内で突っ伏す。
ちらりとスマホに目を通せば、昨夜の自分の過ちがそこには映っていた。
七『おい、いきなり正体をネットに晒すとか物騒すぎるだろ』
彩『もう遅いし。【にじらいぶ】のナナシちゃん? あっ、ナナシ君って呼んだ方がいいの?』
七『不在着信』
七『不在着信』
七『不在着信』
彩『おれの連絡はスルーしてたのに、自分に都合が悪いと通話ですか』
七『おい、彩』
彩『なに?』
七『ふざけるのはやめてくれ』
彩『ふざけてないよ? もう色々な動画や配信にナナのコメントしたもん』
七『……レオ君が変なコメント来てるって言ってたけど、お前だったのか! 色んな人に迷惑かかるんだぞ!?』
彩『秘密にしてるナナも悪い』
七『で、彩の要求は?』
彩『切り替え早いね。まあいいや、【にじらいぶ】で活躍してるナナシ君の実力を見込んでお願いしたいことがあるんだ』
七『幼馴染の友達として、じゃなくてか』
彩『おれたちが【転生オンライン:パンドラ】で遊んでた時のこと、まだ覚えてる?』
七『もちろんだ』
彩『薄情なナナシ君は忘れちゃったと思ってた。よかった』
七『嫌味はいいから』
彩『新種族【熊耳の娘】が実装されるタイミングで、おれが公式イメージイラストの依頼をこなしたのも覚えてる?』
七『天才イラストレーター【彩】としてのお前は尊敬するよ』
彩『幼馴染としては?』
七『幼馴染を脅してくるクズかな』
彩『幼馴染を無視し続けるクズに言われたくない』
七『じゃあお互いクズってことで』
彩『お揃いだ』
七『で、その【熊耳の娘】のイラストがなんだ?』
彩『んん、おれって自分で描いた子たちにはすごく愛着がわいちゃうっていうか、一つ一つを大切にしたいんだ』
七『ああ、知ってる。こだわり強いもんな』
彩『最近、わかったんだけど異世界にも【熊耳の娘】がいるって』
七『そうなのか。ゲームの時と同じ獣人種か?』
彩『うん。で、【エルフ姫みどり】ってパンドラ配信者がいてね』
七『ん……確かパンドラ人の、えーっと【鹿角の麗人】族の配信者で登録者数は1200人そこらだったような……』
彩『3週間前に最新の【黄金領域】を解放した実力者で、今は10万人に急増したよ』
七『まじか……色々と仕事に追われてリサーチ不足になってたな……』
彩『職務たいまーん!』
七『それで【エルフ姫みどり】さんが、どう【熊耳の娘】と関係してくるんだ?』
彩『【エルフ姫みどり】や【鹿角の麗人】たちが、【熊耳の娘】を奴隷として使役してる』
七『奴隷……?』
彩『ひどい地域だと、駆除対象になってて』
七『それって【熊耳の娘】狩りってことか……?』
彩『うん。だから、ナナシ君と一緒にうちの子たちをどうにか守れないかなって』
七『事情はわかった。でも今回の彩のやり方は好きじゃない』
七『俺たち【にじらいぶ】は本気で活動してるんだ』
七『彩がイラスト一枚一枚に、本気で、魂込めて描きあげるのと同じでな』
七『それをふざけ半分で、足を引っ張るような……脅しみたいな形でお願いしてくるって……幼馴染でもちょっと厳しい』
彩『そっか』
七『だから彩が直接……学校で、面と向かって俺に依頼してきたなら考えるよ』
このメッセージを境に、彩からの返信はなくなった。
正直に言えば、この時の俺は憤慨していた。
もちろん長らく連絡を返さなかった非は俺にある。リスナーたちが『ナナシちゃんは男装執事だ』って囁きに対して、ハッキリと否定しない運営方針も。
それでも、こういうやり方を許すのは違う気がした。
だからこそ、中学三年からほとんど学校に来なくなって、俺と同じ高校に合格したのに一回も登校していない幼馴染に……誠意と覚悟を示してほしくて、学校で直接俺に言ってこいと感情的になってしまった。
互いをよく知るからこその雑な扱いとか、憤りとか、色々あったと思う。
でも今思えば、無理難題を吹っ掛けてしまった。
俺は冷静さを欠いていた。
「彩が学校に来ない理由を聞けていないのにな……」
まあ聞いても話してくれなかったのは彩の方だし、とか。
彩が不登校になった中三当時、わずかな兆候はあった。例えば一部の女子たちに敬遠されていたり、自分のことを『私』から『おれ』って言うようになったり。
とにかく幼馴染である俺が、彩の力になれないのが悔しくて……ああ、その時の悔しさとかも今回ぶつけてしまったのかもしれない。
だからムキになって、学校に来いとか条件づけて……。
「俺って最低だ……うん、謝ろう」
そんな風に反省していると、教室の廊下側が少しざわついているのに気づく。
「ナナって、おじ……いや、七々白路のことか? ああ、確かにこの組にいるぜ?」
「それよりキミ、見たことない顔だけど何組なの?」
「名前は?」
「めっちゃ可愛い」
その騒ぎの中心は、男子生徒数人に囲まれている少女だった。
髪型は襟足が長めのレイヤーボブで、久しぶりだから見慣れない。そしてインナーカラーが薄桃色と薄茶が混じりあって少し目を引かれる。
女子にしてはわりと身長が高めで、その健康的なスタイルの良さが男子を引き付ける魅力の一つかもしれない。出るところはボンッと出ていて、腰回りはキュッとしまっている。
それでいながら、大きな小動物っぽさがちょっとした動きに現れている。
そう、今もオタク女子っぽさが全開で挙動不審だ。
「あっ、あの……!」
そしてやはり注目すべきは、頭にまん丸で可愛らしいクマ耳を生やしている点だ。一瞬、そういうファッションアクセサリーをつけてきたのか? と疑ったけど、彼女の性格からしてそういうのはありえない。
それに左腕がギブスに覆われ、包帯によって肩から吊るされているのも気になる。
「ナナ……! わたっ……お、おれとっ……」
そこにいるのは涙目になりながら、ぷるぷると震える彩だった。
懸命に勇気を振り絞り、俺を探すために各教室を巡ってきたのだろう。
彩はズンズンと俺の方へと近づき、耳元にて震える声で囁いてくる。
「お、おれと、黄金領域、【天空庭園ドラゴンズフルーレ】に来てください」
その場で物凄く頭を下げてきた。
やばい。
やっぱり、やりすぎたかもしれない。
何事かと俺と彩を見つめるクラスメイトたち。
その中にはもちろん紅と蒼もいて————
うわあ、紅は突き刺すような視線で俺を睨んでるし、蒼は心配そうに俺と彩を交互に見返している。
「うん、行くよ。あと……ごめん」
罪滅ぼしと謝罪も込めて、幼馴染に美味しいメシでも振る舞おうと思う。
「な、ナナの……ばか。でも、おれもごめん……」
気まずそうに、でもちょっと嬉しそうに笑う彩を見て——
俺はほんの少しだけ、幼少期の懐かしい感覚を思い出す。
それは夏休みの到来を告げる、わくわくする匂いだった。