夫が仕事から帰って「夕食は?」と聞くと妻は「カップ麺よ」と言い放つ
「ただいまー」
夫の雄二が家に帰ってきた。
靴を脱ぎ、まっすぐ居間に向かう。
妻の真弓に話しかける。
「夕食は?」
「カップ麺よ」
テーブルの上にはカップ麺が置いてあった。
雄二は特に不服を言うでもなく、湯を沸かし始める。
お湯が沸騰したら、カップ麺の蓋を開け、湯を注ぐ。
蓋を閉じ、箸では重さが足りないので財布を重りにする。三分待ったら出来上がりだ。
三分が経過した。
蓋を開けて、雄二は手を合わせる。
「いただきます」
雄二は美しい箸使いで麺を挟み、一気にすする。
口の中に麺がみるみる吸い込まれていく。
その様子を真弓は緊張の面持ちで見つめる。
麺を食べ終わった雄二に、真弓が尋ねる。
「どうだった?」
「麺がよれよれだ。ラーメンの主役ともいうべき麺がこれじゃ話にならない」
「そう……」
落胆する真弓。この日、これ以上の夫婦の会話はなかった。
***
次の日、昨日のように雄二が家に帰ってくる。
「ただいまー」
居間にたたずんでいる真弓に話しかける。
「夕食は?」
「カップ麵よ」
雄二はそれ以上何も言うことなく、昨日と同じように湯を注ぎ、三分間待つ。
蓋を開け、頭を下げる。
「いただきます」
優美な箸使いで、雄二はカップ麺を食べ始める。
夫が麺をすする様子を真弓は真剣な眼差しで見つめる。
やがて食べ終わった雄二に、真弓は尋ねる。
「どうだった?」
「麺はよくなった。しかしスープにコクがない。ようするに麺のレベルにスープがついていってないんだな」
「分かったわ」
こう返事をする真弓。
この日も夫婦の会話はこれで終わる。
***
さらに次の日、雄二が帰宅する。
「ただいまー」
まっすぐ居間に向かい、真弓に話しかける。
「夕食は?」
「カップ麺よ」
置いてあるカップ麺に湯を注ぎ、三分待ち、雄二は麺をすすり始める。
食べ終わると、舌なめずりしつつ感想を述べる。
「だいぶよくなった。だがよくなった結果、具がノイズになってしまっているな。具の種類、量を吟味すべきだ」
真弓は黙ってうなずくと、この日の夫婦の会話はこれで終わった。
***
翌日、雄二が帰宅する。
「ただいまー」
居間にいる真弓に問いかける。
「夕食は?」
「カップ麺よ」
もはやおなじみの光景である。
雄二が麺をすすり、感想を述べる。
「非常によかった。だが、もう一押し、もう一押しだ。どうか頑張って欲しい。俺は君を信じている」
真弓は「分かったわ」とうなずく。
これ以上の会話はしない夫婦であった。
***
それからしばらくカップ麺生活が続き、ついに雄二の表情がほころんだ。
「うまい……!」
真弓の顔が明るくなる。
「ホント!?」
「ああ、俺は……いや俺の舌は嘘をつかない!」
舌を見せながら語る夫に、真弓はほろりと涙をこぼす。
「ありがとう、あなた……!」
「よくやった!」
この日、夫婦は昨日までとは違い、手を握り合いいつまでもいつまでもお互いの目を見つめ合った。
***
新発売したカップ麺は大ヒット商品となった。
真弓はインスタント食品メーカーの開発責任者だったのだ。
そして、雄二は「神の舌」を持つとされる人気美食家だった。
そんな彼が「美味い」と判定したカップ麺がヒットしないなどあり得なかった。今日も日本中で飛ぶように売れている。
雄二に頭を下げる真弓。
「ごめんなさいね、カップ麺ばかり食べさせて」
「かまわないさ」
「体は大丈夫?」
「問題ない。美食家なんて舌が命の仕事だから、人一倍体には気を使ってるしね」
体調を崩せば味覚も崩れる。雄二の言っていることは事実であった。
「それにしても辛かったわ。ずっとあなたと話せなくて」
「俺もだよ」
二人がほとんど会話をしなかった理由。それはカップ麺の判定に情が入ってしまうのを避けたかったためである。
もしも夫婦らしい会話をしてしまったら、雄二の判定はどうしても甘くなってしまっただろう。それは真弓のためにならない。
「じゃあ今日は手料理をご馳走するわ!」
真弓がリビングに料理を運んできた。
ご飯と味噌汁、煮物や野菜炒めといった質素なものだ。
雄二は手を合わせる。
「いただきます」
久しぶりに手料理を披露した真弓は少しはにかむ。
「いつもあなたが仕事で食べてる美食の数々に比べたら大したことないだろうけど」
「そんなことはないよ」
雄二は心底おいしそうにご飯を頬張る。
真弓もそんな夫を嬉しそうに眺める。
神の舌を持つ雄二にとってこの世で最も美味しいのは、最愛の妻が作ってくれた手料理である。大仕事を成功させて幸せそうな彼女の顔を見ながらだと格別だ。だからこそ彼女の仕事にも積極的に協力するのである。
しかし、このことは流石に照れ臭くて言えなかった。
おわり
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